友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

言葉の重さ

2010年05月31日 20時15分57秒 | Weblog
 社民党の福島瑞穂党首は「言葉に責任を持つ」と言い、普天間基地の辺野古への移設を明記した政府方針に反対し、閣議での署名を拒否した。政治家が言葉に責任を待たないことはあってはならないことだ。しかし、多くの政治家は言葉に責任を持たない。追求されるのを避けるためだったか、「言語明瞭、意味不明」の首相もいた。鳩山首相ははっきり言うけれど、その内容はどんどん変化し、「申し訳ないと思っている」となった。

 そんな風に、意図していい加減なことを発言しようとしたわけではないけれど、結果としては全くでたらめな発言だった。福島さんに言わせると鳩山さんは決して思いつきで発言する人ではないようだ。それがなぜ、こんなにもグルグルと発言内容が変わってしまうのだろう。その点について、福島さんは「首相の思いを実現するためのプロジェクトができていない」と指摘する。国外や県外への移設を行うための特別チームが政府にも民主党にもない。やはり、鳩山さんのリーダシップが問われることになる。

 内閣支持率は17%に落ち込んだ。社民党の連立からの離脱のせいとはいえないだろう。総選挙で国民の多くが民主党に投票したのは、自民党はダメだという気持ちと、民主党への期待だった。しかし、鳩山政権は「言葉に責任を持つ」ことができない。国民は確かに新しい政治に自民党と差異を求めた。それは「誠実」であり「言葉に責任を持つ」ことだった。結果的に同じような政策になってしまったとしても、民主党政治に「誠実」が感じられれば良かったのだ。

 私たち普通の人間は、時々「言葉に責任を持つ」ことを怠ることがある。約束したことをきちんと守ろうとしても、急に仕事が入ってきたり、お金がなかったり、予期しないことが起きたりして実行できない場合もある。いつもそんなことばかりしていると、この人は本当は約束を実行する気が初めからないのではと疑いたくもなる。けれども多くの場合は当人の対応の仕方を見れば大体分かる。

 誠実であることと隠し事があることとはまた次元が違う。鳩山さんは誠実に振舞っているけれど、どうしてそのような結論になってしまうかについては明らかにしていない。お昼過ぎに新聞屋さんが集金に来た。「はーい」と言って出たけれど、財布を見たら何も入っていない。午前中に銀行へ行かなくてはと思っていたのに、ケロッと忘れてしまっていた。どこかに仕舞い込んだお金はないかと探したが見つからない。「すいません。お金が見つからなくて、明日でもいいですか?」とお願いする。

 お金が無いなどと恥ずかしいことは言えないと思ったけれど、それに代わるウソが見つからなかった。後から思うと、「えっ、お金が無い?」と集金人の女性は我が家の財政状況を危ぶまれたのではないだろうかと気になった。まあいいか、ウソをつくより本当のことを言ったのだから。そして、次女がまだ幼かった頃、「本当のことを言っただけなのに」と嘆いていたことを思い出した。

 それからもうひとつ。台湾紀行の中で「日月潭」を間違って表記していた。中学時代からの友だちが教えてくれた。
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私には納得できない

2010年05月30日 20時27分50秒 | Weblog
 カミさんは今朝、山梨県まで「同窓会ゴルフ」に出掛けて行った。東京の友だちと山梨で落ち合ってゴルフをしようというのである。今朝はそれほどではなかったけれど、ゴルフの時は午前5時起きのケースもある。たかが遊びのために、仕事の時よりも早く起きて出かけるという感覚が私には理解できない。「車、自由に使っていいから」と言ってくれたけれど、結局どこへ行くというあてもなく、一日中家にいて鉢の土の入れ替えをする。

 土いじりというのは、何も考えずに黙々と体を動かすだけなので、時間も忘れてしまう。お昼は何にしようかと考えていたはずなのに、なぜか面倒臭くなって、パンにソーセージにレタスと牛乳になってしまった。それも別に急ぐこともなかったのに、短い時間で食事を終え、再び作業にかかろうとしたが、日差しと風のために断念した。ひとりでいるのだから誰に気兼ねをするわけでもないのに、どうしたわけか昼寝をせずに身の回りの片づけを始めてしまった。

 台湾旅行の写真を整理していて、自分が年寄りになっていたことを知った。自分ではまだ若いつもりでいるような気がしていたけれど、肉体はもうすっかり老人である。写真はウソをつかないと言うけれど、そう思うとガッカリする。何時だったか学者がテレビで、人間の身体は絶えず分子だったかが入れ替わっていると言っていた。外形は変わらないのに、その中身である肉体はどんどん入れ替わっていると言う。入れ替わっているのに、老化しそして朽ち果てていくというのも実によくできている。身体は老化するのに、心は老化しないのだろうか。

 台湾旅行から帰った時、カミさんは「レートが下がって大損した」と言う。「おかしなことを言わないで」と言った。別に両替で儲けようとしたわけではないし、投資をしたわけでもない。行く時に台湾元にいくらかで替え、持ち帰った台湾元が下がったとしても、「大損した」とは大袈裟すぎる。「あなたは経済オンチだから何も分からないのよ」と言うけれど、どうも私には納得できない。

 今朝のテレビ討論でも、石破元防衛大臣が「最悪の事態を考えて備えることが政治でしょう」と盛んに民主党をやり込めていた。民主党の議員は「おっしゃるとおりで、私たちもそのようにやってきた」と弁明に努めていた。「最悪の事態」や「現実の危機」を強調されれば、「備えを強化する」以外に道はなくなる。こういう議論が私には納得できない。普天間基地の移設で、どこも来ないで欲しいと言う。戦争は嫌だと言う。「戦争やりましょう」と言う人はひとりもいない。これは国民の現実ではないのか。世界の人々の現実の声ではないのか。

 だったら政治は戦争を無くすことに全力を挙げるべきだ。「核軍縮」ではなく「核廃絶」に向けて取り組むべきだ。「最悪の事態」や「現実の危機」などというものは、架空のものでしかない。怠け者の政治家が口にする絵空事でしかない。世界中の人々が望んでいるのは、戦争のない世界である。自分だけ、自国だけ、という考え方が、実は非現実的なのだと、どうして人は気付いてくれないのだろう。

 さて、晩御飯にしようかな。
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台湾紀行その2

2010年05月29日 22時27分04秒 | Weblog
 昨夜、台湾旅行の紀行文を書いていたら、テレビで鳩山首相の記者会見が報道されたので、中断して見入ってしまったが、ため息しか出なかった。鳩山さんはもう少し良心的な人と思ったが私の思い違いだった。宇宙人には心がないのかもしれない。即刻退陣すべきだと思うけれど、今の民主党に次の首相候補がいない。自民党にもいないから、政治はやはり末期的なのだろう。

 さて、昨日に続いて台湾紀行その2に移ろう。太魯閣渓谷はもう一度ゆっくりと見たいと思う場所だ。何しろ団体ツアーはショッピング時間が多い。花蓮は大理石の産地だから、見学とショッピングもその関連のところだった。ご婦人たちは見事な宝石類を見て回っていたけれど、買う気のない私には時間がもったいない気がしてならない。花蓮駅にもどり、ここから特急列車で台北へと向かう。昼食は台湾の駅弁である。列車は日本製だという。車内で友だちが買い求めてくれた紫色のお酒をいただく。甘くてちょっと気持ち悪い。列車は山の中を北へと進む。

 途中から雨が降り出した。かなり激しい雨だ。「千と千尋の神隠し」のモデルとなった九份が雨では台無しだ。すると晴男の友だちが「大丈夫、絶対晴れるから」と言う。何の根拠もなくよく言うよと思っていたが、台北に近づくと雨は止んでいた。実にこの人は不思議な力を持っている。松山という地名の駅で列車を降り、観光バスで九份へと向かう。道路は自動車専用になっているが、交通量が多くいつも渋滞になるそうだ。そういえば台湾では高速道路網がかなり進んでいて、道路幅も広くジャンクションもよく整備されていた。高速道路のサービスエリアの有り様も日本と同じだ。ただ、日本ほど多くの人がいない。

 九份は迷路のような街だ。狭い路地に出店がぎっしり詰まっていて面白い。若いカップルが多く、女性たちが大胆な服装をしている点は日本と変わらない。さて、集合時間となっても私たちのグループのひとりが来ない。いつもひとりで飄々と歩いている人で、マレーシアに長期滞在を計画したこともある。皆さんには先にバスへ戻ってもらい、私ともうひとりの友だちで探した。しかし、見つからない。ガイドと奥さんはタクシーで解散した場所へと向かう。私はもう一度集合場所へと向かう。その場所は150段(?)もある。勢いよく登ったけれど、途中で息ができなくなった。友だちは最初に解散した場所に戻っていた。これで、私たちのグループから2人も迷子を出してしまった。2度あることは3度あるというので、さて次は誰だろうと疑心暗鬼となってしまった。

 この夜は、世界で一番高い建物(現在ではドバイがその上をゆくが)である台北101を見学し、ホテルに戻ったのは午後10時を過ぎていた。最終日は台北の茶屋に行き、お茶をたしなむ。説明してくれたのは退職教員で、漫談よりも面白かった。続いて衛兵交替儀式を見学できる忠烈祀へ、その後、故宮博物館へと移動した。故宮博物館はもっとゆっくり見たかった。いろんなところがもっとゆっくり味合いたかった。それができないのが団体ツアーのつらいところである。でも、面白い人たちに出会うこともでき、それなりに楽しかった。というわけで、これにておしまい。
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台湾旅行の紀行文その1

2010年05月28日 22時08分35秒 | Weblog
 このところ、寒い日が続いている。日中は日差しも強く暑いけれど、朝晩の冷え込みは普通ではない。それにどうしてこんなに、冷たい北風が容赦なく吹きつけるのだろう。昨日の夜、見上げた月は煌々と輝いていたが、それは全く秋か冬に見る月だった。夏の月のようなぼんやりとした暖かさではなく、毅然として冷たく光っていた。朝、ベランダに出てみると寒くて立っていられない。空は青く透き通っているが、空気はまるで秋の気配だ。

 夜になると風はいっそう強くなる。西側のガラス戸が冬の日のように音を立てて震えている。そういえば、台湾へ出かけた日は「暑かった」けれど、ガイドさんに言わせれば、「皆さんが着く前までは寒い日が続いた。異常気象です」ということだった。台湾から帰った頃から、強い北風が吹き抜け、朝晩の寒さの厳しいことにビックリしている。台湾は亜熱帯に位置するが、四季はあるそうだ。でも、どんな風にあるのだろうか。

 「台湾旅行へ出かけるとあったので、楽しみにしていたけれど、全然紀行文にはなっていませんでしたね。でも、面白かったですけど」。そういう電話をいただいた。自分がブログに何を書いたのかと思って、読み直してみたが、確かにあれでは旅行する人の参考にはならない。せめてどこを回ったかくらいは書いておこうかと思った。

 セントレア空港を午前9時45分に飛び立ち、台湾の桃園空港に着陸したのは正午ごろだった。飛行機はJAL。台湾人スチュワーデスもいて、ジャンボではなかったのに随分たくさんのスチュワーデスがいると思った。けれどその連携はお粗末だった。これがJALの現実なのかと本当のことを知りもしないのにひとり納得していた。空港から観光バスで、高鉄(台湾新幹線)桃園駅へ送ってもらい、台中市へと向かう。夕食は市内の客家料理のレストランだった。

 翌日は観光バスで台湾の景勝地「日月澤」へ。エメラルド色に輝く湖で、その一等地には日本資本のよる金の柱があるホテルが建っているそうだ。そのホテルの宿泊料は1泊10数万円だといわれている。「それでもお客はあるでしょう」とガイドは言う。湖岸を1周することもなく、バスはこの地を離れて、台南の田舎料理レストランへ。我が家にもあるパキラや仏壇に使われる黒檀のホンモノが植わっていた。この日は南の大都市、高雄市へ。台湾一の港町で海鮮料理をいただいた。

 3日目の朝は高雄市内の寿山公園へ出かけた。公園からバスへ戻る途中で野犬の群れに出会った。恐ろしかった。観光バスで東へと向かいその途中で郷土料理の昼食をいただいた。台東から列車に乗り、花蓮へ。この町は大理石産業が盛んという。蒋介石が率いる漢民族が台湾へやってくる前までは、台湾には14族の原住民が暮らしていたそうだ。そのひとつであるアミ族の伝統舞踊を見る。踊ってくれた男性の多くが色白でとても原住民とはいえなかった。

 翌日に出かけた太魯閣渓谷は素晴らしかった。もっとゆっくり鑑賞できたらと思ったくらいだ。渓谷を眺めながらコーヒーを飲んだ。ゆったりと時間が流れていくのを感じた。じゃあ、続きはまた、明日にしよう。
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まだ何も見えてこない

2010年05月27日 21時19分21秒 | Weblog
 昨日、若い女の子から電話がかかってきた。「離婚をしたいので、弁護士を紹介して欲しい」と頼まれた子だ。私の娘よりはかなり若い30歳前後の女性だった。どうして離婚したいのか、詳しい経緯は聞かなかったけれど、「弁護士には本当のことだけを話してね。そうでないと、弁護士もどう考えたらよいか判断できないから」と話しておいた。彼女は弁護士のアドバイスを受けて、自分で離婚調停を申し出たのだった。

 「今日で調停は終わりました」と言う電話の声がとても明るかったので、彼女の言い分が通ったのだろう。どんな調停内容だったのか聞くこともないと思ったので、「良かったね。また、何かあったら」と言いかけて、「いや、何かあってはいけないけれど、困ったことがあったら電話ください」とだけ言った。このところ、議員でもないのに離婚相談を受ける。近隣との騒音被害のようなトラブルもある。本人が弁護士を紹介して欲しいというのであれば、若い人がいいかベテランがいいかを尋ねて紹介する。

 近隣とのトラブルや金銭に関係するようなものは、やはり弁護士の仕事である。弁護士も正義感の強い人もいれば、金儲け主義の人もいる。離婚のような問題は様々だ。男女のかたちに絶対はないから、当事者のふたりがよければそれが常識から外れていたってかまわないし、どんなに清く正しく見えても嫌なものはいやなのだ。人間の秘密の多くが恋愛であり性的関係であるという。小説の題材はまずこの2つである。

 品行方正な人でも「えっ!」と思うようなクセのある人もいる。私が一番嫌いなのは、ホテルや旅館からカミソリや歯ブラシやタオルを持って帰る行為だ。「客が持ち帰ることを念頭に入れて料金の設定がされているのだから気にすることはない」と言うけれど、どうも好きになれない。何時だったか、一緒に行った人が各室を回って、客に出すお菓子を集めて持ち帰ったことがあった。もちろん客に出すお菓子なのだから、それを食べない人がいたから持ってきたのであって、バスタオルや置物を持ち帰る窃盗とは違うけれど、嫌な行為だと思ってしまった。

 そんな小さなことはどうでもいいのではないか。そんなことよりも社会秩序を乱すような「自由な恋愛」こそ問題にすべきだと考える人の方がやはり多いだろう。離婚の話から、飛躍しすぎたけれど、男と女の間のことは第3者には理解できない領域であるが、物についてあるいは金の価値については話し合えば理解できるような気がする。これからの国際社会について友人が「人間は国境を無くすことはできるかも知れないが、民族と宗教の問題は最後まで残るだろうな」と言った。

 何が解決の決め手になるのだろうか。そう考えると、教育しかないと思う。人としてのレベルを高めることで、少しずつ解決に近づくことは出来るだろう。地球の崩壊が先か、人間の智恵が先か、少なくとも私たちの時代からまだ何も見えてこない。
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子どもを思う親の気持ち

2010年05月26日 22時55分13秒 | Weblog
 子どもを思う親の気持ちは大変なものがある。親なら誰でも自分の子どもの幸せとか将来とかに思いを寄せて当たり前だろう。その思いが自分勝手なものでなければ美しいし、たとえ自分勝手なものであったとしても、子どもへの思いがそうさせているからと理解できる。けれども、他人事ではなく自分自身の事であれば、多くの親は自分が出過ぎないように遠慮するものだ。そうしてバランスは保たれ、共同の中で生きていられる。

 けれども最近の学校では、運動会ではあれほど「競技場内に入らないでください」と放送されているにもかかわらず、わが子の姿を撮影したい親の勝手な振る舞いが目立つ。ひとりがすれば、それなら私もとみんなが勝手な行動に出てしまう。ルールに従うことが馬鹿らしいことになる。そもそもルールなんてものは誰が何時決めたのか、親が子のために行なうことに誰が制限できるのか、と思っているようなところがある。

 私たちの世代はきっと、親が子のために行なうことなのにと思っていたとしても、世間体を考えて何も言わずにルールに従ってきた。しかし、私たちの子どもの世代は明らかに個人が先に立っている。私自身の感覚からすると、それは望むところであるけれど、それでもなぜかやり過ぎている感じもする。私のような個人主義的な感覚が自己中心主義というか自分勝手主義に様変わりしているように思う。

 電車に乗る時、私はまず並ぶ。むしろ後から乗る。乗っても席に座るよりも立っている。自動車の運転でも、割り込みたい車は入れてあげる。自分が少し我慢すればすむことなら、それを受け入れる。真っ先に乗り込み席を独占する。あるいは行列の中に無理やり割り込む。そういう人たちを嫌な人だと思うけれど、何が何でも許さないというような強い正義感はもう持っていない。誰よりも自分が可愛いのだろうけれど、それを他の人に押しつけてまで貫き通す意地はない。

 台湾旅行で私たちのグループはガイドさんの近く、つまり観光バスの前の方に陣取った。それはそれで良いと思うけれど、順番に後に移動し、みんながガイドさんの側にこられるようにすることが公平だと思う。ところが2日間も同じ席に留まっていたから、足の悪い姉には申し訳なかったけれど、後の席に着くようにお願いした。姉は納得できなかったかもしれないがそれがルールだと思う。しかし、私たちのグループもみんなが私のように考えたわけではなかった。

 「気を遣いすぎ」とか「そんなことは気にすることはない」というのが一般的なのかも知れないが、私には納得できない。他の人が気持ちよく過ごせるようにすることの方が大事なことだと思っている。「人には優しく、自分には厳しく」。そう子どもたちに言い聞かせてきた自分が、人の気持ちが汲めないような行為は出来ない。自分としては謙虚に生きているつもりでも、人から見れば誠に自分勝手に生きていることだろう。まあそれは、私自身が自分に誠実に生きているが故のことだと理解していただきたい。
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知り合えば仲良くなれる

2010年05月25日 23時01分31秒 | Weblog
 台湾旅行で目立つのは、私たちのような日本人、韓国人、そして中国人だった。中国と台湾の交流が始まって何年になるのかよく知らないけれど、最近では実に多くの中国人が観光に訪れるそうだ。白人やアラビア人は2人とか3人といった個人単位での旅行が多いけれど、私たち東洋人は圧倒的に団体旅行である。台湾人ガイドは「大陸のお客様はマナーが悪い。いくら言っても、中国語が分からない」と嘆いていた。

 中国人が海外へ出かけられるようになってまだ日が浅い。個人的な旅行などは許されないから、団体で出かけることになる。私たちでもそうだと思うけれど、身内でいるとつい言葉が違う他の国に来ていることを忘れてしまう。仲間内で話す時は周りのことを気にせずに大きな声になってしまう。それを他の国の人から見れば、なんとまあうるさい連中だろうということになる。「大陸のお客様」も旅になれてくれば、自ずとマナーもよくなるだろう。

 戦前の教育を受けた世代の姉は「あの人は中国人でしょう?」とか「あれは韓国人だよ」とか、なぜか蔑んだような見方をする。「中国人でも韓国人でもいいじゃないの。少なくとも中国も韓国も日本よりも歴史の古い国なんだから、それなりの敬意を持つべきじゃーないの」と私は意地悪く姉に言う。「これからは日本人が中国へ出稼ぎに行くことになるというのは本当かね?」と姉。「どうなるのか、先のことは分からないけれど、日本の人口が減れば国内で働く場所はできるし、自給自足の生活に甘んじられるなら、出稼ぎせずに農業もできるはずだよ」と話すが、姉に納得した様子はない。

 大東亜共栄圏構想の下に勉学に励んだのであろう姉たちの世代は、アジア全体で豊かになろうとしたのではなかったのか。中国人や朝鮮人を自分たちの手足のように思っていたのだろうか。他の人の不幸や苦しみの上に、自分たちだけの繁栄を築くことはありえない。台湾へ出かけてみて、そこで中国や韓国の人々に出会い、アジアは確かに豊かになっていることを実感した。それは韓国でも中国でもタイでもシンガポールでも変わらないだろう。観光で見られる範囲に限れば、アジアは着実に豊かになっている。

 鳩山首相が「普天間基地の移設は辺野古付近」と言明した。鳩山首相の言動には驚かされるというより、本当にこの人には「心」があるのだろうかと心配になる。「国外」が第一にあったし、「少なくとも県外」と口にしてきた。「辺野古の海を埋めることは自然への冒涜だ」とまで言われた。それを「守れず、申し訳ない」とよく言えたものだ。軍事基地の廃止こそがこれからの政治の課題だと明言して欲しかった。

 中国を韓国を台湾を、世界のあらゆる国々を旅してみれば自ずと分かることがある。そこには多くの人々が日々の生活を淡々と送っている。誰が他国を攻撃しようなどと考えるのだろう。知り合えば理解は生まれる。知り合いを多くつくることが世界平和につながる。鳩山さん、そうではありませんか。
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起きたら二日酔いだった

2010年05月24日 19時15分14秒 | Weblog
 今朝、起きたら二日酔いだった。そんなに飲まなかったと思っていたのに、身体は知っていたようだ。友だちの中には、健康のために酒は飲まない、あるいは1週に1日の休肝日を設けている人もいるけれど、長生きできなくても楽しい毎日の方がいいと思っている私は、カミさんと一緒に晩酌を欠かしたことがない。ひとりでいれば、別に飲まないので、酒を飲んでワイワイとやることが好きなのだ。

 台湾旅行は団体ツアーだったから、盛りたくさんの場所へ出かけた駆け足旅行だった。4泊5日ではやむを得ないのだろうけれど、もう少し時間が欲しかった。10日間くらいかけてゆっくり回れたよいと思うけれど、そういう長旅のプランはないようだ。それに、長旅となると食べ物が気にかかるようで、「日本食が食べたい」と言い出す人がいる。私はどこへ行っても食事に好き嫌いはない。朝、コーヒーとパンがあれば、それで充分である。

 「もう、台湾料理はいい」と中華料理の好きな友だちが言うほど充分にいただいた。私たちはどちらか言えば、食べることに時間をかけるグループだけれど、ツアーの場合はそんな悠長なことはできない。それでも毎日の昼と夜、初めに台湾ビールを飲みそれから紹興酒をいただいた。他のグループの人たちが「毎回飲んでいるのね」と羨ましがったり呆れたりして言う。実はそれだけではなく、ホテルでも反省会と称して紹興酒やワインをいただいた。

 そんな毎日に続いて、昨日は中学のクラス会だった。お店の配慮で午前11時半から初めて午後4時まで飲んで食べて話した。50年ぶりに参加した者もいたし、本当に久しぶりに来てくれた同級生もいて、楽しかった。「そんな昔のことなんか話してナンになる」と言っていたニヒルな友だちで、ひょんなことからケンカしてしまった仲良しが参加してくれたことが一番嬉しかった。しかも彼はノドの手術のために声が出ないのによく来てくれた。彼が好きだった女の子は今では全く昔の面影は無くなっているが、彼女の側に座らせた。

 クラス会の後で、カラオケへ出かけた。「中学時代の音楽の成績は全く関係ない」と言うように、みんな歌がうまかった。終わって帰ろうとしたら、「もうちょっと付き合えんか?」と友だちが言う。「ああ、いいよ」と言って彼の目当てのスナックに行くがそこは休みだった。そこから隣り市まで出かけて行き、初めて入るというスナックで彼は心ゆくまで歌をうたった。家に戻ると午後11時を過ぎていたが、なぜかとても充実した8日間だったように思った。いやただ、忙しく時間が通り過ぎていっただけのことなのだろうけれど。

 台湾でお世話になったガイドさんは今日も働いているのだろうか。一緒に旅行した男性グループや女性グループはもう次の計画を立てているのだろうか。夫婦で参加していた3組は?ひとりで来ていた太っちょの男性はまたブツブツと愚痴をこぼしているのだろうか。旅の楽しみのひとつは出会いだけれど、5日間も一緒にいるといろんな人の面が見える。今回、一緒に行けなかった友だち夫婦が参加できるとまた違った旅の楽しさになっていることだろう。姉はどんな感想だったのだろうか。
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明日から台湾旅行です。

2010年05月17日 22時49分56秒 | Weblog
 さて、いよいよ明日は姉を連れての台湾旅行である。明日の朝早く、姉に駅まで来てくれと言うのは酷なような気がして、今日、迎えに行ってきた。今晩は我が家に泊まり、明日の朝、一緒に行く方が賢明な策だと思ったのだ。今まで、姉と一緒にお酒を飲みながら話していた。父や母の話から、姉の夫や友だちの話など、酔いに任せてどんどん広がっていった。私は一人暮らしをするようになってからできた姉の友だちに私はとても興味を持った。

 「この人はいつもヘンな人に興味があるんです」とカミさんは私のことを言う。その姉の友だちは、10代で紡績工場で働き始めた。その時の上司と不倫関係になり、かれこれ70年になるらしい。私は、人間はどんな風に人生を過ごすのかに興味がある。つまり、人間とは何かに関心がある。その女性は、複雑な事情の下に生まれたということもあってか、人の優しさに敏感だったのかもしれない。それにしても私がビックリしたのは、70年もの長い間にわたってどうして愛人関係が続いていたのだろうということである。

 この前の「限界効用逓減の法則」ではないけれど、人は新しい刺激に弱いはずだから、70年の長期にわたって関係を維持することは並大抵ではないはずだ。ハワイへその女性と男性とそして姉で行ったことがあったそうだ。多分、もう男性は80歳を姉たちは70歳を超えていたのだと思う。土産売り場で女性が男性に「お父さん」と声をかけたところ、男性の方が「お父さんじゃない」と強い口調で咎めた。姉は「あんなことを言われたら、私ならもう帰ると言うのに何にも思わないのね。頭悪いんじゃない」と言うけれど、私にはそうは思えない。

 きっと男性は女性に「あなた」と言って欲しかったし、女性は日頃の親しみから「お父さん」と言ってしまったのだろうけれど、男性のわがままだけれど自分に対する思いを受け止めたのだと思う。そういうふたりだからこそ、70年以上も関係を維持できたのだろう。カミさんからすれば男性に「もて遊ばれただけじゃないの」ということかもしれないが、そうだとしても女性はそれで満足というか、いやきっと不満ではあったかもしれないが、他人では分からない幸せがあったのだと思う。

 男性は90歳を超えて、認知症が進んでいるそうだ。女性が男性の好きな食べ物を作って持って行っても分からない。けれども女性は男性の悪口を言いながらも、まだ通っているのだから、それはもう常識を超えている。ある意味では男と女の極限なのかもしれないと私は思った。

 私がいつもこんなことをブログに書いているんだよとプリントしてみせると、姉は読み終わってから、「あんたの文章は情緒がないね。事実をただ羅列しているだけだね」と指摘する。いつまでたっても姉は姉である。さて、明日からこの姉を連れて、友だちらで台湾旅行へ出かけるので、22日の土曜日までお休みする。じゃあ、また。
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小学校のクラス会

2010年05月16日 21時38分07秒 | Weblog
 小学校のクラス会は女7人、男5人だった。女の子は2年前よりも1人減り1人増えたが、男の子は3人も減った。そのうちの1人は亡くなっている。この2年間でもうひとり亡くなっているので、亡くなった人は9人になる。住所が分からなくて連絡できない人も5人いる。これだけ出席者が固定してきたのだから、クラス会ではなくて有志だけでやってもいいのではという意見もあった。返信ハガキには「次回はぜひ出席したい」と書いあったので、私としては連絡できる人には全員案内のハガキを出した方がよいと思う。

 「毎回、次回は出ると言っている」と言う人もいたが、それでも出席したいと思っても案内が来なければ出にくい。まあ、そんなに手間がかかるわけではないのだから、案内だけは送っておきたい。今回は、6年の担任だった男の先生が来られなかった。奥さんの話では「出席は無理になってきている」というものであった。2年前は、クラス会の後でカラオケに出かけ、気持ちよさそうに歌ってみえた。先生が小学校の模型を作られたことを先回初めて知った。元気だったし、そんなに年老いたわけではないのに残念だ。

 クラス会でみんなの話を聞いていると、どうして私たちの子ども世代はこんなにも結婚しないのだろうと思う。私たちクラスで結婚しなかった人はひとりもいなかったのに、子どもの半数は結婚していない。結婚したくないわけではなく、結婚しないままに40歳前後になってしまったというわけである。結婚が形式だというのであれば、同棲だっていいし、なんなら都合のよいときに付き合うだけでもいいと思うけれど、そもそも異性に対してそんなに強い関心がない。小学校5年生で、担任の女教師のブラウスを見て乳房を連想してしまっていた父親たちとどうしてそんなに差が生まれてしまったのだろう。

 街を歩いてみれば、夏に向かっているせいもあるのだろうが、女性たちは極端に短いスカートを身につけている。女性たちがこれほど挑発しているのも男性たちがオスらしい関心を示さないからなのだろうか。素足の女性たちの足を見て、興奮するには年老いた男たちしかいないのだろうか。男性たちが女性に関心を示さないから、当然のように女性たちも仕事に生き甲斐を求める。この相互作用はますます非婚を進めている。

 「我々もこの先どうなってしまうのだろう」と心配する友も多い。先のことなど誰にも分からない。九死に一生を得た友が「人生観が変った」と言う。「これからは人のために役に立ちたい」と。そんな仏のような心になるものなのかと感心する。死を直前にすると自己中心になる人と、彼のように他人のために何かをしたいと思う人と2通りになるようだ。私はどうなのだろうか。キリストを崇拝することはできるが、キリストのようには生きられそうにない。

 この先がどんな世の中になっていくにしても、人は広い海浜の一粒の砂のような存在かも知れないが、一粒の砂にとっては自分の命は自分にしか存在しない。価値のある人生かどうかではなく、結局どう生きたかに尽きると思う。それを他人はどうこう言うことは出来ない。
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