宇宙は急激に膨張しているそうだ。地球は急激に温暖化していると言われれば、世界的に異常気象が伝えられているからそんな気もする。でも、どんなに空を眺めてみても宇宙が膨張していることは分からない。そもそも膨張していると言うのは、何かを基準にしているのだろう、どこからどこへ膨らんでいるのだろう。膨張しているその外はどうなっているのだろう、何があるのだろう。最近、よく新聞などに登場してくる東京大学数物連携宇宙研究機構の村山斉さんの『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)を買ってはみたものの、まだわずかしか読めない。
この世の中で一番小さいものが素粒子で、これを原子と考えてきた。ところが原子にも内部構造があり、原子の中心には原子核がありその周りを電子が回っている。そしてさらに、原子核にも陽子や中性子といった内部構造がある。この辺りまでは中学か高校で教えてもらった。その次に、カミさんの同窓生が研究してノーベル賞をもらった「クォーク」と呼ばれるいくつかの粒子によって、陽子も中性子も形づくられていることが分かったそうだ。この素粒子の研究と宇宙の研究はつながっている。『宇宙は何で出来ているのか』の序章の部分である。
「宇宙に行ってみたい」と言う人もいるけれど、私はあまり興味が無い。きっと高所恐怖症だからだろう。地球から「青い空はなんと気持ちがいいか」と眺めていた方がいい。宇宙基地づくりなど馬鹿らしく思っている。莫大なお金をかけて、地球からほんのわずか離れたところに基地を作って何の意味があるのか分からない。折りしも今日は地球上の人口が70億人となるという。地球に住めなくなった人類が宇宙を目指していくのだろうか。マンガだねえと思ってしまうけれど、逆に孫たちのことを考えると、私が無知であって欲しいと思う。人類はこの地球でしか生きていけないと私が思い込んでいるだけかも知れないのだから。
宇宙のことも、素粒子のことも、よく分からないけれど、どうなっているのだろうかと興味はある。しかし、もっと興味があるのは目に見える現実であり、感じることの出来る「今」である。宇宙や素粒子も人が作り出したもの、もちろん作り出したのではなく、あったものなのだろうけれど、たとえあったものでも人が辿り着かなければ、あったことにはならない。デカルトではないけれど、「われ思う故にわれあり」ということか。人は生まれて生きて死ぬまでに、いろいろなことを考えるし、体験するが、何を一番求めるのだろう。
新しいことの発見、自然や宇宙ばかりでなく人間の社会の真理や法則の発見、社会的な地位やお金を得ること、人々からの評価や愛情、愛しい人にめぐり合い愛されること、無償の愛に生きること、快楽こそが幸せ、家族の健康と幸せ、数え上げればもっとたくさんの生きる目的や目標があるだろう。毎日を生きるために生きることを誰が非難できようか。夢や希望にあふれて、ひたすら前進する人だけがこの地球を支えているわけではない。生きることに精一杯であることすら気付かずに暮らしている人々もいる。
義理の息子たちが「厄年を迎える年に気をつけてね」とカミさんは言う。義父が亡くなったのが私の厄年だったからだ。「お父さんはあなたの厄をもって行ってくれたのよ」とカミさんは言うが、私は息子たちの厄を引き受けるだけの良い父親になれるだろうか。