友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

年賀状

2007年12月30日 21時45分19秒 | Weblog
 年賀状がやっと書けた。300枚以上あったものを少しずつ減らして、何とか200枚ちょっとになった。もっと減らしてもよいはずだが、なかなか思い切ることはできない。議員が年賀状を出すことは公選法違反になるので、あくまでも個人の付き合いの範囲に限っていた。それでも年賀状をいただいたのに、お礼の賀状を出さないのは失礼に当たると思うので、結局は増え続けてしまった。

 年賀状は不要だと思う反面で、生きている「証」でもあるから、やはり出しておこう。そんな葛藤の中で続けてきた。1970年に長女が生まれたので、翌年の年賀状にハイハイしている赤ん坊を加えた家族3人のマンガを描いた。その赤ん坊が大きくなり、次に2人目の赤ん坊が加わり、そして年々大きくなる様子をマンガで描いてきた。中学や高校に通う頃になると、こんなに太っていないとか似ていないと注文され、少しリアルになった。

 その子どもたちが結婚し、家を出て行ったので、家族のイラストは2人になった。年毎の変化もそれほどないので、もうイラストはやめようかと思っていたら、卒業生から「先生のイラストが楽しみです」といった賀状をもらい、結局やめるわけにはいかず、毎年どう変化をつけるか悩みながら続けている。イラスト入りの賀状は来年(08年)のものをあわせると36枚になる。「先生、年賀状の展覧会をやったどうですか」と言ってくれる卒業生もいるが、恥ずかしくてできない。いつか絵が描けるようになれば、その一角で展示してもよいのかもしれないが、まだその気持ちになれない。

 昔から年賀状は1枚1枚、それぞれに手書きしている。以前は宛名も手書きしていたが、それでは追いつかなくなって、パソコンでの宛名印刷に切り替えた。だからこそせめて本文は自分で、相手のことを思い浮かべながら書くようにしている。それが今年は、かなり簡潔になってしまった。今、こうして毎日ブログを書き続けている。そうすると私がいつも思っていることや伝えたいことは書いてしまっているので、賀状に書き加えるようなことが出てこないのだ。

 今年(07年)の年賀状は、「ブログのアドレスです」と印刷までしたのに、それが私の不手際でブログを消滅させてしまうヘマをやってしまった。もう一度やり直しのつもりで今日まで続けてきたので、来年の年賀状にも再度ブログのアドレスを印刷しておいた。興味のある方なら見てもらえるだろうと思うと、詳しくはブログを見てくださいといった具合で、賀状に書くことがなくなってしまったのだ。

 さて、今年もあと1日だ。出会いがあれば、悲しい別れもある。歌謡曲の歌詞にあるような、喜びと悲しみの繰り返しだ。人生はそんなものだとわかるようにもなってきた。来年がもっと充実した年になりますようにと、欲深いことは言わないが、友だちに告げたように「死ぬまでしっかり生きていこう」と思っている。愛するたくさんの人たちと生きていくことができれば、そんな素晴らしく素敵なことはないと思う。

 明日は大晦日で、我が家にはたくさんの友人がやってくる。お正月の2日には卒業生が、また3日は私の親族による我が家で恒例の新年会である。だからこのブログも明日から3日まではお休みする。

 よいお年を!
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スポーツ観戦

2007年12月29日 20時18分24秒 | Weblog
 横綱の朝青龍が「年末にはモンゴルに帰りたい」と言ったことで、またしても痛烈な非難を浴びていたことがあったが、結局は朝青龍が「帰らない」と言い直したことで終わったのだった。どういう結末になったのか、正確には覚えていない。私にはなぜ非難するのか理解できなかったからだ。朝青龍がどうしてモンゴルに帰りたいと言ったのか、その理由は確か「子どもに帰ると約束したから」というものであったと思う。

 これに対し、相撲協会も世間も「謹慎が解けたばかりで、なにを言うか。全く精神がなっていない」と非難していた。朝青龍にしてみれば、そもそもなぜ謹慎処分を受けなくてはならないのか理解できないのだから、プロ野球の外人選手が子どものためとか親のためとかで、国に帰るのは美談扱いされるので、ちょっと言ってみたに違いない。

 プロ野球解説者の中には、「個人の理由でこの大事な時に戦列を離れるのは許されない。プロとしての精神がなっていない」と、そんな意見の人も多かった。相撲道なるものは、もっと厳粛で清らかなものでなければならない、そんな風に考えている人も多いようだ。私は相撲道なるものを知らないし、プロといわれるスポーツはお客に見せるためのスポーツなのだから、「道」などともったいぶったものはいらないと思っている。

 スポーツの最低限の決まりは、フェアにすること以外には何もいらない。陸上競技でも水泳競技でも、わずか0,0以下で勝敗を決する。あんなに一生懸命に全力を尽くしたのだからと思っても、1位と2位の違いは歴然としている。水泳が大好きな孫娘は、「判定があるからおもしろいじゃん。判定がなければ誰もやらないよ」と言う。たとえ、下位の成績であっても「今度は努力して頑張るぞ!」と思うのだそうだ。

 そんな話を聞くと、私は全くダメな人間だなと思う。スポーツは努力しなければ決して上達しない。もちろん、何事もそうで、絵を描くことも、文を書くことも、歌うことも、演じることも、どれ一つ努力なしにうまくなれるものはない。それでも何か、スポーツは自己犠牲を迫るものがあるし、そうすることが努力の見本であるような錯覚を与えている気がする。自分の努力以外の領分で、尽くすことを求められるのは、私には理解できないし、肌が合わない。

 カミさんが「よくそんなもの観るね」と馬鹿にするが、私はボクシングやK1なども見る。フェアな試合ならそれなりにおもしろいし、見応えもある。マラソンもよくもまあ2時間以上も飽きもせずに見ると思うけれど、観てしまうのは見せるものが存在するのだろう。それでもやはり、プロよりもアマチュアの試合の方が観ていて好きだと思うのは、技術よりもドラマに感動するからか、それとも私の精神が幼いためかなのだが、どうやら後者のようだ。
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結果は神様に任せよう

2007年12月28日 23時24分53秒 | Weblog
 お昼に友だちから3度も電話が入っていた。気がついてすぐに電話すればよかったが、なんとなく不安だったのでしばらく置いてから電話した。と言うのも、彼は住民検診で精密検査が必要と判定され、市民病院での検査の結果、肺に腫瘍があることがわかった。その腫瘍が良性なのか悪性なのか、再度検査をする必要があるというので、昨日その検査を受けたばかりだった。

 夕方過ぎになって思い切って電話をしてみた。「ごめん。遅くなったけど、何だった。昨日の検査結果が出たの?」と一方的に話した。ところが彼は、検査結果は1月7日にしかわからないと告げ、「あのさ、年賀状を合併前の住所で出しちゃったんだけど、大丈夫だよな?」と言う。私はビックリした。なんだそんなことだったのか。「おお、大丈夫、心配なんか要らんよ」と言いながら、「いやに周りがやかましいけど、テレビの音?」と聞いてみた。かなりのボリュームで音楽が流れていたからだ。「ここか?ブログに書いた外国人が集まるスナックにいる。今年最後だからと言うので、今、忘年会やっている。25歳のお嬢さんも一緒だ。」と言う。

 ホントに私は早とちりだなと自分のことながら笑ってしまった。この中学以来の友だちのブログを毎日読んでいて、「病気の妄想」に取り付かれていると思い込み、かなりしょげてしまっていると勝手に考えていた。「なに!酒が飲めるのか?」と言うと、「ああ、タバコはやめているが、酒は飲んでいる。」と答える。「しょぼくれていると思っていたが、元気で安心した。」と言うと、「元気だよ。」とテンションを上げて言うので、「この前の時のように、始発列車で帰るような無茶はしないことだよ。でもホントに、元気があるよな。」と言って、彼のブログの話をした。

 彼は、「友だち以上恋人未満」を12年間も続けてきたが、肺に腫瘍が見つかり、彼女にはまだまだ将来があるからと自ら望んで身を引いた。彼女が見るかもしれない彼のブログは、最近では女房とどこそこへ出かけた話や彼が通っている英会話スクールの若い女性たちの話が多く掲載されている。そこには当然「友だち以上恋人未満」の彼女が見ることを想定した計算が働いている。もう一つ、想定して「恋人になって欲しい」ということも以前には書いていた。彼女への「愛」が別れる決心をさせたことは確かだろう。そしてまた、そう決意しながらまだ心のどこかで恋人以上の彼女を求めているのだ。

 人はそう簡単に割り切れるものではない。もちろん世の中には決して脇目をしないと努める人もいる。幸せな中にありながら、もうひとりの人を求めてしまう欲深な人もいる。彼が「友だち以上恋人未満」を続けてきたことも、彼女への「愛」が別れる決心をさせたことも間違いなく事実だと思う。もし私が彼の立場であれば、とても恋人未満に満足していないだろうし、別れを決意することもできないだろう。世俗に染まってしまっている欲深かな自分と比べ、彼はやはり清潔な男だ。大学に入ったばかりの時、友だちで合宿を行ったが、人間には清い面と醜い面が共存するとの私の発言に、彼が殴りかかってきた時と少しも変らない。

 私たちは人生の終末を迎え、自分の生にもがいている。「あのさ、どのような結果が出ようと、それは神様が決めたこと。死ぬまで自分らしく一生懸命で生きればいいんじゃないか。」と私は電話の最後に言った。それは彼に言いたかったことではあるが、私に充実した一日をくれた「愛」への感謝でもある。
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日本語教室

2007年12月27日 20時29分59秒 | Weblog
 今日は日本語教室の今年最後の日。企業に頼まれて、昨年の12月からそこで働くベトナム人に日本語を教えている。9人いるのだけれど、一番たくさんの時で8人だったのに、最近では2人とか3人の時が多い。彼らは4月頃に日本に来て、企業には7月頃に配属されるのか、今年の7月から新しい人が3人増えた。2年目の人たちも3人だったが、皆が揃って教室に参加することがだんだん少なくなった。

 彼らは真面目で、勉強もよくする。意欲もある。日本にいる3年間のうちに、日本語検定の3級を合格したいと言う。私たちとしては何とか合格させてあげたい、そういう思いでやっている。必ず毎回出席してくれるならば、何をどう教えていくか計画も立てられるが、参加者が固定しないので難しいなと思う。それでも毎年12月に行われる日本語検定を受検する人なら、その試験の問題集に取り組んでいけばよいから、教える側も先週の続きを一緒になってやっていけばよい。

 片言の日本語は話せるが、問題集に取り組めるまでの段階にはない人たちを、一日も速くその段階に押し上げるにはどうすればよいのか、悩んでいる。それで、他の町の友人がやっている日本語教室に参加させてもらったが、結局、参加者の国も違うし日本での滞在日数も違う、一律にやること自体が無理だとわかった。とはいえ、どうやっていくことが受講する人々の希望に応えることになるのか、教える側としてはやはり突き詰められる課題だと思う。

 どこでも誰でもが教えることができるような、日本語授業の教科書ができないだろうか。少なくとも全くの初心者が1年間で学ぶようなカリキュラムを考えることはできないだろうか。あるいは、ある程度の日常会話はできるという外国人に、日本語の読み書きができるようにするためのシステムづくりはできないだろうか。そんなことを考えている。今年も後わずかしかない。新しい年にはじっくりと彼らと話し合って、どう進めていくべきか、考えてみたいと思う。
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暖かな冬の一日

2007年12月26日 21時30分22秒 | Weblog
 今朝10時の予約で診察を受けるはずだったのに、いくら待ってもなかなか呼び出されない。お呼びがかかったのは、11時半近くになっていた。先日、医師から「血液検査をしておきましょうか」と言われて血を採られたが、その結果について説明を受けるために順番を待っていた。電話で予約しておいたので、そんなに遅くなることはないだろうとは思ったが、何しろ年の瀬である、万が一もあるかもしれないと覚悟はしていたが、1時間半近くも待たされるとは思わなかった。診察室に入ると医師は「採血の結果は百点満点ですね」と言う。それでいて医師は、「次回でいいですから、レントゲンと心電図を撮りましょうか」と言う。

 これは営業じゃーないか。そうは思ったが、口からは「はい、お願いします」と出てしまった。病院にくる人は皆、ひょっとしたら自分は治らないような大病ではないか、そんな思いでやってくる。しかし、医師の方はこの患者でナンボと考えているのだからいやになる。もちろん、医者の中には、私が今お世話になっている医者も含めて、真面目に患者のことだけを考え、どのように治療するかに全神経を注いでいる方が圧倒的だろう。

 私は、医師は全て公務員にした方がよいと思っている。勤務医はいつも大変な思いで医療にかかわっているのに、個人の医院になるとなぜか高額納税者になってしまう。医者は全て国家公務員で、身分は国が保障するならば、医療ミスに怯えることはないし、無医村の地域もなくなるはずだ。医者だからとベンツに乗せることはなくなるから、それだけ真面目に医療に取り組む医師が増えるのではないかと考えている。

 私の娘は看護師で、来年に行われる学会での発表のために、このところ徹夜、徹夜が続いている。そんなにまでしたら自分の身体が悲鳴を上げてしまうのにと思うほど酷使している。「どんなに努力しても、医師には勝てヘン」世界だからか、傍で見ている限りでは可愛そうになってしまうほど努力を重ねている。しかしこれも、娘が自分で選んだ世界だから、親としては「身体を壊すようなことがあったら元も子もないよ」と言うのがせいぜいで、「とにかく間違いのないようにガンバレ」としか言いようがない。

 私の友だちも精密検査を受け、「手術しなくてはならないかもしれない」と言う。正確には12月27日に、再検査をしなくてはならないようだが、彼自身は肉体の衰えが気持ちの衰えになってしまうことを危惧しているようだ。同年の私にはその気持ちがよく理解できる。私が病院を出た時は、正午に近かったから、やはり自由に出かけることは無理だった。そればかりか、午後は年賀状の宛名印刷をしなくてはならず、水泳教室に行くと言っていたカミさんも家に居て私に付き合ってくれたから、暖かな冬の一日がもったいないくらいに通り過ぎていってしまった。
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サンタのプレゼント

2007年12月25日 19時49分35秒 | Weblog
 私がこうしてブログを書き出したのは昨年の夏だっただろうか。だんだん慣れてきて、画面を見ながら文章が膨らむようになってきた。昨年のクリスマスの頃には、自分でもおもしろいと思った童話が書けた。サンタを捕まえた話が2つで、1つは本当にサンタを捕まえたのだろうか?というもの、もう1つはサンタが願い事をかなえてくれるが、交換で幸せを1つ失うというものだ。傑作ができたと喜んでいたのに、今年の1月にNTTからKDDIに変えた時、それまでniftyだったものをdionにしたために消えてしまった。

 この悔しさは計り知れないものがあったが、自らが招いたことなのでどうしようもなかった。「もう一度思い出して書けば」と言われるが、同じものは二度と書けないので、あきらめてしまった。もっと自分が納得のいくストリーを思いつけば、またその時は書き上げたいと思う。全てはバックアップをしておかなかった私の落ち度だ。年賀状にブログのアドレスを書き込んでおいたので、「探したけれど見つからない」と電話をいただくこともあった。

 「最近、ブログが長くなりましたね」と言われた。77歳の先輩が「1日に10人の人に会い、100回深呼吸し、1000字文字を書くことを目標にしている」と言われ、それならば私も1日1000字は書こうと努めてきた。ところが最近は言われるように、書くことが楽しくなり、確かに文章が長くなっている。よし、今日は簡潔にしようと思っていたのに、また長くなりそうだ。

 昨夜、中学1年の孫娘が「彼氏と恋人はどう違うの?」「初彼は初めてキスした人のこと?」「お乳は揉まれると大きくなる?」と聞いてくる。「初恋はいつ?」とか「初めてキスしたのは?」という質問ではないことに戸惑った。孫娘たちの間では、初恋とか初めてのキスとか、そういうことよりも具体的な行為や事象について関心が高いのだ。彼女の先輩にはキスした子もいて「キスがうまいんだって」と言うから驚いた。「あのさ、恋もキスも大切なもの。本当に好きになって、恋もキスも始まるんだからね。好きな人ができたら、相談に来て」と話す。

 そんなたわいない話から急に、「自分が幸せな人はつらい思いをしている人の気持ちがわからない」と言うので、「それはどういうことなの?」と尋ねると、父子家庭の子に対して両親が揃っている子がトゲのあることを言うと答える。「それはむしろ、片親しかいないことなど気にかけていないからじゃーないかな」と言うと、「自分が幸せだと気が付かないんだと思う」ときっぱりと言うので、またまた驚いた。

 まだまだ子どもだと思っていたのに、随分と大人になってきている。私自身もそうだったけれど、中学で人は大きく成長する。そう思っていたのに、今朝は、「サンタさんからプレゼントがこない」とショックな様子だった。ところが水泳教室から戻ると、「クリスマスツリーの下の大きな靴下の中に、サンタのプレゼントがあった」と大ハシャギだ。何しろ欲しかった『恋空』と『ファーストキス』のオリジナルサウンドトラックのCDが入っていたのだ。その様子を見ていると、なんとまだ子どもだなと思ってしまった。
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クリスマスイブ

2007年12月24日 19時34分39秒 | Weblog
 クリスマスイブです。我が家は昨日にクリスマス会を行ってしまったので、今晩は何も行事がありません。午前中に障子の張替えを手伝ったのですが、カミさんと息が合わず、ブーブーと文句ばかり言われ、北の部屋でふてくされて読書です。昨日のブログで、クリスマスといえば『マッチ売りの女の子』を思い出すと書いたことで、気になっていたので読み直してみました。

 物語は大晦日でした。にぎやかに人々が行き交う街角だったので、クリスマスと思い込んでいました。「ホントにあなたは勝手に思い込むのだから」とまたもやカミさんに叱られそうです。クリスマスで皆さんが幸せそうにしている時に、女の子は一人死んでいく、そういう設定にアンデルセンがしなかったのは、やはり西洋人にとっては、クリスマスは華やかで飲んで騒ぐというよりも、教会であるいはその後は家庭で、静かに救い主の誕生を祝う厳粛なものだからなのでしょう。

 日本ではいつの間にか、愛し合う男女が食事をする日となってしまったようです。友だちが取り上げていたので私も読んでみた東野圭吾の『夜明けの街で』は、妻子のある中年男が若い女性に恋する話ですが、こんなくだりがあります。「恋のインフレはクリスマスイブの夜に最高潮を迎える。その夜のために男たちはレストランを予約し、ホテルの部屋を確保し、ティファニーに走るのだ。」主人公の男の友だちは「クリスマスイブに会うことだけは、それだけはやっちゃダメだ」と忠告しますが結局は、1泊できるように手伝ってしまいます。

 私は東野圭吾の作品はこの一冊しか読んでいないので、どんな作者かよく知らないが、書店に行くとかなりの本が並んでいるから人気作家なのでしょう。確かにどんどん読めてしまうので、友だちが言うように娯楽性が高いと言えます。昨夜はテレビドラマで、東野圭吾原作の『手紙』をやっていたので、「そんなのは見たくない」と言うカミさんに「こういうのは見たほうがいいよ」と言い、観ました。そして泣きました。浅田次郎の作品かと思うくらい泣かせる場面がうまくできていました。原作がよいのか脚本がよいのか、私にはわからないが、この映画はやはり観てよかったと思いました。

 ただ、「じゃーどうしたらいいんだ」とは思いました。殺人を犯した兄、殺人者の身内である弟はつらい思いをしなくてはならません。手紙は兄弟の間でのやり取りだが、やり取りすることがまた不幸を生んでいきます。殺人を犯した兄は弟や被害者の家族にせっせと手紙を書きます。書くことで罪を償っているつもりだが、受け取る方では不幸と腹立たしさになってしまうのです。兄は死をもって償えばよかったのか、死ぬことができないのであればどうすればよいのだろう。弟の嫁の強さは第三者だからなのか。人の世は誠に住みにくいなと思いました。

 クリスマスイブ。ディズニーランドではミッキーたちが「ハグ」してくれるそうです。ハグは英語のhug(抱く)のこと。親しい感情を表す表現です。ちなみに抱擁するはembraceで、男女の行為を表します。私の古くからの友だちは英語に精通しているばかりか、今もってビジネス英会話スクールに通うほどだから、私の生半可な知識にはお灸が飛んでくるかもしれません。しばらくブログが更新されていなかったので心配していたが、どうやら元気にはなったみたいなので一安心です。

 明日はキリストの誕生日。全ての罪を背負ってくださったのだから、罪深き私としては心から感謝しています。
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クリスマス会

2007年12月23日 20時48分09秒 | Weblog
 今日は家族でクリスマス会を行った。孫娘はみんなからプレゼントをもらって嬉しそうだった。私が子どもの頃のクリスマスは、大人たちがキャバレーやスナックで酔っ払っていただけだったよう思う。町中にジングルベルが響き、歳末でもあるから浮かれた気分が漂っていた。私たちが家庭を持った頃から、クリスマスを家で祝うようになってきた。我が家でもクリスマスには洋食を用意し、子どもたちが眠ったのを確かめて、枕元にプレゼントを置いた。我が家の子どもたちは、かなり大きくなるまでプレゼントはサンタさんが持ってきてくれたと信じていた。私もカミさんもそう思う子どもたちの気持ちを大切に思っていた。

 私は中学1年から、プロテスタント系のキリスト教会に通った。小学校の高学年の頃から、日本人の習慣が嫌だった。祖母が亡くなった時、近所の人たちが来て葬儀を手伝ってくれた。我が家は材木屋で近所は商家が多かったからか、祖母の葬儀は私の目にはまるでお祭りのようににぎやかに思えた。こんなおかしなことが許される日本人が私は嫌だった。いつもは隣近所の悪口を平気で言っている人たちが、葬儀で面白おかしく談笑することが私は許せなかった。

 小学校の時に読んだ『アンクル・トムの小屋』は、私をキリスト教へと導いてくれた。奴隷のトムがどんな苦しみにも耐え忍ぶ、その力の元である聖書を知りたいと思った。たまたま中学校への通学の途中にルーテル教会があったので、自然に教会に通うことになった。周りの人々を見ていて、自分のことしか考えないと人々と思っていたので、キリストの言葉は私には新鮮で衝撃的だった。キリストの「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」に象徴される積極性に圧倒された。正しく自分が求めていた人のあり方だった。

 中学・高校と6年間、私は教会に通った。中学3年生の時にはクラスの男子のほとんどを教会に連れて行っていた。高校生の時には聖書の中の話を基に、自分でシナリオも書いて芝居もした。それだけ熱心に教会に通い、牧師も「キリスト教の大学へ行って牧師になるように」勧めてくれたが、なれなかった。自分はそんな聖人ではない。自分の中にある否定されなければならない欲望の存在を打ち負かすことはできなかった。60年安保は高校1年生だったから、よくわからなかったけれど、高校3年生の時にはベトナム戦争が始まっていた。なぜ、人は人を殺さなくてはならないのか、なぜキリスト教国のアメリカはベトナムを無差別爆撃できるのか、聖書が求めていることと現実の違いに、牧師は納得のいく答えを出してはくれなかった。

 信仰は自分で答えを出すものだ。答えが出せないのだから、私はキリストの言葉だけを、釈迦や孔子やソクラテスなど、先人たちの一人として受け入れることにした。信仰することの苦しみから解放され、自分はやはり罪深き人間なのだと思い知ることが出来た。キリストの言葉によれば、人は誰もが罪の子である。つまり原罪から逃れられない存在だという。だから神を信じ、悔い改める努力を払わなければならない。けれど私は罪の子であるならばそれは仕方のないこと。善と悪との2つの面を人は持つのであれば、善を目指す以外にない。善を目指すということは悪を内在しているということでもある。

 人はその苦悩を背負って生きている。自分はまさにそのとおりだ。私の生き方に巻き込まれてしまった人たち、最大の被害者である家族、友だち、私が一方的に愛した人、そういう人たちには気の毒だが、私という人間はそういう人間なのだと理解して欲しい。私はできるだけ人を傷つけないように生きてきたつもりだが、善と悪との関係から言えば、そうしたつもりが逆だったことは大いにありうる。

 またまた小椋佳の歌詞を引っ張り出すが、『さらば青春』の冒頭に次の言葉がある。
  僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに
  僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ
 これはキリスト者ではない。自己中心な者の感覚だ。ところが私にはとてもピッタリくる。

 クリスマスというと、アンデルセンの『マッチ売りの女の子』を思い出す。余りにも悲しい物語だ。女の子は寒さの中で、マッチの火で温まるけれど、マッチは底をつく。女の子が夢の中で幸せを見た。しかし、次の朝に女の子は死んでいた。不幸な女の子を誰も救わない残酷な物語だ。人は優しくなれないものなのか、それとも生きていることは、ただの夢なのか、そんなことを考えさせる絵本だ。
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窪島誠一郎さんの記事

2007年12月22日 20時25分53秒 | Weblog
 今日は午前中から、先日に意気投合した友人たちと麺の試食会を行った。「もったいない」ものがたくさん捨てられている。いらないという人からもらってきて、いる人に渡すことできれば、人の役に立つのではないかという話にまで発展し、NPOをつくろうということになった。うどんやそばを作る機械が廃棄されるというので、これをいただいてきた。そこでその製麺機がどんなものなのか、何ができるか、試してみようということになったのだ。

 友人のアイディアマンは「来年の夏祭りに、これでうどんを作って出してみよう」と言い、製麺機をもらってきた友人は「ゴマ入りのうどんはできないか、試してみたい」と言う。こういうことには夢中になってしまう二人だ。実戦部隊となるご婦人方の協力がなければ実現不可能なのだから、まずご婦人たちに試食してもらい賛同いただかないといけないのに、そんなことはどうにでもなると考えてしまうところも二人は似ている。

 初めはこの二人が組んで、製麺機からうどんを作っていたが、後半は製麺機の主の奥さんが代わって作業を受け持った。先ほどよりもコンビネーションがいい。「なんだかんだと言ってもやはり夫婦は息が合ってるね」と冷やかされ、「慣れてるだけだわね」と反論していた。「夫婦喧嘩になりそうな時はうどん作りをするといいかも知れんね」とまで言われ、「うどん作りで喧嘩になるわね」と言うんで、大笑いになった。

 この夫婦が恋愛結婚なのか見合い結婚なのかは知らないが、夫婦は長くなるといつの間にか似てくるという。今朝の中日新聞の『家族のこと話そう』欄には「信濃デッサン館」の館主、窪島誠一郎さんが載っていた。以前、友人家族と旅行した時に、この「信濃デッサン館」に立ち寄ったが、この時私たちに入場券を渡してくれた人が窪島さんだった。窪島さんが作家の水上勉の子供だということは既に知っていたが、だからといって声をかけられものではないので、素通りしてしまったが、目と目は合った。

 窪島さんの記事を読んで、自分の家庭が欲しかったことも、和気あいあいの家庭から逃れたかったことも、両方とも真実だと思った。人は一人では生きられないし、一人でいて幸せなどありえない。女の人の気持ちまではわからないが、男たちの結婚は小椋佳の歌詞にあるように「あなたの甘い胸元へ きっとたどりつくだろう」というものではないだろうか。愛して、少なくとも家庭を持つことに満足と期待を抱いて結婚し、恋愛が日常の中に埋没してしまうと、「愛することはこういうものではないはずだ」とまた感じるのだろう。和気あいあいの家庭を作ろうとしながら、そこにまた違和感を覚えるやっかいなものだ。

 ある人はそれを道徳的に非難するけれど、どうしても人は愛なしには生きられないから、相反する二つの愛を求めることになる。私の友だちは、愛したがために12年間「友だち以上恋人未満」を維持してきた。そんな馬鹿なことがあるはずがないと言う人はいるが、彼を知る私は間違いなくそのとおりだったと言える。その彼が彼女と別れようとしたのは、やはり彼女を愛しているからだと私は思う。そういう選択をする男だからだ。私が「信濃デッサン館」で始めて窪島さんを見て、窪島さんが父親の水上勉を探し当てるまでを書いた『父への手紙』を読んだ時、この中学以来の友人を思い出した。似た境遇だと思ったからだ。

 高校時代の友だちにもそういう「もらわれ子」が二人いた。中学以来の友だちも含めて、なんとなく甘えん坊なところがよく似ているなと思った。男たちは皆、女の人の「甘い胸元」にたどりつきたい願望を抱いているのだろう。中学以来の友だちが愛するがゆえに別れを選択したけれども、そんなに清く正しくしなくたっていいじゃーないか、死ぬまで正直に「甘い胸元」を求めていきなよ、そんなふうに言ってやりたいが、これはいけないことなのだろうか。
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大切な出会い

2007年12月21日 22時47分26秒 | Weblog
 人生はどこでどういう出会いがあるのか、わからない。だから日本人は昔から、「よいご縁でした」と出会いを大事にしてきた。姉が好きだという秋川雅史さんのCDを聞かせてもらった時、あれ、これってどこかで聞いたことがあると思った曲があった。それは美空ひばりの『津軽のふるさと』だった。子どもの頃に聞いたのではなく、NHKの朝の連続テレビ小説『私の青空』(?)のテーマ曲で覚えていたのだ。津軽からボクシングがやりたくて東京へ出てきた男とその男の子どもを産んだ女の愛憎物語だった。子役がとてもよかったし、津軽の貧しいりんご園の女を演じた菊川怜を初めて見たのもこのドラマだった。

 孫娘を通して知り合った青森から来た男は、身体はでっかいが実直で、この人と一度はお酒を飲みたいと願っている。一生懸命に野菜作りに取り組んでいて、時々どかっと野菜をいただくが、新鮮で美味しい。なかなか津軽弁が抜け切れなくて、そこがまた心の優しさと正直さをよく表している。中学2年の息子のために一生懸命に働き、息子の水泳大会には必ず付き添い、応援している。日本のジュニア選手の中では成績のよい方だそうで、オーストラリアでの合宿に今参加しているそうだから、お父さんの期待も大きい。

 美空ひばりの『津軽のふるさと』を、たまたま北陸へ出かけた時に寄ったサービスエリアで見つけて買った。聞いてみると日本人の心に流れている歌のような気がした。美空ひばりの歌い方はそうした情感にピッタリ来るものがあるから、やはり大物といわれるのだろう。秋川さんのCDは手元にないから比べて聞けないが、私は淡々と歌っている秋川さんの『津軽のふるさと』の方が口ずさめるように思う。その美空ひばりの『愛燦燦』を作詞作曲した小椋佳のCDをよく聞いてみると、やはり美空ひばりの「うまさ」を実感する。

 小椋佳を最初に聞いたのは『シクラメンのかほり』だった。優しい歌声が心に響いた。歌詞がいいなと思った。
 
  うす紅色のシクラメンほどまぶしいものはない
  恋する時の君のようです
  木もれ陽あびた君を抱けば
  淋しささえもおきざりにして
  愛がいつのまにか歩き始めました

 歌詞の一つひとつをよく見れば、一体何を言わんとしているのかよくわからないのに、ここに流れる情感はとてもよくわかる気がするのだから不思議だ。『揺れるまなざし』の中でも

  めぐり逢ったのは
  夢に見た人ではなく 思い出の人でもなく
  不思議な揺れるまなざし
  心が波立つようです いつになく
  物語が限りなく綴られて
  君の姿が 静かに夜を舞う

 情景が見えるようで見えないのに、その情感はとてもよくわかる。愛する人のまなざしが見える。そんなわけで、今は小椋佳を聞き、美空ひばりを聞いている。日本の歌謡曲も捨てたものではないなと思いながら、フランスの歌謡曲を高らかに歌うエディット・ピアフを思い出し、今度はシャンソンも聞いてみようと思っている。
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