人は森の中を歩いたり、小鳥のさえずりを聞いたり、花たちを眺めたりすると心が癒される。せせらぎや雨音を聞くだけでも、あるいは大平原や雄大な山脈や大海原を眺めていても幸せな気分になる。女の人はどうなのか知らないが、男たちは女の人のオッパイに癒される。現代人は多くの人がストレスを抱え込んでいるので、気持ちが重く、心の病に悩まされている。自宅に観葉植物を置いたり、庭で草花を育てている人も多い。犬や猫、あるいは水槽で金魚や熱帯魚などを飼育している人もいる。香りでリラックスさせる人もいる。
どうしてこれらのことが人の心を癒すのだろうか。人は自然から生まれた生物だからだと学者は言う。人間はもともと動物なので元に帰りたいのだと説明する人もいる。確かに人間は動物の霊長類に分類されている。猿と似ているから、猿から分化したことは間違いないだろう。
それにしても人間は動物でありながら、動物ではなくなったと私は思っている。誠に奇妙な発達を遂げた動物である。動物と人間の違いは何かと学校で先生から質問されたことがある。小学校の頃は、人間が火を持ったから他の動物と違う道を歩くことになったと答えていた。中学か高校になると、人と動物の違いは「心」あるいは「思考」を持ったことにあると答えていた。そこには動物よりも人間が進化した優れた生物という思いがあった。それでも人間は動物だから、動物に共通する本能を持っていると思っていた。
動物は生まれるとすぐに乳を飲むか食べ始める。成長すれば性交して子孫をつくる。食欲や性欲は本能だと教えられた。動物は食べたいという欲望を持っているのか、あるいは子孫を残したいという欲望を持っているのか。おそらくそれは欲望ではなく個体に備わっている自然の仕組みなのだろう。だから動物は美味しいものを選んで食べるということもないし、性交が歓喜を伴うこともない。
人は動物でありながら動物ではなくなった。動物が持つ本能が無くなっている。分類学的に霊長類に属しているだけだ。人はなぜ「心」や「思考」を手に入れてしまったのだろう。人類の発達のどこかで何かが起きたために、人は動物でありながら動物でないものになった。だから人には本能がない。食べることは動物と同じでも、人は食べるものを選り好みするばかりか、食べない選択もする。性交も子孫を残すことではなく、歓喜を得るためにする。人は本能よりも「欲望」を持っている。「欲望」は食べることや競い合うことに留まらずに、人類全体やもっと言うなら宇宙全体にまで及ぶような際限のない「欲望」である。
「心」や「思考」は動物にはない文化を生み出した。しかもそれは発達する。その発達のおかげで人類は豊かさを手に入れた。私たちが「豊かさ」と思っているものは、本当はどういうものなのだろう。動物と決定的に違う道を人間は歩いてしまったけれど、これからどうなって行くのか、予測は極めて困難だろう。「心」とか「思考」がそれを決めていくのだから。