3月15日(金)晴、風寒し
昨日に続き、今日も大阪に出かけてきている。
13年半在籍し、取材、折衝、企画開発、編集などを教えていただいた、有難い会社の先輩がたに、2年ぶりにお会いさせていただける有難いひとときだ。
大阪・難波のホテル・モントレ大阪の22F。
今日の集いの主宰者のおひとり・阿戸政明さんは、さくらがサンケイリビング新聞社に入社させていただいたおりの試験官であり、その後の教育係りも引き受けてくださった。
指名を受けてそんなことをお話して席に戻ったら、同じテーブルの清水女史から「あなた、今給黎(いまきいれ)局長を忘れているじゃない?」と突っ込みが入った。
はいっ。
今給黎久編成局長♪
キラリと光る原稿を厳しく要求され、鍛えていただきました。
有難く懐かしく、夜になって携帯に連絡を入れさせていただいた。
「あ、いま、東京。 あなたもお元気? また、会いましょう」
30年前と少しも変わらない晴れやかな爽やかな口調。 「僕は世界中で、ナマコを初めて食った人と広野さんの旦那さんだけは尊敬するよ!」と、度々言っておられた姿が、懐かしく甦る。
今給黎局長、有難うございますぅ♪
会場から眼下のおもちゃのような車列の往来を見下していると、2年前の3月11日を思い出す。
2年前の同日の「さくらブログ」に、以下のように書いた。
この時はまだ、福島の原発惨禍は知る由もなかったのだ。
☆ー☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ー☆
初めに、うち続く地震に遇われました宮城県ほか東北4県の皆さま、関東・甲信越地方の皆々さま、予想外の津波被害などに襲われました皆々さまに、せめて少しでも被害の少なきを念じ、心からお見舞いを申し上げます。
◆
今日、さくらはサンケイリビング新聞社OB会のパーティーに参加して、高層ビルの地震を体感する【非日常】に遭遇した。
午後1時の開会に少し遅れて、大阪・難波のホテルモントレ・グラスミア大阪の23Fに落ち着いた。
宴もたけなわの午後2時50分少し前に、同じテーブルのお若い大谷氏が「揺れてますね。あ、地震だ!」と突然呟かれ、隣席の陶山さんも「ビールに酔ったかしらと思っていたけれど、やはり地震だわ!」と。
見上げたら、頭上のシャンデリアがゆ~ら、ゆ~ら、横に揺れやがてゆるやかに回りだし、また横に揺れ、パーティ会場の全員が席を立ち壁近くに避難する。
館内放送が流れ、「エレベーターが止まり、中に残っておられる方を調べております」、「ただいまエレベーターが止まっております。 復旧の見込みは立っておりません」と続く。
その後もたびたび余震らしき揺れがあり、およそ1㌧もあろうかという大シャンデリアの揺れは治まる気配も無い。。
およそ20分ほどの間大小の揺れを体感し、午後2時54分には冒頭の動画を撮影した。
午後3時半に、復旧しないエレベーターを諦め階段を降りることにした。
従業員さん用の、きらびやかなホテルには似つかわしくない裏階段を、10数人がゆるゆると降りた。
さくらこと、ひそかに健脚を自認しておりますもので、ささ、さ…と一気に降りて、「あ~、1階だぁ♪」と喜んだのはいいけれど、園芸コーナーらしき売り場に出たものだから、「ここはどこですか?」とレジの女性に少しトンマなお訊ねをしたら、「ここは、DIYショップですぅ♪」って。
ホテルモントレの裏階段は、お隣のDIYショップに通じている?
近鉄なんば駅に着いた時点で、大阪線の特急はすべて名張駅止めとなり、伊勢、志摩、鳥羽方面へは運休だと聞いた。
5分後に出るという急行に飛び乗り、慌しく名張に帰った。
今回の地震のマグニチュードは、わが国で近代的な地震観測が始まった1923年以降で最大級の規模という。
難儀に遭われる方が一人でも少なくありますように、当該地区の皆さまの被害が少しでも小さく済みますように、と祈り念じつつ…
☆ー☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ー☆
今も、目につく限りの募金箱にはカンパを欠かさずお届けしている。
被災地の皆々さま。
どうぞ、希望を失わず明るい明日に向かって、負けないで!
強く、強く!
正式な名前は、ホテルモントレ・グラスミア大阪。
大阪ミナミの豪奢なホテルだ。
エントランスのガラスドアの内側からシャドウ・スクリーンが貼られて、入るものを拒む趣がある。
さくらのほかにも、男性がたが入るのをためらったり、戸惑ったりしておられた。
エッチング・ガラスやカット・ガラスなどを使って、内部をさりげなく見せるレイアウトもよろしいのでは?
ホテルから近鉄難波駅に向かう、わずか徒歩2、3分ほどの距離を、幅広い地下通路と往復の動く歩道でつないでいる。
あぁ、電気エネルギーの、この無駄遣い!
責任者は、だ~れ?
昨日に続き、今日も大阪に出かけてきている。
13年半在籍し、取材、折衝、企画開発、編集などを教えていただいた、有難い会社の先輩がたに、2年ぶりにお会いさせていただける有難いひとときだ。
大阪・難波のホテル・モントレ大阪の22F。
今日の集いの主宰者のおひとり・阿戸政明さんは、さくらがサンケイリビング新聞社に入社させていただいたおりの試験官であり、その後の教育係りも引き受けてくださった。
指名を受けてそんなことをお話して席に戻ったら、同じテーブルの清水女史から「あなた、今給黎(いまきいれ)局長を忘れているじゃない?」と突っ込みが入った。
はいっ。
今給黎久編成局長♪
キラリと光る原稿を厳しく要求され、鍛えていただきました。
有難く懐かしく、夜になって携帯に連絡を入れさせていただいた。
「あ、いま、東京。 あなたもお元気? また、会いましょう」
30年前と少しも変わらない晴れやかな爽やかな口調。 「僕は世界中で、ナマコを初めて食った人と広野さんの旦那さんだけは尊敬するよ!」と、度々言っておられた姿が、懐かしく甦る。
今給黎局長、有難うございますぅ♪
会場から眼下のおもちゃのような車列の往来を見下していると、2年前の3月11日を思い出す。
2年前の同日の「さくらブログ」に、以下のように書いた。
この時はまだ、福島の原発惨禍は知る由もなかったのだ。
☆ー☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ー☆
初めに、うち続く地震に遇われました宮城県ほか東北4県の皆さま、関東・甲信越地方の皆々さま、予想外の津波被害などに襲われました皆々さまに、せめて少しでも被害の少なきを念じ、心からお見舞いを申し上げます。
◆
今日、さくらはサンケイリビング新聞社OB会のパーティーに参加して、高層ビルの地震を体感する【非日常】に遭遇した。
午後1時の開会に少し遅れて、大阪・難波のホテルモントレ・グラスミア大阪の23Fに落ち着いた。
宴もたけなわの午後2時50分少し前に、同じテーブルのお若い大谷氏が「揺れてますね。あ、地震だ!」と突然呟かれ、隣席の陶山さんも「ビールに酔ったかしらと思っていたけれど、やはり地震だわ!」と。
見上げたら、頭上のシャンデリアがゆ~ら、ゆ~ら、横に揺れやがてゆるやかに回りだし、また横に揺れ、パーティ会場の全員が席を立ち壁近くに避難する。
館内放送が流れ、「エレベーターが止まり、中に残っておられる方を調べております」、「ただいまエレベーターが止まっております。 復旧の見込みは立っておりません」と続く。
その後もたびたび余震らしき揺れがあり、およそ1㌧もあろうかという大シャンデリアの揺れは治まる気配も無い。。
およそ20分ほどの間大小の揺れを体感し、午後2時54分には冒頭の動画を撮影した。
午後3時半に、復旧しないエレベーターを諦め階段を降りることにした。
従業員さん用の、きらびやかなホテルには似つかわしくない裏階段を、10数人がゆるゆると降りた。
さくらこと、ひそかに健脚を自認しておりますもので、ささ、さ…と一気に降りて、「あ~、1階だぁ♪」と喜んだのはいいけれど、園芸コーナーらしき売り場に出たものだから、「ここはどこですか?」とレジの女性に少しトンマなお訊ねをしたら、「ここは、DIYショップですぅ♪」って。
ホテルモントレの裏階段は、お隣のDIYショップに通じている?
近鉄なんば駅に着いた時点で、大阪線の特急はすべて名張駅止めとなり、伊勢、志摩、鳥羽方面へは運休だと聞いた。
5分後に出るという急行に飛び乗り、慌しく名張に帰った。
今回の地震のマグニチュードは、わが国で近代的な地震観測が始まった1923年以降で最大級の規模という。
難儀に遭われる方が一人でも少なくありますように、当該地区の皆さまの被害が少しでも小さく済みますように、と祈り念じつつ…
☆ー☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ー☆
今も、目につく限りの募金箱にはカンパを欠かさずお届けしている。
被災地の皆々さま。
どうぞ、希望を失わず明るい明日に向かって、負けないで!
強く、強く!
正式な名前は、ホテルモントレ・グラスミア大阪。
大阪ミナミの豪奢なホテルだ。
エントランスのガラスドアの内側からシャドウ・スクリーンが貼られて、入るものを拒む趣がある。
さくらのほかにも、男性がたが入るのをためらったり、戸惑ったりしておられた。
エッチング・ガラスやカット・ガラスなどを使って、内部をさりげなく見せるレイアウトもよろしいのでは?
ホテルから近鉄難波駅に向かう、わずか徒歩2、3分ほどの距離を、幅広い地下通路と往復の動く歩道でつないでいる。
あぁ、電気エネルギーの、この無駄遣い!
責任者は、だ~れ?
もう 昨日に なりましたが、 電車でアイパッド持ってた人です。
宜しくお願いします
返信もせずに、失礼いたしました。
近鉄急行で、偶然となり通しに座り、偶然、同じピンクの革製のカバーでHOLDしていたのが、仲良くなるきっかけでしたね。
華やかで美しい、大柄なあなたは、イギリス人でしたっけ?
今頃の返信では、もう、ご縁はつながらにでしょうね。 ゴメンナサイネ!