マンションの桜も満開になった。昨日は長女一家の引越しで、その手伝いに出かけ、晩御飯をダンナの両親と一緒に食べた。夫婦4人でお酒を酌み交わしたのは始めてで、私としては気を遣って喋り捲ったつもりだが、カミさんは「話半分で聞いてやってください」と言っていた。駅近くの居酒屋は、家族連れや送別会やらでとても込み合っていて騒がしく、大きな声を張り上げないと聞こえないほどだった。
これまでもダンナの両親とお酒を飲む機会はあったけれど、長女夫婦や娘たちと一緒で、まさに親戚付き合いの宴席であった。昨晩は、40代の夫婦を子どもに持つ、現役を引退した老夫婦がお互いのこれまでの人生を振り返る機会だった。子どもたちの幼い頃の話や自らがどんな風に育ててきたか、それを話すことによって子どもたちを理解し見守っていただきたいという親の願いの席だった。
私は、「娘を嫁に出すというのは、ダンナさんに、そしてご両親に、『よろしくお願いします』ということなのだと思います。本当によろしくお願いします」と頭を下げた。娘たちが手元にいるうちは冗談のひとつも言える。しかし、嫁にいき、一家の柱を支える人になっているのを見れば、いくら自分の娘だからといっても、たやすく冗談など言えない。私からは遥かに遠い存在である。
嫁にいくということはそういうことなのだと思う。子育てについては、私は出来るだけ自由に伸び伸びとさせたつもりだ。自ら考え判断する人になって欲しいと思ってきた。そして、父親がどういう価値観や美意識を持っているかは伝えておく義務があると思い、そういう時は口調も強くなった。
昨日も長女に、「それはパパの思い込みでしょう。実行する、しないはパパが決めることではなく、私たちが決めることだからね」と言い渡されてしまったが、その通りだ。子どもたちの行動を制限したり支配したりする権利を私は有していない。子どもたちが何をしても、もう子どもたち自身の責任であって、私がそれを負うことも出来ない。他人に不快な思いをさせなければいい。何もお金持ちとか出世とか、そんなことではなく、子どもたち自身が納得する人生を送ってくれればいい。
お父さん、お母さん、娘のことよろしくお願いします。