友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ビリギャル」のお母さんが来てくれる

2015年09月30日 18時39分47秒 | Weblog

 「ビリギャル」という言葉が出てきたのはいつごろなのだろう。偏差値30の女の子が慶応大学に合格し話題になった。そして彼女をモデルに映画も制作された。今年の3月2日、中日新聞が「ビリギャル」モデルの親子を大きく取り上げていた。記事を読んですぐに切り抜いておいた。「男女共同参画セミナーで取り上げる講師はいませんか?」と市役所の担当から言われていたので、「この人がいい!」と思ったのだ。

 人には確かに差がある。試験をすると満点を取る人もいるし、30点しか取れない人もいる。この点数だけを見てしまうと、能力に大きな差があるように思ってしまう。たまたま、その試験ではそういう結果であって、それが人の能力の差ではない。試験が得意な子もいれば、苦手な子もいる。それでも試験のために訓練を繰り返せば意外に違う結果も得られる。試験はできないが運動は得意とか、絵を描くことや工作は見事という子もいる。

 子どもの時は分からなかったけれど、親になってみると、人にはそんなに大きな差はないことが分かる。差がないのに、大きな差が存在しているのは、どうも本人の受け止め方にあるようだ。知らないことを知ることは楽しいのに、試験のために無理やり覚えようとしていたから楽しくなかった。大和塾にみなさんが来てくれるのも、知ることが楽しいからだ。大和塾の次の市民講座の講師は「ビリギャル」のお母さんだ。

 我が家のふたりの娘は嫁にゆき、子どもを授かり、子育て真っ最中である。そう言っても、長女のところの上の子は大学3年だから、子育てよりも母と娘の関係になってきている。私は、高校卒業までは子育てだが、それから先は相談に乗るが口は出さないと決めてきた。もっと勉強すればよい大学に入れたと思うが、そんな選択肢は彼女たちにはなかった。そうなったのも、「勉強だけがすべてではない」と言ってきた私の子育ての成果である。

 「ビリギャル」のお母さんがどんな話をしてくれるのか、とても楽しみだ。当日は娘の「ビリギャル」も会場へ来てくれる。市民講座は10月4日(日)の午後2時から、北名古屋市文化勤労会館で行う。入場は無料で、誰でも参加できる。連絡は0568-23-9130、鈴木まで。

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ミミズの移動

2015年09月29日 18時02分38秒 | Weblog

 風が強すぎた。朝からルーフバルコニーに出て、鉢をひっくり返して古い土から残っている根を取り出し、たい肥や赤玉土を加えて新しい土を作る作業をしたが、風が吹くたびに砂が舞い、目に入ってくる。それでも我慢して続けていると、強風のためなのか身体が冷えてクシャミと鼻水が止まらなくなった。カミさんはゴルフでいないから、昼飯を過ぎても文句を言われることはない。やれるところまで、やってみようと頑張ったが、午後1時過ぎ、とうとう限界だった。

 古い鉢からミミズが飛び出してくることがある。急いでつかまえ、別の鉢に移す。私の都合でこうして勝手に移動させているけれど、本当にこれでミミズは幸せなのかと考えてしまう。たった1匹でいたミミズなら、何匹か一緒の鉢に入れられた方がいいだろう。こんな小さな鉢の中でも2・3ミリの白いミミズを見つけることがある。ミミズに雄雌はないから出会いが性を決め、産卵するわけで、小さな鉢の中でも巡り合いは滅多にないチャンスだろう。

 ミミズを移動させながら、ヨーロッパへ逃れるアフリカや中東の人たちのことを思った。自らの意志あるいは家族で決めたことだろうけれど、幸せになりたいあるいはなれると信じての行動である。文字通り命を懸けての移動だが、途中で亡くなる人も大勢いる。たとえどんな困難が待ち受けているとしても移動し続けなくてはならない。闇でちゃっかりとお金を取る人もいる。危険を承知で、そんな連中に頼ってまでも移動しなければならないのだ。

 人間は誕生して以来、長い目で見れば常に移動してきた。より住みやすい場所を求めて地上を彷徨ってきた。農地を耕すことが生活を安定させ、富を貯えることになった時、支配者は人々の移動を禁止した。ところが工場生産が始まると労働者が必要となり、移動の自由が叫ばれるようになった。職業の自由や結婚の自由など、「自由」を獲得する近代が幕開いた。現在、難民となる「自由」などは存在しないのに、難民とならざるをえない。これは次の時代への過渡期なのか、それともまだ、古い時代にいるのだろうか。

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中秋の名月を見て、ラブレターを書く

2015年09月28日 17時54分09秒 | Weblog

 福山雅治さんが吹石一恵さんと結婚した。だからってどういうものでもないが、私の携帯に何百通とメールを送ってきた「フクヤママサハル」君もこれで落ち着くだろう。でも、そうなると「フクヤママサハル」君は本物ではなかったわけで、ちょっと寂しい気がしてしまう。猛烈なラブレターだったのに惜しいな。

 知り合いの女性が「余ったから差し上げます」とか、「いい展覧会ではないけど、よければ使ってください」とか、「もったいないので」とか、こんな文面と一緒にチケットを時々送ってくれる。8千円もする指定席を2枚もいただいたこともある。ありがたいことで、感謝しているが添付の言葉が気になる。余計な気を使わせないようにとの思いやりだろうけれど、ちょっと考えてしまう。

 彼女は普通の主婦ではない。記事を書いて生活しているし、文章教室の先生でもある。もしかしたら彼女は、エッセイや紹介記事は書いても、ラブレターは書いたことがないのかも知れない。歯の浮くような美辞麗句であっても、ラブレターとなれば心地よくなるものだ。そこまでいかなくても、「どうぞ、お使いください」とか、「お使いいただければ幸いです」で、よいような気がする。

 昨夜は中秋の名月。西の空にまだ赤みが残っていた頃、東の空にくっきりと大きな月が見えた。この月をあなたと一緒に眺めたかった。あなたの色白の肌はいっそう透き通るようにきれいだろう。月光の下で、一糸まとわぬあなたの身体は、ビーナスよりも美しい。妄想のなかに私は入り込み、月を見つめる。隣りには、「やっぱり月見は団子ね」と頬張る人がいる。

 今晩は満月という。風が強くなってきた。きれいな月が見られるだろう。月夜には日本酒の方が合う気がするが、友だち夫婦は娘さんが開いたワインバーへ行くと言う。月はフランスにもイタリアにも公平に照らしてくれる。たとえ窓がなく、月が見られなくても、煌々と輝く月を思い描いて、ワインで乾杯もいいかも知れない。我が家はどうするか‥。

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草取りは不審者対策とボケ防止

2015年09月27日 19時08分56秒 | Weblog

 マンションの「草取りの日」。午前9時から始めて1時間、マンションの敷地の雑草をみんなで取ろうという日である。マンションには築山があり、中庭は広場になっている。樹木も多く、昔は芝生だった緑地帯も今では雑草が目立つ。通路には植え込みがあり、住民の男性がボランティアで、時々刈込をしている。私の友だちにキレイ好きなのがいて、彼の提案で1年に2回だった「清掃の日」が4回に増えた。

 日頃は清掃業者がマンションをキレイに維持している。掃除ばかりかワックスかけもしてくれているから、40年近く経っているのにピカピカである。それでも、「自分たちの住まいなのだから自分たちでキレイにしよう」と、住民の手で行う「清掃の日」を設けた。それは、住民同士のおしゃべりのためでもある。同じエレベーターを使う者は当然顔見知りだから、作業する場所もほぼ同じで、ワイワイガヤガヤとおしゃべりも弾む。

 最近、不審者が出没することから、「オートロックに出来んかね」と女性が言う。昔に建てられたマンションは開放的な構造で、どこからでも入ることが出来る。その全ての出入り口をオートロックにするには無理がある。すると男性が「オートロックも気休めで、悪いことをやる奴は待ち伏せするかも知れんし、誰かが入る時に一緒に入れるかも知れん。一番いいのは、こうやってみんなが外にいて、知らない人がいたら,『何でしたか?』って声をかけたらいい」と言う。住民同士が挨拶を交わし、子どもたちが遊んでいる傍には大人の誰かがいる。そういう地域は犯罪が少ないと聞いた。

 「ホンでも、草取りに出てくる人は一緒だなあ。こんな年寄りにやらせんと、『私らがやりますから』と言ってくれる若い人はおらんのかね」と80代の女性が言う。「今の若い人は、年寄りは出来るだけ働かせた方がええと思っとるの。やれるうちはやらせんと、ボケてしまうと心配しとるんじゃ」と、もっと高齢の女性が言う。「そうそう、健康のため、ボケ防止のため、やれるうちはやるで」と、みんなで大笑いになった。

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歌のこころ

2015年09月26日 18時40分19秒 | Weblog

 「同世代に聴いてもらえればいい」と、『高校3年生』を歌った舟木一夫さんは言ったという。「歌は世につれ、世は歌につれ」と言うけれど、私たちが口ずさむ歌は時代を反映している。その頃に流行った歌を聴くと、当時が懐かしく思い出される。昨日、急に「千住明の30周年個展コンサートのチケットがあるのですが、行ってもらえませんか」と声をかけてもらった。

 千住明氏といえば、作曲家である。その30周年記念コンサートなるものがいかがなものか見てみたい、そんな思いもあって出かけた。ゲストに米米クラブの石井竜也さんと大貫妙子さんを迎え、県芸術劇場大ホールで行うものだった。中に入ると異常なほど背広姿が多いし、高校生と思われる人たちもいる。企業がチケットを買って動員したのだろう。

 前半は千住明さんが作曲したテレビドラマや映画の曲を、千住さんの指揮でセントラル愛知交響楽団が演奏した。後半はゲストのふたりが、そしてさらに何百人かの混声合唱団も参加して歌った。その規模の大きさや組み立てに驚かされたけれど、私にはしっくりくるものがなかった。千住さんがファンサービスとしてマイクを握りたくさん話してくれたことが、逆に鬱陶しくさえ思われた。

 今日の大和塾の市民講座は『流行歌とともに歩んで』。芸能事務所で流行歌を作ってきた塩崎喬氏が歌が生まれたエピソードを話し、その原盤を聴かせてくれた。作詞家のなかにし礼氏は「歌謡曲は文学」と言ったそうだけれど、塩崎氏が一番大切にしてきたものも「歌詞」で、納得いくまで書き直してもらったと言う。言葉が持つ不思議な力を敏感に感じ取っていたのだ。「だから、歌詞を大事に歌うことがカラオケの秘訣」と話す。

 昨夜の千住氏のコンサートがしっくりこなかったのは、歌謡曲ではないから言葉がない。後半の曲は歌詞を歌い上げたものだが、言葉が聞き取りにくいというか、やはり慣れていないことに原因がある。千住氏は「作曲が面白い」と語った。どこにどの楽器でどんな風に組み立てるか、その出来上がりが面白くて仕方ないのだろう。交響曲でも自然と覚えてしまうものもある。生意気な言い方で申し訳ないが、それにはもう少し時間が必要な気がする。

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川島なお美さんの逝去を悼んで

2015年09月25日 16時07分44秒 | Weblog

 女優の川島なお美さんが胆管がんのため亡くなった。病室のベッドで撮ったものだろう写真が公開されていたが、54歳とは思えない少女のような表情だった。いつだったか、舞台に復帰するというので、記者たちに囲まれて質問を受けている映像が流されたが、見るからに痩せていた。その時よりももっと痩せていたのに、とても可愛い表情だった。名古屋の中村高校から青山学院大学に進み女優になったが、結構ズバズバものを言う人の印象がある。

 一世を風靡した映画『失楽園』は黒木瞳さんの主演だったが、テレビでは川島さんが演じて話題になっていたのに、黒木ファンの私は残念ながら見ていない。54歳はあまりにも若すぎる。まだまだ女優として、充分に演技できるはずだから、「悔しい」と思う気持ちはよく分かる。けれども、人にはそれぞれ背負い込んだ運命がある。

 先日、長女のダンナと話していたら、彼は経済学部の出身らしく、「経済が伸びないのは需要がないからです」と言う。「どうして需要がないか?」と聞けば、「満ち足りてしまっているから」と教えてくれた。先進国の人口は伸び悩んでいるし、給与は上がらないから、日常の必需品以外に買いたいものがない。どこの国も経済成長は鈍い。中国はアメリカのボーイング社から飛行機を300機購入するが、労働賃金が安かったから成長できたが、企業はもっと安いミャンマーへ移ろうとしている。

 「安く仕入れて高く売る」資本主義の原則が崩れてきているのはどうしてなのだろう。安倍首相は今後の政権運営について、「アベノミクスは第2ステージへ移る。目指すは1憶総活躍社会」と夢を語る。そして新たな3本の矢として、強い経済、子育て支援、社会保障を挙げた。さらに「GDPを600兆円にする」と数字を示した。選挙では女性たちが投票する視点はこの3点に尽きるそうだから、安保関連法案で落ちた支持率の帳消しを狙っていることは間違いない。

 社会もまた、人の運命のようなものを背負っているのだろうか。華やかなうちはみんながちやほやしてくれるが、末期になると見向きもしない。死を前にしても可愛い少女でいられるのだろうか。

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「いい子」は悪い子を育てる

2015年09月24日 18時08分41秒 | Weblog

 雨降りになってしまい、ルーフバルコニーでの作業が出来ない。それでも小学校の運動場からは鼓笛隊の練習が聞こえてくる。長い休みだったので、音合わせのために繰り返し練習しているようだ。天気予報を見ると、運動会のある今度の土曜日は雨になっている。こんなに練習しているのに雨では延期になってしまう。うまくいかないものだ。

 親が子どもを愛することは当然だ。ジジババになってみると、子どもの時よりも孫は愛おしくみえる。何やっても可愛い。発する一言ひと言が、気が利いていて、天才だと思えてくる。子育ての経験から、子どもたちが孫にイラついて怒ったりするのを見ると、「大丈夫、もう少し大きくなれば分かる」と言いたくなるが、孫を育てているのは子どもたちだ。グッと我慢である。

 酒鬼薔薇聖斗がホームページを開設したと、週刊誌の広告にあった。どんなホームページなのかと思ったのに、見てみようという気にならない。彼の書いた『絶歌』を読んだ。どうしてあんな残虐な行為に走ってしまったのか、それはよく分からないが、彼は「根の優しい子」(母親の手記)だったとは想像できる。

 彼の両親が書いた『「少年A」この子を生んで‥』を読んでも、どんなに愛して育てたかがよく分かる。愛情をたっぷり注げばいい子に育つと親なら誰でも思う。非行に走ったり、残忍なことをしてしまうのは、親の愛情が足りないからだと人は言うから、溢れるほど愛情を注いだ。けれどそれは、親の側からの見方で、子どもがどんな思いでいるかは無頓着だ。

 下重暁子さんの『家族という病』ではないけれど、親の愛情が重荷になることは充分ある。親はきっと、「いいのよ、あなたの思い通りすれば」と言うけれど、そう言いながらも「あなたは本当に優しくていい子ね」とも言う。子どもは知らず知らずのうちに親に逆らえない子になってしまう。

 厳しく叱る時は叱っていい。なぜ、叱るのか、親の言い分を聞かせることだ。「いい子、いい子」と甘やかせているのは、本当は親の思い通りにしようとしているのだ。子どもはわがままで、いい子であるはずはない。親や周りの大人を見ながら学習しいていくのが子どもだ。教師か反面教師か、子どもたちは判断しながら大きくなっていく。確固とした自分を子どもに見せることだと思う。

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ヒガンバナ

2015年09月23日 17時38分29秒 | Weblog

    

 昨日、静岡へ行く新幹線の窓から、田んぼの畔や堤防の土手に群生しているヒガンバナが見えた。駿府城の堀の石垣や土手にもヒガンバナの群生(写真左)を見ることが出来た。秋の彼岸が近づくと必ず姿を見せてくれる(5日前に知り合いの鉢で咲いたもの)。季節を知る能力は本当にすごいと思う。ヒガンバナは過ぎ去った思い出を蘇らせてもくれる。

 私の子どもの頃、祖母は「死人花」とか「地獄花」とか呼び、なんとなく嫌っていた。お墓には必ず咲いていたからなのか、「きれいだね」とは一度も言わなかった。「根っこには毒があるから」と素っ気なく言っていたように思う。ヒガンバナは別名で「女郎花」ともいうから、その怪しげな華やかさが男を引き付けるようで、嫌いだったのかも知れない。

 日本では「花は葉を見ず、葉は花を見ず」と言うけれど、韓国では「葉は花を思い、花は葉を思う」というから、悲しく切ない響きがある。ヒガンバナを韓国では「相思華」というそうだ。映画『冬のソナタ』のような美しい花ということだろうか。国によってとらえ方がずいぶん違うのも不思議な気がする。

 連休は井戸掘りもなかったので、21日と今日は朝からルーフバルコニーに出て、鉢の土の入れ替えの準備を始めた。古い土からサルビアの根を取り除き、これに新しく赤玉土とバークたい肥を混ぜ合わせて土を作る。しばらく寝かせておいて、ここにチューリップを植える。こんな作業をもう何年やってきたことだろう。

 チューリップの花はおよそ1週間の命である。風が強かったり、雨が続いたりすると、鑑賞期間はもっと短くなってしまう。お金と労力をつぎ込んで、わずかな時間しか楽しめないのに「よくやるわ」と娘たちに笑われるけれど、元気なうちは続けるつもりでいる。それでもいつまで出来るのか不安はある。結局、やることが励みになっているから続けられると思う。

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私のシルバーウィーク

2015年09月22日 22時01分05秒 | Weblog

 シルバーウィークと聞いた時、てっきり老人週間と思ってしまった。静岡市立美術館で『写楽一番・春信一番』展を開催している。静岡県立美術館には出かけたことがあるが、市立美術館はどこにあるのだろう。そう思って調べてみると、静岡駅前とある。それでは静岡市立美術館へ行ってみよう。車で行くより新幹線で行く方が、お金はかかるが面白そうだ。そんなことから急に思い立って静岡へ行ってきた。

 実は、静岡駅には中学2年・3年と来たことがある。キリスト教教会の中学生キャンプが安倍川の上流の梅ヶ島で行われていて、確か静岡駅からバスに乗り込んだように記憶している。60年近くも経っているので、駅前がどんなものだったのか覚えていないが、今日降りた静岡の街は大都会の印象だった。人出もすごく多かったけれど、何よりも街が整備されていて、駅前から地下道が伸びている。その地下道ですぐのところに美術館はあり、高層ビルの3階だった。

 展覧会はかなり混み合っていた。その原因は、浮世絵は油絵のように大きくないこと、そして1枚毎にある絵の説明書きを皆さんが丹念に読んでいくので、なかなか前に進まないためだった。浮世絵は日本で制作されたものなのに、この展覧会はアメリカのフィラデルフィア美術が所蔵する4千点のコレクションの中から厳選された150点とある。展示の仕方も工夫が凝らされていて、思わず1点1点確かめながら見て回ってしまった。

 せっかく静岡まで来たのだからと駿府城へ出かけた。途中にある徳川慶喜が暮らしたという浮月楼にも寄り、お城へと向かった。どこか仙台とか、熊本や鹿児島に似ている。若い人たちが多く、街が活気に溢れているように感じた。駿府城では家康生誕4百年の祭りが行われていた。ここには天守閣や御殿はないけれど、広々とした緑の広場があり、いろんなイベントが行われていた。

 食事をしたり、お茶を飲んだり、ゆっくりして家に帰ると、長女たちが犬山モンキーセンターで遊んできたので帰りに寄ると連絡があった。どこも食事処は満員で、結局歩いて行ける近くの居酒屋風の店で夜の食事を一緒にした。長女のダンナとは久しぶりに飲む。彼もそしてまたうちのカミさんも今日はとても弁舌が豊かだった。シルバーウィークにふさわしい一日だった。

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『50年展』の案内状

2015年09月21日 18時17分13秒 | Weblog

 「敬老の日」に合わせてか、卒業生から『50年展』の案内状が届いた。卒業生と言っても私とそんなに歳の差はない。私が新卒で赴任した高校に1年生で入ってきたから、21歳と15歳の6つ違いである。彼は1年生で留年したので、翌年に私が1年の担任になった時から付き合いが深まった。担任と生徒ではあったけれど、彼はほとんど毎日のように私の下宿に来ていた。

 私よりも先に下宿にいて、私の本箱から好きな本を取り出して読んでいた。一緒に飯を食べていくこともあった。キャベツの千切りにソースをかけて食べさせると、初めての経験だったようで、下宿でのふたりの定番になった。私が彼の家に遊びに行ったこともある。夥しい漫画があったが、物語性が高いものが多かった。私の方が夢中になってしまうものもあった。

 私が結婚して団地生活を始めると、生徒たちが押し寄せて来たが、彼はその仲間の時に加えてひとりでやって来ることもあった。団地は洋式トイレになっていて、彼が使った後でトイレに行くと便器がビショビショだった。使い方が分からなくて、便座を下ろしたまま使用したのだ。教えなかった私が悪かった。カミさんに内緒で急いで掃除しておいたが、生活が変わっていく時代でもあった。

 彼は卒業し、念願の自動車のデザインに携わる。先生と生徒の関係から友だちの関係に変わった。信州のコテージに招待してくれたり、彼が箱根に赴任すると家族4人で押しかけたりと、家族で付き合うようになった。彼も私のふたりの娘の面倒をみてくれた。また、我が家へも家族揃って遊びに来てくれた。彼は独立してデザイン会社を立ち上げ、業界にこの人ありと言われるまでに名を挙げた。

 栄枯盛衰。私が教職を離れ、彼も仕事に追われ、次第に行き来も無くなった。何年か前、彼は「病気になった」と訪ねて来たが、それっきりになってしまった。どうしているのか、ズ~と気になっていたが、住所も分からず連絡もなかった。「50年にわたるデザイナー人生の作品展を開くことにしました。高校生の頃の課題作品、練習作、会社員の頃の作品、32歳で起業し制作したデザインのアイディアスケッチや試作サンプルなど、多数展示します」とある。

 彼の人生は私の人生でもある。どうしても観に行かなくてはならない。

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