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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

DVDを3人で観る

2014年10月31日 19時14分19秒 | Weblog

 DVDをふたりに渡してきた。もう一度3人で観て、いろんなことが少し甦ってきた。歯科医が企画し監督したことはハッキリしていたけれど、シナリオも彼が書いたものだった。私は大学の時から物語や童話を書いていた友だちが脚本を仕上げたと思い込んでいた。以前、カセットテープで音声とバックのギター演奏を録音したと書いたけれど、それもオープンリールの間違いだった。歯科医の家にはとてつもない音響器具があり、レコードを聞かせてもらったが生演奏以上の迫力だったことを思い出した。

 ふたりはフランス語の教室で出会ったくらいだから、フランス文学に関心が強い。中でもカミュが好きで、『異邦人』が愛読書だった。私は幼かったようで、その頃もまだロシアの作家に惹かれていた。それでも、ボードレールやエリュアールの詩集が書棚で並んでいるし、シュールリアリストたちが好んだロートレアモンの『マルドロールの歌』もある。難解なところの雰囲気に酔っていた。DVDの冒頭の「生きていることも、横に置いておいて」というセリフがあの頃の気分を象徴している。

 あれから約50年近くなるのに、画面はセピア色に変わってしまっているのに、8ミリ映画が色褪せていないのは何も変わらないからだろう。先日、20歳の孫娘と話したが、彼女の周りでは親が離婚するケースが増えているそうだ。NHKの朝のドラマ『マッサン』はスコットランド人ながら亭主を支える内助の功を描いているが、私たちの親の世代は男尊女卑の傾向が強く、女は家にいて家事をしていればよいと全員が考えていた。私たちの時代は高度経済成長期だったので、女性が社会に進出したけれど、まだ女性差別は厳存していた。

 家庭のあり方が大きく変化したのは、家庭とは何なのか、もっと突き詰めれば男と女の愛って何だろうということであり、さらに言えば、生きていることを真正面から考えることが出来るようになったのだと思う。義理とか人情とか、あるいは伝統とか政治とか、あらゆるものを包括して見つめることが出来るようになったのだ。「だからそれが何なのさ」と言い返されてしまいそうだが、‥まだ返答ができない。

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まだ運は残っている

2014年10月30日 17時55分28秒 | Weblog

 九州旅行はアクシデント続きだったが、最終日の帰り道が最大の危機だった。高速の山陽道に入った頃はもうすっかり暗くなっていた。岡山県と兵庫県の県境辺りだっただろうか、私は運転席の後だったので、チラッとしか見えなかったけれど、道路上に何かがあり、運転者はビックリしたけれどハンドルを切る間もなくそれに乗り上げた。ドッ、ドッと車体に物が当たる音がした。けれども車はブレたりすることもなく高速を維持して走ることが出来た。

 何かに当たったことは事実だから、走り続けられるのか車を点検しなくてはならない。次のサービスエリアに止まって車を見ると、タイヤは無事でだが左側のドアの下にキズがある。それに左側前輪の泥除けも無くなっている。落下物のためにさらに事故が起きる可能性だってある。緊急電話で高速道路を警備する警察に電話をすると、事情を聞くのでその場にいて欲しいと言うことのようだ。おかげでそのサービスエリアに1時間20分も留まることになった。

 ところが、事故に遭ったのは私たちの車だけではなかった。サービスエリアに止まっていたポルシェを運転していた男が、やはり事故のことを警察に電話していた。見るとポルシェの左前輪のカバーがはずれかかっている。事故が起きる前、私たちの車を追い越して行った外車だ。落下物はタイヤのようだという。どうしてタイヤが落ちていたのだろう。タイヤを運搬しているような車は見かけなかったから不思議な気がする。警察官の話ではまだ落下物を探しきれていないようだ。

 みんなは「腹が減っては戦が出来ない」と食堂でソバなどを食べていたが、私は食欲がなかったのでみやげ物などを見ていた。すると若い男がやって来ていきなりテーブル越しにレジを操作してお金を掴み、タバコの包みを手にして出て行った。エッ、強盗?余りに堂々としていたから違うだろうと思ったが、傍にいた女性店員に「今の人は店員?」と聞いてみた。「非番で休みなのです」と言う。「強盗かと思った。それにしても失礼なヤツだね。あなたに何も言わずに」と皮肉を込めて言ってみたが、反応はなかった。

 来ていた警察官に知らせた方がいいのか、またまた面倒なことは避けたほうがいいのか、迷ったが結局、止めた。どういう事情か分からないし、女性店員が騒がないのだから何事もなかったのだろう。落下物に当たったけれど、全員無事に帰宅できただけでヨシとしよう。まだ運は残っている。

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九州には“あつい”何かがある

2014年10月29日 18時40分57秒 | Weblog

 九州周遊の7日間は長い旅だった。熊本生まれの友だちの旅行計画は、アメリカから戻った姉にあちらこちら見せてあげたい、そんな思いがいっぱい詰まっていた。私たちの他は友だちの家族で、友だちの長女とそのダンナが車を提供し運転してくれた。私たちは同行しただけでしたが、振り返ってみれば、それが結果としてはよかった。運転がイヤではないが、毎日何百キロも走り続けるほどの体力も気力もないように思う。

 1日目は広島県の宮島を眺められるホテル、2日目が阿蘇の火口にあるホテル、3日目は霧島温泉のホテル、4日目は指宿温泉のホテル、5日目は熊本そして6日目は博多のホテルに宿泊した。4日目までは観光が主で、欲張りすぎたプランだったので、宿に着くのが遅れてしまうことも度々だった。5日目は今回の目的である友だちとお姉さんのルーツを訪ね、夜は同じく熊本出身の友だちのカミさんが親族らに会うというので、別々の食事となった。最後の博多は屋台を見て回り、名物の水炊きをいただいた。

 毎晩が酒盛りで、皆さんは7日間で2キロ増えたと言う。そのくらいよく食べよく飲み、よくしゃべった。私は3度目の九州だが、今回のようにゆったりしていながら強行なスケジュールというのは初めてで、九州の印象も以前とは異なった。まず思ったのは、九州は火の国ということ。火山の噴火で降った石や灰が堆積して岩となったものがあちこちで見られたし、敷石や石垣などに使われていた。阿蘇のような大きなカルデラは放牧地となり、湧き水も各所にあった。

 鹿児島、熊本、博多の街を歩いたけれど、名古屋よりも賑やかな気がした。どこも活気があり、人が多かった。熊本と博多では、街行く人が名古屋とは違って、個性的なファッションが目に付いた。特に熊本は背の高い人が多く、若い女性たちは長い足が誇らしげだった。熊本は日曜日だったから、夜でも人出が多いのだろうが、博多は月曜日にもかかわらずたくさんの人が夜の街をそぞろ歩いていた。それでも友だちに言わせると、「屋台はめっきり減った」そうだ。

 九州の男も女も酒をよく飲むのか、ラーメン店も多かったけれど、居酒屋というか飲ませる店が多い。「人生は楽しむためにある」と言うイタリア人の気質のようだ。そうかと思うと、友だちの寺には幕末の漢学者の碑があり、九州の各地に未来について熱く語った先人たちがいる。そして知覧の特攻基地跡にある平和資料館では大勢の人たちが熱心に見学していた。九州には未来を切り開く何かがあるようだ。

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8ミリ映画をDVDに

2014年10月21日 16時54分38秒 | Weblog

 私が教員になったばかりの年、8ミリ映画を作った。この度、大学の時の友だちと彼が知り合いになった歯科医と私の3人で制作した映画を、誰にでも見てもらえるDVDにすることが出来た。47年前だからほぼ50年の歳月が流れてしまった。大学の時の友だちとも音信不通になっていたが、彼は教員を続けていたのでその名簿から探し出すことが出来た。電話すると、「どうしてまた、映画のことを思い出したの?それもDVDにするのはどういう心境なの?」と驚いていた。

 8ミリフィルムをCDにすることが出来るのを知り、歯科医に連絡すると音声もテープで残っていたので、DVDにしようと思い立ったことを話し、「人生の後始末だね」と答え、「出来上がったら届けるから」と伝えた。コンピュータ技術が進化した今なら、8ミリフィルムとカセットテープをミキシングさせることも出来るだろう。その技術と装置を持っているところといえば、専門の業者か大学のようなところである。

 私が教員だった時の卒業生で、大学で教えている人に声をかけると、「自分は出来ないけれど、心当たりはあるから頼んでみます」と言ってくれた。映像と音声を一致させることで苦労したようだが、出来上がったDVDを見ると素晴しい出来上がりだった。おそらく制作した当時も、8ミリを映写して、それに合わせて音を作っていったと思う。思うというのも、残念ながら記憶がハッキリしていない。バックのギターは友だちの演奏だが、こんなに上手かったのかと改めて感心した。

 ポール・ゴーギャンの作品に『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』(ボストン美術館所蔵)という長い題名のかなり大きな油彩がる。太宰治や高橋和巳に惹かれ、立原道造の詩に魅せられ、ヌーベルバークといわれるヨーロッパの映画に憧れたデカダンス気取りの若者も、ゴーギャンのように苦悩していた。今から思えば、苦悩することに自己満足していたと思う。それでもまだ、「生きているのか、生きている自分は何者なのか」と日々問いかけている。

 さて、明日から28日までブログは休みます。友だちと一緒に九州へ行ってきます。長い車の旅なので、無事に帰られますように心がけて行ってきます。

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女性閣僚が相次いで辞任

2014年10月20日 22時38分39秒 | Weblog

 安倍内閣の目玉、女性閣僚が相次いで辞任した。小渕優子経済産業大臣は、後援会の収支報告書について「知らないとはいえ、責任を感じている」として、観劇会の収支報告に大きな疑念があると認めた。観劇会は後援会女性部会の恒例行事で、群馬からバスを連ねて東京の明治座へ出かけている。小渕さん自身も舞台に立ち、挨拶をしている。何が問題になっているかというと、観劇会の参加費用の合計と明治座やバス代・弁当代などの支払い額が一致せず、支出が多いのは有権者への利益供与にあたるというものだ。

 有権者は「あの議員のバス旅行は値打ちだが、あちらの議員の旅行はケチ臭い」などと品定めをする。要するに、豪華なお土産付きなら参加してもいいと損得で判断している。私が初めて選挙に挑んだ時、「カンパを集める」と言ったら笑われてしまった。「政治家になりたいならお金をばら撒かなければなれない。昔の政治家は財産の全てを投げ打った。だから応援した。金をみんなから集めて選挙やるような人は当選しない」とハッキリ言われた。議員なった時も、「議会報告会はタダで飲み食いが出来る会でなければ人は集まらない」と言われた。

 地域の祭りに「なぜ寄附をしない」と叱られた。「金がダメなら、酒を献上せよ」とも言われた。「バス旅行をなぜしない」とか、「ゴルフコンペをやって賞金を出して欲しい」とか、「忘年会や新年会はどこの議員もやっているから、ウチもやらないと逃げられてしまう」とか、政治家は有権者に金を持ってくるものだと思っている。「他の議員はみんなしているのに、そんな硬いことを言うのは金が惜しいからだ」とまで皮肉られた。

 国会議員や県会議員は、今でも旅行のバスの台数を競っている。ある旅行代理店は参加費を多く見積もって、「先生から皆さんへのお礼の気持ちです」と酒を提供する費用を捻出していた。もっと悪い議員は、イベントを行なっては上前をはね、懐に貯め込んでいた。政治家という名の商売人で、業者をはじめ願い事に来る人から金を巻き上げていた。「政治は汚い」と人々は口にするけど、それは逆に認めてしまっているからだ。政治家は清廉潔白が当たり前でなければならない。

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ボランティア活動の原点

2014年10月19日 18時42分45秒 | Weblog

 他人のために何かをしたいと思う人はいる。そうしたボランティア活動が一般的になったのは、1995年の阪神淡路大震災からだという。あの日、寝ていて大きな揺れにビックリした。テレビをつけると関西で地震が起きたとあった。その後、地震の様子が次第に明らかにあり、凄まじい現場からの映像を目にすることになった。余りにも残酷な現場だったが、そこに若者たちが駆けつけ、被災した人々を助ける姿が報道され、「助けに行っていいんだ」という空気が生まれた。

 私の街でも、若いお母さんたちが役所に「何かお手伝いしたい」と申し入れた。せっかくの好意だったのに、対応した職員は「ボランティアの経験のない者が行って無駄」とつれなかった。せめてどんなことが出来るのか、いっしょに考えてくれればお母さんたちも申し出た意味があった。けれどもまだ、ボランティア活動について共に経験も情報も不足していた。

 今日の大和塾の市民講座は『国際ボランティアの原点』であった。ベトナム戦争はたくさんの難民を生み出した。その惨事を知った曹洞宗の若い僧侶たちが「曹洞宗ボランティア会」を立ち上げ、タイでカンボジア難民のキャンプを回った。欧米から難民キャンプの支援に来ていたボランティアから「やっと日本から人が来た」と皮肉られるくらい立ち遅れたものだった。しかも現地で何をしたらよいのか分からず困っていると、難民たちは「来てくれただけでいい」と言い、少ない食糧から食べ物や飲み物を分けてくれた。

 1269年、叡尊(真言律宗の祖)は多数の乞食やを前に、「文殊菩薩が生きた姿でこの地上に現れる時は、貧窮孤独の衆生の姿となって現れる。ここには大勢の貧窮孤独な人々がいる。この人たちこそ、慈悲心を起こさせるために地上に現れた文殊菩薩なのだ。生身の文殊様に食を施し、入浴していただき、背中の垢を流してさしあげよ」と説法したという。また、釜ケ崎でボランティア活動を続けているカトリック信徒を紹介し、「神は、一番貧しく小さくされている者を通して、全ての人を救う力を発揮される」「力は、弱っている時こそ発揮される」、神を文殊菩薩に置き換えれば叡尊と同じことを言っていると話す。

 「助けるつもりが助けられた」ことから、「共に生き、共に学ぶ」市民活動の原点を知ったという。相手のことをよく知ること、自己満足にならないように見つめ点検すること、それでもよかれという到達点はないと結ぶ。ボランティアは主人公ではなく、黒子にすぎないし、そうでなければならない。こうした活動がもっと増えれば、世の中はもっと住みやすく豊になるだろう。

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ファミリーレストラン

2014年10月18日 16時15分46秒 | Weblog

 長女が保育園へ5歳の孫娘の迎えに行って欲しいと言う。管理職になって、週末は仕事の処理に追われているようで、ダンナか20歳の孫娘が迎えに行くのだが、あいにくふたりとも都合がつかないらしい。もちろん私たちは時間があるし、私たちが子育てをしていた時はいつもカミさんの両親に助けてもらっていたので、今度は私たちの出番と思っている。それにしても、今は午後8時までに預かってくれるから、時間が遅くなる親にはありがたい保育園である。

 保育園に着いたのは午後8時15分前。5歳の孫娘に「お帰り」と声をかけると、「ママは?」と不安と不満の声で聞く。私たちが保育園に迎えに来るケースは、彼女にとっては普通ではないのだ。とりあえず、長女が指定したファミリーレストランに行く。店内は満席で、子どもたちの声がする。見ると、制服の違う高校生が10人ほどいて、喧しく話している。私たちの隣の席には小学生の女の子がふたり、黙って別々にゲームをしている。

 このファミリーレストランには酒は置いてないのか、おじさんの姿はないし、アルコールを飲んでいる客はいない。そして、子どもが多い。子どもだけでレストランに入ることは、私たちの時代では考えられない。高校生が多いのも喫茶店よりも入りやすいのだろう。恋人同士らしい若い男女もいた。けれども不思議なことに、ふたりともケイタイを取り出して、メールのやり取りをしているが、ふたりがつながっている様子はない。食事の最中も、終ってからも、ズゥーとケイタイに向き合っていて、時々思い出したように言葉を交わしている。

 小学生の女の子の向こうの席で、おばあさんがひとりで食事をしていた。80代だろうか、ホークとスプーンを使い、歯がないのか口をモグモグさせながら食べている。妙なことに両手は軍手をしたままだ。長い時間食べ続けていたが、そのうち居眠りを始めた。考えてはいけないことだが、この老婆は無銭飲食の常習犯かも知れないと思った。せめて、ここの支払いは私が肩代わりしようかとも思ったが、まず、カミさんがダメだと言うだろうし、そんなことをしても老婆が助かるわけでもない。

 そうこうしているうちに9時30分になる。やっと長女が現れ、5歳の孫娘は途端にいい子だったのが急に泣き虫になった。

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何度も意見を出し合えばいい

2014年10月17日 18時30分34秒 | Weblog

 先日、首長になった友人と話した時、「団塊の世代以降の職員は公務員になることが激戦になったこともあって優秀な人材が多い」と彼は話した。「事業仕分けについても、どうしてやるのかと反発していたが、納得してくれてからは率先して頑張っている」と言う。私の知る古いタイプの職員は若手が新しい提案をすると、「もし、失敗したらお前は責任を取れるのか」と言い、結局何もしない体質が膨らんでいった。こういう古いタイプの職員は税金を使い切ることが自治体の使命のように思っている。自治体が住民にサービスする機関だと思っていないのだ。

 自治体というのは不思議なところで、議会が最高の決定機関なのに議員にはその自覚がない。行政が住民のために働いているか、点検する知識も能力もないような議員が多い。そのくせ議員のバッジを見せ付けてエゴ的な要求はする。首長もうるさい議員とうまくやることに奔走する。市町村単位ではそんなに大きな利権が絡むことはないけれど、県事業となれば予算規模は大きくなる。市町村でも古い議員には予算に絡むことが得意な人もいる。首長が独自の政策を実行するためには、議員を説得しなければならないし、実際に動いてくれる職員を得なければならないが、まず一番の後ろ盾は市民の支持を得ていることだ。

 確かに地方自治のあり方も変わってきた。地方の首長に突出した人材が多くなってきたことがその原因だろう。国のこととなると「ようわからん」と言う人でも、地域のこと自治体のことになれば、それなりに意見がある。どんなイベントにするのか、どんな建物にするのか、どんな使い方にするのか、それぞれに意見がある。「住民の意見を聞いていたらまとまらなくなる」と古いタイプの職員は言うが、無理にまとめる必要はない。根負けするまで意見を出し合えばいい。住民は大方が損得で考える。地域エゴが優先される。けれど、本当にそれでよいのか、何度も意見を出し合わなければ納得のいく妥協点に辿り着けない。

 若い自治体の職員が古いタイプになる前に、若い住民が古いタイプの住民に染まっていく前に、新しい自治の形が生まれてくることを期待している。

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映画『ファルージャ』をめぐって

2014年10月16日 17時31分50秒 | Weblog

 少々ガッカリしている。巻き込まれたくないという気持ちは誰にでもあるが、踏ん張るところは踏ん張って欲しかった。わが市では毎年、男女共同参画事業として『フェスティバル』を行なっている。大和塾にも参加要請があり、昨年から事業実行委員会のメンバーになった。昨年は当市出身で80歳を過ぎていながら、アフリカのタンザニアの子どもたちの学校建設に取り組んでいる女性を招いて、その生き様を語ってもらった。

 今年のフェステバルについて実行委員から、「映画と講演がセットにいい」と要望があったので、優れた国際報道を称える「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」を受賞した映画『ファルージャ』の上映と中部大学の卒業生の監督、伊藤めぐみさんとのトークを提案した。ところが映画には劣化ウランによる奇形児の目を覆いたくなる悲惨な場面が出てくるというので、皆さんで見てもらってから決めることになった。

 委員長は「どんなによい映画であっても、批判する人はいる。それを覚悟でやれるかどうかです」と言う。的を射た言葉だと思う。けれど、批判が出たらどうしようという空気が強くなった。すると実行委員会の席に始めて来た女性が役場の職員に「映画の中身について、上層部は承知しているのか?」と問うた。担当者は「市長は実行委員会で決めていただければいいと言っているが、紛糾するようなものは困ると部長クラスは思っている」と答えた。

 彼女はいつも「役所は身の安全ばかり考えている」と言っていたが、それは「変えていきたい」という気持ちよりも、役所の保守性に気を使わないといけないということだった。イラク人質事件を追ったこの映画は、これまでの「楽しく遊びましょう」という路線とは違う。でも、いったい何をめざす男女共同参画社会なのだろう。人が人として認められる社会こそが男女共同参画がめざすものではないのだろうか。

 実行委員会は全員が納得して行なうべきだと私は思うので、ひとりでも映画をメインにすることに疑問があると言うならやめた方がいい。役所の上層部が認めるものしかやらないなら、それは市民の自治ではなく、単なる行政の下請けでしかない。そんな実行委員会は存在する価値がないし、私は参加したくない。市民自らが自主規制してしまう姿を見てガッカリしてしまった。

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上に立つ者のつとめ

2014年10月15日 16時30分30秒 | Weblog

 金木犀がまた花を咲かせている。9月の下旬に1度咲いたから、これで2度目である。我が家の金木犀だけが狂い咲きかと思ったが、街中でも咲いているのを見かけた。金木犀の2度咲きは今年初めての経験だ。世の中には思いもよらないことが起きるものだ。思いもよらぬものではないが、世代の違いというか、年齢の差というか、人の気持ちはなかなか伝わらないことがある。

 私たちはどうしても自分がやって来たことが正しいと思ってしまう。「見て覚えろ」とか、「分からなかったら自分で勉強しろ」とか、「上司や先輩に対する言葉使いがなっていない」とか、「昔はこんなに優しい上司や先輩はいなかった。耐えて、我慢して、学んできた」とか、「何のために働いているのか」とか、ついつい見下した言い方をしてしまう。「最近の若いやつは」とは、紀元前2千年も前のローマの遺跡の壁に彫られていたというから、どんなに時代が変わっても変わらないものの1つなのかも知れない。

 かつて学生運動でデモなどしたり、組合運動で管理職をつるし上げていた人が、今は人を管理する立場にいるケースも少なくない。仕事を間違ったりする部下に注意をすればパワハラと言わる。直接聞きに来てくれれば教えることも出来るのに、周りの人に上司の悪口を告げつつ聞いて回るから、「分からない点を他の人には聞かなくていい。直接聞きに来なさい」と注意したら、「私の話す権利まで奪うのですか」と開き直られ、頭に来たと言う。「今の若い子は、権利意識は高いけれど、まともに仕事ができない」と管理職になった長女も嘆いていた。

 若い人たちからすれば、「ヒントもくれずに考えろはムリ」だろうし、「分からないところや間違えたところをなぜ丁寧に教えてくれないのか」と不満が先に立つ。私はやはり順送りだなあと思うけれど、現場に立つ人はそんな悠長なことは言っておれない。それでも、選ばれれば権力を持つことになる。上司になれば部下を使う立場になる。そう考えると上に立つ者がどれほどの人物かで、本当に民主的か否かとなるようだ。若い世代がどのような価値観を持ち、どんな社会をめざすのか、それを作り上げていく過程でどんなやり取りが生まれるのか、一線を離れた私としては見ているしかないが‥。

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