友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜と選挙と説明と

2010年03月31日 22時00分12秒 | Weblog
 今日、満開の桜を見つけた。ソメイヨシノのようなピンクではなく、真っ白だった。もう黄緑色の若葉が白い花の先から出ていた。たった1本だけだったけれど、その下で桜を見上げている青年がいた。前に話を聞いたことのある青年で、「うつ病の克服プログラムを実施している」と話してくれた。「凄いね。満開だね」と声をかける。彼はビックリした様子だったけれど、すぐに私だと分かると指で上の桜を指して満足そうな顔をした。

 対向車がやってきてしまったので、車から降りて彼と桜を楽しむことが出来なかったことが、ちょっと心に引っかかる。角を曲がると小さな公園があって、そこにも桜が2本、ピンクの花をチラホラ咲かせていた。こちらのソメイヨシノはまだ3分咲き程度だ。昨日、「はままつフラワーパーク」に出かけた人が満開の桜の写真をブログに載せていた。今日、岡崎公園へ桜を見にいった人も見事だったと言う。今週の土曜日に恒例の「夜桜を愛でる宴」が開かれるが、桜はどんな具合だろうか。

 「夜桜を愛でる宴」は名称はきれいだけれど、実体は夜桜の鑑賞を堪能するというよりも、ワイワイガヤガヤ飲んで食べておしゃべりしてというまことに江戸庶民の集まりに近い。いつものことながら、満開にピッタリ標準を合わせることが出来ないが、それよりもつらいのは夜の寒さである。余り寒いとビールよりも熱燗が恋しくなる。さて、今週の土曜日はどんな天候なのだろう。このブログも土曜日はお休みである。

 桜の開花を読むのも難しいけれど、政治の世界を読むのはもっと難しい。日曜日から配る選挙のチラシを見た長老が「もっとストレートな表現の方がいい」と言い出した。原稿の段階で見せた時は「これはいい。インパクトがある」と褒めてくれたのにである。人は思い入れが強くなればなるほど、もっと強く欲しがるものなのかもしれない。「選挙は戦争だ。生きるか死ぬかだ」と、言われることはよくわかるけれど、だからどんな方法を用いて相手を攻撃していいとは私は思えない。

 市民がキチンと選択してもらえるように最大限の情報提供をすることが大事だと思っている。そのためのテクニックはもちろん必要であるけれど、蹴落とすことが目的ではなく、あくまでも選択してもらうことが目的だと思う。私たちの考え方が正しいとしても、それを伝える方法が悪ければ伝わらない。言葉やデザインはそのための重要な要素だ。どんなに悪いヤツだと相手のことを思っていても、「悪いヤツ」と断定したところで市民には理解されない面がある。なぜ悪いのか、そこをみんなが納得できる言葉で説明しなくてはならない。

 小沢一郎氏は説明しようとしない。鳩山由紀夫氏は説明が不十分だ。自民党時代ならそれで良かったけれど、民主党は自民党との違いを見せなければ支持はますます低下するだろう。桜の花が風に散っていくように、小沢氏や鳩山氏が政界を去るのか、民主党そのものが桜吹雪となって崩れていくのか、ハッキリするのは藤の花の咲く頃だろうか。
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迷走の鳩山政権

2010年03月30日 22時18分34秒 | Weblog
 民主党政権が誕生して半年以上が経過したけれど、この迷走はいったいなんだろう。国民の多くが自民党政権はもうたくさんだと政権交代を選択した。それくほど民主党への期待は大きかった。期待が大きかっただけに落胆も大きい。誕生しばかりの2ヶ月や3ヶ月は、いろんなことが進まなくてもやむを得ないと思ったし、多少のぶらつきや政策の後退も仕方がないと、寛大な気持ちとそんなことで崩れて欲しくないという気持ちとで、大きな目で見ようとしてきた。

 しかし、鳩山由紀夫首相の「献金疑惑」や小沢一郎幹事長の「金」の問題が表面化して以来、民主党に大きな期待を持っていた国民は、「民主党も同じか」と半ば諦めの心境に陥っている。それでも、鳩山政権の支持率が激減しているのに、民主党の支持率がかろうじて自民党を上回っているのは、確かに自民党ではダメだという気持ちとまだ民主党に賭けたいという気持ちの表れだろうと思う。毎月1,500万円のお金を受け取りながら、「一切知らなかった」というのは、庶民感覚では理解できない。「秘書がやったことで私は知らない」ということも、そんなことはあるはずがないとしか思えない。

 小沢さんや鳩山さんが辞任しない限り、民主党の支持回復はないように思う。国民が民主党に期待したものは少なくともお金にきれいな政党であることだった。「民主党も同じか」では、期待した方が落ち込んでしまう。問題の解決の仕方までも自民党と同じように「秘書がやったこと」と言い、解決策も示さないままにいつの間にかウヤムヤにしてしまっている。これでは国民の支持は遠のくばかりだろう。民主党は小沢一郎氏を恐れていてはならない。鳩山由紀夫氏の金に頼っていてはならない。汚れたものをバッサリと断ち切る覚悟がなければ、民主党そのものが生き延びられないだろう。

 私が選挙で争ったわがまちの首長は、「安全、安心、健康のまちづくり」と言い、「市民の生の声を聞き、新たなまちづくりに取り組んでいきたい」とか、「行政改革を推し進め、まちの活性化を図りたい」とか、とにかく聞こえの良い言葉が続く人だ。言葉の一つひとつを厳密に使うことがないから、ではどのような具体策を示すかということになると全く何も出てこない。行政改革とまちの活性化はどう結びつくのかもわからない。耳に聞こえの良い言葉を選んでつなぎ合わせているとしか考えられない。

 でもまあ、民主党政権もそんなに変わりがないほど地に落ちたように思う。ここらで鳩山さんが「普天間基地の国外移設が受け入れられないならば、日米安保条約の破棄となってもやむを得ない」と言ったなら、鳩山さんの株は上がるだろう。アメリカ軍は日本から引き上げ、「日本が他の国に侵略されようが関知しない」と言うのであれば、「どうぞ、引き上げてください。わが国は世界平和を目指した憲法の下で、全ての軍備を放棄しますから」と啖呵を切って欲しいものだと思う。出来ないだろうな、鳩山さんは。
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才能と努力

2010年03月29日 22時11分37秒 | Weblog
 フィギュアスケートの世界選手権で、浅田真央選手が優勝した。オリンピックで金メダルを獲得したキム・ヨナ選手は準優勝だった。テレビでふたりの演技を見ていたけれど、なぜかキム・ヨナ選手は元気がなかった。迫力に欠けていたにもかかわらず、フリーの採点では浅田真央選手よりよかったから、せっかく優勝しても浅田選手としては気持ちがスッキリしなかったかもしれない。確かにキム・ヨナ選手はミスもあったから浅田選手よりの良い点数になることが不思議であった。

 けれども、採点というものはそういうものだろう。ましてや数学のように答えはこれしかないというものではないから、時期や場所や人によって差が生じるのは不思議なことではない。人には運、不運がある。ところが高校入試のようなものになると、運だとか不運だとかは言っておれない。それで全てが決まってしまうからだ。だから、逆に考えればいいのではないかと思う。オリンピックで完璧な演技ができた人でも、続く世界選手権で優勝できるとは限らないことを、キム・ヨナ選手は見せてくれた。

 孫娘は努力の人である。努力すれば必ず報われる。そう信じてやってきた。だから彼女は水泳も勉強もとにかく努力を重ねてきた。人には生まれながらに持っている力(才能)があるが、それでもその才能を磨ききれない人は多いし、努力する人は才能に甘んじているような人よりも輝くことが出来ることも事実だ。孫娘はひたすら努力を重ねてきたから、何とか彼女の願いが身を結ぶようにと願ってきた。けれども現実は誠に残酷で、願いはかなわなかった。カミさんや長女はかなりショックであったようだけれど、私はむしろ、そうかここが孫娘が進むべき高校だったのかと思った。

 努力を重ねた結果として、これは示されたのだ。今度はここがあなたのステージだというわけである。人はいつもどこにあっても、自分のステージに立っている。年老いた私たちですら、舞台に立っていることに変わりはない。ここで自分がどう演じていくのか、これから自分が作り出していくドラマがどんな展開を見せるのか、それは自分である私が決めることだ。自分で決めると書いたけれど、おそらく人は無意識のうちにある時は意識して、いろんな選択肢の中から選んでいるはずだ。孫娘が自分の人生を歩むように、私もまだまだ自分の人生を歩くだろう。

 絶望して自らの命を絶つ人がいるけれど、「生きてきたことはいいこと」だと思う。生きてこなければ今日はなかったのだから。生きてきて、たとえ一人しかいないとしても、自分をわかってもらえる人がいれば、それはきっと幸せなことだと思う。
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教育は競争原理では動かない

2010年03月28日 22時52分44秒 | Weblog
 犬山市の前教育長を招いて、大和塾で教育論議を行なった。広く呼びかけせずに、全く身内だけの議論だったからちょっともったいないくらいだった。前教育長の瀬見井久さんが「教育論はそれぞれの人生論ですから」と言われたけれど、正しくそのとおりで、それぞれの価値観や人生観が色濃く反映されていて面白かった。部分的にはかみ合わないところもあったけれど、何も結論を出すことが座談会の目的ではなく、それこそが各自の人生論をぶつけ合うような内容だった。

 私たちよりも若く、なおかつ子どもたちの成績に直結する仕事に携わっている人からみれば、具体的で直接的な答えが欲しかったかもしれないが、私にはこんな風に2時間も議論できたことが大きな成果であった。そう、人から与えられた答えではなく、自らが考えた答えこそが本当の答えなのだろう。瀬見井さんは「学力ということが言われ出したのは、学校教育が誕生してからのことだが、それ以前にだって教育はあった」と言う。つまり「教育は生きるための力であった」と言うのである。

 教育畑ではなかった瀬見井さんが激しく教育を語る姿は、古代ギリシャや古代インドあるいは古代中国の哲人のようだった。大和塾の塾生のひとりが「久しぶりに気骨のある人に出会えた」と言っていたが、まさに信念の人だと思う。教師であった塾生が校長や教頭からいじめられながらも自分たちの信念を貫いた話をした時、瀬見井さんは「マイナーはエネルギッシュです」と言われた。そうなのだ、歴史の中では主流派はボルシュビキつまり多数派だ。けれども多数派が存在するためには少数派がいたからなのだ。

 少数派が果敢に自己主張することで、多数派は少数派の意見を組み入れながら主流を形成していく。もし、少数派が存在しなければ、多数派は幅広い意見を汲み上げることが出来ないであろう。私は生まれてこの方、一度も多数派になったことがないけれど、少数派であったがために必死で自己主張できたのかもしれない。児童会長や生徒会長であったのだから多数はではなかったのかと思われるかもしれないが、そんなのもただの人気投票のようなもので、もし議論でもしようものなら瞬く間に少数派になっていたであろう。

 けれども世の中は、多数派ばかりでは進歩あるいは調和もなかったと私は思っている。時々、不届きな少数派が異議を唱えるからこそ多数派は自らも理論を組み立てようとする。こうして人間の歴史は調和を維持してきた。少数派を完全に抹殺するような社会になってしまっては、歴史の進歩は著しく停滞してしまうのではないだろうか。多数派が何時までも続くとは限らないし、少数派であったものが多数派に転化することだって有りうる。

 「教育は競争原理だ」と言う意見に対し、瀬見井さんは「競争は教育の手段の一つ」と論破する。確かに教育とは何かを差し置いて、成績が低下したとか入試がどうとか良い学校へ行かせたいとか、そんな枝葉のことが「教育の問題」と語られている。原理原則あるいは理想将来を区別して論議がされていかないと本質が見えなくなるのは事実だと思う。
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「あなたは競争社会で生きたことがない」

2010年03月27日 22時26分27秒 | Weblog
 チューリップが随分伸びてきた。花の下が長い茎のチューリップは、助平なオジさんと同じように「花の下がなが~い」と言われることを快く思っていないだろう。そのせいなのか、今年のチューリップは背丈が揃っていない。桜がもうすっかり咲く準備が整っているのに、チューリップの方はぐんぐん伸びたものもあればまだ葉の中に隠れているものもある。

 「あなたは競争社会で生きたことがないのよ」とカミさんに言われた。そんなことはない。子どもの頃から社会は競い合いであった。小学校では成績が公表されることはなかったけれど、中学に入ったらいきなり1番から順番に張り出されたり、体育館に集められて成績順に並ばされたりした。高校は進学校だったから、試験が終われば成績が公表された。運動会だって、写生大会だって、学芸会だって、みんな競い合いだった。

 しかし、よく考えてみると、そんな社会が嫌いでいかにも関心がないふりをしていたように思う。順位の発表を見ないようにしていた。これは大人が仕組んだ悪だと考えるようになった。自分は出来るだけそれから遠くに身を置くように努めるようになっていた。そんなことをいうといかにも奇麗事のように聞こえる。恋愛だって、異性を取り合う競い合いだ。ああ、確かにそんな気がする。

 私が好きになった彼女の周りには男たちがいた。だから、それは取り合いの競争社会であったはずだ。そんな時だけはなぜか、自分は勝てると思っていた。どんな男たちよりも自分は彼女を愛している。それに気が付かない彼女ではないはずだと勝手に思っていた。そう思っていたのに振られたこともあるけれど、基本的には競争社会であることを心のうちでは認めていたが、生き方としては無視するように生きてきたのだろう。それでカミさんは「競争社会で生きたことがない」と言うのだろう。

 いや、そうではなくて、「競争することからいつも逃げてきたのよ」と見抜いているのかもしれない。自分では地域新聞を立ち上げ、毎年広告収入を伸ばし、事業を拡大してきたつもりでいたが、それは教員という社会で生きられなかったために、逃げた道だったのだと言いたいのだろうか。生活が安定してきたのに、首長選挙に立候補したのも、挑戦ではなく逃げだったのよという指摘だったのか。

 もっとも難しい道を選んでいるようで、実は競争社会の現実から回避していることを押し隠しているとカミさんの洞察力が言わしているのかもしれない。確かに、考えてみれば私も私の兄と同じ類で、競争が苦手なのかもしれない。兄は足が速いのに優しかったから、後から来る友だちが気になったのだろうけれど、私は負けることが嫌だったから競争せずに過ごしただけかもしれない。
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『チャレンジド』

2010年03月26日 23時03分03秒 | Weblog
 また、テレビドラマを観て泣いてしまった。NHKで放送された『チャレンジド』というドラマだ。チャレンジドとは障害者という意味らしい。つまり、挑戦する人というのである。ドラマは富士山が見える町の中学校へ赴任してきた盲目の教師と生徒の物語だ。もっと飛躍的な言い方をすれば、盲目の金八先生物語である。大学の先生の息子が、盲目の先生では受験に差しさわりが生まれるとばかりに転校を願い出たり、「優勢のものが劣勢のものを支配するのは当然でしょう」という女の子がいたりして、大変な事件が次々と起きる。

 そんな中で盲目の金八先生は果敢に奮闘するドラマである。設定そのものが現実離れしていると分かっていながら、ドラマの山場ではオイオイと涙を流している自分が恥ずかしいくらいだ。クラスのみんなが一つになること自体ありえないような話なのに、しかも盲目の先生がにわかに42.195キロのマラソンに挑戦する。その過程で、心が一つになっていくストーリーの幼稚さを笑いながら、涙が止まらない自分の軽さに驚いた。

 孫娘の中学卒業のために、新しく父親となった音楽好きの長女のダンナが作曲した「卒業生を送る会」での合唱は全く原曲とはかけ離れたものだったが、妻である長女とその娘である孫娘は、彼のために友だちを集めて、さくら祭りに原曲のラップ調の歌を合唱してみせるという。そんな話を聞いただけでもウルウルしてしまう。心が一つになるということは、なかなか出来ることではないけれど、何かの課題を突きつけられた時とかには思わぬ展開になったりする。

 この盲目の先生は余りにも出来すぎた感じがしたけれど、実際に障害者への差別はあるだろう。目が見えないというだけで、担任は出来ないと判断してしまったり、教えることさえも疑問に思うような人たちがいる。人はみんな何らかのハンディーを背負っていると思えばいいのに。今日も車椅子の若者が事務所にやってきた。「(たまたま彼の)使っていた車椅子が故障したので今日は代車の車椅子で来た」と彼は言っていたけれど、それは本当に危なっかしい車椅子の運転だった。「送っていくよ」と何度か言ってみたけれど、「自分で行けるから大丈夫」と強く否定するので、彼にそれ以上強く言うことは出来なかった。

 健常者であろうと障害者であろうと、そこにどれほどの差異があるのだろう。先日も地下鉄に乗った時に、車椅子の青年が乗り込んできた。駅員さんに世話にならなくては乗れないけれど、それを嫌がる駅員さんはいないし、一緒に乗り込む私たちにも「コノヤロー、乗るな」という意識は全くないだろう。ないけれど、それならばもっと積極的に手助けをしてもよいはずだけれど、それもしない。今日、彼を見送りながら、やはりバス停まで付き添って、バスに乗り込むまで見守るべきだったなと反省するばかりだ。

 自分から積極的に汗を流せないようなら、それは本当に理解しているといえるのだろうか。そんなことを教えられた。それにしても『チャレンジド』はうまく出来すぎたドラマだと思う。涙は流せても、障害者と本当に心を一つに出来るのだろうか。
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人にはクセがある

2010年03月25日 22時22分37秒 | Weblog
 人には何らかのクセがあるようだ。私の兄は子どもの頃から身体が大きくて、運動神経が優れていたそうだ。だから、徒競走ではいつも一番だったのに、途中で止まってみんなが来るのを待ったり、逆走して迎えにいったりするヘンな子どもであったそうだ。私の子どもはふたりとも女の子だけれど、長女は何でも挑戦する怖いもの知らずのところがあったのに、次女は全く正反対で、新しいことに挑戦するのが苦手であった。

 次女は寝る前にはキチンと洋服をたたみ、翌朝の準備が出来ないと寝られない神経質な子であった。大きくなっても、掃除や洗濯や模様替えが好きな子で、世話好きな主婦タイプだった。これに対して長女は姉御肌で、いろんなことを企画して外へ出るタイプである。しかし、繊細な面も併せ持っていた。おかしなことだが、高校生の時だったと思うけれど、皆勤賞で表彰されるのが嫌でわざと1日休んだことがあった。

 きっとそれが彼女の美学なのだろう。私も小学校の頃、母が洋服を新調してくれるのがとても恥ずかしかった。母は裁縫の先生であったから、下着まで手作りの新しいものを与えてくれた。戦後の貧しい時代だったから、子どもたちは粗末なものを着ていた。新しい服を着ていかなくてはならない時はとても苦痛で、わざと汚して着ていった覚えがある。長女は小さい時は皆勤賞であることが自慢であったはずだけれど、さすがに高校生の時はちょっと恥ずかしく思ったのかもしれない。

 孫娘は私たち祖父母の前では甘えん坊であるけれど、人前ではキチンと挨拶をするし、勉強も運動もあらゆる面で律儀な女の子である。決まりを守り、はみ出したりすることに美意識を持つようなタイプではない。真面目に努力することが人としての美と信じているように思う。だから男からすると余りにも堅物で面白みのないタイプなのかもしれない。それでも、高校生になればまた生き方も変わってくるのではないかと私は思っている。

 人には、自分に閉じこもっていくタイプと誰にも愛想が良くて調子の良いタイプがある。余りにも内向的な人物も手に負えないが、口八丁手八丁の人もやりきれない。内向的な人は自分でも気付いているけれど、調子の良い人はそれのために、どれほどの人を傷つけているのかとは思っても見ないようだ。外交的なこのタイプは相手に合わせていくことにまったく疑問を持たないし、そうであるがために、言っていることとやっていることが矛盾したりしてチグハグになっていても、それをしまったとは思わない。自己保身の強いタイプだと私は思う。

 私もクセのある人間だと思うけれど、いざ自分のこととなると、自分のクセがどんなものなのか、的確に言うことが出来ない。やはり誰かに言われて自分のクセに気付くことになるのだろうか。
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強い思いがトラブルを起こす

2010年03月24日 21時30分55秒 | Weblog
 思いが強いほど、トラブルも生まれる。私には中学からの友だちで家に泊まりに行ったし、泊りにも来た仲良が何人かいる。そのうちのひとりには中学の時、助けてもらった恩がある。警察官が取締りをしていたところで、早合点の私は警察官を批判した言葉を吐いた。警察官は怒って私に向かってきた。その時、「こいつに悪気はありませんから」とかばってくれた男だ。そのことを私は一生忘れない。ところがつい何年か前のこと、久しぶりに中学時代の友だち5人で飲んでいた時、彼が「オレをガンだと言いふらして喜んでいる」と言い出した。

 それは彼特有の皮肉だったかも知れないが、私は頭に来た。私たちは友だちのことを心配することはあっても馬鹿にしたり、ましてや他人の不幸を喜ぶような品格のない人間ではない。いくら冗談でも言っていいことと悪いことがある。「取り消さない限り、私はお前と一切付き合わない」と宣言してしまった。友情を信じればこそ、その思いは強く、思いが強いほど相手を受け入れる余裕がない。あいつも頑固だけれど、私もその点ではどうしようもない頑固である。

 選挙で、無報酬で働く人は、候補者に惚れ込んでいるから出来るのであって、そうでなければ馬鹿馬鹿しくてやっていられない。ところが、思いが強いが故にトラブルが起きることがある。私に言わせれば、「年上の方なのだから、ハイハイと聞いておけばいい」と思うのだけれど、それが出来ない人もいる。それは選挙にかかわらず、あらゆるところでよく起きることだ。職場であれば利害が一致しているから、どちらかが折れることでも、選挙のような無報酬で働く場合は、「どうしてこんなに思っているのに、理解してくれないかの」という気持ちのズレが生まれてしまう。

 言葉の一つひとつに、いちいち腹を立てていたら、本当に一致協力しなければならない時に、力にならない。ここはそう理解できる方が「ハイハイ」と引き下がらなければならない。自我を押し通してみたところで、どれほどの益があるというのだ。人間はなかなか自分を押さえ込むことは難しい。どうしても相手が悪いと決めたがる。私もそろそろ中学時代からの友だちと和解し、一緒に酒を飲み交わしたいと思っているのだけれど、なかなか自分から頭を下げることが出来ないでいる。

 カミさんや子どもたちは私を思い込みの激しい人と思っているようだが、自分でもハズれてはいないと思うようになった。好きになると勝手にどんどんと深みにはまっていくのもこうした思い込みの激しさのせいかもしれない。私自身はそれでよいとしても、そう思い込まれた人は気の毒としか言いようもない。さて、どんな風に人は思い込みを修正していったらよいのだろう。
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高校生活

2010年03月23日 23時32分45秒 | Weblog
 高校入試の結果が発表され、孫娘の高校が決まった。入学試験を受けて、この頃ではすぐにテレビで問題の解答が流されるようで、「ダメだ」と嘆いていた。「どこにも行けないことはないと思うよ。もし、そんなことになったらまた来年受ければいいじゃないの。人生はいつでもどこでもやり直しが出来るようにしておかないとね」と慰めたけれど、本当にどこにも行けないことになったなら、そのショックは大きすぎるだろうと心配した。

 とにかくこれで、行く高校は決まった。第1志望ではなかったが、逆にそれは運命だと思えばいい。きっとその高校へ行くことで得られる何かが用意されているのだろうと。私は田舎の学校だったからか、中学から高校へ進むのに特に何も考えなかった。範囲が決められた学校の試験ではたいしたことはなかったけれど、試験会社が行なうテストでは一桁の成績だったから、試験はこんなものかと舐めていた。

 父が通い、兄も通った高校へ進むことは当たり前のように思っていた。何のために、何をするのか、そんなことなど全く考えないままに高校へと進学した。最初の試験で、国語だけはクラスで1番だった。もっともその1番はふたりいて、もうひとりは後に文芸部の機関誌に小説や戯曲を書いていたが、それを読んで、こいつには勝てないと思った男だった。そんな出発が悪かったのか、あるいは高校というものへの私の期待が大きすぎたのか、すぐに幻滅に陥ってしまった。

 高校というのは、人生や恋愛を語る自由でのびのびと自己形成をする場所であるように思い込んでいたのだ。それが現実はただの予備校のようなものだった。一生涯の教師に出会い、社会とは何か、生きるとはどういうことなのか、そんな議論が出来る場所では全くなかった。私は勉強することが嫌だった。何のためにみんなは勉強なんかしているのだろう。勉強するために、掃除当番もサボって帰っていく奴もいる。

 反発からか、教室よりも部室にいることの方が多くなった。いやその方が落ち着けるというか、自分の居場所があったということにすぎないのかもしれない。勉強もそっちのけで、新聞部の仕事に全てを捧げていたように思う。私たちの高校の校風は「質実剛健」であったけれど、試験とか順位の前にあくせくする連中のように思えてならなかった。文芸部に出入りし、詩など書いていた連中や、生涯の友となった新聞部の友だち以外に、高校の友と呼べるよう者はいない。

 言わば、受験を中心とした進学校の中で、はみ出したあるいははみ出しそうな連中が私には心許せる友だった。中学からずっと好きだった女の子がいたのに、ろくに話もせずに一方的に「好き」を維持しようとしていたのも自分の勝手な高校というもののイメージだった。今思えば、その子から「さようなら」を言われて当然だった。私は自分の殻に閉じこもり、自分の殻を大きく膨らませているだけだった。人はもっと、素直に自分を客観視しなければ大きくなれないと、今日なら言える。残念、わが青春。それでも私は後悔することは何もない。

 むしろ孫娘がこの3年間で積み上げていくものが楽しみだ。
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全ては神様の意思と思えばいい

2010年03月22日 21時29分32秒 | Weblog
 早咲きのさくらが8分ほど咲いていた。もう満開と言ってもいい。それが昨日の強い風に煽られてかわいそうなくらい揺れていた。その場所とは違うが、かなり大きな樹から花吹雪が舞い散っていた。おや、もうさくらが散っているのか、そう思ってよく見ると、それは大きな梅の木だった。強い風に曝されて、さくら吹雪を見るようだった。突然、雨も降ってきた。8分咲きのさくらはどうしているのだろう。冷たい雨の中で、震えているのだろうか。

 昨日は風が強く、時折り雨がぱらつく変な天気だったが、今日はすっかり良い天気になった。鉢植えのチューリップも花が咲きそうになってきた。まだ、茎が伸びていないけれど、それも時間の問題と思われるほど今年は早い。私は選挙に駆り出されて、ゆっくり花たちを見ている時間がないけれど、家の中からでもその成長振りがよくわかる。少し、肥料もやらなくてはならないと思いつつも、実行できずにいる。

 花は正直に生きている。動物も正直に生きている。それでも猿は駆け引きをするそうだから、智恵は、確かに人類の進歩の原動力ではあるが、逆な作用になのかもしれない。ドバイで海洋資源の規制が問題になっている。クジラに続いてマグロが槍玉に上がっていた。「牛や豚は食べてもよいのに、クジラやマグロを問題にするのは文化の違いだ」と評論家が述べていたけれど、それもあるだろうが、クジラやマグロは飼育できない、養殖できないことに問題はあるのかもしれない。海は無限にあるように見えるけれど、いつかは無限の資源ではなくなるだろう。

 鉱物も石油や石炭も、いやそればかりか食料や水が不足する日が必ずやってくるはずだ。昔こんな話を聞いたことがある。池の中の水草は1日に1株が2株に増える。100分の1の時は誰も気にもしなかった。50分の1になっても同じだった。4分の1になった時、いやに水草が増えているなと気にする人がいた。ところが翌日には池の半分が水草で埋まった。これには驚いて、対策会議が開かれた。結論が出ないまま、翌日となったが池全体が水草に埋め尽くされていたと。

 初めのうちはまだまだ先のことだと思っていたのに、事態はあっという間に変わってしまう。今、人類はどの辺りにいるのだろう。我が家によく来る「エホバの証人」の方は、人類の終わりは近いと言う。私も同意する。「だから、神は救いの手を差し伸べておられる」と教えてくれるのだが、「私が救われるか否かは神様が決められることで、私はそれに従うだけです」と答えている。それは茶化しているわけではなく、本当にそう思っているからだ。

 花の中にも豪華なものもあれば、清楚なものもあり、小さなものもあれば大きなものもある。咲いたばかりなのに、強風に煽られて短い命となるものもあれば、ランのように1ヶ月も咲き続けるような花もある。どれがいい花などと、誰も言えない。全ては神様が決められてことだと思えばすごく合点がいく。
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