「市子は大杉がかばんの中からつかみ出した札束を見て全身の血がひいていった。 この 僅かな紙幣で、大杉とのすべてが絶ちきられるのだと思うと、もう考える力も尽きはてた気がした。 肉親も、友人も、社会も、職も、すべてを犠牲にして自分を賭けた恋の価が、この数枚の紙幣の価値しかなかったのか。 市子は、自分が石になったような感じしかのこらなかった。」(略)
「短刀を持った右手は鉄のように重かった。及び腰になり、市子は重い腕をひきあげ、刃を伸ばした。空洞になった體がたいそう軽かった。市子は葉が落ちるように全身で石の首の真上へ刃ごと、ゆっくり落ちていった。」( 瀬戸内晴美『美は乱調にあり』の最後のページ )
「石の首」とは大杉栄の首である。神近市子が大杉の非を責めると、大杉は「今度こそ最後だ。(略)これでもうきみとは他人だ。明日はさっさと帰ってくれ」と言い放った。隣で眠る大杉は「冷たくて血の通っていなかった。呼びかけても、語りかけても答えのない石の首‥刺しても斬っても刃ごたえのない非情な首」だったのだ。四角関係の結末、清算の時である。
こんな風に書いていた瀬戸内寂聴さんだったが、時代が違ったのか、全く違う道を歩いてきたようだ。1922年(大正11)生まれの瀬戸内さんは、東京女子大の在学中に大学の先生と見合いで結婚し、翌年に女の子を生んだ。ところが夫の教え子と恋仲になり、夫と3歳の娘を棄ててしまう。離婚が成立して小説を書き始めると作家と不倫し、三角関係になってしまう。
井上光晴とは7年か8年続いたようだ。瀬戸内さんにとっては必要な男だったが、井上光晴の心が遠のいていくのを感じ、出家という形で終止符を打った。「男の心が移るのは、女が誘惑したと言うが、悪いのは男」と寂聴尼僧は説教していた。俗界を離れたのに、よく言うよ。俗界にいた時は世俗を超えていたのに。