アメリカのロサンゼルスで第85回アカデミー賞の授賞式が行なわれた。昨年に公開された映画の中から、作品賞とか監督賞とか主演男優賞とか、幾つかの部門で最も優れた作品が選ばれるものだ。ノミネートされた作品はどれも、私は観ていないものばかりだった。作品賞に輝いたのは、『アルゴ』というCIAの活躍を描いたものだった。CIAというと多額のお金を使って、相手国をかき回す映画が多かったけれど、この映画は実際に行なわれたことの映画化だという。
イランのアメリカ大使館が学生たちに占拠され、CIAは避難した大使館職員6人の救出作戦を立てる。CIAはイランを舞台にした映画製作を持ちかけ、撮影に乗じて6人を脱出させるという映画である。アメリカ人がどのような映画を選ぼうとも勝手で、観てもいない私が言うのは不謹慎だと思うけど、この映画をイランの人が観たならどう思うだろう。奴隷解放を行なったリンカーンを取り上げた映画もあったし、貧しさゆえに罪人となった『レ・ミゼラブル』もあった。老いのあり方を追及した映画もあった。けれども作品賞はCIAの活躍を認めたものだ。
政治よりも経済は先をいく。文化はやはり後追いなのだろうか。文化の中には時代よりも先をいくものがあったけれど、それと気が付くのは時代を経てからのことが多いと思う。時々とてつもない先人がいるけれど、凡人の私たちにはなかなか理解できなくて、変人や奇人と見てしまう。そんな風に見られた先人は孤独で辛い人生だったのかも知れない。そんなことを考えるとボンクラでよかったと思う。
長屋形式の借家に住んでいる友人が、玄関の上がり端の板が割れてしまったので、大家さんに修理を頼んだところ、大家さんから「修理代を払って」と言われたそうだ。「家屋の修理は大家さんが行なうものでしょう」と突っぱねると、「それなら出て行ってくれ」と立ち退きを迫られた。私は彼に「居住権があるじゃーないですか」と言うが、「居住権では居座れないと言われた」と言う。世の中は摩訶不思議なことが多い。何の落ち度もない住民が、大家さんの一言で住居を追われてしまう、理不尽が横行する。
持っている側はやはり力が強い。美しい国も現実はこんなものだ。アメリカは力を見せ付ける。慈悲でしか生きられない人や地域や国は、どうすればいいのか。華やかなアカデミー賞の授賞式が行なわれたロサンゼルスにも路上生活者がいた。豊かな国アメリカに乞食がいるのを見て私はビックリしてしまった。