友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

姉、転院する

2013年12月27日 18時55分57秒 | Weblog

 姉を迎え入れてくれた病院は、明日から年末年始の休みに入るという。私の兄が岡崎の市民病院へ運び込まれた時もそうだったけれど、ひとり暮らしの者がひとりでは暮らせなくなった時は本当に困った。相談員が「オタクで引き取ることが出来るのですか?」と言った時、兄を引き取った場合はどうなるのかと考えた。身体が動かず、話すことも出来ないから、一日中誰かがついていて世話することになる。カミさんも私も働いていたし、子どもたちはまだ小学生だった。

 現実を考えれば、兄を引き取ることなど出来ない。その当時は今のように、病院に3ヶ月しか居られないということはなかったけれど、治る見込みのない患者を受け入れてくれる病院は少なかった。私の家の近くの病院に問い合わせても、どこもダメだった。相談員に全てを託する以外なかった。結局、相談員が探してくれた病院で兄は死ぬまでの13年間を過ごした。私は感謝を込めて、月1回は家族みんなで見舞いに行った。行く度に病院の事務と看護詰め所にお菓子や果物を持って行った。兄は刺身が好きだったので、刺身を持って行ったけれど、兄の身の回りの世話をしてくれるオバサンたちの分も必ず持って行った。

 姉は入院した頃に比べると、随分と動けるようになっていたが、ひとりで暮らせるとは考えられない。私の家に引き取ることが無理なように、姪っ子の家も両親がいるし、仕事もあるから、受け入れてくれる病院を探さなくてはならない。幸いなことに、嫁入り先でたくさんの友だちに恵まれた姪っ子は、すぐに受け入れてくれる病院を見つけることが出来た。今日はその新しい病院へ移るというので、私も立ち会った。6日に入院した病院に比べると入院患者がダントツに多いリハビリテーション病院である。

 お昼も食堂で一緒に食べ、その後のリハビリの様子も見させていただき、「じゃー、今日はこれで帰るからね」と姪っ子が言うと、姉はキョトンとした顔で「帰るのかね」と聞き返した。「母さんはここでお世話になるの。また明日来るから」と説明するが、「ここで?何でかねえ?」と納得いかない様子だった。私の父親が残していったアルバムを見せた時も、父親や祖父母や叔母たちの写真を「知らない」と言う。けれど、母親とその祖父母らとの写真を見た時は「これはお爺さんで、これが私」と幼い時の姉を指差した。人が歳を取るということはこういうことかと思った。

 明日から1月5日まではブログを休みます。いつも読んでいただきありがとうございます。では、よいお年をお迎えください。

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安倍首相が靖国神社に参拝

2013年12月26日 18時06分03秒 | Weblog

 安倍首相が今日の午前、靖国神社に参拝した。第1次安倍内閣の時に、参拝できなかったことが、「痛恨の極み」だった安倍首相にとっては、やり遂げた表情だった。最近の安倍首相を見ていると、この人は信念の人だと思う。彼は「美しい国、日本」を作り上げることに執念を燃やしている。美しい国とは、中国や韓国、アメリカなどの外国と同等で敬われる国であり、そのためには外国が手を出せない軍事力を持ち、国民は天皇を中心に心をひとつに、愛国心と道徳心に溢れ、互いを思いやる優しさと努力を惜しまない勤勉さを備えた国民でなければならない。そのような国づくりを目指しているのだろう。

 「積極的平和主義」と安倍首相は言うのも、武器輸出三原則を見直し、武器輸出で儲けるだけでなく、力が均衡でなければ平和を維持できないという信念なのだろう。靖国神社参拝を懸念するアメリカ、抗議する中国や韓国に屈しては、同等ではないという強い思いがある。「戦争で亡くなった英霊の冥福を祈るのは、世界共通のリーダーの姿勢」と言うのも、外国に負けない世界のリーダーという自負の表れである。靖国の神々に「戦争の惨禍によって再び人々が苦しむことのない時代をつくる、不戦を誓ってきた」と発言するのも、安倍首相の偽らない気持ちだろう。

 決断力もなく、実行力もない30代40代の若い世代は、安倍首相のような強いリーダーに憧れる。自分たちに欠けたものを安倍首相は持っている。生活にだらしなく、未来に希望を見出すことが出来ない若い世代にとって、安倍首相は品格のある特別な人と映るのかも知れない。ワッショイワッショイとジグザグデモを行ない、それまでの既成概念をぶち壊すことに満足してきた戦後世代が生んだ世代である。ひとり一人が認められる民主主義の社会を目指していたのに、単なる個人主義しか育てられなかったのかと思う。

 古いものを否定しながら歴史は作られてきた。またいつか、私たちの生き方も評価される日が来るのかも知れない。安倍首相の靖国神社参拝のニュースを見ながら、何となく寂しさを感じた。私たちの時代は終わり、新しい時代が始りつつあるのだろう。2014年、私は古希を迎える。相当なジジイだと自分でも思う。

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年賀状書きの準備へ

2013年12月25日 18時26分53秒 | Weblog

 パソコンのプリンターの調子が悪く、何度もクリーニングするけれど、その直後はよくてもまたすぐに印刷ムラが出来てしまう。年内には年賀状の印刷があり、来年早々には大和塾のラベル印刷もある。そこで思い切って新しいプリンターを買った。資料の作成や住所ラベルの印刷に使うことが多く、これまで写真印刷はしたことがない。だから印刷はほとんど黒色だけなのに、なぜ赤色や黄色や青色のインクまでも減ってしまうのか不思議で仕方ない。プリンターは初めて買った時のことを思うと、格段に安くなっているが、インクが目茶に高い。

 これまで、インクは5色セットのものを4880円で買っていた。太い黒色は特に早くなくなるので、別に買うことが多かった。それで時々太い黒色を除いた4色セットを買うことがあるが、これは3780円であった。まだ新品の5色セットと4色セットが手元にあるので、店員さんに「これは使えますか?」と尋ねると、「申し訳ございません。こちらのプリンターは別のインク使用となっております。こちらの会社ではプリンターが変わるとインクも変わるようになっております」と言う。

 まったくパソコン業界は横暴だ。パソコンのソフトも勝手にバージョンアップしていき、その度に古いソフトは使えなくしてしまう。昨夜も友だちが文面を添付して送ってきてくれたけれど、「このファイルは新しいバージョンのMicrosoft Wordで作成されたものです。このファイルを作業可能にするため、互換パックをダウンロードしますか」と画面に出てくる。ダウンロードしようとするが、無料ではないようだった。新しいソフトを開発するにはお金がかかるから、いろんな手を使ってお金集めをしているのだろう。

 新しいプリンターで最初に印刷したのは、来年3月2日に行なう大和塾の第34回市民講座のチラシで、その出来栄えには満足した。次の印刷は年賀状で、表面の宛名と住所、差出人をパソコン操作で印刷した。出来上がってみると、やはり新しいプリンターにしてよかったと思う。後は裏面を1枚1枚手書きしていく。これは明日からの作業になる。せっかく年賀状をもらっても、ただ印刷してあるだけのものは物足りない。数を減らしてきたのだから、せめて文面はそれぞれ違ったものを書こうと努めている。

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孫娘が仕切るクリスマス会

2013年12月24日 18時21分44秒 | Weblog

 “クリスマス イヴ”に特別な思いを抱くような歳ではなくなってしまった。昨日は長女の家で、クリスマス会が開かれた。ダンナの父親はこの日に、「芋煮会」をしたいと随分前から希望されていたし、母親も4歳の孫娘に寿司ネタのタマゴ焼きを切らせたいと言っていた。ダンナは孫娘が好きな「回転寿司」を手作りして、みんなに振舞いたいと計画していた。4歳の孫娘はすっかりホスト役に徹していて、コップや皿を並べ、箸やスプーンを置いて回っていた。

 「いらっしゃいませ」とおすましで言う。「今日はよくいらっしゃいました。これからクリスマス会を開きます。寒い人はストーヴをつけてください。暑い人はストーヴを消してください。向こうにクリスマス(ツリー)がありますが、倒さないように注意してください。今日は、楽しんでください。プレゼントもあります。ケーキもあります。クリスマス会なので、歌は歌いません。これから始めます。カンパイ!」とマイクを持ってごあいさつをする。

 「誰が教えたわけでもないのに、こんなに出来るのは天才じゃーないかと思ってしまう」とダンナは親バカぶりを発揮する。嬉しくて仕方ないのだろう。「天才はなかなか報われないよ」と私が冷やかすと、「天才を商才に変えた人もいます」と反論されてしまった。子どもの成長は実に早い。孫娘はどんどん賢くなっていくように思うのは、ジジババも同じだ。ダンナの企画で、モチつきも行ない、てんこ盛りのクリスマス会だった。

 私はまた、いつの間にか飲みすぎて、回転寿司の途中から眠ってしまった。ビールにワイン、芋煮、インド料理のタンドリーチキン、ローストチキン、ダンナの父親が作った漬物、京都土産の漬物、寿司、ケーキなど本当にいろいろあったのに、最近は余り食べられない。飲むと眠気に襲われる。こんなクリスマス会が何年続けられるのだろう。招待する側から招待される側となり、気持ちも楽になった。飲んで食べて、歌ったり、ありがたいことだとつくづく思う。

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冬至はユズ風呂

2013年12月22日 19時42分32秒 | Weblog

 日照時間が1年の中で一番短いという冬至の今日はとても寒かった。マンションの大掃除が終って、すぐに家に帰り、残ったチューリップの植え込みを行なった。風が冷たくて、肌を切られそうにさえ思う。昼食の後、これまで行なってきた井戸掘り現場から撤収するため、軽トラを借りに行き、撤収のために必要な器具も買い、そして現場へと戻った。3人でそれぞれに分担して作業をするが、相変わらず寒い。指先が痛い。休みなく働いて、やっと全てのものを軽トラに詰め込む。それらを倉庫に運び入れ、結局完了したのは6時近かった。

 冬至にはユズ風呂に入るのが習慣になっている。友だちからいただいたユズを風呂にいれ、大根をおでんにして食べよう。友だち夫婦は明日からポルトガルへ出かける。「一緒に行かない」と誘われたけれど、日程が合わなかった。今日は日曜日で、もう今年も10日しかない。井戸掘りの方は一応撤収で決着がついたけれど、まだ、正月に向けた準備が何も出来ていない。

 おっと、思い出した。明日は孫娘たちとのクリスマス会で、4歳の孫娘へのプレゼントが完成していない。私は新美南吉童話の絵本に応募した作品のカラーコピーが残っていたから、これを製本してプレゼントするつもりでいた。本物の方は返却してもらえないので仕方ない。厚紙のケント紙ではなく、カラーコピーでしかも紙は薄いから、ちょっとちゃちだけれど、手作り品であるから少しは喜んでくれるだろう。

 それにしても今日は疲れた。まだ絵本の製本をしなくてはならないから、文字数が少ないがもう終わりにしよう。

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楽しみが先にあれば

2013年12月21日 16時22分22秒 | Weblog

 今日から3連休という。毎日が日曜日のような私には、「だから」と言うところだが、今晩は誕生日会で、明日は午前中がマンションの大掃除、午後は井戸掘り作業現場からの撤収、明後日は孫娘とクリスマスと予定が入っていて珍しく忙しい。それにそろそろ年賀状の準備もしなくてはいけないが、どうやらこれは例年通り大晦日の仕事になりそうだ。

 今日も午前中は井戸掘り現場に出かけて、水質などを調べてみた。水は茶色く濁っている。塩ビ管を降ろしてドロで埋まっていないかと調べてみるが、やはり小石のような砂利のようなものが底になっていて、ドロで埋まっている様子はない。エンジンポンプで水を汲み上げてみるが、水はやや透明度が高くなった。ところが緑茶を注ぐとたちまち黒色に変わった。やはり、鉄分が多い。依頼主に見てもらい、撤去することにした。全ての作業を明日までに完了し、清々しい気分で新年を迎えてもらいたいし、私たちもけじめをつけたい。

 お昼ご飯後のわずかな時間の隙で、チューリップの球根を植えた。雨が降った後で、鉢の土がべとべとしていて作業はしにくかったけれど、余りにも延び延びになってしまったから、どうしてもこの連休中には植えてしまいたかった。風邪が冷たくて、作業しにくい。結局、まだ200級ほど残ったから、明日の朝にでもまた作業しよう。

 今年はなぜか、忙しないだけで何事もうまくいかなかった。忙しいと思う割には、何をしたというものがない。うまくいかない時とはそんなものかも知れない。60歳の時に同じ歳の者で集まりを持ってから今度の集まりで9回目になる。その打ち合わせをしていた時、古希の祝いと10周年の記念を同時にやろうという案が出たけれど、「楽しいことは何度もあった方がいい」と言うので、今度の集いは古希を祝い、その次に10周年を盛大にやろうということになった。

 楽しみが先にあれば、そこまでは頑張ろうと思う。どんどん楽しみは減っていくが、少しでもあれば頑張れると互いに励まし合う。「よくテレビでひとり暮らしの老人がと言うのを聞くと、以前は高齢者だなと思っていたのに、同年齢だったりして、身につまされる」とひとりがポツリと言った。

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無常という美意識と価値観

2013年12月20日 18時37分13秒 | Weblog

 先日、テレビの歌番組を見ていたら、気仙沼出身のシンガーソングライターが『わが美しき故郷よ』を歌っていた。聴いているうちに涙がこぼれてきた。震災に学ぼうと三陸海岸を回った時、最初に訪ねたのが気仙沼だった。夜だったから分からなかったけれど、朝になって見ると凄まじい光景だった。コンクリートの建物はかろうじて残っているが使い物にはならない。開けた場所は土台だけが残った家々の跡だ。そんな気仙沼の景色が目に浮かび、泣けてきた。実際に目で見た光景は一生忘れないだろう。

 媒介したもので見るのと、実際に見るのでは違う。この市でも国際交流は盛んだけれど、実際に出かけていってホームステイを体験したり、あるいは迎え入れて外国人と暮らしてみる、そういう交流をして欲しいと思う。外国に多くの友人が出来れば、外国を非難したり馬鹿にしたりすることもなくなるだろう。実際に見る、実際にやってみる、それは新しい知識になると思う。そうした体験が日本人を変えていくことにもなるのかも知れない。

 日本人は国内では争いを繰り返してきたけれど、徳川幕府が成立してからはそうした争いも収まった。長い間、平和が続いたことで、美意識や価値観も独自に形成されていった。四季の変化が無常観を育てた。釈迦が説いた仏教は中国を経て、無常という考えが注入されたが、日本では無常観という哲学を形成した。無常は儚さという美意識を生み、同時に絶対はないという価値観も生んだ。あらゆるものを受け入れながら、どれも否定せずに、逆に1つのものにつくりあげていく、そういう能力を日本人は持っていたのか、歴史の中で身に付けたのか、今も多くの人々の中に流れている。

 絶対なものはない。となれば、それはあいまいさになる。白か黒かと問われているのに、どちらでもないとなれば、結論のないままに進むことになる。これだけ西洋人と同じような生活をしながら、環境だけは同じでもなかなか西洋人にはなりきれない。世界中が、どんどん交流が進み、みんなが同じような服装、同じような生活をすれば、世界中の人が同じような価値観を持つようになるだろう。美意識もそれに伴って、少しずつ変わっていくのかも知れない。そうなっていくのを止めることは出来ないが、まだまだ先になることだろう。

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猪瀬さんの金銭感覚

2013年12月19日 18時13分08秒 | Weblog

 猪瀬東京都知事が辞任した。醜態をさらけ出した末に、辞めるのは余りにも情けない。男は権力の座に就くと執着する見本のようだった。今日は1年前に猪瀬さんが知事選挙で当選した日だという。そんな皮肉な巡り合わせになったのも、「政治家としては素人だった」訳ではなく、金銭に清廉であれという自分への戒めがなかったからだ。権力もなく金も持たない清廉な人は、決して金銭に囚われない。目の前に札束を積まれても動じない。猪瀬さんは副知事に抜擢され、自分を見失ったのだと思う。

 5000万円の金を提供してくれた人を「親切な人だ」と思ったと言う。普通の感覚の人なら、どうして出してくれるのかと考えるだろう。猪瀬さんが言うように、落選したら生活に困るから借りたなら、5000万円も何に使うのか。どうやって返すつもりだったのか。そもそも5000万円は選挙戦に使う以外には使いようがないはずだ。知事選挙にそんなにもお金をかけること自体が不思議だが、実際はもっと必要だと解説する人もいる。そんな選挙をやっているから、いつまで経っても政治家は金が切れないのだろう。

 それにしても釈明や謝罪の報道を見ていると呆れてしまう。お詫びの気持ちなど微塵も感じられないのはきっと、本人自身が「誰でもやっているのに、見つかったのは運が悪かった」としか思っていないからだろう。猪瀬さんは知事選で、これまでのトップという434万票を獲得した。オリンピック誘致の成功もまるで自分が「やった」と言わんばかりだった。選挙も誘致も、彼を助けて動いてくれた人々がいて成功できる。トップの座に就くと、そんな当たり前のことまでも忘れてしまうようだ。

 議会で追及を受ける冒頭で、「私の1年間の報酬を受け取らない条例を提出する」と言ったけれど、その額は2600万円だという。落選したら困るからと5000万円を借りた人の金銭感覚は相当におかしい。知事という椅子に座っていれば、お金はどんどん集まってくるということなのか。前の石原慎太郎さんといい、猪瀬さんも文化人の出身だが、ふたりとも金銭感覚は共通して普通ではない。さて、もう知事選に誰が出るとウワサが飛び回っているが、少なくとも清廉潔白な人物であって欲しいと思う。

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世代差をなくすことは出来ない

2013年12月18日 17時48分01秒 | Weblog

 大和塾の例会の時、塾生の茶道の先生の家で、新年茶会を開いてもらう話になった。茶会といっても型苦しいものではなく、みんなでお茶をいただきながらおしゃべりしましょうというもの。初めは薬扱いであったお茶を、庶民まで嗜むようになった時は形式などはなかったはずだ。今でもそうだけれど、お茶を飲みながら一時を過ごすのは、心落ち着くし話も弾む。大和塾の例会は、コーヒーを飲みながら1時間半ほどを過ごす。これを、お茶を飲みながらにしましょうという訳である。

 会話の中で、日本人の美意識が話題になり、お茶の作法を確立した利休の話になった。映画『利休にたずねよ』の話から、「団十郎の最後の映画になってしまった」と話が飛び、「団十郎は本当にいい役者だった。歌舞伎からいい役者がどんどんいなくなる。海老蔵や勘九郎ではまだ芸が浅い」と先輩が言う。確かに、団十郎や勘三郎の舞台を見た人にはそうなのかも知れないが、歌舞伎を見たことのない人には何を言っているのかわからない。世代差というものはこういうものなのかと思った。

 年寄りが、昔はこうだったとか、昔はこんなによかったとか、そんな話をしても若い人にはわからない。私の子どもの頃、大人たちが「今時の連中は」と批判していた。何でそんなにボロクソに言うのだろうと思っていたが、年寄りになってみると、やはり同年輩は同じように言っている。年寄りには経験があり、若者には経験がない、それを同列で論じても若者には通じない。私たち自身がそうであったように、世代差は決して越えられない。これはどうしようもないことだと思う。

 年寄りが自らの経験と価値を話すことは大切だと思うけれど、若者に同じように考えろということには無理がある。年寄りと若者が一緒になることは永遠に出来ないだろう。人は語り継ぐことで、若者たちの何かに、どこかで役に立つことがあれば幸いである。「いじめの実態」を文部科学省が調査した数値が発表されていたが、根絶することはないのかも知れない。また、心の病になる先生が増えているという。原始社会に比べて、とてつもない速度で人間の社会は発展している。心の病に陥るのは先生ばかりではない。どこまで耐えられるのか、心配になる。

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コマキストとサユリスト

2013年12月17日 18時39分30秒 | Weblog

 私たちの世代では、コマキストとかサユリストとか言っていた。コマキストとは女優の栗原小巻さんファンのこと、サユリストは女優の吉永小百合ファンである。共産主義者はコミュニスト、暴力主義者はテロリスト、そうした言い方を真似たものだろう。栗原小巻さんは目鼻立ちが整った顔でツーンとした感じだった。吉永小百合さんは田舎のお嬢さんといった感じで、美人とは思えなかった。私は栗原さんにも吉永さんにも、興味なかった。

 私は早生だったのか、日本の女優では嵯峨美智子さんに心惹かれた。忠臣蔵の映画に出ていて、吉良上野介の屋敷に入り込んで内偵する女中役で、見つかって折檻を受ける場面にドキドキしてしまった。着物の裾からわずかに出ている足首に、ろうそくの油を落とされて自白を迫られるところだった。その足は白くて細くてとてもきれいで、とてもエロチックだった。多分、祖母に連れられて見た映画だから、小学生の時だと思う。

 中学生になった時、街に新しく洋画館が建った。フランス映画『素直な悪女』を観て、小悪魔ぶりが強烈だったブリジット・バルドーに魅せられた。肉体の美しさもあったかも知れないが、キラキラする大きな瞳が印象的だった。M・Mのマリリン・モンロー、C・Cのクラウディア・カルデナーレと並んで、B・Bとも呼ばれていた。3人を見比べたら、モンローは可愛すぎるし、カルデナーレは肉体派的で、私はバルドー支持者だった。

 先日、吉永小百合さんが出ていた映画『北のカナリア』を観た。北海道の北端の分校の先生だった吉永さんが、村を終われるようにして去った。残された6人の子どもの中で一番泣き虫だった男の子が、東京で殺人事件を起こしてしまう。吉永さんは子どもたちに会いに行く。そこから、6人の子どもたちの今に至るまでがそれぞれに語られる。そしてまた、吉永さんがなぜ村を追われたのか、真相に迫っていく。映画の原作者が湊かなえさんと知って、なるほどと思った。

 湊かなえさんの『告白』を孫娘が高校生の時に読んでいて、私も一緒に読んだが、次々と事実が明らかになっていく筋書きはそっくりだ。「もっと早くそうしていたら(事実を明らかにしていたら?)、苦しまなくてもすんでいたのに」とか、「つらくても生きていて、いいんだよね」とか、「生きるって、つらい」、そんな言葉に、確かにそうだと思う。誰にでも苦しいことはある。それが人生さ、そう思う。吉永さんはかなりポッチャリしていた。

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