東海道五十三次を歩く
三日目 5月24日(木)
水口宿 ⇒ 草津宿
⇒
昨日の終了地点、近江鉄道「水口石橋駅」まで戻り草津へ向けて歩く
コース風景
北脇縄手と松並木
東海道が直線に延びるこの辺りは、江戸時代「北脇縄手」と呼ばれていた。
縄手とは、田の中の道のことで、東海道整備で、曲がりくねった伊勢大路を
見通しの良い道にした。
水口宿の一里塚
東海道 横田の渡し
かって、野洲川はこの辺りで横田川と呼ばれていた。
「横田の渡し」は「東海道十三渡し」の一つで、その跡地に文政5年(1822)に建立
された石の常夜灯は、街道一の規模を誇る巨大なものでした。
すぐ後ろを流れる野洲川・・横田川
水口宿 ⇒ 石部宿へ
弘法杉
天井川になった大沙川の堤の上に聳える大杉は、
幹周囲6m・高さ26m・樹齢750年と言われる「弘法杉」。
弘法大師がここで昼食をとり杉の箸をここに挿されたのが成長した。
石部宿 と 道の辺広場
東海道五十三次の51番目の宿場。「京立ち石部泊まり」といわれ、
京都を出て一日の行程にあり、現在は平成の大合併を終えて滋賀県湖南市。
昔の面影を色濃く残す町並みを保存しようと広場を作った
昔の街並みも保存されている
歌川広重の浮世絵に描かれた「田楽茶屋」を再現された。
和中散本舗跡
「和中散」という薬は、家康の腹痛をたちまちに治したことから家康が直々に名付けた
昔のままの街並みが保存会の方々の努力で保存されている。
東京から通しで歩いている仲間と出会った。
横浜の翁と話しながら歩く。テントを背負っての歩き。
石部宿の旧い民家の街並みをご覧いただいた。
石部の宿を抜けて 草津の宿に入った
草津駅前に設置された道標
京都から来ると草津で中山道と東海道に分かれる
今日の行程を終了して昨日同様 「ほがらか亭」で夕食
きょうは一本釣りの大きなアジとカツオの料理を楽しんだ
三日間、天候に恵まれ、体調もよく、計画通りの行動で満足です。
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