友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうして素直に甘えられないのだろう

2011年05月31日 21時10分23秒 | Weblog
 民生委員の方が『高齢者福祉ガイド』なるパンフレットを持って来た。受け取った時は他人事のように思ったけれど、パンフには「おおむね65歳以上の方」という文字が並ぶ。そうか、私もカミさんもすでに65歳を越えている。私たちも充分に高齢者になっていたのだ。今朝は貸してもらっている土地で、改良した道具を使って井戸掘りをした。ここで掘れなければどこへ出かけて行っても掘れないのではないか、逆に、ここで掘れればどこでもはれるはずだ。そう願ってやってみたけれど、結果は前と同じだった。

 道具をいくつか変えてみたけれど、どれもうまくいかなかった。道具の先端を調べてみると、硬い鋼鉄管がかなり変形している。どの先端も同じように傷が出来ている。どうやら硬いものがあるとは思っていたけれど、大きな石のようだ。「これまで掘り上げた砂利のところへ石が集まってきてしまったのではないか」とベテランが解説する。おそらくそうだろうと納得し、「石があったのではどこでも掘れない。今日はここまでにしよう」ということになった。どうやらもっと経験が必要なようだ。しかし、私が一番若いようなこのグループで果たしていつまで続けられることだろう。

 昨夜の話の中でも、介護のことが話題になっていた。87歳の方がカミさんの介護をしているけれど、寝巻きのまま車椅子に乗せていた。「あれはないわ」「カミさんが着替えを嫌がるのかもね」「ああなるのかね」という話から、最近このマンションも老老介護が増えてきている話へと進んでいった。若いつもりでいたけれど、いつの間にかそんなことを話題にしなければならなくなっていたのだ。けれども私たちはお気楽な仲間なので、「それで今度はどこへ旅行に行きますか」ともう遊ぶ話になった。「海外旅行は止めましょう。いくら皆さんで行ってらしてと言われてもやっぱり楽しめないもの」と、誕生日会のメンバーでお母さんを介護している夫婦が参加できる国内旅行にしようということになった。

 順序は定かではないけれど、親子の話もあった。夫を亡くした友だちは「夫が生きていればもっと子どもたちは家に来るはずだ」と愚痴る。「いや、娘婿というのは義理の父親とはうまく話が出来ないから、盆と正月くらいしか来ないですよ」とひとりが言えば、「お母さんがひとりで暮らしていると思うから、食事に誘ったり出かけて来てくれたりと気を遣っているんじゃーないの。いい娘婿さんじゃないの」とひとりが慰める。「食事に出かければ私が払わなくちゃーいけないから大変よ」と言う。「じゃあ、素直に娘さんに『今日はお願いね』と言えばいい」。「それは死んでもいや。娘には絶対に甘えられない」とまで言う。

 娘に負担をかけたくないと思うからだろうけれど、そんなにやせ我慢することはないだろう。娘婿さんたちもプライドの高いお母さんに気遣っているから、頻繁ではなく、ほどほどになっているのだ。やりすぎれば馬鹿にしていると言い、放っておけば冷たいと言う。どうして人は素直に甘えられないのだろう。
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どうして本音を隠すのか

2011年05月30日 23時41分01秒 | Weblog
 先ほどまでお酒を飲んでいたので、これから書くものがどうなっていくのか不安である。

 急に友だちから誘われて居酒屋に行くことになった。私ひとりで行くよりも大勢で出かけた方が好きなので、それで友だちも誘おうと電話してみた。すると友だちのカミさんが「今、お風呂に入っています」と言う。まだ午後6時前ではないか、「優雅な暮らしですね」と皮肉を言う。しばらくして友だちから「オハラ ショウスケです」と言って電話がかかって来た。「ショウスケさん、今から飲みに行きませんか」と誘う。「いいですよ」と答えてくれる。だからいつもショウスケさんには甘えてしまう。

 私よりも4歳も年上なのだけれど、何でも話せる兄貴のような存在である。居酒屋での話の中身は結構面白かった。私とカミさんと、「居酒屋へ行くわよ」と誘ってくれた友だちと、そして大勢の方がいいだろうと誘った友だちの4人で出かけた。その時の会話は面白かったので、これはブログのネタにいただきだとその時は思った。しかし、いざパソコンの前に座ると、何だったのだろうと思うほど何も覚えていない。自分の思いとその表現は違うし、思いと表現は全くチグハグなものだとブログに書こうと思っていたのに、思いの素は全く違うことをイメージしていると思うけれど、それをブログという表現の中で表すのはとても難しい。

 たとえば、私の中学からの友だちは15年もの間、友だち以上恋人未満で過ごして来た。けれど私は自分の体験からすれば、そんな風に友だち以上恋人未満でおれることが理解できない。理屈ではそういう人がいることは想像がつくけれど、もし友だちであり恋人であり続けようとするならば誠に不自然なことだと思う。彼は、人はいろいろであって、お前にそれを言われる筋合いではないと言うだろう。でも、じゃあ彼女はどう思っていたのだろうか。彼は彼女の気持ちを察したことがあったのだろうか。いろいろと考えるけれども結局は、男と女の間のことはふたりに任せておけばいいことだと思う。

 お酒を飲んでいて、いろんな話が出てきて、ああこれは面白いなと思ったことがいつくもあったのに、残念ながら思い出せない。まあいいや、また思い出すこともあるだろうし、それがこのブログのいつかネタになるだろう。私自身はそんなにお酒に強くはないけれど、お酒を飲む席は嫌いではない。みんなでワイワイガヤガヤやっているのは楽しいし、人の本音が見えたり、また逆にどうしてこんなに本音を隠すのかという人もいたりして、人生は面白いと思う。

 でも、眠くなってきて、何がどうなのかわからなくなって来たので、やはりここで今日のブログは終了としよう。
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メモして来たアドレスでメールが届かない

2011年05月29日 19時09分40秒 | Weblog
 友だちが「サーバーを変えたので、メールアドレスを登録したい。打ち込んで欲しい」と言う。私はパソコンには詳しくないけれど、娘たちは出かけているので頼むことが出来ないし、画面の指示に従って操作すればいいのだろうと簡単に考えて引き受けた。ところがさっぱりわからない。仕方がないので、電話でのアドバイスを受けることにした。それからおよそ3時間、よくまあ仕事とはいえ、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。何とかインターネットにつながることが出来たけれど、全くわけのわからない人を電話で導くのは根気の要る仕事だと、受けている私の方が感心してしまった。

 それにしても、携帯電話の操作もそうだけれど、精通している人は楽々と出来るけれど、私は何をどう触っていけばいいのかさっぱりわからない。パソコンの画面はもちろん日本人用に造られているのだろうが、英語が多くて戸惑ってしまう。パソコンはどんなに操作しても壊れることはないと言うけれど、操作を間違えれば壊れなくても目的に達しない。もっと簡単に出来ないものなのかと思う。たとえばアドレスでも、当然なことだが1字間違っていれば届かない。その間違いも、大文字と小文字の違いというだけの単純なミスでもダメであることには変わりない。

 若い人たちがパソコンに強いのはどうしてなのだろう。手順にしても、言葉にしても、それはどういう意味なのかと考えてしまうから、逆に覚えられないのだろうか。車の運転のように、理屈よりも操作を身体で覚えていくことなのだろう。フラダンスを習っているこの友だちは、「フラダンスは手話なの。この手の動きで話しかけているの。それで踊る時には、どういう意味があり、どういう場面なのかを教えて欲しいのだけれど、踊り方は教えてくれても意味までは教えてくれないから、ちっとも覚えられない」と言う。

 この人も私と同じで、何でも理屈から入ろうとタイプようだ。でも彼女の素晴らしいところは、ラジオやテレビを相手に独力で韓国語をマスターしてしまう熱情である。いや、そればかりかイタリア語にも挑戦していた。「すべてのものには言葉があるの。名詞はともかく形容詞も同じようにあるって凄いことだと思う」と言う。韓国人もイタリア人も私たちも、発音や文法は違っても言い表す言葉を持っていると指摘する。言葉を学べば、意思を伝え合える。だから言葉を覚えるのはとても楽しいと教えてくれた。理屈でわかろうとするところはよく似ているのに、なかなか外国語が覚えられない私とはどこか頭の構造が違うようだ。

 絶えず努力をする人と、一発でわからないかと思ってしまう私との違いなのかも知れない。それにしても途中で投げ出さずに最後まで聞きながらよく操作できたものだ。これでもし、「契約会社に来てもらった方が早いですよ」と言っていたなら、頼りにならない人だと思われるところだった。けれど、メモして来たアドレスでメールを送ろうとしても届かないのはどうしてなのだろう。
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「ケンカなんかしてないわよ」

2011年05月28日 18時03分23秒 | Weblog
 雨が降っている。この地方も梅雨に入った。しとしと降る雨はいいものだ。草木が活き活きしてくるように見える。井戸掘りに参加するようになって、雨降りでは作業が出来ないから困ったが、最近のように井戸掘りがうまく進まないことが続くと、雨でよかったと思うようになる。そんな気持ちがあったのでは作業などうまくいくはずがないから、どこかで切り替えが出来るような大成功をやり遂げなくてはならないと思う。

 旅行会社から香港旅行の詳しいしおりが届いたので、それを持って姉のところへ出かけた。網膜の病気で手術した姉の娘が、大学病院に通うのに都合がいいからと実家である姉の家にいると言う。姪っ子は52歳になるが、小さい時から目のクリッとした可愛い子で、ひとりっ子だったから甘えん坊だった。短大生の頃だったか病院の事務で働き始め時だったか、今で言うストーカーのような男に付きまとわれ、私も一度その男に会いに行ったことがある。嫌だった男とキチンと別れることが出来たのは現在の彼女のダンナのおかげだったと思う。

 ふたりが結婚すると聞いて、よかったねと思う反面、農家のしかも両親が健在の家に嫁入りして大丈夫かと思った。体つきは華奢であるし、世間知らずの甘えん坊で、大家族の農家の嫁は務まらないのではないかと心配した。それが3人も男の子を産み、ご近所のオバサンたちとも上手に付き合い、何よりもビックリしたのはダンナの両親から頼りにされる嫁になっていることだった。百姓仕事など全く知らない、本当は家事もろくに知らない、そういう女の子だったのに、軽トラを乗りこなし、朝早くから夜遅くまで働いて働いて、今ではなくてはならない存在になっている。

 姪っ子のダンナは決して口数の多い人ではないけれど、女房のことはいつも気にかけてくれている。今度の目の手術にしても、退院後に検査があるからそれまでは実家にいればいいと姉の所で寝起きできるようにしてくれた。その分、自分が子どもの弁当まで作り、女房に代わって農作業を行なっているそうだ。サラリーマンをしながら、家の仕事である農作業はきついとは思うけれど、両親のグチを黙って引き受けているらしい。姪っ子らの長男は今年から社会人になった。2番目はまだ大学生で、3番目が今年から声優を目指して専門学校へ通うようになった。家業はどうするのかと聞くと、「なるようになるわよ」と姪っ子は太っ腹だ。

 姪っ子と姉のやり取りを聞いていると、どちらが親なのかわからなくなる。姉はわがままを言い、姪っ子は注意したり、時には叱ったりする。以前の姉なら「あなたにそんなことを言われることはない」と怒るところだけれど、「そうかねー」などと言って娘に従っている。まあまあ、そんなにケンカしないでやってねと言いたいが、ふたり揃って「ケンカなんかしてないわよ」と言い返されそうだ。

 さて、今日はこれから誕生日会である。
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何故か、夢中になってしまう

2011年05月27日 19時52分59秒 | Weblog
 雨降りのつもりだったが、降らなかった。おかげで、残っていた全ての鉢の土を入れ替えた。数えてみたら大小合わせて48個あった。すでに琉球アサガオなどを植えた鉢が6個あるので、今期の土の入れ替えは54個になる。同数かもう少し多い鉢に、バラやアジサイやランタナが植えられているから、我が家の鉢は合わせて100個以上あることになる。狭いながらも夏には色とりどりの花が咲き、葉はいっそう緑が濃くなる。それだけを楽しみにせっせと土の入れ替えを行なっている。

 考えてみれば、古い土は袋にでも詰めて捨て、新しく培養土を買ってきて植えた方がはるかに楽である。それを1鉢ずつ鉢から土を出し、赤玉土を掘り出してまた使い、根や白糸菌のようなカビなどを取り除き、バーク堆肥や乾燥牛フンや小粒の赤球土などを混ぜ合わせ、そこにミミズを等分に入れてやる。そのため、2時間かけても3鉢くらいしかできない。なんとまあ馬鹿馬鹿しいことをやっているのかと時々思うこともある。チューリップなど見頃は1週間しかない。友だちを呼んで、コーヒーを楽しむチャンスはなかなか難しい。

 これから植えるサルビアは秋の終り頃まで咲くが、11月末には抜いて、再び鉢の土の入れ替え作業を行ない、チューリップの球根を植えつける。それが終わると冬で、北風が激しく吹きぬける日が多くなり、ルーフバルコニーに出られる日は数少なくなる。部屋の中から、強風に煽られよじれても耐えている樹木を眺め、頑張ってくれと願う。冬の寒さに耐え切れたものだけが春の惠を満喫することになる。

 花が咲くのは嬉しいことなのに、それまでの作業を思うと悲しくなる。ひたすら、黙々と、土をより分け、ミミズの様子を伺い、肥料を施した土を鉢に戻す。何のために、腰を屈め、背中や腰や足に痛みを感じながら、この単純作業を続けるのかと疑問に思う時もある。結論はただひとつ、咲かせたいだけなのだ。何でも一途になってしまう私の悪いクセでもある。適当にやっておこうと思えばそれでも充分なはずなのに、何故か夢中になってしまう。恋も同じで、そのためにしつこさ過ぎて嫌われた。

 食事やドライブや旅行などは、誰と一緒かによって全く味も喜びも違ってくる。友だちがカミさんと出かけて珍しいものを食べたけれど、「格別美味しいとは思わなかった」と言う。残念ながら相手が悪かったのだ。もし、好きでたまらない人と一緒であったなら、こんなにも美味しいものはないと感じたかも知れない。素晴らしい景色でもそれは一緒に感動してくれる人がいればより印象が深くなる。日常のテレビを見ながらの食事では、美味しいものの味もよくわからなくなる。恋をしている時のことを思い起こせば一目瞭然である。

 花を咲かせたいという気持ちは恋に似ている。ただひたすら、待ち焦がれている。結果がよければもちろん嬉しいけれど、恋しているうちは結果などよりも恋していることに夢中になっている。疲れたなどと言ってはいられないのだ。
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愛してくれと強制してどうなる

2011年05月26日 22時05分16秒 | Weblog
 大阪府の橋下知事が代表を務める「大阪維新の会」が、府議会に「君が代起立条例」を提出するという。府議会で単独過半数を占める「大阪維新の会」だけに可決される公算は大きい。私はやはり来たかと思った。橋下知事はテレビに登壇していた時から好きになれない人であった。若いのにこれほど右よりの人も珍しいと思っていた。今、リベラルな人は少ないけれど、橋下さんのような超右よりな考え方を恥ずかしくもなく開ける人は少ないだろうと思っていたが、右よりな人はむしろ公にして当たり前のように思っている。

 何が右で何が左なのか、実際に定義するとなると難しいし、そんな風に分類されるよりは多くの大衆のように、どちらにもつかず離れずの得体の知れない存在である方が生き易いのかも知れない。自分の考えを表明しなければ、人から非難されることもないし、ましてやアレコレと考えることもない。多くの人々が口にすることを口にすればいいし、考えたりして辛い思いをするような窮地に立たされることもない。人々が「君が代」を歌えば、歌の意味など考えずに歌えばいい。自分に忠実に生きたところで、どれほどの価値があると言うのだろう。

 「大阪維新の会」は、卒業式や入学式などの公式の場では「君が代」を斉唱することは義務だと言う。もし、これに逆らうのであれば罰則を与えるという厳しいものだ。東京都の石原知事も「君が代」の斉唱を求め、都教育委員会は伴奏を拒否した音楽の先生に罰を与えた。これからは石原知事や橋下知事のような人が出てくるのだろう。それも、たとえば橋下知事が「鳥取県のようなところならば県議は6人でいい」というような、改革の名の下に有権者の支持を得ていくのかも知れない。ここが恐ろしいところだ。これまでの行政の無駄にメスを入れるようなポーズをしているが、有権者である庶民の気持ちを利用するだけで、決して庶民の味方にはならないだろう。

 「君が代」を歌うか否かは個人の問題だと私は思っている。高校生の時、生徒会長だった私はプールの竣工式で花串奉天を行なうようにと要請された。けれどその頃はキリスト者として生きていきたいと思っていた私には難題であった。キリストに従うべきか、生徒会長として努めるべきかと悩んだ。原則主義者であったから、玉串奉天は拒否したように思っているけれど、実際は妥協していたのかも知れない。「君が代」にどれほどの意味があるのかと言う人もいるけれど、江戸時代の踏み絵のようなものでたとえ意味など無くても、だからと言って踏みつけられるものではない。

 納得のいくことならば、受け入れられるけれど、納得できないことを強制することは権力が行なうことではない。思想信条にかかわることならば尚更だと思う。それでも必要だと思うのであれば、その理由を論理的に説明し、説得すべきであろう。情に絡むことは情に任せておけばいい。自分を愛せなくなっている女に、愛してくれと強制してどんな意味があるのだろう。相手がぞっこんになるように努められないのであれば、やめた方がいい。
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そこが男と女の微妙なところ

2011年05月25日 22時03分04秒 | Weblog
 定年退職して、これを祝って海外旅行に出かけた夫婦がいる。ホテルで妻は「もう寝ましょう」と言うのに、夫の方はテレビに夢中になっている。外国なので言葉がわからないけれど、第2次世界大戦を題材にした戦争映画である。妻は戦争の残虐な場面が好きではないが、夫は戦闘場面や西部劇のようなアックションものが好きだ。ホテルの部屋にはテレビが1つは置かれているけれど、大概はベッドルームにある。外国にまで来て、テレビを見る夫の気持ちが妻にはわからない。若い時のように優しく抱擁して欲しいとまでは求めないけれど、せめてテレビなど見ずに安らかな眠りを与えて欲しいと妻は思う。

 夫は久しぶりにふたりだけの時を迎えたのだけれど、だからと言ってラブストーリー映画のように、昔とは全く違ってしまった妻を優しく抱く気にはなれない。それよりも何故か男と女でいることが何となく気恥ずかしいのだ。西洋人ならキスでもするのかも知れないが、日本人である自分は照れくさくてそれができない。もちろん長い間、自分に連れ添ってきてくれた妻を愛しているし、感謝の気持ちはあるけれど、どうしていいのか正直わからないのだ。たまたまテレビをつけたら、戦争映画をやっていたので昔のように観てしまったに過ぎない。

 けれども小さな部屋でテレビがついているのに、「先にやすんでいいよ」と夫に言われても、音がうるさくて眠れるわけがない。仕方がないので妻はトイレに篭って便器に腰掛けて眠るしかなかった。いや、それも決して長く続けられることではないから、トイレとベッドを何度か往復することになる。夫は妻がトイレに駆け込むのはどこか腹の具合でも悪のいのだろうとくらいにしか思わなかった。むしろ自分は音量を下げてテレビを見ているのだから、さっさと寝ればいいのにと思っていた。

 こんな風にして、せっかくの海外旅行であったのに、何となく互いに気まずい思いのまま帰国となった。いや、妻はもう絶対に夫と海外旅行はしたくないと強い決意に至っていた。夫は時間のないツアーではなく、もう少しゆったりとした旅行ができたらいいと思っていた。妻のご機嫌まで取っての海外旅行は行きたくないが、歴史を訪ねるようなツアーにまた出かけたいと思っていたのだ。同じ景色を眺めながら、同じ場所で食事をしながら、同じホテルの部屋にいながら、夫婦であっても思っていることはこんなに違う。

 けれども、それが夫婦なのかも知れない。夫と妻がツーと言えばカーと答える、そんな間柄の夫婦はまずいないだろう。阿吽の呼吸は出来たとしても、好みや考え方や生き方など、夫婦と言えども別のものだ。長い間、生活を共にして来たから、相手が何を欲しいと言っているのかはわかるけれど、だからと言って夫婦だから何もかも一体とはならない。いびきがうるさいからと寝室を別々にしている夫婦がいる。別々に寝ているからとはいえ、夫婦であるから互いを労わる気持ちが無くなったわけではない。そこが男と女の微妙なところだ。
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悲惨な事件がこれ以上起こりませんように

2011年05月24日 21時28分23秒 | Weblog
 先日、名古屋地裁で「4年後に自殺したのはいじめが原因」と認めた判決が出された。中学1年の半ばから「ウザイ」とか「死ね」とノートや机に書かれたり、靴に画鋲を入れられたりした。母親は学校に対処を求めたが改善されることはなく、少女は転校した。しかし、これで終りではなかった。少女は高校2年になって自殺した。「いじめ」から4年も経たけれど、自殺の原因は中学1年の時のいじめであると認めた判決である。小学校の時のクラス会があった時、いじめっ子だったヤツに誰かが当時のことを問いただしたけれど、いじめた本人は何も覚えていない様子だった。それに対していじめられた側は半世紀を経ているのに忘れられないのだ。

 いじめる側にある人は、あまり深く考えずに、面白がってやっている。そこが一番の問題だと思う。面白がって行なっている自分の行為が相手に何を与えているのか、見ようとしないからいじめることが出来るのかも知れない。「あさま山荘の連合赤軍」は多くの仲間を総括の名の下にリンチにかけて殺してしまった。いじめに加わらなければ次は自分が殺されるかも知れないという恐怖が、自分の行為が相手に何を与えているか、見ないようにしたのだろう。「いじめ」に加わった子どもたちもそんな意識が働いたのだろうか。ただ、面白がってやってしまったのだろうか。

 自分が何をしているのか、判っていたのではないのかと思う事件が今日の新聞に載っていた。岡山県で母親が、広汎性発達障害と知的障害の娘を全裸にして縛ったままに放置し殺してしまった。16歳の娘は137センチ24キロと小さい。6歳の時に診断を受けて以後10年間、母親はどんな思いで娘を育てて来たのだろう。いつかはよくなると思い続けてきたのかも知れない。その思いが強くなればなるほど、思いとは程遠くなる娘に殺意さえも抱くようになってしまったのだろうか。

 認知症のつれあいやあるいは親を介護する人は、相手が健康で溌剌としていた時を知っているために、よくなって欲しいという思いが強く、決してそうならない現実に絶望してしまうことがある。カミさんは娘に「孫の世話はしないけれど、私の世話もしなくていいから」と伝えたと言う。どこまでも気丈夫と言えるが、冷たい言い方だと思う。私が言うなら、さもありなんと聞き流してくれるかも知れないが、母親のこの言葉は娘には辛かったのではないか。けれどもそれは母親として、娘への最大の思いやりなのだろう。

 相手への思いやりも大事だけれど、聞く方もまた相手がどういうつもりなのかを知ることが大事だ。本当はそうなのだけれど、そこがうまくいかないのが人の世の常なのだ。愛しているが故に、相手を死に追いやってしまうことがあったり、相手の思いとは裏腹に別れていくなど、思ってもみない事態へと発展してしまうのが人生のようだ。無力な私は、願わくば悲惨な事件がこれ以上起こりませんようにと祈る他ない。
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雨のバラ園

2011年05月23日 20時56分14秒 | Weblog
 雨の中、可児花フェスタに行ってきた。さすがに雨降りの平日なので人出は少なかったけれど、それでも好きな人は多いんだと実感した。女性が圧倒的だけれど、車椅子の人を連れたグループやお年寄りのご夫婦を孫が抱えるようにしてきている家族連れも見られた。雨のバラ園を1つの傘で歩いていくカップルもいれば、全く別々のバラを見ている夫婦連れもいる。雨の中のバラもなかなか風情があっていい。この花フェスタと土岐のアウトレットは、中学からの友だちのデートコースだったが、彼はどうしているだろう。

 我が家のバラは満開だったけれど、花フェスタのバラはまだ5分咲きというか、50%くらいの開花だった。花盛りの時は確かに見事だけれど、同時に花びらの色が褪せてくる。満開前のこの時期はつぼみが多く爽やかな幼ささえも漂っている。深紅のバラを買う予定だったのに、買ってきたのは「アンネのバラ」と黄色のバラだった。我が家には黄色のバラは1本しかないので、香りのいい黄色のバラは欲しいと思っていた。たまたま、赤いバラを探していたら、「アンネのバラ」に出会った。これも縁だと思い買ってしまった。

 私がバラに魅せられたのは小学校の高学年の頃だ。今のように通学団はなく、しかも私は校区外から通っていたので、往きも帰りもひとりだった。帰路は町にある3軒の本屋を見て回ったり、とんでもなく大回りをしたり、好きな道を勝手に選んで歩いた。40分くらいで帰られるのに、2時間でも3時間でも平気で寄り道していた。そんな帰り道の1つに黒塀の酒蔵があり、お酒の匂いがプーンと流れているところがあった。そこを通り抜けると、庭一面にバラのある医院があった。花の時期はこの庭を見て帰るのが楽しみだった。

 我が家は材木屋で、敷地の北側は5から6メートルの崖になっていて、その下には2か3百坪ほどの畑があったが、日当たりが悪いことと飛び地であったためか、あまり耕作はされていなかった。柿木が3本と、他にも樹木が何本か植えられていた。私は、この畑を貸してもらえるように頼んで欲しいと父に願い出た。畑の土を耕し、祭りで買ってきた草花を植えた。バラも祭りの屋台で売りに出されていたものだ。自分の小遣いで買ったものだから、数も少ないし、苗もたいしたものではなかった。

 それでもせっせとやっていたから、庭造りは自分には合っていたのだろう。大学の造園科に行こうかと思ったこともあったが、理数が出来なければ合格できないとわかりやめた。イタリアやスペインに行ってみて、花を育ててみようと思うようになった。幼い時の夢みたいなものがまた蘇って来たのだろう。黙々と土を返していると、いろんな妄想の世界が広がってくる。バラの似合う女性に会ったのはいつなのだろうかと思ったりもする。
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人はなぜ、学ぼうとするのか

2011年05月22日 22時31分54秒 | Weblog
 「塾に行かなくても、ちゃんとした高校へ行ける、そういう勉強の場を設けたいのです」と彼は言う。「塾に行かなければちゃんとした高校へ入れない、と言うのは大手学習塾の宣伝なのではないでしょうか」とも話す。もちろん私も学習塾に通わなくても、ちゃんと高校へ行けると思っている。中学校での授業で充分のはずだ。学習塾へ通わないと高校へ行けないのではと親たちが互いに思うので、子どもを塾に通わせているに過ぎない。本来子どもたちの学習は、小学校から中学校までの9年間で、一人前の人間として充分な知識を身に付けさせている。

 先日も、夏祭りの打ち合わせを何人かの若い人たちと一緒に行なったけれど、みんながみんな大学を出ているとは思えないが、実にまともな会議だった。これをやる為にはいつどこで決めなくてはならないか、そのためには原案をいつまでに作るのか、原案を作るために情報をいつまでに入手して整理しなければならないか、みんなでキチンと確認していった。社会で生活していくための根幹になる部分が構築されていれば、それで人間の教育は充分であろう。それ以上に勉強しようとするのは、自分の力量を高めるためであり、事の本質を見極めるためであろう。
 
 普通高校は私たちの頃から、いやもっと以前から大学へ行くための予備校になっている。専門の高校は主には専門学科だけれど、一般教養として数学も英語もあり、それもどうしてなのかと思うほど難しいことを教えている。そう考えてみると、大学入試がネックなのではないかと思う。このごろでは一芸に秀でた者であれば、入試の成績に関係なく合格させる大学もあるという。大学の数が多すぎるのに、受験生の数が少なくなっているためだ。そうであるなら、どこの大学に入っても、どこの大学でも履修できるようにしてもらいたいものだ。大学の差がありすぎるから、大学の権威を保とうとしすぎるから、大学入試が難しくなり過ぎているのだと思う。

 誰もが、自分が希望する大学に入ることが出来る(ようにしている)。そこで好きなことを学ぶことが出来る。よその大学でもまた同じように学ぶことが出来る。そうした自由が保障されているなら、本当に勉強したい人だけが勉強するだろうし、大学に行きたいと思うだけの人は中途で退学していくだろう。肝心なのは、中途で退学してもその後の生活に支障がないことだと思う。もっと言うなら、大学などはどこでもいいという価値観がみんなの中で共有されなければならないだろう。

 本来、人は何のために学ぶなのかといえば、まずは自分をもっと高めたい、もっとお金を稼ぎたいということなのだろう。大学卒業者が少しずつ増えてきて、誰もが大学へ進めば幸せになれると思うようになった。けれどもそれは幻想でしかなかった。どんなによい大学を出ても、よりよい会社で出世してみても、少しも変わらなかった。むしろ高学歴が災いして、夢と現実の区別が付かなくなってしまった。 
 
 人はなぜ学ぼうとするのだろう。
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