今日で7月が終る。太陽がジリジリと照りつけ、地表が燃えるようだ。風が吹いて来たけれど、涼しいとは思えない。何もしないうちに季節が変わっていくのではなく、何かをする希望を持たないから時の流れを速く感じるのだ。暑い暑いと言っても何も変わらないのに、大きく溜息を吐いてしまう。人の世は、希望と現実に確かな乖離がある。
福島の原発事故で発生した廃棄物の最終処分場を巡って、建設候補地に選定された栃木県塩谷町の町民が、説明のために訪れた環境副大臣と、同席するために来た栃木県知事に、「絶対反対」のプラカードを掲げて訴えた。米軍の基地問題でも同じだろうが、「国民はそれぞれ分担して引き受けて欲しい」というのが政府の立場だ。
最終処分場も米軍基地も、誰もが自分のところには来て欲しくないと思っている。それは明らかに危険だからだ。「それぞれが分担を」というのは、実は身勝手な論理だ。米軍基地は出て行ってもらえばいいし、最終処分場は福島原発に建設すればいい。福島原発に最終処分場まで造っては永久に人が住めなくなると言うなら、住まなくていい。原発を進めてきた国の責任で、それでは困る人々の救済を考えるべきだろう。
原発も米軍基地も、高速道路や新幹線とは違う。私自身は高速道路も新幹線もこれ以上必要ないと思っているが、同じような迷惑施設であっても、原発や米軍基地は何かが起きれば死につながる。そんなものは速やかに無くすべきだろう。便利さを求めて、本当に必要なものを忘れている。
佐世保市での高1女子の殺害事件。友だちの女性が「いろんな事件がある度に、自分の子はどうだろう?と思いました」とブログに書いていた。母親だから我が子のことが心配になるか、そう思った時、私は子どものことではなく、自分自身のことを思っていた。この歳になるまで事件を起こさずによく生きてこられた。何が自分を犯罪者にしなかったのだろうと。
友だちは続けて、「おそらく誰でも病んでいる部分はあると思います。それが重症なのか風邪ていどなのか。でも、そこで、保護者はどうするのか。やっぱり真正面から本気でぶつかることだと思います」と書いていた。それ以外に道はないのだろう。