友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

昼の焼肉屋に老人がふたりいた

2015年10月31日 18時00分02秒 | Weblog

 以前、井戸を掘ったところで地中に塩ビ管を残してきた家がある。その家の奥さんから「抜いて欲しい」と言われ、撤去してきた。井戸を掘った当時は、「そのままでいい」と言われていたが、きっと何か嫌なことが続いて起きたりしたのだろう。塩ビ管が残っているせいではないか、そんな風に誰かに言われたか、あるいは自分が思われたのだろう。鉄柱を立てて、チェーンで引っ張り上げて撤去できた。「いかほどでしょう?」と奥さんは言われるが、そもそも本来は撤去すべきもの、「お金はいいです」と断ると、「お茶代にして」と3千円渡された。

 それで、昼食に焼肉屋へ出かけた。土曜日の昼なのに随分混んでいる。家族連れが多いが、女子だけのグループもいる。ビックリしたのはひとりで来ている男性が2組もいたことだ。ひとりはお猪口で日本酒を飲み、もうひとりはビールを大ジョッキで飲んでいた。焼肉も上等なカルビで、肉を食べながら酒を飲む姿は特異だった。「昼間からお酒とは、優雅というか贅沢というか‥」と先輩が羨ましそうに言う。「焼肉をひとりとは、優雅より貧相で物悲しいね。食事は大勢でしたいものだ」ともうひとりの先輩が言う。

 「身なりから見ても決して金があるようには思えない。あれだけ食べてても痩せてるから、1日1食、それを今とっているのではないか。老人のひとり暮らしでは、1日に1食しか食べない人が結構いるよ」と先輩は分析する。家族連れや華やかな女子グループが多い中で、ひとりで酒を飲みながら焼肉を食べる老人は孤独感に満ちている。別々のところに座っているふたりの老人を1つのテーブルに座らせても、ふたりは黙って酒を飲み焼肉を食べるだろう。

 一緒に居たい人となら話は弾むが、居たくない人とは何をしても楽しくない。気持ちのいい人もいれば、気の利かない人いる。いつも元気な女性がいる。その人が元気がないので、「元気が取り柄なのに、どうしたの?」と声をかけた。翌日その女性に会うと、「取り柄は元気だけですから」と言われた。そんなことはないのに、言葉のかけ方が悪かった。「元気だけでなく、皮肉も言えるよ」と訂正しておこうか。

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愚痴にならないようにと思うけれど‥

2015年10月30日 18時33分42秒 | Weblog

 古くからの知り合いが、「自虐的なブログ、読んでるよ」と言う。「歳のことや元気がないとか、後ろ向きなことが多くなってるね。愚痴ばかり言われてもなって感じだね」と。自分では気付かなかったけれど、知らず知らずのうちに愚痴をこぼしていたようだ。日記だから正直なままでいいとはおもうけれど、他人の愚痴話ほどつまらないものはない。気を付けます。

 外に出て人に接すれば多少面白い話も聞けるだろうが、ほとんど家にいることが多くなったこの頃は、ネタを見つけるのに苦労する(あっ、これも愚痴か)。昼にテレビを見ていたら、また横浜市のマンションの杭の不正が取り上げられていた。先輩が言うように、大手ゼネコンへのあるいは会社の上司への恨みがやらせたようだ。傾きが出たからと言って、すぐに建物が倒れることはないが、建設会社や販売会社の評判は確実に低下しただろう。

 テレビ局によって杭打ちをした人のことを、「施工管理者」とか「現場代理人」と呼び方が違うのが気になる。「杭が届いていないのでやり直したい」と下請けが申し出ると、大手ゼネコンは「それでは完成が遅れてしまう。バカなことは言うな」と一括したことも報じていた。完成する前から販売を始めるので、建設会社は納期を絶対に守らなければならないのだ。建設業界の仕組みが問題の原因なのかも知れない。

 でも、原因がどこにあるとしても、責任は販売会社が負うべきだ。長女のダンナは家を建てるが、まだ基礎工事にも入っていないのが気になる。堤防の下の土地なので「申請書類が要る」とか、「調査が必要」とかで遅れているようだが、この土地を販売する業者なら当然知っているはずだ。建設業者で悪質なのは、手抜き工事とか、家は完成したけれど施工不良だったとか、業者が保険をかけていなくて補修も出来ないとか、最悪なのは金だけもらってドロンしてしまう。そんな悪徳業者の話を聞いたことがある。

 信頼がなければ何も出来ない。疑ってばかりでは前に進まないし、人間関係もギクシャクしてしまう。愚痴にならないように、いい家が完成して欲しいと思う。

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ストレス度100%

2015年10月29日 18時23分32秒 | Weblog

 パソコン画面の右側に「白い点はいくつ見えますか?」とあった。黒地に白線が格子状になったもので、交差する部分が点である。これをクイックして次に進む。すると、①全部が白く見えるならストレス度はゼロ、②少し黒い点が見えるなら50%、③黒い点が動いて見えるならストレス度は100%とある。ストレスはあってもないと思っている人は②とあったが、そう思っている私は③だった。えっ、ショック!

 ショックな事件があった。宮崎県宮崎市の繁華街で、軽自動車が歩道を暴走し、6人を跳ね飛ばし、2人が死亡した。昼間の明るい時間帯なのに、どうして歩道を走ってしまったのか。運転していたのは隣の鹿児島県の73歳の男。どこをどう走って来たのか、分からないようだ。私は今のところ、どこを走っているのか分からないことはないが、いずれはそうなるだろう。追突事故を起こしてから、運転するのが怖くなっている。

 注意力が散漫になっているのか、視力の低下なのか、道路標識がはっきり見えなくて、新しい道では困ることもある。こんな大事故を起こす前に運転を辞めたいと思うが、車がないと不便なことも多いから、慎重に運転すればまだ大丈夫と言い訳している。よく知る文房具屋に買い物に行った時、「次はいつだね?」と聞かれた。お世話になった女性からも「出られる時は言ってください。応援しています」とも言われた。選挙のことだ。

 私のことを気にかけていただき、本当にありがたい。「もう70歳を超えたので引退です」と答えると、「まだまだ元気じゃーない。生き生きした顔してる」とまで言ってくれる。もちろん、社交辞令だが、「しょぼくれた顔になった」と言われなくてよかった。そう思うけれど、事実は隠せない。昨日、妹夫婦と一緒に姉を見舞いに行ったが、姉のようにいろんなことを忘れてしまった人の方が穏やかないい顔になるようだ。

 「姉さんはストレスが無くていいね」と言えばきっと、「あんたはあるのかね?つらいね」と笑うだろう。「ああ、もう無くなった」と答えるなら、「やっぱり。そうだと思った」とまた笑うだろう。姉の表情が54歳で亡くなった母に似ていた。

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働かなくても金が入る魔術はない

2015年10月28日 18時51分40秒 | Weblog

 ダルビッシュ有投手の弟が野球賭博で逮捕された。巨人の選手が行っていた野球賭博よりも本格的な仕組みのようだ。それにしても、必ず漏れると分からなかったのだろうか。自分が捕まれば兄に迷惑がかかるだろうに、そんなことも分からなかったのだろうか。賭博で財産を無くしたり、一生を棒に振るような人もいる。いや、そればかりか、一家離散に追い込まれ、最後は自殺の道を選ぶ人もいる。

 働かなくて金を得ることのリスクは大きい。賭けで儲けようとしてはならない。それなのに、石原前東京都知事は賭博場を開設しようと主張していた。悲劇が付きまとうものなのに、なぜ導入しようとしたのだろう。賭博の仕組みも、株の仕組みもよく知らないが、働かなくても金が手に入る。賭博と株はどこが違うのだろう。株の仕組みを考えた人は賭博からヒントを得たのだろうか。

 消費税の引き上げで、軽減税率をどういう仕組みにするかですったもんだしている。なぜ、消費税を導入したのかといえば、福祉予算が膨らみ続けているのでその財源にするためだった。引き上げるのも財源不足を解消するためだ。日本は貧富の差が広がっているという。だったら消費税などというみんなが負担する税よりも、金のあるところから徴収した方が「公正・公平」だろう。

 金持ちから多額の税金を取れば、「彼らは国外に出てしまう」あるいは「高生産、高収入を目指さなくなる」と言われた。金持ちは貧しい同胞のために出金するのを惜しむだろうか。どんどん貧乏人が増えれば消費は落ち込み、結局金儲けは出来なくなる。人間社会が不平等であるのは仕方がないが、助け合わなければ生きていけない。金持ちからより多くの税金を取るのも人類を維持していくためには仕方ない。働かなくても金が手に入る都合のよい魔術はないのだから。

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電話で勧誘

2015年10月27日 18時20分02秒 | Weblog

 「お困りのこと、悩みごとはありませんか」と、電話をかけてくる人がいる。悩みごとのない人はいないだろうが、どこの誰とも分からない人に悩みを打ち明ける人がいるのだろうか。「あなたがうまくいかないのは先祖の供養をしていないからです」ということも聞いた。誰だって先祖の供養を「これでもか」と言えるほど行ってはいない。人は誰も完璧ではないから、小さな瑕疵を突き付けられると動揺してしまう。

 「聖書の話をさせてください」と電話があった。私は子どもの頃から宗教の話が好きだ。勧誘に来た人に上がってもらって、長い時間話したこともある。聖書は中学・高校の6年間、聖書研究会を作って学んだので、意外によく覚えている。そのことを伝えると、「お邪魔しました」と電話を切られてしまった。彼は「不正が行われています」と言っていたから、神は公正であると伝えたかったのかも知れない。

 公正が公平というわけではないし、公平が平等というわけでもない。旧約聖書を読むと、神は随分酷いことをされる。人を創造された神なのに、人を皆殺しにされることもある。兄弟・親子で殺し合いをさせることもある。全てが神への信仰の証を示すためだ。キリスト教を認めていないイスラム教はユダヤ教と同じで、旧約聖書時代の神と民の関係を維持している。これだけ世界は狂ってきているのだから、一刻も早く世界に終焉を与えて欲しいと願うのは不信仰なのだろう。

 中国が南沙諸島に基地を造っているのを非難しているアメリカは、軍艦を12カイリの中へ入れた。中国軍は追尾し警告をしているという。領域を認めないとするアメリカは艦隊を編成して航海を繰り返すかも知れないし、中国も黙ってはいるわけにはいかないから艦隊を組んで排除にかかるかも知れない。発砲騒ぎとなる前に、オバマも習も妥協を見つけないと、脅しのつもりがとんでもないことになるだろう。「お困りのこと、悩みごとは?」と誰か、オバマと習に電話してくれないだろうか。

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20年間収監されて‥

2015年10月26日 18時19分26秒 | Weblog

 プロ野球日本シリーズは、第1戦に続いて第2戦もソフトバンクが勝った。このまま勝ち続けたのでは面白くないから、東京・神宮球場ではヤクルトが2連勝して5分とし、「優勝の行方が分からなくなりました」となったら、テレビ観戦しようかと思う。第1戦をテレビで観たけれど、ヤクルトは硬くなっていた。たかが日本シリーズと思うけれど、経験の違いが出ていたような気がする。

 個人競技のスポーツ中継を私はあまり見ない。それでも不思議だがマラソンは2時間何分も、ただ走っているだけなのに見てしまう。箱根駅伝も実業団駅伝も県対抗の駅伝も、つい見てしまうがあれはなぜだろう。今日の午後、20年間収監された男女が釈放された。ふたりは20年間も何を見て生きてきたのだろう。小説などでは、独房の高いところにある小さな窓から空が見えるとあるが、空は見えたのだろうか。

 大阪市東住吉区で1995年、住宅火災で小6の女子が死亡した。母親と同居の男が保険金目当てに殺害したとして無期懲役が確定したが、ふたりは無罪を訴え続けた。ふたりは2009年から再審を請求し、大阪高裁が再審開始を決定した。逮捕から20年、ようやく再審開始となったが、無実となったところで失った時間が帰ってくるわけではないことが悲しい。

 名張毒ブドウ酒事件もそうだったが、自分が犯人ではないのに裁かれる人は、捕らえられた時間を取り戻したいというよりも、せめて冤罪であったと明らかにしたのだろう。冤罪はいつ、どこで、どういう形で起こるか、分からない。状況証拠から、警察は自白を迫る。人は耐えられなくなると、「やりました」と言ってしまう。理屈で考える人は理屈で追い込まれ、感情に走る人は感情で追い込まれる。裁く側は犯人であることを認めさるのに全力を注入する。

 事件の真相よりも、20年の年月に絶望的になる。談笑し、飲み食いし、テレビや映画を楽しみ、旅行に出かけたり、人肌を温め合ったり、そんな普通のことが出来ない世界に20年も閉じ込められたなら、何も考えられなくなる。普通に生きてこられてよかった。

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「新しい国」「新しい時代」と言うが‥

2015年10月25日 18時33分42秒 | Weblog

 風が冷たい。冷たいだけでなく、どんどん強く吹いてきている。昨日までは夏のような暑さが残っていたのに、一変して秋本番となった。北海道で雪が降ると、東京では木枯らし1号が吹くという。街路樹のケヤキが赤く色付いてきたし、マンションの庭の桜も赤く染まってきた。これから寒い時期になるのかと思うと、思わず身震いしてしまう。

 NHKテレビの朝の連続ドラマ『あさが来た』は、幕末から明治への転換期に大阪の両替屋に嫁入りした女性が主人公だ。大河ドラマ『花燃ゆ』も吉田松陰の妹が主人公で、どうもNHKは明治維新が好きな気がする。その前の『坂本龍馬伝』の時も、「新しい国」という言葉が何度も出てきていたが、朝のドラマでも「新しい時代」という言葉が頻繁に使われている。

 幕末の人々は「新しい時代」「新しい国」を口にしていたのだろうか。そんな意識を持っていたのだろうか。長州や薩摩の、幕政に対する不平・不満を抱いていた武士たちは討幕を口にしても、新しい国のイメージを持っていたとは思えない。成り行き任せで勃発的な行動が結果として、新しい時代を切り開くことになってしまったのが事実ではないかと思う。

 先のことが読めるというか、考えられるようになったのはつい最近のことだ。手塚治虫が描いた漫画『鉄腕アトム』や映画『バック・トゥ・ザ・フュチャー』で、未来を予想していたものの多くは実際に実現できている。物はどんどん現実社会に実在するようになったが、たとえばTTPが成立し、それがどんな影響を生むのか、それによって社会はどう変わっていくのか、科学的に証明することは出来ない。

 社会の仕組みだって、誰も予想できない。議会制民主主義を今はベストとしているが、これに代わる制度を提案することが出来ないでいる。幕末の討幕の志士がワイワイガヤガヤ思い付きでことを起こしたように、現代の人々もまた暗中模索して進む以外ないのかも知れない。

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夫婦の定め

2015年10月24日 18時05分08秒 | Weblog

 全ての鉢の土を入れ替えた。大・中・小と鉢の大きさに違いはあるが、全部で77個あった。7号鉢より小さなものは捨てたので、数は少なくしたはずだがもっと整理する必要がある。カミさんに内緒でどんどん鉢を増やしてきたが、これからは極力減らさなくてはならない。一体、鉢の土の入れ替えに何日かかったのだろう。この作業にカミさんは絶対手を出さない。最後に球根を植え付ける時だけ、「手伝おうか」と言う。

 花が咲き出すと、鉢の位置を変えて楽しむが、こういう時のカミさんの発言力は大きい。そんなカミさんなのに買い物をする時はいつも迷う。食堂で注文する時も、頼んでから「こっちの方がよかったかな」と必ず言う。冷蔵庫がダメになり、「買い換えた方がいいよ」と言った時も、「まだ使える」と言い、やはりダメと観念して、家電売り場へ冷蔵庫を見に何度も足を運び、決めたのにまだ迷っていた。こんなにどうして迷うのか、私は分からない。

 注文したら欲しかったもの、買ったものは一番いいもの、手に入れたものは最高のもの、私はいつもそう思っている。もちろん失敗はある。その時はやり直せばいいし、買い直せばいい。高くついたとしても、自分の判断が悪かったのだから、これは勉強だと思えばいい。中学からの友だちや先輩が「カミさんと見るテレビが違うので」と言うが、我が家も同じだ。一緒に見ているのはNHK朝の連続ドラマと大河ドラマ、それに最近私が好んでいる歌番組くらいだ。

 カミさんはスポーツが好きで、個人競技のゴルフやスケートをよく見る。私は筋書きのある映画やドラマを見る。どんな風に展開させるのか、結論はどうなるか、自分の推理を働かせながら楽しんでいる。カミさんも付き合って見ているが大抵は眠ってしまう。ゴルフやスケートの時は、まるで会場に居るように一喜一憂している。

 夫婦は全く別の人間なのだから、違って当たり前だ。下重暁子さんが、「期待するから腹が立つのよ。無理に求めないことが円満のコツ」と言っていたが、その通りだろう。求め過ぎず、離れ過ぎず、これが夫婦の定めなのだろう。寂しいと思うのはまだ欲がある証である。

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そういう時代だった

2015年10月23日 18時28分56秒 | Weblog

 いつもの理容店に行くと先客があった。7年前に亡くなった父親の客のようで、「オヤジさんは歌がうまかった」と話していた。今の店主である息子は、「あれだけスナックに通えばうまくなるでしょう」と冷ややかだ。「夜、家にいることはなかったですよ。麻雀をやっているかスナックで飲んでいるかでしたね」。息子はチラッと母親の方を見て、「母とうまくなかった時だったと思いますよ」と言って、話を続ける。

 「ある時、『串カツを食べさせてやる』と父親に言われて出たら、串カツ買ってスナックへ直行ですよ。『お前、そこで食べていろ』と言って、自分はスナックのママとチークダンスです。子どもの前ですよ。どういう親だと思いました。『母さんには、黙っとれよ』と言う。よっぽどチクってやろうかと思いましたが、子どもにだって、言えばどうなるか分かりますよ。母親の手前、子どもをダシにしたんですよ」。

 私は亡くなった父親と同じ歳で、保育園の会長同士で知り合った。歌もうまかったけれど演説もうまかった。彼は幼い時に両親と死別しているから、随分苦労して生きてきたと思う。勤めた理容店で頭角を現し、賞をいくつか獲得し、独立して店を構えた。子どもの頃には想像も出来なかった大人の世界を見て、そこに金を注ぎ込むようになったのだろう。私たちの世代はそういう男たちが大勢いる。

 会社員になった連中でも営業畑なら、会社の接待費で豪遊していた。地域新聞を作っていた頃は首長が部下を何人か連れて、新聞社の地方記者を招待してくれた。私も声をかけてもらい同席したが、記者の中には「自分の方が格が上だ」とあからさまな態度を取る者もいた。首長の接待費を使い、2次会から3次会まで続いた。他人の金で女の子を触りまくるのに比べたら、理容店の父親は自分が稼いだ金だ。少しは大目に見てやったらと思うが、今更言っても始まらない。

 そういう時代だった。息子さんも「お金出してまで遊ぼうと思いません」と言う。今でもお金で女の子といい思いをしたい男はいる。息子が「男はいつまで経っても変わらないですね」と呟く。

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賭け事

2015年10月22日 17時35分41秒 | Weblog

 まだクライマックスシリーズが始まる前だった。物知りの先輩が「原は今季限りで監督を辞める」と言う。「クライマックスで勝ち、日本シリーズで優勝すれば残るんじゃーないの?」と冗談を言うが、「それはないね。クライマックスに勝てない」と言い切る。結果はその通りになった。勝てなかったが、原監督は笑顔でグランドを去った。12年の監督業は長すぎた。

 そして、今度は野球賭博に巨人の選手がかかわっていた。野球賭博がどんなものか私は知らないが、試合の勝敗に金銭を賭けたらしい。そんなことなら仲間内でよく見る光景だ。麻雀やゴルフでも、お金を賭けたりして皆さん楽しんでいる。家庭麻雀でお金を賭け、子どもさんが親に負けて泣いていたことを思い出す。職場で高校野球を賭け事にしていたところもあった。

 私は賭け事に興味がない。勝ったとか負けたとか、儲かったとか損したとか、そんなことに一喜一憂することが馬鹿らしく見えてしまう。これは多分、トラウマで、我が家が兄貴の賭け事のために潰れたと思い込んでいるためだろう。実際はどうだったのか知らない。兄はよく競艇に出かけていたことは事実だが、そんなことくらいで家業が潰れるとは思えない。あのころ、流行り始めていた建売住宅に手を出し、資金繰りに困ったのが原因だろうと見ている。

 いずれにしても賭け事はしないと決めているので、パチンコも麻雀もトランプも下手くそだ。賭け事の感性が鈍いのだろう。高校の時に、中京競馬場の近くに住んでいた同級生に誘われて、競馬場の排水溝から中に入ったことがあった。緑の芝生がきれいだった。娘が担任の先生の影響で競馬中継をテレビで見ていたので、私も付き合って見たことがある。馬の必死な様が悲しいくらい美しく涙が流れた。

 競馬の発祥地イギリスは賭博の国でもある。賭博に一喜一憂するのを非難する気はないが、賭博に関与したという巨人の選手はまだ若い。ドラフト1位指名の選手もいる。なのに、1軍での登板経験はないという。希望に燃えて入団したのに、活躍の場がなければ腐るだろう。それは選手が甘いという意見が多いだろうが、希望が見出せなければ横道がよく見えてしまうものだ。

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