8月20日(土) 曇、夜に激しい雨
8月度の名張市がん・難病相談室に、オープンと同時に妙齢の女性が訊ねて来られた。
久美子さんとおっしゃって、「あのぉ、津市の芸濃中学でお姉さまの高楠則子先生にお世話になった者です」と名乗りをされ、今から52年前に逝去された3歳年上の則子ねえさまとのかつての日々を縷々話してくださった。
優しい先生であったと。
生徒に寄り添い、将来に夢を持たせてくれたと。
2か月前に名張市のがん相談に来られた方が久美子さんの友人で、いろいろ話している中で広野光子と高楠則子が繋がったと。
他にも夫君が名張市役所でお見知りいただいているK氏であったり、正夫義兄さまの長姉さまの婚家ともかかわりがあったり、あざなえる縄のごとくに人間関係が繋がって、不思議な話に、こもごも涙と共に喜び合った。
いつものように、佐藤氏が「大腸がんと胃がんの本をお届けに来ました」と来てくださり、久美子さんが再会を約して帰って行かれ、その間に新たなご夫妻が、「腫瘍マーカーCEAの値が上がりだしてきたのです」と、心配そうな様子で話しだされる。
基準値が、2.5ng/ml以下(RIA法)、もしくは、5ng/ml以下(EIA法)とされる、消化器系の腫瘍マーカーがCEAだ。
陽性、偽陽性併せると、大腸がん、胃がん、膵がん、乳がん、肺がん、膀胱がん、卵巣がん、子宮頸部がん、肝硬変、肝炎、肺疾患、潰瘍性大腸炎などなど、主要な内臓を犯すがんのスクリーニング(ふるい分け=医学用語)の結果が見える。
生体の中でCEAの値が増えてくるということは、内臓のどこかががん化してしてきたのではないか?と懸念し、注意深く進行を見守り、もしくはその他の検査を受け、自分の体を蝕みかけたがんの正体を見極めることが急がれる段階である。
さくら♪の場合は、今から28年前の平成4年4月に1期Cの乳がんを病み、退院時基準値内であった卵巣がんの腫瘍マーカー・CA125(基準値15~35U/mL )が、9か月後に2134を示し、腹腔内に8㌢×11㌢の腫瘍となって現れた時の、慄然とした感情を今も時折思い出す。
「けれど、OK ! 大丈夫ですよ。 私の腫瘍マーカーに比べたら、あなた様のそれは誤差の範囲と言っても良い数値です」
余命半年を覚悟した私のがんは、当時主流であった手術とCAP療法【(エンドキサン(一般名;シクロフォスファミド)+アドリアマイシン(一般名;塩酸ドキソルビシン)+シスプラチン(商品名;ブリプラチンもしくはランダ)の3剤併用療法のこと 】投与のおかげで、今に至るも再発・転移を見ていない。
今は治療の選択肢も増え、自らの4桁もの腫瘍マーカーを抑え込んで寛解をもたらした、抗がん闘病の実際から、「2桁の腫瘍マーカーなら、誤差の範囲と言っても宜しいでしょう」と、自信を持って言える。
不安を抱えた病友には、【安心させてあげること】が一番なのだ。
折しも、『患者よがんと闘うな』で一世を風靡した近藤誠医師が亡くなられ、来合わせた佐藤氏から、「広野さんのお好きな、近藤誠さん」と皮肉っぽく言われたけれど、さくら♪は発売当初からこの書物を【稀代の悪書】と断じてきた。
がんは、確定が早ければ治療の選択肢も多い。
闘う選択肢と果敢に向き合って、「負けない闘い」を挑むことこそが、生き抜く課題である。
話が逸れるけれど、近藤さんには「闘わずして死ねるか!」と幾たびも申し上げた言葉を、今改めて、次の世へに向かわれる手向けに贈りたい。
名張市がん・難病相談室は、今日も皆さまのお役に立っているみたい。
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