3月20日(水) 雨
朝から雨。 冷え込みも厳しく、ご近所さんとお茶をしてルームランナーで通算1時間半歩き、春は未しを納得する一日となった。
午後のひととき、心に「ほっ」と灯りが灯ったのは、ブロ友・嶋さんの千恵子夫人から郵送していただいた扇面の絵手紙のおかげであった。
千恵子さんは絵手紙教室を主宰しておられ、季節の野菜や果実、花々などを力強い独特の筆致で描いて、添えられる言葉も文字も美しく、見る人の感性が鷲づかみにされる。
今日の絵手紙は扇面に、「たのしみは・・・」で始まり「とき」で終わる独楽吟(どくらくぎん)。 さり気ない日常を、肩肘張らない表現で切り取って近未来に夢をつなぐ。
江戸時代末期の歌人・橘曙覧(たちばな・あけみ)の「たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで 無(な)かりし花の 咲ける見るとき」に代表される短歌の一形式である。
嶋さんのブログ『いつも、いつでも元気炸裂!』には、一時期、千恵子夫人の力強く品格のある絵手紙が紹介され、なかには独楽吟も多く描かれていて、拝見するたびに心が洗われるようであった。
嶋さんのブログの過去ログを遡れば今も拝見できるので、一度遡ってごらんいただきたく、お薦めする次第である。
むろん、目配りの行き届いた嶋さんの記事も必見である。
絵も短歌も不得手なさくら♪は、築山の老木にみずみずしい八重咲の花を咲かせた梅花が、久しぶりの青空に美しく映えるさまを見て、「たのしみは 亡夫(つま)の残せし紅梅に いつか来るかと 鶯待つとき」と、腰折れを詠んだ。
ご近所のお庭に「鶯が来て鳴いてます!」と、メールを頂戴したことがあったから、もしや我が庭にも?と期待を膨らませた次第で。
お正月前に買い置いた直径20㌢ほどの白菜の葉を、外側から5~6枚ずつ剥がしてお味噌汁や煮物、お鍋の具にお漬物などと、重宝に使って今、新たないのち(小さな芽)を付け出してなお、生き生きと育つ生命力に、驚嘆している。
むろん、励まされてもいて、感謝とともに今日も少しの水を遣り、感謝の声掛けを欠かさない。
この度は千恵子の拙い絵手紙や私の記事をブログで紹介してくださり、さらに過分なるお言葉をいただきありがとうございます。
絵手紙の方は体調のことや記憶の問題などもあり、かなり前から徐々に教室を減らして他の講師にやっていただき、近年はすぐ近くの宮原公民館だけにしていましたが、そこも今月いっぱいで辞めることにしています。
ただ本人は個人的にも絵手紙が好きなので私的な趣味として今後も続けていくようですから、また時々は勝手にお送りすることもあるかと思います。
今後ともよろしくお願いします。