友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画「太陽がいっぱい」

2008年06月02日 23時28分59秒 | Weblog
 「からごろも/きつつなれにし/つましあれば/はるばるきぬる/たびをしぞおもふ」

 『伊勢物語』の主人公とされる在原業平が、「三河国八橋」で詠んだとされる歌だ。高校生の時、国語の時間でこれを知り、八橋はそんな古くから“有名”だったのかと思った。八橋は中学3年の時の担任が住むところで、私たちは先生の家に何度か出かけていたからだ。かきつばたが育てられているお寺に実際に花を見に行ったこともある。

 はなしょうぶとあやめとかきつばたとアイリスの区別が私にはつかないが、はなしょうぶやかきつばたは古くからの日本の花である。尾形光琳の6曲1双のかきつばたを描いた屏風絵は群生の扱いが実に見事だ。色男の代表格とされる在原業平とかきつばたは、なぜかピッタリと合うように思うのは私だけなのだろうか。

 アラン・ドロンを始めて映画で見た時は、この人こそ色男の代表格だと思った。確かに『理由なき反抗』のジェームス・ディーンには魅せられた。アメリカ映画といえば、西部劇のジョン・ウェインのような俳優しか知らなかったから、新鮮で強烈な印象だった。ディーンがくちゃくちゃな顔をして泣くシーンは今も覚えている。そんな私がアラン・ドロンを観たのは高校生の時だ。

 映画『太陽がいっぱい』は、海がきれいだった。撮影の仕方がうまかった。音楽も素敵だったし活きていた。何もかも素晴らしかった。よくこんなすごい映画ができたものだと、ルネ・クレマン監督を称えた。私は自分も映画監督になって、こんな映画を超える映画を作ろうと思った。映画は始まりと終りが一番気になる。制作にかかわった人たちの名前がどのように出てくるのかまで見届けないと気がすまない。私がそうなったのも『太陽がいっぱい』を観たからのような気がする。

 色男は悪いことをしない。人を殺して、恋人まで奪ってしまう、そんな悪い奴を澄ました顔でやってしまう役は、アラン・ドロンだから当り役となったのだと思う。男優ならアラン・ドロン、女優ならブリジッド・バルドーが私の憧れの人だった。アラン・ドロンは結局この役以上の役は無かったのではないか、いや年老いてから出た映画でなかなかいい役をやっているではないかと思ったものがあったが、題名は覚えていない。

 ヌーベルバークという映画の流れは、映画の質を高めたと私は確信している。ベルイマンとかゴダールとかトリュフォーとか、この人たちの映画に魅せられた。日本の映画にも大島渚や吉田喜重が生まれた。中でも今村昌平が一番だと私は思っている。今村の作品で最初に観たのは『豚と軍艦』で、これもラストシーンが忘れられない。

 今はどんな映画が衝撃的なのだろう。
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