公共施設は利用者でなければ、気が付かないことが結構ある。施設を運営・管理する側は、公平と公正であることを重視し、利用者の利便まで気が回らないこともある。だから、利用者が気が付いたことを管理者側に伝えることは大切なことだ。
その問題で元首長に会って来た。彼は状況を把握した上で、利用者の不満に丁寧に答えてくれた。「とても気さくで、話しやすい人だから良かった」と、連れて行った利用者が言う。私に出来ることは、そんな行政に不満のある人の話を聞くことくらいだ。
午後、私に会いたいと言ってくれた人がやって来た。何十年ぶりだろう。そんなに親しく話したことは無かったと思うけれど、今日は古くからの友人のように話が弾んだ。彼が犬を飼っていて、犬のための運動場作りをしていたことも初めて知った。
それが高じて「ドッグラン大会」まで開催するようになり、人手と費用がかさみ、「世話をすることの大変さを痛感した」と言う。地域の役員が回って来て、仕方なくこなしているものの、「地元のことだからとは思うけど、誰かやってくれと思っている」と正直だ。
私も彼も、この地に住み着いた時は地元の人から「来たり人」とバカにされた。まだ田んぼと畑ばかりの土地だったが、今では新しい家が立ち並ぶ「街」になった。けれど、体裁ばかりを整え、どういう「街」にするか、市民を交えての検討が無いままだった。
公共施設も民間委託にしたり、統廃合へと向かっている。市民はただ見守るばかりで、何も発言しない。日本の国と同じ光景が、この地方でも見られる。