友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分を磨くしかない

2017年10月31日 17時40分07秒 | Weblog

  秋らしく晴れた空になった。カミさんは早朝からゴルフに出かけた。仲間の中には80歳を過ぎた方もいる。「その方の方が私よりスコアがいいの。悔しい」と言う。楽しんでプレー出来ればいいから、成績など気にしなくてもと思うが、それはスポーツをしない人の言い種で、少しでも良い成績を出したいものらしい。

 今晩は横浜スタジアムで、日本シリーズの第3戦が行われるが、DeNAは底力を見せてもらいたいというか、見せないと「やっぱりパ・リーグの方が強い」ということになってしまう。セ・リーグの第3位だとしても、クライマックスシリーズの勝者なのだから「いい試合だった」と思わせて欲しい。

 朝からルーフバルコニーで土の入れ替え作業をする予定でいたが、「飲み会」の日時を決めておかないと先に進めないので、居酒屋に宴会のできる日の確認に出かけた。13日の月曜日はなんとかなりそうな日だったが、店主は「16日にして欲しい」と言う。ならばもう、考えるのは止めてそれでいくことにする。「決断」しないと前に進めないから。

 東京都の小池知事は「決断」の人らしいが、なぜ躊躇してしまったのだろう。いくら「無責任」と非難されようと、知事を辞して出馬していればこんな結果にはならなかっただろう。「希望の党」で出馬した人たちの中に、小池さんを非難している人たちがいるが、自ら選択したのにみっともない。

 政界を引退した(?)大阪市の橋下元市長が、維新の国会議員が選挙の総括と代表選挙を要求していることを「若造が言葉を知らない。アホ」と怒っている。黙ってみていることが出来ないのなら、表舞台に出て堂々とやりあったらいいのに、なぜ政治の世界は裏で非難ばかりするのだろう。話が飛躍するが、それにしても議会での野党の質問時間を短くするとは呆れる。明らかに「森友・加計」隠し以外の何物でもない。

 「謙虚に」「真摯に」「丁寧に」など、全く何の意味もない。スポーツの世界でも裏取引がバレたら、見向きもされない。真剣勝負でない「試合」など誰も見たくない。よい成績を残すためには自分を磨くしかない。

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老年期精神病なんてクソ喰らえ

2017年10月30日 17時29分04秒 | Weblog

  たった10人ほどの「飲み会」なのに、都合のよい日がなかなか合わない。「夜ならいつでもいいよ」と言う人は3人だけで、意外と予定があったりして出られない人が多い。まあ、それだけ社会の役に立っている人が多いということだろう。定年退職した人ばかりなのに、家庭に閉じ籠っていなくて、社会と関係を保っているのはよいことなのだ。

 そうかと思うと、昔の職場の友だちから、「(妻が)老年期精神病なので、出席できません」と連絡が来た。その文面からはよく理解できなかったので、電話して事情を聞いた。彼の方はちょっと神経質な面もあり、仕事に悩んで1年ほど休職した時期があった。カミさんは可愛くておおらかでよく気の付く女性だった。それでも、彼はずぼらで間が抜けたところがあったし、彼女は几帳面で納得いくまで取り組む面もあった。

 老年期精神病とは初めて聞く言葉だったが、要は「ウツ病」で家事が出来ず、「寝たり起きたりの状態なので、自分が食事を含め、日々の生活のすべてをまかなっている」ということだった。子どもたちが独立し、両親が亡くなり、二人だけの生活になって、一気に生活の目標が無くなってしまったのだろう。夫のため、子どものため、両親のため、一生懸命で尽くしてきたからこその結果である。

 「夫婦で閉じ籠っていても、ますます暗くなるばかりだろうから、二人で出ておいでよ。みんなも会いたがっているし、昔話をするのも気分転換になると思うよ」。「飲み会」の連絡ハガキにそう添えてみようと思う。みんなで黒姫高原や青山高原へ出かけた時のエピソードなど、青春を語り出せば笑いが生まれ元気も出るだろう。苦しくてつらい老後の日々とは、どこかで決別しなくてはならない。もう充分、重荷を背負って生きてきたんだから、バカになって笑って生きていく方がいい。

 私たちもそういう年齢になった。老年期精神病なんてクソ喰らえだ。

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夏目漱石の小説

2017年10月29日 17時40分25秒 | Weblog

  夏目漱石が話題になったのは高校時代だと思う。入試のためなのか、それとも青春の証としてか、周りの友だちも結構読んでいた。私はひねくれていたのか、旧漢字や仮名遣いが読めなかったのか、興味が湧かなかった。戦前の文学作品は戦争を肯定する精神的な土壌を生み出したという偏狭な考えに取りつかれていた。

 西洋文学を読めば、日本人の感覚を拭い去ることが出来るはずと考えていた。しかし、73歳になってこの考えは間違っていた、逆に流れている日本人の血を意識するようになった。本や音楽、見るもの聞くものを変えても、感性まで変えることは出来ない。日本人はやはり日本人で、私は日本の田舎に生まれ育ち、もがいてもかなぐり捨てようとしても、変えることは出来ない日本人だった。

 夏目漱石が取り上げられるのは、今年が生誕150年、没後100年になるからだが、近代へと向かった時代の人として、社会と自我の葛藤あるいは対立としてとらえられている。私は高校時代、あんなに拒否していた夏目漱石を読んでみる気になって、漱石の後半の作品を読んでみたが、どうしてなのか魅かれるものがなかった。

 昨日の講演は、漱石の小説がどのように作られているか、個々の作品を時代に追いながら、小説の作り方がどのように変わったかを検証する、かなり学術的な内容だった。小説の構造はよくわかったが、「だから何」という点が私には理解できなかった。社会とは関係のない男女の関係だけの作品のように思っていたが、漱石が生きた時代と深くかかわって作品が成り立っているという、当たり前のことが理解できたことは収穫だった。

 作家が時代の中で、何を考え何に悩んでいるのか、読んでいて引き込まれる作品には、洋の東西に関係なくそれがあるから魅力なのだろう。やっぱり、イシグロ・カズオの作品を読まなくてはと思った。

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困っている人を助けるのは当たり前のことなのに

2017年10月28日 17時13分49秒 | Weblog

  小2の孫娘が「マンションに松葉杖の人いる?」と言う。「ああ、いるよ」と答える。「かわいそうだと思う?」と聞く。私は何と答えるべきか迷った。同情していいのか、しかしそれ以上の説明ができない。「かわいそうだと思うよ」と答えると、「自分がやったことなら、仕方ないよね」と言う。自己責任!小2のこの子がそんなことを言うのかと、私は考えさせられた。

 「うん、不注意でケガする人もいるけど、病気とか、自分ではどうすることも出来なくて、松葉杖を使っている人もいるよ」と話すと、「ふーん」と言うだけでそれ以上は興味ないようだった。マンションの人で、まだ私よりも若いと思う男の人がいる。その人は私の知る限りでは、以前は松葉杖を使っていたが、今は車イス生活だ。出勤する時、自動車に乗り込む時、上手に車イスを操作していく。

 建物に入るスロープを後ろ向きになって、動く片足で車イスを動かしていく。一瞬、押して手伝おうかと思ったが止めた。エレベーターの前で一緒になった時、「うまいもんですね」と声をかけて、行き先の階のボタンを押した。ボタンは少し上にあり、押しにくいからだ。彼は「慣れましたから」と言って笑った。

 自分の不注意で事故に遇う人もいる。自分がどんなに注意を払っていても事故に巻き込まれる人もいる。病気で動けなくなる人もいる。原因はどうでもいい。動けない人や松葉杖の必要な人や病気の人など、困っている人に何をしてあげることがいいのかだと思う。「自分が悪いからでしょう」と決めつける小2の孫娘に、どんな言葉で話したらよいのだろう。

 困っている人がいたら助ける。それが当たり前なのに、そう教えることに躊躇してしまうはなぜなのだろう。私は娘たちに、「人には優しく、自分には厳しく」と言い聞かせてきた。娘たちはそういう女性になってくれた。孫娘にも「人に優しく、自分に厳しく」と伝えたいのだが…。

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自然環境の優しさ、厳しさ

2017年10月27日 17時17分04秒 | Weblog

  63鉢に植えてあったサルビアを切り取った。明日から1鉢ずつひっくり返し、残った根を取り出して土を太陽に当て、これに肥料を加えて新しい土を作り、チューリップを植える準備にかかる予定だ。こんなに良い天気なのに、明日から台風の影響で雨になるという。自然が相手ではこちらの思うようにはならない。

 中東地域には行ったことは無いが、旧約聖書を読むと、人々は移動するが常のようだ。羊を飼っているので新しい草を求めて移動するのだろうが、主食はパンだろうからその小麦はどこで手に入れていたのだろう。ティグリス・ユーフラチス川やナイル川やヨルダン川の流域は古代から穀倉地帯だったはずだから、ここには定住して農業をしていた人々がいた。

 農耕に従っていた人々は豊穣を祈り、収穫の祭りもしていたが、旧約聖書の神はこれを邪教とした。飲んで騒いで節操をなくした人々を忌み嫌ったのか、羨ましく思ったのか、ユダヤ教徒は戒律を守り質素な生活を掟にした。やがてキリストが生まれ、戒律よりも愛を説く。愛の教えは耐えてきた人々に受け入れられ、西洋へ広がっていった。

 アジアは農業のできる土地だったので、食べることには恵まれていただろう。インドで仏教は生まれたが、北へ伝道され、自然の厳しさの影響を受けた。日本の四季の移ろいが、仏教をさらに深化させた。自然環境と宗教は密接にかかわりあってきたが、ここまで世界がひとつになってくると、これから先はどうなっていくのだろう。

 米寿になる先輩の女性から「イシグロ・カズオの作品は読みました?」と聞かれた。「作家の名前さえ知りませんでした」と答えると、「私は以前から読んでいたけど、ノーベル賞受賞は当然と思ったわ。ぜひ、読んでみて」と勧められた。明日は「夏目漱石について」の講演を聞きに行く。

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プリキュアもアンパンマンも正義の人

2017年10月26日 17時33分06秒 | Weblog

  3歳の孫娘が我が家に来ていた時、一緒にテレビでアニメを見る機会があった。一番のお気に入りは『プリキュア』で、これは小2の孫娘も大好きだ。どんな物語なのかと思っていたら、とっても可愛い6人の女の子が悪い奴をやっつける話だった。もう一つ、『アンパンマン』も見たが、私が思っているような内容ではなく、こちらも悪い奴をやっつけるものだった。

 子ども向け、特に幼児が好むものは、みんなで悪い奴をやっつける話が多いようだ。マンガはそういうものなのかも知れないが何かちょっと寂しい。娘たちが子どもの頃は『キャンディキャンディ』とか『母をたずねて3千里』とか、苦しみに耐えながらたくましく生きていこうとする子どもが主人公だった。

 私が子どもの頃は、もっぱらマンガ本だった。男の子は『赤胴鈴之助』、女の子は何を見ていたのだろう。マンガ雑誌はあったのだろうか。少なくとも我が家にはなかった。私は小学校からの帰り道、3店の本屋を見て回ったが、雑誌を見るというより書店の雰囲気が好きだった。高学年になると、大人向けのエッチな雑誌の表紙をチラッと眺めてドキッとしていた。

 私たちの子どもの頃の映画は、時代劇では必ず悪い奴がいて、それを正義の武士がやっつけるものばかりだった。「鞍馬天狗」は幕末の人で、新選組を相手に戦うが、危機一髪の時に馬で駆けつけてくる。すると、映画館でありながらみんなが拍手した。新選組が悪い奴ではなくなったのはいつからだろう。アメリカ映画の西部劇も、インディアンは幌馬車を襲う悪い奴だったが、白人がインディアンの土地を略奪したと、映画で描いたのはいつだろう。

 子どもや幼児に、悪い奴を徹底的に懲らしめる、そういうアニメを見せる必要があるのだろうか。悪い人になると、こんな風に懲らしめられるよと教えているのだろうか。絵本では悪い奴は見かけないのに、どうしてアニメはこんなに酷いのだろう。

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NHKのテレビドラマ

2017年10月25日 17時39分16秒 | Weblog

  今朝、新聞を見て驚いた。プロ野球のクライマックスシリーズで、横浜DeNAが広島カープに9対3で勝ち、日本シリーズへの出場を決めた。雨が続いたし、広島の本拠地での試合は勝てないだろうと思っていた。私はプロ野球ファンではないが、子どもたちが巨人ファンなのでテレビ観戦するうちに、アンチ巨人ファンになっていたが、巨人が活躍しない今シーズンはテレビを観ることもなかった。

 それに昨夜は火曜日なので、NHKの『うたコン』『サラメシ』、9時からは井上真央さんが出演しているフジテレビの『明日の約束』、カミさんが眠っていれば『報道ステーション』だが、起きている時は『監獄のお姫さま』が、このところ定番になっている。『うたコン』をやめてプロ野球中継を見ればよかったのに、番組表も見ていなかった。まあ、その程度の関心でしかない。横浜DeNAと書いたが、新聞には横浜の名前はないので正式名称ではないのかも知れない。

 『明日の約束』は、もちろん井上真央さんが大好きな孫娘と話を共有するためだが、テーマにも興味があった。福井県で中2の男子生徒が自殺したが、「生徒の自殺」を巡る問題と母と子の間に潜む「葛藤」を題材としていて、なかなか興味深い。井上真央さんも私の孫娘と同じように、ただ可愛いだけでなく大人になった気がする。まだ、2回目なので、これからどう展開するのか楽しみだ。

 3歳の孫娘は、漫画アニメを卒業して(?)NHKの朝ドラを見ているという。NHKの朝ドラは後世に名を遺した女性の物語が多かった。今の前の番組(名前忘れた)は昭和30から40年代に青春を過ごした普通の女性が主人公だったが、この時からバラエティっぽい演出に変わった。そう、最近のNHKにシリアスな重苦しいドラマは見当たらない。大河ドラマ『おんな城主直虎』も、朝の『わろてんか』も、演出はバラエティっぽい。年寄りの私にはなぜか面白くない。歴史はやはり変わらないようだ。

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パソコンのこともメールのことも本当に分からない

2017年10月24日 17時56分57秒 | Weblog

  いつまでも選挙の結果を嘆いていても仕方ない。昨日そして今日、「OB会をやろう」と私を指差されていたことを思い出し、とりあえずみんなはどこが空いているのか教えて欲しいというハガキを出した。「幹事はあんたしかいない」とおだてられ、自分でもこういう事務方が合っていると言い聞かせ、パソコンに向かった。

 ところがパソコンが壊れて直してもらったのに、今度の文章ソフトはWORDと違うので悪戦苦闘だ。何とか印刷までこぎつけたが、その作業をしながら、年賀状の宛名印刷は出来るのだろうかと不安になった。「筆まめ」で作った名簿はあるが、「ファイルは開けません」となってしまう。また新しく「筆まめ」を購入して、住所録から作り直さなければならないのだろうか。

 先日もケイタイに妙なアイコンが出ているので、「これって何ですか?」とauに聞きに行った。すぐ調べて直してくれたが、何のマークだったのか、思い出そうとしても出てこない。「なんだ、そんなことだったのか」と、大した問題ではないと思った瞬間に忘れてしまった。その時の私の関心は、「毎月2900万円受け取ってください」と送られてくるメールにあった。

 「こういうメールが届くんですよ」と自慢げに話すと、「受け取り拒否しないと、いろんな迷惑メールが来ますよ」と言う。「ええ、だからどうなるのかなと興味津々で」と答えたので、呆れた顔をされた。店員さんには見せなかったけれど、その毎月2900万円受け取って欲しいという女性は、「私の写真を送ります」と顔写真を送ってきた。

 まだ若い色白で面長のとてもきれいな女性だ。こんな美人妻が私を頼りにしているのか―そんな風に思ったことはない。きっと怖い顔したヤクザなオッチャンが、「どないした。まだ振込先を知らせんのか」と怒鳴っているだろう。私が勝手に「福山雅治」と決めていた「マサハル」は半年くらい、「毎日何をしている」とメールしてくれた。今回はどうなるのかと、見守っている。

 パソコンのことも、メールのことも、ホントに私にはよくわからない。世の中のこともだった。

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台風も総選挙も通り過ぎた

2017年10月23日 17時17分34秒 | Weblog

  台風は速度を上げて通り過ぎて行った。南のバルコニーに置いていた物は全て片付けた。ところが風向きが南東から北西に変わり、ルーフバルコニーが直撃を受けるのようになって、西日除けの特性のヒサシが倒れてしまった。バラなどの鉢に被害はなかった。

 台風が通り過ぎ、総選挙の結果が分かり、気分は重くなったが諦めも早かった。テレビで評論家が「日本人は7割から8割は保守ですから」と選挙の結果を評していた。そうなのか、いやそうなのだろう。私の周りを見ても、私はかなりアナキーだが、みんなは真面目で常識的だ。

 急激な変化を好まないが、だからと言って新しいものを取り入れないわけではない。大和朝廷が生まれ、先進国だった中国へ若くて優秀な人たちを派遣した。中国そっくりの都を造り、中国人と同じ服を着て、中国の文字が書ける人は尊重された。

 同じ経験が明治維新だ。先進国の生活様式を真似、西洋人の服を着て、西洋の文字が読める人は教養のある人になった。急激な変化を好まない私たちの祖先も、この2回だけはかぶれた。文化の差が大きかったから、真似することに抵抗がなかったのだろう。

 安倍政権が続き、森友・加計学園のような政治の私物化を目にして、これではダメだと思ったから、小池旋風に期待した。ところが、あまりにもあっさりと「ただのオサワガセ」だったので、安倍政権の危険性も見えなくなってしまった。投票率が最低の前回よりわずか1%しか上がっていないことが証明している。

 総選挙の結果、安倍首相は「丁寧に、ひとつひとつ、実績を作り上げ」念願の憲法改正へと突き進むだろう。2割から3割の保守でない人たちは、「愚直に、まっすぐに」改憲反対を叫び続ける以外ない。7割から8割の保守の人たちに、「憲法を改正するのはマズイよ」思わせればいい。

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暗いのは台風のせいだけではないようだ

2017年10月22日 17時44分33秒 | Weblog

  台風が近づいている。投票所になっている小学校も、午前中は混んでいたのに午後は駐車する車が少ない。やはり投票率は下がるのだろう。初めて投票する20代の女性は「不倫した女性は信用できない。小池百合子さんは頑張っている」と、自分の投票の基準を話す。不倫と政治の能力とは関係ないと思うが、世間の見方は孫娘と同じだろう。

 50代の女性は「経済をよくしてくれる」政党と言う。「北朝鮮のミサイル」から「国を守り、子どもたちの未来を守ってくれる」政党を選んだと言う。目先の金や安全ばかりを問題にすれば、憲法のことはどうでもよくなる。憲法が改正されたなら、すぐに軍事国家になるわけではないが、武力で人を殺すことが正当な国家にはなる。

 アメリカが巨大な軍事力を持つように、中国も負けない軍事国家を目指そうとしている。軍事力のバランスで維持できる平和が、どんなに脆弱なものかは歴史が示している。もうそろそろ、軍事力に頼らない世界平和の構築に向かうべきだろう。安倍政権が続けば、間違いなく憲法改正へと動き出す。そうなると、子どもたちの平和な未来など無くなってしまう。

 今日、台風の襲来を気にしながら、「自分らしく生きる―性別違和と歩んだ道のり―」講演会に出かけた。2年前に大和塾の市民講座で講師を務めてくれた結城さんのためにも出かけたかったからだ。2年間でずいぶん話し上手になっていた。性別違和に苦しんできたことがよく分かったし、世の中には区別できない性が存在することも理解してもらえたと思う。

 「世界に同じ人はいない。ありのままでいい」と納得できるまで、彼女は辛かっただろう。「障害ではなく、違い」ということも、「みんな何かのマイノリティ」ということもよく分かった。自分らしく生きることは難しい。けれど、自分の人生は自分しか生きられない。今晩、8時にはおよそ衆議院の勢力が判明してしまう。なんとなく暗いのは台風のせいだけではないようだ。

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