友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

同年者の集まり

2018年01月31日 17時31分46秒 | Weblog

  喫茶店で男性が6人、打ち合わせをしていた。耳を澄ませて聞いていると、どうやら3月に行う親睦会についてのようだった。「はっきり決まったら、カレンダーに書いておかないとダメだ」とリーダーの男性が言うと、「カレンダーに書いたことを忘れてしまう」とひとりが愚痴る。「ああ、昨日何やったかも覚えとらん」とみんなで笑う。

 「誰でもそうさ。だからちゃんとカレンダーに書いておく必要がある」とまたリーダーが言う。「文書にして回しても、『もらっとらん』という人がいるから困るわ」と続けると、「会議に来ないので電話かけると、『今日だったか』と忘れとる」と次々にみんなが話し出す。そこでまたリーダーが「だからカレンダーにちゃんと書いておく必要がある」と強調すると、「カレンダーに書いたことを忘れてしまう」「ああ、昨日何やったかも覚えとらん」と、みんなで笑う。

 その話、もう3度目ですよ。全く同じパターンの繰り返しなのに誰も気付かないのだろうか。他人事なのに、そばにいる私の方がやきもきする。「80歳を超えてもこうやってみんなに連れて行ってもらえるのだからありがたいわ」と言っていた。どういう集まりなのかと思っていると、喫茶店のママが「どういう会?」と聞いていた。「昭和12年生まれの会だが」とリーダーが答えていた。

 私もこの街の昭和19年4月から20年3月までの生まれの人たちの親睦会の世話人をしているが、傍から見たらこの人たちと変わらないかも知れない。2月24日に集まりを開くが、送迎してくれるホテルがあるというので、今回は思い切ってそこで開くことにした。毎年40人ほどが集まるが今回はまだ30人ほどしか申し込みが無い。「いつもと同じでは面白くない」と言う割には参加者が少ない。

 中学のクラス会も延び延びになっているが、今年は開かれるのだろうか。世話人がいろいろ思案しても、なかなか参加者を増やすのは難しい。「減ることはあっても増えることはない」からこそ、「続ける意味がある」と思っているが、やはり参加者が少ないと気が滅入る。

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パソコンの悲劇と運命

2018年01月30日 18時11分54秒 | Weblog

 昨日のブログで、中学からの友だちのブログが23日から更新されていないので心配だと書いたが、今朝、彼のブログを開くと「パソコンがダメになった」とあった。よかった。何事もなかった。私よりバイタリティーに富み、いろんなことに挑戦している彼だけに、ひょっとして身体の具合が悪いのかと心配してしまった。

 「11年間使い続けたパソコンが動かなくなった」とある。電気店を回ると、「ふつうは5年で新しいものに買い替えますよ」と教えられ、「使っている機種と同じメーカーの最新のノートパソコンを買った」とある。パソコンはそんなに故障しないと私は信じていたが、昨年秋に動かなくなって、パソコン屋に修復してもらった。

 けれど、「ブログが出来ればいいです」と安価で直してもらったためか、何かと不便になってしまった。wordではなくopenofficeという無料のソフトになり、ブログを書く手段は手に入れたが、新しいソフトで往復ハガキの印刷をしようとしても、どこにそのプログラムがあるのか分からない。普通の文章でも余白を狭くしようとか、ルビを打とうとしても、どこを動かせばよいのか分からない。メールもoutlookではない無料のソフトに替わったが、私のアドレスは変わっていないから受け取ることはできるのに、受信文をコピーすることも出来ない。

 友だちから「フェイスブックに載せたから、見ておいて」と言われても、見ることができない。facebookを開こうとしてもなぜなのか、写真しか出てこない。ブログやfacebookをお気に入りに入れておきたいのにそれも出来ない。これまで出来ていたことがこんなに出来ないとは思わなかった。私も彼のように、思い切って新しいパソコンを購入した方が良いのかも知れないと考えるようになった。彼が元気だったことをよかったと喜びながら、パソコンを新しく買うといくらかかるだろうと心配している。

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認知症予防の最も良い方法は恋愛をすること

2018年01月29日 18時30分21秒 | Weblog

  中学からの友だちはブログを休んだことが無い。毎日必ず更新している真面目な書き手で、私のように理由をつけて休む怠け者ではない。そんな彼なのに、23日のブログのままになっている。どうしたのかと心配になる。彼はシルバー人材センターの理事を引き受け、町内役員では広報を担当するいわば現役の高齢者だ。

 今年の年賀状に私は、「ブログの文章が長すぎるから、せめて1千字でまとめるようにしたら」などと、いらぬことを書き込んだが、それでも相変わらず2千字くらいの文章が続いていた。そんなことくらいで寝込むようなヤツではないから、風邪でも引いて体調を崩したのかも知れない。

 彼がペースメーカーの移植手術を受けたとブログに記載した半年後に、私も移植手術を受けることになった。同病相哀れむというか、互いを気遣ってきただけに気がかりだ。私が「文章が長すぎる」と苦言を呈したのは、私たちの高校の大先輩の外山滋比古さんが「簡潔な文章を書くように」と『知的文章術』に書いていると、彼自身がブログに書いていたからだ。

 小学校の時の友だちは「一杯飲もう」と言っていたのにガンになり、誘いがなくなったと思っていたが、今年は年賀状も来ていない。だんだん、そういう年齢になってきた。井戸掘り仲間の先輩は認知症の研究をしていて、市大病院で行われる「運動と認知症の関係」に参加し、自らの身体でデータを集めると言っていた。

 先輩が言うには、「80歳で4割が認知症になる。認知症予防の最も良い方法は恋愛をすること。寝ても覚めても相手のことを考えていれば認知症にはならない」と断言する。何事もよく知っている先輩の言うことだから間違いないと思うけど、恋愛が成り立つのかと不安になる。中学からの友だちは恋愛の権化のようだったから認知症にはならないと思うので、どうしたのかと心配だ。

 

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仮想通貨と国会のヤジ

2018年01月28日 17時42分19秒 | Weblog

  もうすぐ午後5時になるところだが、外は粉雪が降り続いている。この様子だと明日の朝はまた、積雪で混乱することになるだろう。午後1時はまだ雪は降っていなかったので、「水が出ない」と言う春日井の現場に出かけた。念のためにと思って挿し水をしてポンプを動かすと水が出てきた。しばらく放置すると水は引いてしまい、どんなにポンプを動かしても水が上がってこない。

 ピストンの上の水を見ていると徐々に引いていくから、やはりピストンとポンプの胴の当たりが悪いようだ。先日、水が出なくなった時も急激な寒さの日だったから、ピストンが若干だけど収縮したのかも知れない。春になれば解消すると思うが、もう一度ピストンを取り換えるつもりでいる。昔のピストンは木に牛革を巻き付けたものだったが、今はプラスチック製のものに変わったから、長持ちはするが寒さには弱いのかも知れない。

 時代は大きく変わってきた。インターネット上だけで通用するコインを取り引きしている会社から580億円分の仮想通貨が流出した。どういう人が取り引きに参加していたのか分からないが、コインの保有者は26万人もいるという。そもそも取り引きで、何を買ったり売ったりしていたのだろう。インターネット上の数字の動きだけで買った売ったというのであれば、もうそれは博打ではなかと思う。この会社の社長が27歳ということにも驚かされた。

 国会で「沖縄で米軍のヘリが続けて不時着しているのは重大な問題だ」と野党の質問に、「それで何人死んだんだ」と松本内閣府副大臣がヤジを飛ばした。松本副大臣は「誰も死んでいないのにうるさいことを言うな」と思ったのだろう。死者が出なければ問題ないと腹にあるからだが、政治に携わっている意識が希薄過ぎるし、理想を追求できない人は政治家になるべきではない。未来を思考できないと現状維持に満足してしまう。何がベストなのか、井戸掘りしている私たちですら考えるのに。取り引きも政治も、もっと誠実であって欲しいと思う。

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恋にもっと真剣であれば、性暴力もセクハラも生まれない

2018年01月27日 18時03分49秒 | Weblog

  ハリウッドで女優たちが黒いドレスを着て、性暴力や性的嫌がらせに抗議した。女優だけでなく男優たちも黒い服を着て同調した。そのくらい性暴力にたいして、皆で無くさなければならない決意の表れだろう。権力や金で相手を支配する男は、男としては最下位なヤツだ。相手を愛する気持ちがなく、権力や金で手に入れようとするのは最も安易な方法である。

 相手のことが本当に好きなら、一生懸命で働きかけるべきだ。性行為だけがしたいのなら、しかるべきところで金を払えばいい。相手が愛おしくてたまらないから、口説くのが男の価値だと思う。私が最初に観た映画で、「女は可愛い小悪魔」と知ったのは、フランスの女優のブリジッド・バルドーだった。『素直な悪魔』が封切れれたのは1956年だから、中学1年の私は街の洋画館でひとりで観た。まだモノクロだった。

 そのバルドー(83)が「セクハラ告発は偽善的」と発言したことが新聞に載っていた。どうしてそんなことを言ったのか分からない。彼女よりも10歳年下のカトリーヌ・ドヌープも「男には女を口説く自由が認められるべきだ」と述べ、「レイプは殺人のように重大な犯罪」と断罪した後、「執拗だたり、不器用なナンパは犯罪とは言えないし、誘惑の作法を痴漢と見做すのも違う」と週刊誌に語っている。

 往年の大女優のふたりは、若い時は裸になることでスクリーンを彩ってきた。ドキドキしながら美しい裸体に見とれた。私の記憶だから定かでないが、「恋多き女」とか「自由な女」とか言われた新しいタイプの女優だった。男性遍歴は多かったが、性的嫌がらせを受けることはなかったのかも知れない。どこかの女性プロヂューサーが「時代に遅れたフランス女優と、今も第一戦で活躍する女優の違い。革命は行き過ぎるもの。濡れ衣で犠牲になった男の人はかわいそうだけど」と解説していた。恋にもっと真剣であれば、性暴力もセクハラも生まれないと私は思う。

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錦絵を生み出したもの

2018年01月26日 18時52分09秒 | Weblog

  昨夜また雪が降り、今朝は底冷えがする寒さだった。長女は1月生まれだが、こんなに寒い日の誕生ではなかった。1月生まれの女性に色白が多いのは、雪と関係があるのだろうか。あまりの寒さに家に籠っていたら、安倍首相が韓国で行われる冬季オリンピックの開会式に出席するという。慰安婦問題を蒸し返してきた文大統領の招待に応じるべきではないという人もいるが、私は出かけて行って話し合えばいいと思う。

 昭惠夫人は同行するのだろうか。アメリカのトランプ大統領がスイスに出かけのに、メラニア夫人は同行せずに、ひとりで「ホロコースト記念博物館」を訪問し、その姿をSNSにアップして次のように綴っている。「ホロコースト記念博物館は亡くなった何百万もの罪なき人々に敬意を表し、私たちにホロコーストの悲劇や影響を教えてくれるのです。そんな博物館に感謝いたします。博物館をまわり、心を揺さぶられる思いがしました」トランプ大統領よりはるかに正常な感覚の持ち主である。

 第2次世界大戦の終息から72年が経つのに、いまだに各地で紛争が続いている。戦争は相手を潰す・殺す科学を発達させたが、文化を育てることにはならなかった。先日、ボストン美術館で『鈴木晴信展』を観た。晴信が活躍したのは江戸の中期、戦争から解放された町民たちが力をつけてきた時代だ。浮世絵が流行したのも平和だったからだろうし、権力に対する町民の抵抗の逸品でもある。

 浮世絵は西洋にはない日本の文化である。晴信は優れた絵師であったが、彫師や摺師がいなかったら浮世絵は成立しない。版元が絵師と彫師と摺師を抱え、販売までする業者であった。錦絵と呼ばれる多色刷りは大きいものでも30×40センチくらいで、カレンダーであったり絵本のように持ち歩き出来るものが多い。週刊誌のヌードを見てニヤニヤしているようなものだろう。やっぱり日本人の感覚は凄いなあーとと思う。

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凍り付いた道

2018年01月25日 17時47分24秒 | Weblog

 午後になっても昨日の雪はまだ残っていた。マンションの中庭のサザンカが寒さの中で咲いていた。雪景色に赤いサザンカはよく似合う。我が家のルーフバルコニーの椿も水仙もまだ咲きそうにないが、チューリップの方は数こそ少ないけれど、緑色の芽が出ているものもある。この寒さで芽が凍ってしまうことはないのだろうか。

 昨夜は井戸掘り仲間の新年会だった。午後5時半頃は猛吹雪で、「これでは行けそうにない」という話になったが、店は「準備はできている。それにこちらはそんなに降っていない」と言うので、再び出かけることになった。タクシー会社に電話をするが、何度してもつながらない。先輩の車で行き、店に置いて帰りはタクシーを使うことにする。

 店まで30分もあれば行けるのに、どの道も大渋滞で、車は列つながりでのろのろとしか進まない。1時間以上もかかってやっと店に着いた。「こんな日にわざわざやって来た物珍しい客です」と冗談を言って店に上がるが、7人グループの先客があったから、珍客は私たちだけではなかった。いつもなら来客の多い店も結局、私たちとそのグループだけだった。

 今朝はよく晴れ、道路の雪は大方無くなっていた。車を店の駐車場に置いてきたので、お昼に取りにいったが、走ってみると陽が当たっているところは溶けていても日陰は凍っている。できるだけ交通量の多い道を選んだが、所々でタイヤが空回りするような個所もあった。マンションの手前のT字の交差点で青信号を左折をしたら、車はそのまま進行方向へ滑ってしまった。幸い対向車はいなかったが、もう少しで電柱にぶつかりそうになった。

 往きは右折だったから道路の半分の溶けた方だったが、帰りの側は建物の陰で凍り付いていたのだ。事故にならなくて本当に良かった。まだ、免許を取ったばかりの頃、材木屋のタウンエースで現場へ出かけた時、陸橋の上でブレーキを踏んだら、車が1回転したことがあった。あの日も雪降りの翌日だった。道路に雪はなかったが、橋は凍り付いていたのだ。1回転したが、ぶつかることも横転することもなく、命拾いした。怖さの初体験だった。

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昔のことにこだわらない

2018年01月24日 17時22分54秒 | Weblog

  朝から冷たい風が強く寒い日になった。姉のところへ見舞いに行く日だったから、ちょっと心配だったが雪もなく無事に行ってくることができた。最近、視力が落ちているのか、ものがとても見にくい。見えないわけではないが、気のせいなのかぼんやりしているように思う。義弟が相撲協会の八角理事長は辞めなきゃーだめだ」と力説する。興行を主にするのか、伝統を重んじるのか、はっきりさせないと協会の存続も難しいだろう。

 韓国で行われる冬季オリンピックに北朝鮮が参加することに反対する人々がいるが、みんなが仲良くやれることが一番大事だと私は思う。今朝の新聞に、奈良県の町議がフェイスブックに国会議員を名指しして「極悪非道の在日コリアン」と決めつけ、「万死に値する」「両足を牛にくくりつけて股裂きの刑にしてやりたい」と載せているとあった。どのようないきさつから生まれた文なのか分からないが、少なくともまともな人間がすることではない。

 「モンゴル人」や「朝鮮人」をなぜか嫌う人がいるが、私たち日本人には「モンゴル人」や「朝鮮人」の血がより濃く流れているだろう。「モンゴル人」や「朝鮮人」を否定するのは自らを否定することであり、皇室を否定することだろう。どうして同じ血を受けながら「他民族」を毛嫌いするのだろう。福島県の人は長州軍に「賊軍」の汚名を着せられ、多数の死傷者を出したことから、いまだに山口県の人が嫌いだと言う。

 それでも会津藩士の中には明治政府の陸軍将校になった人や東大総長になった人もいる。徳川幕府の中でも、江戸城の無血開城を行った勝海舟は新政府の外務大臣や兵部大臣などの要職に就いているし、函館戦争で最後まで新政府軍と戦った榎本武揚も逓信大臣や文部大臣などを務めている。新政府も有能な人物を有用したのであり、新政府と戦った幕臣たちも進んで新政府に協力しているが、暗殺されることはなかった。

 日本人には良い悪いは別にして、「昔のことにこだわらない」血が流れている。他人を非難しない血も?

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市民の自治を阻むもの

2018年01月23日 17時52分58秒 | Weblog

  東京は昨日からの大雪で大混乱しているが、こちらも寒さは厳しいが雪は降っていない。しかし、今晩から雪になるかも知れないとの予報だ。雲の動きはめまぐるしく、雨になったり、陽が差したり、風が強くなったりしている。そんな気候のせいなのか、友だちに誘われて入った喫茶店に客はひとりもいなかった。

 「正しいことをやっているのに、うまくいかないことばかりで」と友だちは愚痴をこぼす。市の公園の広場は芝生が剥げている。公園で毎朝、ラジオ体操を続けている彼はみんなに呼び掛け、芝を買ってきて植えた。ところが公園を管理している市の職員から「余計なことはしないでくれ」と言われショックを受けたと言う。

 先日あった「市の未来を語る講演会」を思い出した。「自治を回復し、まちの課題をまちの力で解決するために―協働と総働の基礎を再確認する―」と題して、『ソシオ・マネジメント』編集発行人の川北秀人氏が具体的な数字をあげて話した。私の隣の女性は「一番わかりやすかった」と感激していたが、私は講演の形式ではなくグループトークの方が深まったように思った。

 「町内会のような自治組織は行事を行っていればよかったが、これからは事業をしなくてはならない。なぜなら、行事の担い手は減少する一方なのに、高齢者は増えるからその面倒を見ることになる」と言う。市の2015年の生産人口は51,277人だが20年後は50,708人で、85歳以上の人は2015年は1,762人なのに20年後は5,575人と数字を示す。85歳以上の要介護3以上の構成比は2015年は58.3%なのに2030年には76.9%に増えると言う。

 市の財政についても扶養費が年々増えていることを指摘し、自治の仕組み・在り方を検証する必要を説いた。公園の管理を「利用している自分たちでやろう」という提案はその先駆けだと思うが、「余計なことはしないで」とはどういうことなのだろう。講演会に多数の市の職員が参加していたので驚いたが、そんなことを言った職員はこの講演を聞かなかったに違いない。

 

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昨夜、テレビで『相棒』を観た

2018年01月22日 17時53分12秒 | Weblog

  寒い日になった。予報通り午後から冷たい雨が降ってきた。ルーフバルコニーでの作業もできず、家でじっとしている。韓国で行われる冬季オリンピックに北朝鮮が参加することに、ああでもないこうでもないとテレビは解説している。そういえば先日の新年会の時も、先輩たちが「文大統領は共産主義者で、韓国を社会主義国にしようとしている」と主張していた。

 戦争にならなければ、どこの国がどうなろうと構わない。中国が世界を支配すれば、戦争の危機は無くなるからいいが、北朝鮮も中国も「自由」が無いから嫌だ。それでもきっと、人間は徐々に自由を獲得していくだろう。力で抑えようとしても、必ず崩れていく。「自由」を味合った人間から「自由」を奪うことは不可能だ。

 昨夜、テレビで水谷豊さんの『相棒』を観た。外国から攻められたらどうするのか―、自衛隊が密かに民兵組織に細菌兵器を作らせ、公になる前に封じてしまう。民兵組織の暴走のように描いているが、実は攻撃されたら反撃すべきだが国民の意識という訳である。「文大統領が韓国の社会主義化を企てている」とか、「習主席は中国の世界制覇を狙っている」とまことしやかな主張も、「だから日本は負けない国にならなくてはいけない」意識に通じている。

 「攻めてきたら反撃するのが当然なのに、武力を持たないと言うのは平和ボケだからだ」と私もよく言われる。「細菌兵器が悪なら、核兵器はもっと悪ではないか。それなのに、細菌兵器は禁じているのに核兵器は認めている」と武装化を主張する。そして多くの国が核兵器を持とうとしているし、核兵器を持つことで攻撃されない国になろうとしている。

 けれど、これでは戦争のない世界、武力を持たない世界にはならない。寒さから身を守る手段は工夫すればできるけれど、どんなに避難訓練をしても核爆弾から身を守ることはできない。戦争は自然災害ではない。人間が創り出したものは、人間は止められる。皆がそう思えば実現できる。I CANなはずだ。

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