友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

5月になれば蒸すような暑さがやってくる

2015年04月30日 18時40分24秒 | Weblog

 今日で4月も終る。日々が早く過ぎていく。満開だったツツジも見れば花先が褪せてきている。青紫のアヤメの群生が本当に綺麗だ。井戸掘りをした家の庭で真っ白なボタンが咲いていたけれど、昨日の午後行くと花弁が半分ほど落ちていた。「花の命は短くて悲しきことのみ多かりき」と、作家の林芙美子さんはよく色紙に書いたという。林さんの葬儀委員長を川端康成氏が務めたというから、文壇の女王のようだが、登り詰めるまでには「悲しきことのみ多かりき」だったのだろう。

 林さんは子どもの頃、大人の都合であっちこっちと引きずり回され、だからこそ自分を信じる強い女性になっていったのかも知れない。不幸を逆さにとって、あるいは幸せにしがみつかず、生きていく力を蓄えていったのだろう。15歳の時、彼女は尾道の高等女学校に入学した。夜や休日は働き続け、学校にいる時は図書館の本を読み耽ったという。それだけでも並みの才能ではないと思う。彼女の文才に注目した先生がいたようで、先生の勧めで地元の新聞に詩や短歌を投稿し、掲載されたことから文学の道へ進むことになった。

 誰かに認められることで、人は大きく変わることができる。才能のない人はいないし、学力の差など本当は微々たるものだ。自分を引き出してくれる人に出会った時、人はいっそう才能を発揮するのだ。それは両親かも知れないし、友だちかも知れないし、先生なのかも知れない。いや、職場の上司かも知れないし、恋人なのかも知れない。花が肥料を与えられていっそう輝くように、人もまた褒められ、受け入れられ、自分が輝く場所を得るのだろう。それでも振り返ってみると人生は「悲しきことのみ多かりき」ということなのだと思う。

 新緑が美しい。花たちが咲き誇り、新緑の樹木が輝く公園で、ミニスカートの女の子と若い男の子が抱き合っていた。いいねぇー、青春は。5月になれば蒸すような暑さがやって来る。もう初夏なのかと思う年老いた自分がいる。

 新緑の 輝きよりも 愛らしい 人目気にせず 抱き合うふたり

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マンションの総会

2015年04月29日 19時50分41秒 | Weblog

 マンションの総会。「出席者は191人、委任状が308人、合計499、全戸で659ありますから過半数の330を超えています。よってこの総会は成立しております」と議長が宣言する。毎年のことながらこんなに委任状が多くてもいいのかと考えてしまう。少なくとも出席者が全戸の過半数にならないものかといつも思うけれど、賛否が伯仲するような案件があった時でも、出席者が過半数を超えたことはなかったように思う。

 駐車料金を10%値上げする案と、自転車置き場の屋根を補修する案が執行部から提案された。駐車料金の値上げについては昨年からいろいろ言われてきたが、執行部は10%値上げで落ち着いたようだ。会場から「修正案を出したい」という意見があったが、「修正案を出すなら事前に申し出るべきだ」という意見が出て、修正案は取り上げられなかった。修正案を出したいという人は、今後の大規模修繕のことを考えると値上げ幅が小さいという意見だったのに、値上げに反対と受け取られたようだ。

 組長でなければ毎月行なわれている総代会に出席できないが、総会は最高決定の場だから誰でも発言できるはず、修正案を提案してなぜいけないのかと言う訳である。私が議長なら、修正案をまず採決し、続いて執行部案の採決に移るが、修正案は無視されてしまった。値上げの幅の問題なのだから、10%ではダメと言うならまた来年提案すればいい。「何を言っても無駄」と悲観していたけれど、いや、おかげで後半はいろいろと意見が出た。

 自治会長が事務所長を兼任することは最大の危機的状況なので、私は監査を務めた先輩に、「事務所長が決まらないことについて、監査ではどのように問題にされたのですか」と聞いてみた。先輩も同じ認識だったけれど、「適当な人物がいないので」と自治会長と同じことを言う。「今の職員を研修させ、今年度中には決めると思う」と意外にのんびりした考えだった。マンションも社会の縮図、権力を持っている方が圧倒的に強い。「もう、総会には出ない」と修正案を無視された人は言うけれど、それでは民主主義は育てられない。困ったものだ。

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クマンバチの死骸

2015年04月28日 18時25分38秒 | Weblog

 今朝、バラを見回っていたら、クマンバチが1匹落ちていた。クマンバチは見たところ獰猛な感じだが、ミツバチの仲間で花の蜜が好物だ。藤が咲く頃には垂れた房の周りをブンブン飛んでいるのをよく見かける。これまで、クマンバチの死骸を見つけることはなかった。外敵がいるとしたら何だろう。それにしても、地上30メートルの我が家の庭まで、どうして辿り着けるのかと思うほど、バラの花芽や新芽にいろんな虫が集まっている。

 小さいから見過ごしてしまうけれど、ゾウのような形をした虫は花芽の茎を食べてしまうし、まだ1匹しか発見できなかったが、何かの幼虫である青虫は若葉を食べてしまう。バラには虫が付きものだが薬は散布せず、見つけ次第“テデトール”ようにしている。昨日咲いたバラはクリーム色からピンク色へと変化していた。花が咲くのも、虫が付くのも、自然のことなので神経質にならずに楽しんでいる。

 まだボランティアという言葉が珍しかった頃、地域でひとり暮らしの人を助ける活動を巡って議論があり、「長く続けるためには有償の方がいい」という結論だった。昨夜テレビを観ていたら、「長く続くためには無償の方がいい」とボランティア活動の人が言っていた。その方が、「誰でも気楽に出来る」ということだった。人は誰でも、人の役に立ちたいと思っている。けれども時間が取れないとか、この日は都合が悪いとか、したいのに出来ない場合もある。それを出来る時だけでいいとすれば、もっとボランティアに参加する人が増えるというのだ。

 有償ボランティアの場合は、それが仕事になってしまう。確かにお金をもらうわけだから、いい加減なことは出来ない。人のためにと思っていたものが、義務のようになってしまう。受ける方は、お金を払っているから気後れすることはない。無償と言っても、ボランティア活動する人の気持ちが満たされなければ、やはり続かないそうだ。人のためになっているという自己満足が要る。お金をもらう時も、人から褒められる時も、同じホルモンが分泌されるという。

 人はややこしい生き物だ。みんなで助け合わなくてはならないのに、最近ではクラスの住所録はプライベート保護のため作成しない。ひとり暮らしの老人が増えてきているが、こちらもプライベート保護のため公開しない。どう考えることがみんなのためなのか、結論はひとつではないだろうし、急ぐこともないのかも知れない。明日はマンションの総会、ここでも社会と同じものを見ることになる。

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信じて待つしかない

2015年04月27日 18時18分10秒 | Weblog

 バラが咲いた。今年の一番バラは、クリーム色の花弁の先端がピンク色のもの、名前を書いた札が風で飛ばされてしまい覚えていない。写真は明るすぎてピントが甘い。今のケイタイではもっと鮮明に撮れるようだが、いっそのことパソコンにつなげられるデジカメを購入しようと思う。いつも行く写真屋が「型落ちですが、半額以下でお渡し出来ますよ」と勧めてくれたカメラが気に入っている。

 既にバラの蕾は大きく膨らんできているから、今年は見事な花が咲きそうな気がする。昨年の秋、鉢の土を換え、肥料をしっかり入れた。植物は愛情を注いだ分、必ず応えてくれる。もうチューリップは終わってしまったが、葉が大きくなってきている。来年に向けて球根に栄養分を送るため、できるだけ太陽の光を受けようとしているようだ。植物に意志はないかも知れないが、子孫を残すシステムは受け継がれている。そこが人間とは大きく違う。人間は自分が子孫を残さなくては誰かが残すだろうと、子孫を残すことは本能ではなくなっている。

 人間の意志は同じではないし、何が正しい判断かもあいまいだ。首相官邸に向けてドローンを飛ばした男は「原発の再稼動を阻止するためにやった」と言う。昨夜のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』で、吉田松陰は「開国を阻止しなければ国が滅ぶ。志のためには命など欲しくない」と言っていたが、ドローン男もきっと『花燃ゆ』を見ているのだろう。目的が正しければ手段は選ばずはテロリストに共通している。「イスラム国」を非難する人は武力を捨てるべきだと私は思う。

 昨日は地方自治体の首長と議会議員の選挙が行なわれた。首長選挙では現職があるいは現職が押す候補者が敗れているが、実態は保守系の分裂である。無党派・市民派で一緒に勉強会をしてきた友人が当選して嬉しいが、首長選挙では無理だった。議員と首長の選挙で大きく違うものがある。それにしても、落選した候補者を見ると年齢の高い人が多い。若者と美人は、主張に関係なく普通に活動すれば必ず当選するようだ。

 人間は個々に意志を持ち、選択する存在である。それは素晴しい能力だと思うけれど、まだ未熟なのかも知れない。信じて待つしかない。

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再び井戸掘り

2015年04月26日 19時27分40秒 | Weblog

 昨日、今日と井戸掘りだった。2日間も連続で井戸掘りが続いても、以前ならそんなに疲れることはなかったのに、今日はやけに疲れた。考えてみれば当たり前で、以前なら7~8人で、作業していたのに、今はその半分にも満たない3人。以前は作業しながら冗談が飛び交い、大笑いしながらだったのに、3人となると冗談も出ない。しかも、76歳、75歳、71歳。どんなに元気だといってもやはり限界がある。そろそろだと思うけれど、誰もがそう感じているのに、誰も言い出せないでいる。

 チリで火山の大爆発があったが、昨日はネパールで大地震だ。日本列島でも東北から沖縄にかけて、小さな地震が続いている。今年は寒い日が続いたので、桜の開花が遅れるはずだったのに一気に咲き、札幌でも開花したという。寒い日から急に真夏のような暑い日になったのだから、桜の開花が早まるのも無理ない。もう、ツツジは満開で、藤もかなり咲いている。アヤメやアイリスも咲き揃ってきた。気候の変動と火山の噴火や地震活動とは関係ないのかも知れないが、何となく不気味だ。

 年寄りが頑張るとロクなことはない。年寄りは自分の趣味に没頭していればいい。70歳までは社会に貢献し、それ以後は自分のために使う。世界の政治家を見ても、今日が投票日の地方議会議員の候補者を見ても、若い人たちが多い。私のような理想主義者は不用な人である。「現実を見ずに理想を言ってもらっては困る」と言われた時、「現実的な対応ばかりしていたら、結局何も変わらない」と、どうして反論しなかったのだろう。変わる必要があるのかと自問している自分に気付く。

 今回の井戸掘りは、昨年10月に井戸掘りした家で、鉄分が多くて臭いので、もう一度掘って欲しいと頼まれた。この地域の地下水は鉄分が多い。児童公園に掘った井戸も、井戸の周りが抹茶色になっている。期待に答えられるか心配だったけれど、頼まれた以上掘ってみて、納得してもらう以外ない。深さも先回とほぼ同じだが、鉄分はやや少ないようだ。水が出たからホッとしたけど、そんなにうまくはいかないな。自然に対する人間の挑戦はまあまあでよしとすべきだろう

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お見舞い

2015年04月24日 19時23分49秒 | Weblog

 姉の娘が「手術を受けることになった」と言ってきたのは10日ほど前だった。姉のひとりだけの子どもだから心配になって、「どうしたの?」と聞くと、「あばら骨の辺りが痛むので診てもらったら、胆嚢に腫瘍があると言われた。それで腹腔鏡手術を受けるの」と言う。「えっ、今、一番問題になっている手術じゃーないか。大丈夫か?」と問うと、「信頼できる先生だから」と答えた。

 21日に入院し、翌日に手術を受け、昨日から歩いている。月曜日には退院するというので、今日、見舞いに行ってきた。手術を受けた人とは思えないほど元気だった。腹腔鏡手術は回復が早いとは聞いていたがこんなにも元気でいられるのかと感心した。「手術の翌日から歩く人は珍しいと言われたけど、お産の痛みに比べたらどうってことないわ」と言う。どんなに簡単な手術でも、男はたいてい動けないそうだ。いざとなると女は強い。

 開口一番、「母さんはどうだった?」と母親の心配をしている。姪っ子を見舞う前に、同じ方向なので姉の見舞いに行ってきた。姉は今の施設に入所してから、顔色もよく穏やかになり元気になった。「お友だちが出来た?」と聞いても、「そんな人はいない」と即答するけれど、いつも一緒のテーブルの人は世話好きで姉によく話しかけてくれている。職員さんも若い人が多いけれど、皆よく気が回る。

 「元気だったわよ。私たちが入っていくと『ひとり足らんねぇ』と言っていた。いつも5人で会いに来ることを知っているのね」と妹が言う。「あなたが『ちっとも見舞いに来ない』とも言うから、『あら、毎日来てるじゃーないですか』と言ったけど、『来とらんよ』と言ってたわよ」とカミさんが話す。姉と娘のふたりで長い間暮らしてきたから、ボケてはいても分かっているようだ。

 妹のダンナが妹を気遣うのを見て、「優しいね。私はこれまで優しい男に出会えなかった」と言うので、姉のことを最後まで面倒みてくれた男の人の名を挙げると、「もう、死んじゃった」と言う。やっぱり大事な人のことは覚えている。姪っ子はこの男の人のことをどう思って暮らしてきたのだろう。そんな姪っ子もダンナの両親に尽くし、3人の男の子を育て、「ウチには子どもが4人いる」と言いながら50代半ばになる。今では地域に溶け込んだ肝っ玉母さんだ。

 明日は久しぶりの井戸掘りで、ブログを休みます。

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人生を変える出逢い

2015年04月23日 17時42分16秒 | Weblog

 福井県に加賀伝統工芸の村「ゆのくにの森」という施設がある。かなり広い敷地で、新緑の散策も楽しめる。輪島塗の館、金箔の館、友禅の館、九谷焼の館などあり、体験もできる。その一角に常設のギャラリーがあり、「相田みつを展」が行なわれていて、スタンプが押せるようになっていた。今年のスタンプは「育てたように子は育つ」で、昨年のものは「そのときの出逢いが人生を根底から変えることがある よき出逢いを」とあった。

 フェイスブックの『看護の名言』に、「少年の運命を変えた出会い」という話があったことを思い出した。それはひとりの女性教師の語りで綴られていた。小学校5年性の担任になった時、どうしても好きになれない児童がいた。服装が不潔でだらしなかった。児童の悪いところばかりが目に付いた。児童の1年生の時の記録が目にとまった。朗らかで人にも親切、勉強もよく出来、将来が楽しみとある。2年生、母親が病気となり世話のために遅刻する。3年生、母親の病気が悪くなり、疲れているのか教室で居眠りをする。母親が死亡、希望を失い悲しんでいる。4年生、父親はアルコール依存症となり、児童に暴力を振るう。先生の胸に激しい痛みが走った。

 先生は児童に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない」。それから少年は毎日、教室の自分の机で勉強した。授業で少年が初めて手を挙げた時、先生に大きな喜びが湧き起こった。クリスマスの午後、少年は小さな包みを持ってきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなった母親のものに違いない。先生はそれを1滴つけ、少年の家を訪れた。気付いた少年は飛んできて先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!」。小学校の卒業の時、少年から1枚のカードが先生に届いた。「先生は僕のお母さんのようです。出会った先生の中で一番素晴しい先生でした」。

 それから6年、また少年からカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。奨学金をもらい、医学部へ進学します」。それから10年後、またカードが届いた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって、最高の先生は5年生の時、担任してくださった先生です」。その1年後、結婚式の招待状が届いた。カードには1行、「母の席に座ってください」と書き添えられていた。

 出来過ぎた話ではあるが、涙が出てしまう。

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地方議会の議員選挙

2015年04月22日 18時27分02秒 | Weblog

 暖かな一日になった。公園を散策している人たちがいたけれど、汗ばむほどだろう。三重県の友だちが市議会議員選挙の応援に行きたいと言うので、朝、7時20分に駅まで迎えに行き、選挙事務所へと向かった。応援者が少ないというが、壁のスケジュール表には細かく役割分担が書き込んであった。選挙期間に入ってからジタバタしても後の祭りだけれど、やらないよりはやった方がいい。

 それにしても、若い人の立候補が目立つ。「就職活動ですよ」と言うが、確かに私が無党派市民派の学習会を行なっていた時も、「議員になりたい」というだけで参加してきた若者がいた。議員になって何がしたいのか、目的がなくても議員になれてしまうことに問題があるだろう。父親が議員だったとか、夫が議員だったとか、そういう身内で議員職を受け継いでいくのも困る。

 議員になって4回目とか5回目というのに、1度も議会で発言しないのはどうしてなのか。有線テレビで議会の様子が全戸に中継されるようになって、発言する議員がいなくなった議会もある。自分の家の前の道路を修繕して欲しいとか、ゴミの回収車を家の近くに来るようにとか、そんな個人的な要求を平気で議会で発言していては恥ずかしい限りだ。行政のあり方を正す質問が出来ないばかりか、行政に頼まれて質問する輩までいる。質問文書を職員に作ってもらい、壇上に立ったけれど漢字が読めない議員もいた。

 無党派・市民派の候補者は団体や業界などの支持がない。地域推薦も受けないから、全市から票を集めなくてはならない。一番やっかいなのは同じような考えの候補者が何人も出た時だ。組織がないから区割りは出来ない。そもそも誰が投票してくれるのか、「読み」など出来る状態ではない。「ふたりとも落ちるのでは」と心配する人もいるけれど、私は逆に「ふたりで切磋琢磨して票を掘り起こせ」と励ます。

 自分が当選することだけが目的ではない。議会で働ける議員を送り出すことが大事だから、1人よりも2人、2人よりも3人と、真面目に活動する議員が増えた方がいい。地域を回っていても、立派な屋敷に紅白幕を廻らし、たくさんの運動員が道路に立ってひたすら手を振る陣営があった。地域の代表であろう候補者は街宣車にも乗らず、来客の接待に専念している。まだまだ、日本の地域選挙は古い。どういう結果になるのか分からないが、何とか当選して欲しい。

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同窓の先輩

2015年04月21日 18時46分26秒 | Weblog

 父も兄も、私が卒業した高校の同窓生だ。母校は1919年(大正8年)、県立第八中学校として開校している。父は明治生まれだから八中の卒業だが、昭和6年生まれの兄はおそらく新制高校の1期生くらいだろうか。母校の卒業生は地域にたくさんいて、誇りにしているし、結束も固く、地域の政治・経済を牛耳っている。私は、高校時代が自己形成の時であったし、新聞部の友とは今も交流があるのに、同窓会には一度も出席したことがない。

 私の高校の先輩で、私が最初に名前を覚えたのは現代美術の先駆者と言われる河原温氏である。それも私が大学で美術を専攻したことから、興味を持った作家の経歴を見たら同じ高校だったに過ぎない。河原氏は昭和8年生まれだから兄が3年の時の1年ということだが、高校を卒業してからのことはよく分からない。タイル貼りの浴室で蠢くような人間を描いた絵が有名だが、活動の場はニューヨークになっていた。「卒業生で一番の有名人」と私は思っていたが、文芸部の機関誌のことで友だちと母校を訪ねた時、一番は「外山滋比古」氏と分かった。

 同窓会の資料室に外山滋比古文庫があり、外山さんが書かれた著作が並んでいた。私は知らなかったけれど、友だちが「英語教育の大家だ」と教えてくれた。外山さんは大正12年生まれで、東京教育大、お茶の水女子大で教鞭をとり、お茶の水の名誉教授である。そんな有名な人なのに1冊も読んでいないのは恥ずかしいと思って、『国語は好きですか』を読んでみた。装丁のイラストが父親に似ていたし、表題から簡単に読めそうと連想してしまった。

 本の中身は「国語」で、学者が易しく解説してくれるものなので、教えられることが多い。多いけれど、年代のギャップを感じてしまった。『文芸春秋』5月号にも国語学者の金田一秀穂さんとの対談があった。その中で「音」を取り上げていた。正岡子規が行なった「俳句の大改革は、耳から目への変革」で、それが「写生」と解説し、「四国から上京した彼は声に自信がなかったのでは」と言う。それと日本語と英語を覚えたバイリンガルは、互いが衝突して言語の半分くらいを失うので、幼児の時は母親がしっかり話しかけることが大切だと持論を述べていた。

 同窓の先輩たちに負けない人生を目指したけれど、どうやら足元にも及ばない。父も兄も笑っていることだろう。

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現況を憂う老人たち

2015年04月20日 19時15分55秒 | Weblog

 4月に入って、晴れた日が何日あったのだろうと思うくらい雨降りが続いている。雨降りばかりか風が強くて、傘がさせない瞬間もある。今日は大和塾の総会。参加できなかった人もいたので、土曜日の『落語に学ぶ人付き合いの知恵』は部屋全部にイスを並べなければならないほど盛況だったことや、犬山での桜の宴で歌を作ってもらった14首を披露し、楽しんでもらったことも報告した。

 今後の活動としては、基本的には平成28年のどこかで10周年記念事業を開催し、大和塾を閉じることで了解してもらった。寂しく思う人もいるけれど、いずれどこかで閉じることになるわけだから、それまでは大和塾の精神を貫いて活動することも合意出来た。さて、そうなるとそれまで、大和塾の市民講座にふさわしい講師を探さなくてはならない。そして10周年にふさわしい事業で閉じたいと思う。

 土曜日の講演会の後のお茶会でも、そして今日の総会の後も、今日の現況を憂う声が多かった。沖縄を旅した人は現地の人の声を直に聞き、「基地の撤去が人々の希望である」と言う。「沖縄は独立した方がいい」。「明治に日本の領土とされるまでは独立した王国だったのだから、独立国になるのは可能だ」。「世界中が沖縄のような小さな国になれば、戦争そのものを回避できる」などなど議論が続いた。私が4月7日のブログで取り上げた三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言も話題になった。

 現況を老人たちがどんなに憂いても、若い人たちが考えてくれなければ、流れてしまう。若い人たちに伝えていくことは私たちの役割だと思うけれど、そのためには言葉を選ばなくてはいけない。「八紘一宇」がなぜ問題なのか、若い人の気持ちや考えも受けとめた上で、どうすることが良いのかを議論すべきだろう。何しろ安倍首相の「積極的平和主義」は自衛隊をどこへでも派遣できることであり、さらには憲法第9条を廃止することなのだから。

 「平和」とは、「繁栄」とは、そうしたひとつ一つに真っ向から挑まなくては賛同は得られない。先の県会議員選挙でも、今度の市会議員選挙でも、候補者の主張だけみれば大差ない。地方議員は圧倒的に自民党勢力なのは、やはり根幹で崩せていないからだろう。「革新」という言葉も死語になった。そういえば私が4月8日のブログで、「学生デモは皆無」と書いたところ、ミクロボールさんから「そうではないよ」とご指摘いただいた。そこで早速,SASPLを検索したところ学生たちのデモ行進が紹介されていた。希望が涌いてきた。

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