友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

互いを知り、受け入れる

2015年08月31日 18時02分18秒 | Weblog

 世界陸上北京大会は、最終種目400mを4人で走る男子1600mリレーで幕を閉じた。この種目はアメリカの6連覇となった。女子は年収35万円の国、ジャマイカがアメリカに勝った。走る競技はアメリカ、ジャマイカ、トリニダート・トバゴが短距離で、ケニアやエチオピアが長距離で大活躍だった。イギリスやフランス、カナダの選手も目立ったけれど、黒人か黒人の血が流れている人たちだ。

 「身体能力では黒人にかなわない」とカミさんは言う。人類の進化が黒人に始まり、白人そして黄色人であるなら、それは当然な結果だろう。けれど、身体能力は個々によって違うし、持っている能力の伸ばし方によっても違う。それでもいつか、人種で区別する見方は少数になるだろう。世界陸上を観ていると、とてもきれいな選手が多い。確実に混血が進んでいる。どんどん混血が進めば、白人、黒人、黄色人という区別はなくなるだろう。

 今、アフリカや中東からヨーロッパへ何万人と人々が移動している。難民であり不法移民であるが、自らの土地に住めない状態なら生きられる場所を求めて移動するのは当然だ。人類はそうやって地球の上で移動を繰り返してきた。移動は戦争でもあった。豊かな土地に誰もが住みたいから無理やり力で奪ってきた。敬虔なキリスト教徒だった人々が理想の国をつくろうとアメリカに渡ったが、先住民を殺し土地を奪った。

 ゲルマンやモンゴルの大移動は世界の歴史を変えたくらいだ。でも、今は武力を持ってする移動ではなく、移動せざるを得ない状態に置かれている。ヨーロッパとりわけドイツやイギリスやフランスは比較的豊かだから多くの人々が職を求めて移動を希望する。陸続きなら日本へもそういう人々が押し寄せたかも知れない。先進国は労働者不足だからと受け入れて来たけれど、今では排斥運動まで起きている。

 今日、先輩たちから戦争の話を聞いた。実際に戦地で戦った人は話したがらない。先輩たちは戦地までは行ってはいないが、体験はしている。安倍首相が「ポツダム宣言を詳細には知らない」と答えたことに、無条件降伏だったと強調する。私は現憲法を素晴らしいと思うが、押しつけだと反発する人もいる。日本、韓国、中国の3国で同じ歴史教科書をつくろう、ドイツもポーランドやフランスと同じ教科書をつくる動きがあるそうだ。

 一番肝心なことはお互いを知ることであり、そして受け入れることだと私は思う。

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学校休んで図書館へ

2015年08月30日 17時54分38秒 | Weblog

 昨日の誕生日会の準備、今日の後片付けのせいなのか、それともお酒を飲みすぎたのか、倦怠感が身体を包んでいる。天気がよければルーフバルコニーにゴザを敷いてやる予定だった。そのために、サルビアや日日草が咲きそろうようにと手入れし、花たちに囲まれて宴会ができるようにと鉢の配置も入れ替えたりした。ところが6時ごろに雨がポツポツと振り出してきた。室内に切り替えたが、天気を気にせず落ち着いてできた。

 明日で8月も終わってしまう。子どもの頃はこの今日・明日の2日間は地獄だった。分かっているのに毎年、宿題に追われた。小学校の1年の時は、父や姉がやってくれた。父は小学校の教頭になっていたのに、今から思うとヘンな人だ。宿題を見てくれるというより、作ってくれた。そう言えば、私も娘の宿題のポスターや絵を代わりに描いたこともあるからそういう血筋なのかも知れない。

 屁理屈な私は「夏休みは〝休み″がついているのにどうして宿題が出るのか」と考えていた。日曜日は休みだが宿題が出ることはないのに、夏休みは日誌だけでなく絵や習字や読書感想文や工作やいろんな宿題が山のように出る。これでは休みの意味がない。とうとう中学3年の時、宿題の提出をしなかった。担任から大目玉を食らうだろうと覚悟していたが、どういうわけか何も叱られなかった。

 宿題が面倒とは思っていたが、学校がイヤとは思わなかった。子どもたちの自殺が増えているという。特に2学期が始まる9月1日が最も多いという。神奈川県鎌倉市の中央図書館のツイッターが話題になっている。「もうすぐ2学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。一日いても誰も何も言わないよ。逃げ場所に図書館を思い出してね」というものだ。1日に何万という人が見たようだが、市の教育委員会はすぐに反応した。

 おそらく「学校を休んで図書館へ」という部分を「不適切」と考えたのだろう。一時は削除も検討したが、図書館側が意図を説明して収まった。本当のところはツイッターに対して好意的な意見が圧倒的に多かったからだろう。自殺する子を救うことよりも建前に関心がいってしまっている。だから学校へ行けない子が増えていることに気が付かないのだ。学校教育は自己検証が最も少ない職場ではないだろうか。

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本質の暴露

2015年08月29日 15時54分32秒 | Weblog

 「先生のスパゲティ」の記事には写真を載せる予定でいた。ケイタイで写した写真は縦長だったので、左へ半回転して横長のものにして保存した。ところがブログに載せようとすると元の縦長になってしまう。4回やって4回とも同じだったので諦めた。wordとばかり思い込んでいたけれど、送られてきていたのはWindowsのバージョンアップだった。無料でアップするわけはない!とどうして思わなかったのかと悔やまれる。

 私は金銭には無頓着だ。「あの店と比べるとこちらは100円安い」ならまだ分かるけれど、「10円安い」とか「3円安い」と言われてもピンと来ない。「電車で行くのと地下鉄で行くのでは70円違う」とか、「車で行って駐車場に停めるのと電車で行くのとでは、2人以上なら車の方が安くなる」とか、年金暮らしだからこそ人は支払いには厳しいのに、「別にそんなこと‥」と思ってしまう。「稼げないのだから、余分に出さない!」と叱られてしまう。

 だから、無料の文字に飛びついたとは思えない。友だちのフェイスブックにあったので、「みんなやってるのか」と思ってしまったのが間違いだった。ブログを読んでくれているカミさんの友だちから、Windoows10のバージョンアップの件をどうすべきか、迷っていたので参考になりました」とメールをもらい、初めてwordではなかったと気付いた。私は何事にも慎重と言われているが、実はかなりいいかげんなのかも知れない。とんだところで本質を暴露してしまった。

 本質の暴露と言えば、泣きじゃくった兵庫県の県会議員も学生のデモを「戦争に行きたくないだけの利己的考え」と批判した衆議院議員の武藤議員も、とんでもない人物だった。武藤議員は「憲法は日本精神を破壊するものだ」とまで述べているが、議員になる前は「自然を破壊するダム建設反対」と主張していた。議員になってしまえば何でもありというわけか。どうしてこんな人を投票で選んでしまったのだろう。

 バージョンアップなど必要ないのに、Windowsは勝手に新しくしていく。互換性が保てないとなると否応なしに交換しなくてはならない。物ではないものを買うことでしか、経済は維持できなくなってきたのだろうか。私は人間が作り出したシステムには興味がある。人間がどのようにしてこの世界を作り上げたのか、世界はどこへ向かうのか、知りたいと思う。今晩は我が家で誕生日会。どんな料理が食べられるのか、楽しみ!

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『画家たちと戦争』展を観て

2015年08月28日 17時44分04秒 | Weblog

 名古屋市美術館で開かれている『画家たちと戦争』を観て来た。戦争が終わる1945年、その前と後で、どのように絵が変わったかに焦点を当てた展覧会である。戦争に突入すると、物書きも絵描きも戦意高揚のために動員された。朝のNHK連続ドラマ『花子とアン』でも、「物書きなら戦地に行ってお国のために尽くすべき」と主張する女流作家がいたが、画家たちも同じだった。

 子どもの頃、我が家に45×30×5くらいのとても立派な画集があった。中でもよく覚えているのは藤田嗣二と宮本三郎の絵だった。作家の名前を当時は知らなかったが、画集は分厚くてどの作品も精密で力強いものだった記憶はある。私が中学生になる頃には、家に無かったから父が処分してしまったのだろう。どういういきさつで我が家にあったのか知らないが、今から思えば貴重な資料である。

 私の覚えていた藤田嗣二の絵は戦車に向かって手榴弾を投げ込む兵士を描いたものだが、展示されていたのは「シンガポール最後の日」というものだった。宮本三郎の作品は記憶にあったとおりで、山下司令官がイギリスの将校に降伏文書にサインさせる場面だった。戦前のシュールリアリズム作家は治安維持法で検挙されたが、戦争に協力し絵を描いた者もいた。そして戦争が終わると「戦争協力者」と批判されたから、戦前の作品を燃やしてしまった人もいた。

 北脇昇という作家がいる。代表作といわれる『クォ・ヴァディス』が展示されていた。1949年に描かれたものだ。右肩に袋を背負い、左脇に本を抱えた粗末な服を着た男が後ろ向きに立っている。彼の眼の先は広い地平線で、足元の右に道標があり、左手には赤旗を掲げてデモ行進する人々が小さく見える。右手の奥は暗雲が垂れ込めている。足元の左に大きな蝸牛の殻があるという極めて暗示的な絵だ。「クォ・ヴァディス」とは何か気になった。ラテン語で「どこへ行くのか」という意味と解説を読み、なるほどと思った。

 キリストの弟子のペトロはローマで熱心に布教していたが、迫害は激しくなり周囲の説得を受け入れローマを離れることになった。その途中でキリストに出会った。驚いたペトロは「どこへ行かれるのですか?」と尋ねた。キリストは「私がローマに行って、今一度十字架に架かろう」と言った。ペトロは迷うことなく道を引き返し、十字架に架けられ殉教した。「どこへ行くのか?」は北脇自身への問いであり、私への問いだった。

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先生のスパゲティ

2015年08月27日 18時41分07秒 | Weblog

 暑さが再びやってきた。子どもの頃、夏といえば冷や奴とそうめんだった。祖母が稀にどじょうのかば焼きを買ってきてくれたがすごくうまかった。祖母が亡くなり、兄嫁が台所をするようになって、食卓が変わった。マヨネーズとかケチャップが出てきた。ケチャップで思い出すことがある。大学2年の時に我が家は倒産し、家族は離散した。私は大学の先生の家に住み込み、家庭教師と運転手と雑用係で小遣いまでもらった。

 先生が学生たちを集めて、「スパゲティをごちそうしてやる」と言われた。先生はイタリアに留学した経験があり、イタリア料理など食べたことのない私たちに自ら料理してくれた。庭にテーブルを出して皿を並べ、七輪で湯を沸かし、麺を茹でてケチャップをからました。ちょっと変わったことをして学生を喜ばす先生だったので、私は長い間、そうめんだったと思い込んでいたが、本当はスパゲティの麺だったのかも知れない。

 私が結婚する時、「いいものを上げるわね」と先生の奥さんが言った。届いたプレゼントは本格的なディナーセットだった。冷や奴とそうめんばかり食べていて、ステーキなど食べたことがない私には憧れの食器だった。ディナーセットを使う食事を家庭ですることはないけれど、それに類するような食事が日常になったのだから、確かに日本は豊かになった。

 先生のおかげで結婚もできた。自分が親になって初めてカミさんのお父さんの気持ちが分かった。私は先生のおかげで高校の教員になれた。両親は教師で家は材木屋だったとはいえ、すでに親は亡く家は倒産し、言ってみればどこの馬の骨とも分からない存在だった。娘の結婚相手にふさわしいのかとても不安だったと思う。しかも内ゲバに巻き込まれて教員を辞めた。この時の義父は絶望に近いものがあっただろう。

 けれど、義父から一度も嫌味を言われたことはなく、愚痴一つ聞いたことがない。先生やカミさんの両親、血縁の人たちやたくさんの友だちに助けられて今の自分がある。麦が描かれた食器セットを見ると、先生と奥さんの顔が見える。

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居場所のない人々

2015年08月26日 18時15分15秒 | Weblog

 寝屋川市の中学1年の女の子と男の子が殺された事件で、腑に落ちないのはなぜ子どもたちが深夜に街中を徘徊していたかということだった。中日新聞が全面を使って『孤立する子ども 居場所は?―家も学校も居ずらい―』特集をしていた。「帰りたくない」。そう言う子どもが増えているそうだ。2013年度に児童相談所が子どもたちを一時保護した件数は3万3千3百件で、10年前に比べると1万件増えていると。

 子どもたちのためのシェルターを開設しているところもあるが、「都市部では10年前から、いっぱいいっぱい」と言う。学童保育を広げて子どもを受け入れようと進めている自治体があるが、学童保育は有料なので貧しい家庭は利用も困難なようだ。いったいなぜ、家にも学校にも居場所がなく、街中を彷徨う子どもが増えたのか、記事は明確に指摘していないが、貧困が原因の1つのようだ。

 殺されたふたりの子どもはケイタイを頻繁に操作していた。殺したであろう男もフェイスブックに投稿したり、友人とやり取りしたりしている。子ども2人は泊まるところもお金もない。殺しただろう男も長く続く仕事がない。世の中はいろんな物で溢れているのに、欲しいと思う人には手に入らないし、その人が本当に必要としているものとは違う。どこかがおかしい。どこか歪んでいる。

 20代から30代の未婚の男女の4割が「恋人はいらない」と答えている。そうかと思ったら、働き盛りの30代から40代の男性の中には「帰宅恐怖症」の人がいるという。「家には自分の居場所がない」という点で、街中を彷徨う子どもと同じだ。「妻が子どもを産んでから、何かにつけて不機嫌で、家事を手伝ってもやり方が違うと叱責され、最近、正直、なるべく家にかえりたくない」とまで言う。

 いったいどうなってしまったのだろう。私の友だちは「SEXすれば仲直りできる」と言っていたが、それはひと昔前の時代になってしまったのか。大人も子どもも、居場所がなく、満たされる機会もなく、何が本当に必要なのかも分からない。なんという悲しい時代になってしまったのだろう。

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大人の役割、大人の責任

2015年08月25日 17時33分15秒 | Weblog

 大阪府寝屋川市の中学生2人の殺害容疑で45歳の男が逮捕された。私の周りの人たちの関心は「どうして中学1年の男女が1晩中、街の中をウロウロできたのか」にあった。2人はなぜウロウロしていたのか、ということよりも、2人の親はなぜ放任していたのか、ということへの疑問が大きい。これは時代の差だろうか。私たちの子どもの頃は、塾も習い事もなかったから、晩飯を食べて外出することはなかった。

 私たちの息子や娘が子どもの頃は右肩上がりの好景気で、塾や教室に通う子がいた。我が家の娘たちもヴァイオリンを習わせていたが、教室へは私が送って行き、終わるまで居て一緒に帰って来た。小さな町でまだ物騒な時代ではなかったが、それが当たり前のように思っていた。新興住宅街で人口が一気に増え、新しい学校が建てられた。子どもたちは全国各地から集まって来て、校内暴力が発生し、学校が荒れた。

 容疑者の男は45歳。「中学時代は目立たなかった」とか、「おとなしいが、何するか分からない」とか当時の同級生に言われている。進学熱が高まっていたはずだが、高校へ進んでいない。何をして生きて来たのか分からないが、現在は福島で原発の除染作業を行う会社の契約社員のようだ。どこでどう間違ったのだろう。監禁事件や暴力事件も起こしている。少女趣味とか少年趣味とかいった性癖の人はいるが、暴力や殺人まで犯してしまうのはごくわずかだろう。

 親が子どもに厳しく言って聞かせなければならないことはある。娘たちもよく、「あの子の家ではいいのに、どうして?」と文句を言った。「ヨソはヨソ、我が家はこれがルール」と頑固に言い続けた。私が何を大事に思い、何に価値を置いているのか、分かってくれると信じた。45歳の男が屈折した人生を歩み、そのために犯行に及んだとしても、中学1年の男女が街中を徘徊していなければ事件は起こらなかったかも知れない。

 殺されたあの子たちは何を求めていたのだろう。ふたりで新しい人生を歩みたいというのであれば、「あと10年は待たなくてはいけない。それはねえ‥」と教えてあげられる大人が居たならと思う。家庭で話し合う機会が減っているという。絶対に正しいものはないかも知れないが、自分が正しいと思うことはあるはずだ。うまくいかないことばかりでも、「そういう、あなたがいい」と言ってくれる人もいるはずだ。

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ラブレター

2015年08月24日 17時50分28秒 | Weblog

 書展を見に行った時、案内してくれた先生が「世界一短い手紙を知っていますか?」と聞く。「一筆啓上」のことかと思い巡らしていると、「『?』だけを書いたものです」と答えを教えてくれた。「?」にどういう意味を込めたのだろう。恋人なら「もう、愛していないの?」ということなのか。友人なら「どういうつもりなの?」と伝えたかったのか。いずれにしても、モヤモヤした想いを表したものだろう。

 来年は大和塾が10周年となる。この市も2つの町が合併して誕生10周年を迎える。市になった時に声をかけていただき、市民団体の発足へとつながった。先日、10周年をもって大和塾を解散することを塾生の皆さんと話し合い、おおよそ了解してもらった。他に引き継ぐ何か良い案があればそれを妨げることはないが、10年はちょうどよい節目だろう。そこで最後の講師に誰がいいだろうという話になった。

 「吉永小百合さんはどうだ?」という声があった。反戦詩の朗読をしたり、原発事故の福島支援をしている。女優で反戦・反原発を明確にしているのは吉永さんしかいないというのである。「だけど、本当に来てくれるのか?」と言う。「それは分からないが、お願いだけはしてみよう。初めから出来ないと諦めることはない」と、私はアタック役を買って出た。けれど、手紙を出すにしてもどこへ送ればよいのか分からない。インターネットにラジオ番組を持っているのでその局まで送るのがいいとあった。

 私たちの活動の趣旨を伝え、活動の歴史が分かる資料を送った。2か月が経つけれど、まだ返事は来ない。9月に3度目のラブレターを送るつもりでいる。想いを込めればいつか、きっと伝わるはずだ。いつもそう信じて、ラブレターを書いてきたけれど、実ったことは一度しかない。高校生の時は便箋に11枚の長い手紙を書いたけれど、開封もされずに帰ってきた。悲しい恋の結末だが、想いが足りなかった。「?」を書き送った人はその後どうなったのだろう。

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夏祭りが続く

2015年08月22日 17時56分49秒 | Weblog

 夕方5時、まだ陽は高く暑さも厳しい。学校の校庭で地域の夏祭りが始まった。「ピーヒャラ、ピーヒャラ、ドンドン、ピーヒャラ、ドンドン」と笛と太鼓の軽快な音が聞こえる。私が生まれ育った町では、夏は秋葉神社で雨乞いのため万灯が奉納された。青森のねぶたを小さくしたような武者姿の張りぼてを若衆が担いで舞う。張りぼてはそれぞれの町内が工夫を凝らして作り、1日目は丁寧に優美に担ぎ、2日目は勢いよく荒っぽく舞う。時には他所の町内の張りぼてとぶつかり合うケンカ祭りになることもあった。

 小学校のクラス会の時に、万灯が踊る通りは寂れてしまいシャッター通りになっているので、「続いているの?」と尋ねると、「ああ、続いているよ。今、オレが責任者」と答えてくれた。狭い道路を我が物顔で踊る万灯、見物人は押し合いながら「キャー、キャー」声を上げていた。小学校は越境で通っていたが、近くの町内会の子ども会に入れられていたので、祭りの時はその町内会の山車について回った。若衆に可愛がられてよく面倒を見てもらったが、中学になると子ども会を抜けるので、一人の祭りの見物客だった。

 盆踊りは地域ごとに行われていたが、あまり興味がなかった。秋には丸い柵の中で裸馬を走らせ、若衆がくつわを掴んで一緒に走る勇壮な祭りが行われた。戦国時代なのか徳川時代になってからか定かではないが、戦場で使う馬を調達するためだったと聞く。今はもう、馬を飼っている農家はないから、この馬駆けの祭りは続いていないだろう。春は緞帳で飾った山車が神社に揃う優雅な祭りも行われた。「祭りが好きだね」と言うが、日本中どこでもこんな風に祭りが行われてきたと思う。

 徳川3百年、戦争がなかったことが大きな要因だろう。それに祭りは無礼講でもあったから民衆のガス抜きの役割も果たしていただろう。人々は着飾り、酒を飲み、いつもとは違う食べ物を口にし、男は女を口説き、規則や慣習からハメを外して騒いだことだろう。祭りはかりそめの自由で、終われば再び辛い日々となる。それでも次の祭りを夢に頑張ってきたのだろう。子どもたちの大きな声がここまで聞こえてくる。

 明日はブログを休みます。

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男の甲斐性

2015年08月21日 19時12分55秒 | Weblog

 8月もあと10日余りとなった。2つの台風が迫っているためなのか、湿気の多い空気が居座っている。時折り、急に風が吹いて雨も降りだす不安定な天気だ。朝から鼻水が止まらない。身体は汗をかいてべったりしている。着ている物が汗で濡れ、冷たくなる。クシャミが出て、鼻水がポトポト落ちる。最悪な状態だ。少し横になって身体を休め、熱いコーヒーを飲む。だんだん、身体が回復してくるのが分かる。

 長女のダンナが家を建てる。24日は大安で、午前11時から地鎮祭を行うので、10分前には現地に来てと案内ハガキが来た。自分の家を持つのは男の甲斐性と教えられてきたが、立派に男の役目を果たそうとしている。私はわが家の倒産を見て、家を建てる甲斐性を失った。庭付きの家ではなく、カミさんの父親に言わせれば「空中の家を買った」。快適に暮らせるならどこでもよかった。

 長女のダンナはこだわりの人で、驚くようなことに執着する。カミさんは見たようだが、はじめは堤防と一体となった3百坪の古い民家を買うつもりでいたようだ。確か昔、「トトロの家のような森の中がいい」と言っていたことがあったが、そういう古びた家に憧れていたのだろう。どういう家を建てるにしても、それはあの子たちの家庭観であり、私たちが口を出すことではない。

 むしろ、どういう支援・援助が出来るかである。彼は長男で、当然彼の両親は期待するものが大きいだろう。両親が住んでいる家と土地、それに父親が農業をしようと買った広大な土地が山間地にあるとも聞く。両親と上手に話し合って、その辺を解決して進んで欲しい。それが私の望みだ。私の方はマンション住まいで、家の価値は余りない。子どもたちに残す財産はないが経済的な負担はかけなくてすむはずだ。

 子はいつも親を乗り越えていく。どんどん自分たちの夢を追えばいい。ダンナの父親が「初孫の登下校が心配だから」と言っていた。孫が心配と言う父親に甘えて、娘の面倒を見てもらうのも親孝行だろう。6歳の孫娘は、相撲大会に出たと思えばマラソン大会にも出場し、先回は童謡コンクールの中部大会にも選ばれた才能豊かな子だ。楽しみの多い孫娘だ。

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