友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

後悔はしない

2008年06月29日 21時49分52秒 | Weblog
 強い雨が降り続いている。子どもの頃の梅雨の印象は、雨がシトシトと降り続く日々だったように思う。これも最近の異常気象のせいなのか、シトシトではなくドサッと降るか、そうでなければ雨のない空梅雨が多いような気がする。雨はじとじとして嫌いだという人もいるけれど、雨に打たれているアジサイをぼんやり眺めているのもいいものだ。

 孫娘たちは、火曜日から始まる野外教育(キャンプ)の準備とかで出かけた。カミさんはこの雨の中で、ゴルフの研修会だ。一人でコーヒーを飲みながら、昨日のNPOの設立総会で指摘された箇所を手直しする。我が家の上のその上の夫人がやってきて、我が家の上、彼女の家の下、つまり奥さんを亡くされて一人暮らしをしている方から「電話があったので、一緒に行ってくれませんか」と言う。

 一人暮らしだけれど部屋はきれいに片付いている。肺にガンが見つかったと診断されてから、少し弱気になられたのか、どこそこが痛いと強く訴えられた。「今からでも病院へ出かけましょうか」と声をかけると、娘さんがお昼に、さらに北海道の妹さんが今晩、「来ることになっているし、どうせ今日は病院は休みだから何もしてくれない」と言う。強気の男も病気の一人暮らしで弱気になっているのがよくわかった。

 しばらく話していて、「何かあればすぐに連絡してください」と言って帰ってきたが、その直後に娘さんが来てくれたようで、お孫さんの声が聞こえてきた。いつもなら、娘さんには嫌味の一つも言ってしまうお父さんだが、今頃は娘さんに甘えていることだろう。父親はなかなか素直に娘に甘えることなどできないものだ。娘さんの方も、頑固でわがままで気が利かないと思っているから、なかなか優しい言葉をかけることができないみたいだ。父娘とはそんなものだろう。

 私は娘たちの世話にはなりたくない。世話などならずに逝きたいものだが、そう思っていると往々にしてそうならないことが多いから、決して口には出さない。老いを目の前で見ていると、実に悲しい。もちろん何の悔いもなく、まるで天使のようになっていく人もいる。けれども、自分の老いに気付く人は「どうしてこうなってしまったのか」と悔やむのだ。嘆いたところで仕方ない、前だけ向いて生きていく方が幸せだと思うけれど、そうできないところが人間のようだ。

 木村拓也総理大臣に彼の母親が「後になって、後悔することだけはいかんよ」と諭していた。そのとおりだと思うけれど、そのとおりに生きてきた人は、実は罪深いのかも知れない。
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