友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

和楽器の魅力

2009年05月31日 21時35分25秒 | Weblog
 和楽器コンサートのチケットをいただいたので、出かけていった。「伝統楽器が創る日本の響き」とあったので、ぜひ聴きたいと思った。篠笛、能管、尺八、笙、龍笛、篳篥、三味線、琵琶、箏、十七絃、太鼓による演奏である。楽器を単独で演奏した時や、たとえば箏と尺八の合奏は聴いたことがあるけれど、これだけ全部の合奏は聴いたことがなった。それに和楽器の合奏曲があることも恥ずかしいことに知らなかった。

 和楽器といえば、小学校からの帰り道、まだ登下校の道筋は決まっていなかったし、私は校区外から通っていたので、自由気ままに寄り道しながら帰ってきたが、その帰り道のひとつで夕方に三味線を弾く家があった。三味線の音はなんとなく優しく甘く妖しげだった。それ以外では、祭りの時の囃子くらいしか印象にない。春祭りは仰々しく、夏祭りは明るく軽やかで元気がよかった。秋祭りは収穫に感謝する祭りだからにぎやかだったような気がする。父は尺八を好んでいたが実際の演奏は聴いたことがない。姉の箏の演奏会には行ったことがあるが、家で奏でていた記憶はない。

 音楽のことはわからないけれど、西洋的な音があるように東洋的な音もある。先日の大和塾での講演で楽器のルーツを訪ねていった話を聞いたけれど、オリエントで生まれた楽器も東へ伝わるとものと西へ伝わったものでは形も違ったし音色も違った。民族のよって好みの音色や音階があるようだ。中国の南やあるいは西の部族の音色もモンゴルの部族の音色もなぜか懐かしくさえ感じる。

 この和楽器コンサートでは、単独の楽器の演奏の方が気持ちよく聴けた。特にもう一度聴きたいと思ったのはデヴァ・ヨーコさんの篠笛で、笛の物悲しさというか妖しさというか、演奏のスタイルからそう感じるのか、彼女自身の作曲だそうだがとても惹きつけるものがあった。箏の演奏もよかったし、筑前琵琶のよる「本能寺」も浪曲の原型を見る(聴く)思いがした。

 和楽器のひとつひとつの演奏は心にしみてくるものがあったが、これらが一緒になっての合奏は今ひとつしっくりこなかった。太鼓以外の和楽器はどれも主旋律を演奏していて、そこがかみ合わないような気がした。オーケストラの場合なら、ヴァイオリンは主旋律を奏でるけれど、たとえばチューバとかバスなどは単調な音を吹いているだけだ。メロディー楽器を盛り立てるための楽器に徹している。オーケストラが素晴らしいのはそうした各楽器の役割分担だと思う。それらが一体となった時には素晴らしい音楽となって響いてくる。

 どうも和楽器はそれぞれの独立性が強くて、結果的にはお互いをつぶしてしまっているように感じた。和楽器の本格的な合奏指導者がいないのか、作曲家がいないのか、私にはわからないけれど、ひとつひとつの和楽器が素晴らしいだけに残念な気がしてならない。
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初恋は中学2年の誕生日赤いバラ持ち家訪ねたり

2009年05月30日 14時11分07秒 | Weblog
 わずか2メートルほどの目の前、幅30センチの鉄板の上で、とび職の若い男の子が命綱もつけずに動き回っている。マンションの大規模修繕工事で使った足場をはずしているのだ。組み上げていく時は上ばかり見ていたから気がつかなかったけれど、解体していく時は眼下にどんどん視界が広がっていく。30センチの鉄板の向こうは何も無い、地上40メートルの空間である。そう思ってみていたら、私の足から血の気が引いていった。このまま、彼らの作業を見続けていたら、自分が落ちていきそうな気さえしてきた。家の中にいても高所恐怖症なのだと気がついて、引きこもってパソコンに向かう。

 さて結局、孫娘は月曜日から毎日、登校しては早退するパターンを繰り返したけれど、一昨日はこれではダメだと思って名古屋日赤の救急外来を受診し、昨日は地元の耳鼻咽喉科に出かけた。鼻の上部、目の涙の袋の辺りがレントゲンで白くなっていたので、耳鼻咽喉科での受診を進められたのだ。やはり膿が溜まっていて、鼻から管を通して膿を吸引されたと言う。それでも今朝も熱が下がらないようなので、これから耳鼻咽喉科で点滴をしてもらうと連絡してきた。昨日に続けて、2日間も学校を休むことが悔しいようだった。今日は土曜日だけれど、学校公開日でたくさんのお母さん方が見に来るが、出席できないことがいやなのかと思っていたけれど、小学校から続けている無欠席が途絶えてしまったことが悔しいのだ。

 昨日、病院から帰ると駐車場で、私の知り合いに出会った。「どうしたの?」という話から、「いくつ?高校生?」と聞かれ、「中3です」と答えていたが、「大きく見えますね」と言われて、「いつもふけてるって言われます」と答えていた。えっ、そうなの?中3であるけれど、背丈は150センチに足りず、チビだから子どもっぽく見られていると思っていたけれど、他人から見ると大人に見えるのだと初めて知った。いつも一緒にいるとまだまだ子どもだと思ってしまっていたが、背丈に関係なく内面から人は変わっていくようだ。

 確かに中3になって、大きく変わってきた。顔つきが大人びてきたばかりか、それまではそんなに本好きではなかったけれど、よく小説も読むようになったし、テレビもバラエティーは見ないがたまには大人っぽいドラマを見ることがある。母親に対してはまだ反抗的な態度はないけれど、私たちジジババには反抗することもあるし、はっきり意見を言うこともある。中3の頃の少女はどんな恋愛小説を読むのだろう。女性の評論家が「女の子が読んでいる漫画に出てくる男の子は、イケメンでお金持ちで何でもしてくれるから、男にそういうものを求めてしまう」と書いていたが、そうなのだろうか。

 これは昨日の短歌教室で、私の歌の中で1番票の多かったもの。
「 初恋は中学2年の誕生日 赤いバラ持ち家訪ねたり 」
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党首討論

2009年05月29日 20時42分53秒 | Weblog
 昨日の朝のテレビ『とくダネ!』で、一昨日の党首討論をあなたはニュースでもいいから見たかと質問していた。恥ずかしいことに私は孫娘が熱を出していることもあって、見ていなかった。私のようにニュースでも見ていないという人は全体の7割近くいた。番組はそんな日頃は国会の中継など見たことがないという若いお母さんたちにテレビを見せて、感想を聞いていた。結論は、「私たちももっと見なきゃーダメね」というものだったけれど、本当にそうなってくれればいいと思う。

 ニュースで見た限りでは、党首討論はかみ合わなかった。私は、麻生首相という人は不真面目な人だと思っているので、しっかり意見を聞いてみようという気になれない。本当はそれではいけないなと思うのだけれど、ただの人となった今は、嫌いなものは嫌いでいいとさえ思っている。どういうところが嫌いかというと、多分、とても冗談の好きな江戸っ子なのだろうけれど、人を小ばかにした言い方が端々に見られるからだ。

 厚生労働省を分割した方がいいようなことを言っておきながら、内部からの反発で実現は無理となってきたら、「何もこだわっていません」と平気で言い、「こだわったような書き方をしてもらっては困る」と記者に苦言を呈していた。給付金についても「(生活に困っていない)常識のある人なら受け取らないでしょう」と言っていたのに、前言を翻しても平気でいる。ご都合主義であるし、自分には何も非はない、むしろ非はそちらでしょうと言わんばかりの態度が嫌だ。

 こういうことばに責任を持たない人はどうも好きになれない。党首討論の中で、鳩山さんが「政治にはビジョンが必要だ」と発言した時、若いお母さんのひとりが「麻生さんにビジョンなんかあるの?」と間髪を入れずにささやいたが、私もそう思う。麻生首相の口から、「私は日本をこういう国にします」という話を聞いたことはない。麻生首相が話すことはいつも現に起きていることの対処ばかりだ。そうした現実への対処にしても、本来ならこういう国にしたいという基本プランに基づいて提案されるべきものだ。

 日本の政治が貧しいのはそんな現実的な対処に終始してきたことにある。いつも政策が付け焼刃で、ボロが出ると隠すために上塗りしてごまかしてきた。「経済が最優先課題でしょう」と言っていた麻生首相は、政府の経済政策がいかに有効かを述べずに、「国民の最大の関心は西松問題だ」と民主党を批判している。麻生首相が本当に西松問題を最大の課題と言うのなら(実際に大事なことだと私は思うが)、政治資金規正法についてどう考えるか、企業・団体の献金についてどう考えるか、西松から献金を受けている自民党議員にどのように説明責任を果たさせるか、まず国民に明らかにすべきだろう。

 自らの政治思想や信条あるいは具体的な政策について、何一つ展開できない政党の党首は座を汚していると私は思う。自民党議員や党員の方たちは一体どう思っているのだろう。
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今日で4日目

2009年05月28日 22時00分34秒 | Weblog
 今日で4日目である。孫娘の学校から「熱が高くなったので迎えに来てください」と連絡が毎日続いている。学校へ孫娘を受け取りに行く。保健室の先生は口に出しては言わないけれど、「もう、家でしっかり治してから来て!」と思っていることだろう。昨日の医院での検査でインフルエンザではないと知らせてあるけれど、もし万が一、インフルエンザであったならどうしようという苦悩が見て取れる。学校では39度1分にまでなっていたそうだから当然の心配だろう。

 「それでもこの子は、明日の朝、元気なら多少の熱があっても登校してくると思います」と保健室の先生に話すと、「インフルエンザではないようですが、保健センターに相談窓口もあります」と、念のためですよというニュアンスを込めて言う。いつもなら、「豚顔になってきたので新型ウイルスに感染したんでしょうか」などと冗談を言うところだが、それは出来なかった。本当にインフルエンザではないのかと、ちょっと心配になったので、「ありがとうございました」とだけ言った。

 思い切って、日赤病院へ連れて行った。風邪菌が鼻腔内から奥へ広がって、それで目が痛かったり、鼻水が止まらなかったり、頭痛もするようだと診断された。新しく薬をいただき、明日の夕方になっても熱が下がらないようであれば、耳鼻咽喉科の医者に診てもらうといいと言う。

 4月の半ばごろから、風邪を引いたのか鼻声が続いていた。ところが5月の連休に水泳大会があったので、1日に4時間ほども泳いでいた。大会が終わると今度は中間試験に向けて、夜12時に寝て朝3時半に起きる毎日を続けていた。若いし、気が張っていたから、おそらく何も苦にせずにやってきたのだろう。その疲労が積もり積もって一番弱い鼻腔に取り付いたのではないだろうか。

 それでも明日の朝、「熱がなければ学校へ行く」と言う。学校が嫌いな子が多いのに「学校大好き人間だから」と平気で言うからすごい。実際、孫娘は学校が好きなのだろう。中学校の体育大会のプログラムに歴代の新記録が掲載されているが、「ママの記録を塗り替えるのではなく、自分の記録をママと一緒に残したい」と言う。そういう記録というか名誉というか、名を残しておきたいという意識はどこから生まれてきたのだろう。

 自分を叱咤激励し、目標に向かってひたすら努力していく目上げた根性の持ち主だと思う。まあいいかと自分に言い聞かせて怠けてきた私とは大違いである。31日には『オレンジレンジ』のコンサートに友だちと行く計画を立てていたけれど、この様子では行けそうにない。残念だろうけれど、まずは身体を休めて治療に専念する以外にない。4日も続けて熱を出し、きっとそう思ってきたはずだ。
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カルガモ親子の行列

2009年05月27日 21時09分28秒 | Weblog
 夕方だった。両脇にまだ水田が広がっているが直線の県道で、交通量も多いし事故も多い。車はかなりのスピードで走っている。その県道を走っていると前方に見られないが見えた。それはこちらに向かって来る。小さくなったり大きくなったりしている。何だろうとスピードを落とす。カルガモ親子が歩いているのだ。ビックリして車を停める。私の車の後は大型のトラックだが、車間距離は充分にある。トラックの運転手は前方の車の異変に気がついたのか、ゆっくりとしか進んでこない。

 カルガモ親子はどっちへ行くのか。左側へ進んでくれれば、街路樹の垣根へ入り込むことが出来る。右側は車の通行量が多くて危険だ。どうしよう。降りて誘導するべきか。そう思っていたら、一瞬、交通が途絶えた右側へ渡り始めた。親を先頭にかなり小走りだ。それでも車は走ってくる。運転手は気がつくだろうか。1番目だけでなく、2番目の車も気がつかなければ、玉突き事故になってしまう。一番目の車が急停車した。続いて2番目の車も、3番目の車も次々と停車した。その停車した一瞬の間に、カルガモ親子は垣根の中に飛び込んだ。

 私はそれを確認して車を走らせたけれど、後のトラックの運転手もきっとあの高い運転席からこの様子を見ていたのだろう。運転手の顔までは確認できなかったけれど、トラックは相変わらずゆっくりしたスピードで走り去っていった。私の反対側を走っていて、カルガモ親子に出会った運転手が優しい人でよかった。いや、次の車の運転手が充分な車間距離を取っていたから玉突き事故が起きなかったのだろう。人のちょっとした優しさがカルガモ親子の命を救ってくれた。

 人はこんな風にいつも優しくなれないのだろうか。自己主張の強い北朝鮮は相変わらず駄々っ子のようだ。イランだって古代ササン朝ペルシャの誇りにかけて核兵器を持とうとしている。みんながみんな同じ大量破壊兵器を持てば対等に話が出来ると信じている。50万の兵隊を持つなら、こちらも同じ50万の兵隊を持ち、相手が核兵器を持つならこちらも核兵器を持つことで、対等となると信じている。おそらく軍事力学では同じ兵力なら対等なのであろう。

 兵器は殺し合うためにある。どんなに優れた兵器を持とうと、必ず追いつき追い越されるであろう。いつも歴史はそうだった。だから兵器よりも「優しい気持ち」の方がはるかに強い。人はなかなか自分自身が信じられないのと同じで、心よりも確かな、槍であったり刀であったり銃であったり、確実に相手を殺してくれる兵器を信じてきた。しかし、核兵器という人類そのものを根絶できる兵器を創り出してみて、兵器は結局、自分で自分を殺すものであることを知った。

 どんなにいやなやつであろうと、生きていかなくてはならない。生きていくための方策とその心構えこそが大事になってくる。
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ごもっともであるけれど

2009年05月26日 22時13分17秒 | Weblog
 NPOおたすけの会議の後、県税務所に提出する書類を出すための準備をしていると、知人が家に訪ねてきた。住民検診で行なわれる脳波の検査がなぜ65歳に限られているのか、(ちなみに彼は65歳以上である)「役所に問い合わせたけれど、全く答えられない」。そこで彼は責任者を電話の窓口に出すようにと言った。ところがその責任者も、予算が限られているからとか、国の厚生省の方針でとか、全然質問に答えられない。こんな連中に任せておいていいのかと言うのである。

 ごもっともな意見ではあるけれど、じゃあどうするのか。何度も役所に電話するなり出かけていって文句を言えば、頭のいい責任者ならすぐに謝りに来るだろう。その気がなくてもとりあえず謝っておけばすむことなら頭を下げることなど何とも思っていないだろう。彼の意見を取り入れて年齢幅を来年は広げることも可能だろう。役人にとっては「間違いがない」ことが大事なことであって、65歳で線引きをしたはっきりとした根拠などはないし、そんなことはどうでもいいことなのだ。

 役人が前例を踏襲するのは「間違いがない」ためである。自己保身に走るのは役所に勤めた時からずうーとそう言われ続けてきたからである。役人は住民の代わりに仕事をしているのだけれど、役人自身にはそうした気持ちは薄いだろう。もっと前なら、自分たちが住民を管理し導いていると思っている連中が多かった。確かに明治の頃なら、役人は一般住民よりも多くの知識を有し、国の将来を真剣に考えていたであろうが、長くその制度が続くと次第に人間は気迫を失うようだ。

 結局は格別な落ち度が役所の側にあるわけではないから、これ以上に問題にすることは出来ない。私も彼の相談を受けて、具体的な解決策は思い浮かばない。「やっぱり、オンブズマンを立ち上げないと役所を変えることは出来ませんか」と彼は言う。それは大事なことではないですかと答える。「一緒にオンブズマンを立ち上げませんか」と彼は言う。今の私は事務方で手伝えと言われれば手伝いますが、表に立ってやる気持ちはありませんと答える。彼は、面白くないという表情をチラッと見せたが、さすがに大人だから、「オンブズマンしか手はありませんね」と微笑んで部屋を後にした。

 私は再び県税務所に提出する書類を作ろうとパソコンに向かうが、エクセルをワードで作っているせいなのか、全くうまくいかない。半日も苦戦しているのに埒が明かないので、もういいやこの程度にしておこうと決めた。行間とか文字が揃わないとか、完全ではないけれど、間違っているわけではないのでこれでいいだろうというわけである。

 孫娘は今朝、学校へ出かけて行ったけれど、やはり熱が出て帰ってきた。ゆっくり休むのが一番なのにそうできない。カミさんはイライラしているがどうしようもないことはどうしようもない。なるようになるしかないと私が言うので余計にイライラするようだ。
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孫娘も風邪に倒れた

2009年05月25日 21時17分46秒 | Weblog
 頑張り屋の孫娘がとうとう倒れた。倒れたは大袈裟過ぎる言い方である。学校で熱が出て、保健室で寝ているから連れてきてくれと長女から電話が入った。保健室の先生の話では5時間目が終わったあたりから熱が出たようだ。この10日間ほどずっと鼻声になっていたが、とうとうやられたかというところだ。時勢が時勢だけに、保健室の先生としては気になるようで、マスクを用意してくれた。かかりつけの医者に連れて行くが、孫娘が期待するようなインフルエンザの検査もされず、鼻水が止まる薬や熱を下げる薬をもらっただけであった。

 「豚インフルエンザでなくて残念だったね」と冷やかすと、むっとして私に向かって咳を吹きかけてきた。それくらい元気があれば大丈夫だろう。母親が新居に移ってから、ひとりで部屋で暮らしてきたから、確かに自由であっただろうし、急に部屋の主になってしまった責任から気も使ってきたであろう。中間試験を迎えて頑張らないと希望の高校へ行けなくなるという脅迫感もあったであろう。広い部屋で、しかも大規模修繕工事のためにゴチャゴチャになったままの部屋で、生活を続けてきた疲れがいっきに爆発したのだろう。

 テレビをつけると麻生首相がインフルエンザ対策をきちんとやっているという政府のコマーシャルが流れていた。麻生首相という人は本当に運に恵まれている。首相に就任してすぐに世界的な経済恐慌に見舞われ、「政局よりも経済政策が大事」となった。次の世代の国民に肩代わりさせるための国債を発行し、経済の建て直しを図るとして過去最大の約14兆円の補正予算を計上している。一般会計も総額102兆円となると言うから、前年度より27%増ほどになる。国の税金を使って政府の宣伝が出来るのだから政権を握っていることは強みである。

 こんなに滅茶苦茶に税金を使う政権でありながら、野党もマスコミも的確な批判が出来ないところに日本の現状の甘さがあると思う。麻生首相はあくまで景気回復が何よりも国民が求めていることだと言うであろう。今、野党の中に景気回復なんか必要ない、みんなが生きていける社会であればいい、といえる政党があるだろうか。もう一度右肩上がりの国にしましょうのキャンペーンの方がはるかに国民の受けはいいからで、それではダメですよと言えないのだ。

 アメリカ大統領オバマさんはムッソリーニと似ていると言う政治評論家がいる。オバマさんは白人も黒人も一緒にアメリカのために頑張ろうと言うけれど、ムッソリーニもイタリアのために懸命にやるなら人種が何であろうと受け入れるとして支持を伸ばしたと指摘する。ムッソリーニは、インターナショナルな世界を目指しながらナショナリズムに陥ってしまったけれど、人間はナショナリズムを克服できなければ結局いつも同じ道を歩むことになるのかもしれない。
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婿たちの交流も生まれる

2009年05月24日 23時08分26秒 | Weblog
 昨日の大和塾第12回市民講座『日本文化の再発見!-三味線のルーツを求めて-』には、130人ほどが来ていただき大変盛況だった。長女夫妻にもプロジェクターと音響で手伝ってもらい本当に助かった。講師の船橋靖和さんは三味線のルーツを求めていったことで、人の歴史や民族のつながりにいっそう興味を抱いたと話した。膨大なコレクションの中からいくつかの楽器を映像で紹介しながら楽器の魅力を語ったけれど、1時間半では言い尽くせなかったようだ。欲求不満になった人はぜひ、資料館をたずねて欲しいと思う。時間があればまた船橋さんが1時間でも2時間でも話してくれるだろう。コレクターは自分の収集物について話したくて仕方がないものなのだ。

 津軽三味線の演奏は初めの方は手が動かないと言っていたが、時間と共に興にのってきた。芸者さんが演じる細三味線と津軽三味線はルーツが違うと船橋さんは言っていたけれど演奏を聴くと余計にそんな感じがする。小学校の頃、学校の帰り道で聞いた細三味線とラジオから流れてきた津軽三味線の音の違いにビックリしたことがあった。もういい歳になって、NHKラジオで毎週水曜日に各地の民謡を取り上げ解説していた番組があり楽しみだった。その中でなぜか、民謡が海で結ばれていると興味深く聞いたことを思い出した。

 私たち日本人は、朝鮮半島から、あるいは中国から、いやもっと南のベトナムやタイや南太平洋の島々から、そればかりか北のシベリアや樺太やカムチャッカの島々から、つまりいろんなところからやって来た人々によって出来上がったのではないだろうか。そういうことを言うなら、世界中がいろんな人々が移動し、ある時は平和的に交じり合い、ある時は交戦し征服したし敗北したりして、現在に至っているのかもしれない。今は、ラジオやテレビという媒体があるから、音楽もどんどんと変化したりあるいは独特のものを維持したり、変化と維持がなされている。

 私が何をやっているのか、長女の婿に知ってもらいたくて、大和塾の手伝いをしてもらったが、手伝いをしてもらったからにはお礼をしなくてはならない。そこで長女夫婦を近所の居酒屋に誘った。誘ってみたけれど、私ひとりではどうも心許ない気がして、友だちに一緒に飲みませんかと話した。友だちも娘婿が来るところだと言うので、それでは娘婿も一緒にとお願いした。私からすると、友だちとその娘婿が一緒に来てくれたことで大いに話が盛り上がり、よかったと思った。娘婿同士が初対面ながら親密になれたし、おやじ同士のつながりを婿たちも受け入れてくれたことにホッとしている。

 居酒屋で飲んだ後さらに我が家に移り、誕生日会のもうひとりの私の男友だちも呼び出し、またもや宴会になった。ちょっと飲みすぎたけれど、婿殿は大丈夫だったかな。
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NHKドラマ「つばさ」

2009年05月23日 17時54分37秒 | Weblog
 NHKテレビの朝の連続ドラマ『つばさ』を家族が観ているので、私も一緒に見ているが、その時間帯にトイレに入ってしまうこともあるくらいだから、そんなに熱心なファンではない。この何年間かのこの番組は、私にとってはそれほど魅了的なものがない。印象に残っているものと言えば、題名は忘れてしまったが、青森県の大間が舞台のドラマくらいだ。

 今度の「つばさ」は、これまでの路線とは全く違うハチャメチャな喜劇仕立てになっている。これが年寄りには馴染めない。昔、新しいタイプの番組が出てくると年寄りの人たちが「あんなものはダメだ」とよく言っていたが、たぶんそんな心境なのだろう。その新しさが鼻につくのだ。うっとうしくさえ感じてしまう。感性はなかなか更新しないものだと実感している。

 さて「つばさ」で取り上げられているのは、地域限定のラジオ局である。地域限定のラジオ局は全国放送のものとは違って、県単位かそれに匹敵するくらいの地域をカバーしたFM局が多いが、電波法が改正されたとかでもっと狭い範囲のFM局が誕生してきている。「つばさ」のラジオ局もそんな小さな、学校の放送室のような設備のものだ。

 私は40歳の時、図書館でその地域だけで発行されている地域新聞を見て、新聞記者になりたかった自分でも作れるのではないかと思った。それで、自分が思い描く新聞を貼り合わせ、これをコピーして「こういう新聞を作るので、広告を出していただけませんか」とお願いして回った。「そんな新聞は見たことがない」と断られるばかりだったが、それでも中には興味を持ってくれた人もいて、発行にこぎつけることが出来た。

 テレビもラジオも同じ時間帯の中だから、これを見ると他は見られないし聞けない。しかし、新聞は同時に幾紙も見ることが出来る。その時は見なくても気が向いた時に読むことが出来る。気になる、あるいは魅力的な新聞ならばきっと読んでもらえると信じてやってきた。次は地域限定のテレビの時代になるだろうと思ってチャンスがやってくることを願っていたが、私の思いとは違う方向へ行ってしまった。

 地域にこだわるのは、中学の時に放送部にいたからかもしれない。昼食時や下校時にレコードを流すだけではなく、自分たちの放送劇をやろうとして脚本まで書いたことがあった。放送をもっと身近に感じて欲しいと思っていた。その気持ちが地域新聞にも生きていて、地域で生活している普通の人にスポットを当てて紹介することを重要な課題としてきた。

 友人が「朝日新聞はなっとらん」と言う。偏っているというのである。私に言わせれば、新聞でもテレビでもラジオでも、マスコミはもっと偏っていた方が良いと思う。マスコミは決して中立ではない。記者あるいは会社の姿勢が働いているのだから、それを鮮明にすべきだ。受け取り手は、だからこっちが好きとか嫌いで判断すればいい。それがマスコミの在り方だと思う。
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政治家の世襲制限

2009年05月22日 20時39分04秒 | Weblog
 民主党は現職の国会議員の3親等以内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを党の内規で禁じ、さらに政治団体やその資金を親族に引き継ぐことを法律で禁止することを今度の選挙のマニフェストに盛り込む方針である。当たり前のことだと思うけれど、これまでなぜ政策として掲げられなかったのだろう。それに国会議員だけに限定せずに、全ての選挙に適応させてもよいのではないかと私は思っている。

 民主党のこの動きを受けて、自民党にも世襲制限の動きが現れた。小泉元首相が「今期限りで引退するが、次男に跡を継がせたい。親バカであるけれどよろしく」と発言したことから、自民党への風当たりは厳しくなった。そこで自民党内の若手議員から世襲制限の動きが表面化してきたのだ。自民党内の制限案も民主党のものと内容的には変わりないようだが、自民党は実施を「次の次から」と先延ばしにしている。しかし党内論議の進み具合で「前倒しもありうる」と見込んでいるようだ。

 政治を家業とすることはそもそもおかしいのではないか。世襲制限に反対する人は「判断は有権者がすればよいのであって、党が決めるのは個人の自由を奪うことだ」とか「優秀な人材であれば世襲であろうとなかろうと関係ないはずだ」といった原則論を展開している。民主党も自民党も世襲制限について、親族が政治家になることを禁止しているわけではない。同一選挙区から連続して立候補させないとしているだけだ。

 政治家になりたければ、誰もがそうしているように自らの政治課題や政治信条を訴え、支持者を募ればいい。親族の地盤、看板、カバンを引き継ぐことはやめようとしているだけだ。これは当たり前のことではないか。立候補者が自分の政策や思想を語らずに、後継者になることは全く有権者を馬鹿にした行為だ。けれども2世3世議員が多いということは、その方が候補者にとっても有権者にとっても手っ取り早いからだ。何が手っ取り早いかといえば、政治家が守ってきた利権をそのまま引き継ぐということである。

 何代も続くような政治家なら取り巻きの人々も多いはずだ。その取り巻きの人々が受け継ぎ守ってきた利権を引き継ぐばかりか膨らませることにもなる。官僚にとっても「よくわかっている人」であるから、やりやすい相手であろう。こうして政治が一部の「慣れた」「わかっている」政治家に集約されていく。これは歴史が示してくれている、政治が腐敗していく姿である。
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