ウオーキング
東海道53次を歩く
四日目 2011年10月9日 (日)
佐屋海道を歩く
東海道53次 宮宿と桑名宿の間は海上交通
東海道53次の宮宿と桑名宿の間の交通手段である「七里の渡し」は東海道のルートのなかで
唯一の海上航路です。東海道で尾張より伊勢に入るのに
① 宮(熱田)から海上七里を舟で渡り桑名に上がるか
② 宮(熱田)から陸路で佐屋に出て舟で三里を渡って桑名に入る佐屋路を利用する
の二つの方法があった。
船旅は東海道を歩き続けた旅人の骨休めとなったであろうが、風浪の激しい時や
船旅に弱い者は佐屋路を利用したようだ。
コース
江戸時代には舟が運航されていましたが、鉄道や道路が発達した現在は
運航されていません。そこで我々は宮宿(熱田)から佐屋海道で佐屋の渡しまで歩き
佐屋から電車で桑名の七里の渡しまで行った。
佐屋海道
宮(熱田)で東海道と分かれ、岩塚・万場・神守・佐屋の四宿場を経て
佐屋の渡しへ出て、佐屋川・木曽川・桑名川を川船で桑名まで下る
脇往還。
宮と桑名を結ぶ七里の渡しの風雨による欠航や、船酔いを嫌う
旅人で賑わった。
宮の七里の渡し跡 桑名の七里の渡し跡
七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、慶長6年(1601)の東海道制定の
際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が七里であったことに由来する。
所要時間は4時間であった。「熱田の渡し」・「宮の渡し」などとも言った。
佐屋の三里の渡し跡
佐屋から佐渡川を下って桑名までの船旅は三里を数えたので、三里の渡しと呼ばれた。
庄内川を歩く
神守(かもり)の一里塚
神守宿の東の外れ、下町の街並みが始まる所。江戸から93里目の一里塚
ふるさとの川 日光川碑
レストラン 葉JUE 日光川手前にある。
本日の昼食場所、相方の横浜の翁、ハンバーグ定食の美味さに感嘆の声
埋田の常夜灯
秋の気配
秋の気配を感じながら、横浜の翁元気に東海道を歩く
秋の気配を感じながら、横浜の翁 刈り入れ前の田んぼ道を歩く。
晴天の中、秋の気配を感じながら気持ち良く歩いた
今日は、東海道ではなく、佐屋街道をあるいた。弥次さんと喜多さんの二人は
宮(熱田)から船で桑名まで行きたかったとボヤキしきりでした。
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