友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

沖縄知事選挙の結果を見て

2010年11月30日 21時29分20秒 | Weblog
 沖縄知事選挙の結果を見て、ああやっぱりなと思った。人の選択は常に現実的だ。「沖縄から基地を無くすことは出来ないかもしれないが、世界一危険な普天間基地はせめて県外に移転させるべきだ」。「沖縄から一切の基地を無くすことは無理だ」。「日米安保条約を破棄せることは出来ない」。「普天間基地の県外移設も実際は無理かもしれない」。「けれど、これが最低の沖縄県民の意思だと示しておきたい」。そんな気持ちが結果として仲井さんの再選につながったのかもしれない。

 こうした結果を見ると、私という人間はいつも多数の側に位置できないのだなと思う。どうやらこれは私の生れ落ちた時からの宿命のようなものだ。現実の前に理想論など風前の灯なのだ。けれど逆に考えれば、沖縄ではまだ30万人の人が安保条約の破棄をも含めて沖縄からの基地撤去を求めているということでもある。いつしか「現実も見なくてはいけないけれど、じゃあもっといい道に進むためにはどうしたらよいのだろうか」、そう考えるようになるのかもしれない。

 日本の人口はこのままならば50年後には4千万人ほど減少すると推定されている。世界の人口は69億人といわれる。このうち13億人が中国で、12億人がインドであるそうだ。2つの国が世界の人口の35%を占めている。アメリカも日本もヨーロッパも、中国とインドの市場に期待している。だからこそ中国とインドもどのようにして富を得るかに躍起になっている。人口が減少する日本は各国から移民を受け入れなければ働き手がなくなると言う人もいるし、企業が中国やインドへ出ていくだろうと言う人もいる。

 先進国の市場が狭くなった分、中国やインドへの期待が高まるのは必然だろう。日本のある企業家が「安い労働力を求めて、あるいは安い税金の海外でしか生産できないような企業は出て行けばいい。私は日本でなければ出来ない製品で勝負する」と言っていたけれど、きっとそうなるだろうと私も思う。農業生産品についても関税を無くせば日本の農業は壊滅すると言うけれど、それが当然の社会なら受け入れるしかないし、生き残るための努力をしなくてはならない。

 こうして世界中の人々が生き残るための努力をすれば、世界の人口が多少増えてもまだ地球上の人間は生き残っていけるだろう。しかし、こんな話を読んだことがある。ある池に水草があった。その水草は1年で2倍ずつ増えていった。池の100分の1の時は気が付きもしなかった。50分の1の時も誰も気が付かなかった。25分の1になって、「このごろこの水草が目に付くね」と言った。50分の1になって、「水草が池の半分を占めている」と言った。けれど、翌年に池は水草でいっぱいになっていた。

 外国人の移民などは許せないと言う人もいる。そうなると排斥運動が起こるだろう。けれども外国人が多く日本に来れば日本の生産も上がると説得する人もいる。そしていずれ、世界中でいろんな人々が混ざり合って暮らすようになるだろう。そういう運命に人は置かれていると私は思っている。
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坂本竜馬の暗殺

2010年11月29日 21時58分15秒 | Weblog
 北西の空に黒い雲が見えた。しばらくすると辺りは暗くなり、気が付くと道路が濡れていた。冷たい雨だ。もう少し気温が低ければ雪になるのだろう。昨夜、NHK大河ドラマ『竜馬伝』は最終回であった。つまり11月15日、竜馬暗殺の日を描いていた。丁度、冷たい雨が降っていた。竜馬は中岡慎太郎と一緒にいた。そこへ暗殺者がやってくる。北辰一刀流の使い手であった竜馬は刀を手にすることができぬまま、頭から切られた。竜馬が隠れていた近江屋の2階はもっと天井が低かったはずだとか、暗殺者はなぜ絶命を確かめずに去ったのか、などとテレビを見ながらまた評論していた。

 坂本竜馬を一躍有名人にしたのは小説『竜馬がゆく』を書いた司馬遼太郎である。「竜馬ってあんなに格好よかったの?」と聞かれたけれど、私は竜馬に関する本を1冊も読んでいないのでよく知らない。竜馬を格好いいと思うのはきっと、福山雅治が演じていたからだろう。事件は書き記されているけれど、ドラマのような会話があったかどうかは小説家や脚本家の仕事である。それを本当のことだと思うのは見る側の勝手であろう。竜馬が亀山社中を立ち上げたり、高杉晋作を助けて幕府軍と戦ったのも史実である。土佐藩を動かして大政奉還を成し遂げたことも事実だ。

 ただ、大政奉還は竜馬の独自案ではないようだ。徳川幕府の体制に軋みが生まれてきた頃から、体制をどのように維持していくかで議論が割れていた。そこへ外国から開国の要請である。公武合体論が生まれてくること事態が幕藩体制の終焉を象徴している。大政奉還という考え方はかなり以前からあったけれど、徳川慶喜は当初はこれを受け入れなかった。しかし、徳川家を存続させるためにはこれしかないと考えたのだろう。竜馬の新政府構想に徳川慶喜を加えることが全くなかったとは思えない。

 徳川を倒して天下を取ろうと考えていた者たちにとっては、幕府との全面戦争しかなかった。竜馬暗殺説に薩摩や長州が上がるのもそうした理由だろう。明治維新を成し遂げた志士たちは、政治の体制をひっくり返そうとした革命家たちであったことは確かだ。しかし、どういう国家を作るかは、とりあえず天皇を担ぎ出す以外には特に何もなかったのではないかと私は思っている。幕末はかなり自由に諸国を歩けたようだから、開国論の人たちも攘夷派の人たちも、集まっては議論を重ねていただろう。また、特使として外国へ渡った者もいるから、外国の政治体制を学んだ者もいた。けれど国家観まで踏み込んだ議論はできていなかったと思う。

 昨日の選挙で沖縄は普天間基地の県外移設の仲井真候補が当選した。沖縄県民は日米安保条約の破棄ではなく、より具体的な県外移設を選択した。理想に走るよりは現実的な解決を支持するのは人の常だ。「新しい日本をつくるぜよ」と竜馬は叫ぶけれど、現実的な解決がまずは求められた。戦争のない世界、国境のない世界、上下の隔てのない世界、誰もが自由に生きられる世界、理想は必ず現実の前では敗れ去る。それでも理想は捨てない方がいいと私は思う。
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普通の神経の人が頑張るしかない

2010年11月28日 19時26分01秒 | Weblog
 大相撲の九州場所は白鵬が優勝した。1敗同士の横綱の白鵬と前頭の豊ノ島が決定戦で戦った。豊ノ島は白鵬よりも年上だが、背丈は低い。身長173センチ未満を対象にした第2新弟子検査を受けて角界入りしたそうだ。スポーツは身体が大きい方が断然有利だ。けれども、偶には小が大に勝つから面白い。横綱が勝つだろうと思っていても、どうも日本人は判官贔屓の性格が強いのか、勝てそうにない豊ノ島を応援してしまう。けれども結果はやはり横綱が強かった。横綱が落ち着いているのに年上の挑戦者の方が慌てていた。

 これで白鵬はまた白星を重ねていけばいい。2日目に稀勢の里に破れた時は、さすがに横綱も心に余裕がないように見えた。そこからまた勝続けてきたけれど、初めの頃はどーんと組むことができないほど、勝ちを急いでいた。後半になって横綱らしい取り組みができてきたから、このまま双葉山の記録を塗り替えて欲しいと思う。勝ったり負けたりしながら記録を積み重ねることならばできることでも、一瞬の迷いとか気持ちの乱れとかがあれば負けてしまうのだから、維持し続けることは並大抵の神経ではない。

 私のような怠け者には到底できることではない。昨日の集会の準備をしていた時、雑談の時間にある人が「これで、河村・大村連合の圧勝だね」と言う。さらに「河村さんはともかく、大村さんには知事になって欲しくないのに」と付け加えた。誰もこの話題に乗らなかったけれど、私は河村・大村連合の勝利とは思えない。名古屋市長選挙で河村さんは当選するだろうけれど、先回ほどの得票はないと思う。あきれている人や嫌気が指した人もいるのだから。愛知県知事選挙では大村さんが当選できるとは思えない。テレビのトークショーを見た限りでは大村さんは人気がある人とは思えない。

 それでも、河村さんは大村さんを担ぎ出した。私からすれば並みの神経ではない。知事選に大村さんが立候補すれば、名古屋市長選ではさらに河村さんには有利な状況になるだろう。名古屋市長選挙と知事選挙が一緒になれば、知事選ではそれぞれの党が独自に戦っているのに、市長選では反河村で一体とはいかない。民主党は低落してきているから、河村さんに対抗できる候補を探すのは容易ではないだろう。自民党は盛り返してきたというけれど、大村さんが知事選に立候補すれば分裂状態だ。河村さんという人は策士だなと思う。

 どんなに批判されようと、どんなに非難されようと、何だか汚く聞こえる名古屋弁で一方的に喋り捲る。「議会は議論の場だから、徹底的に討論しよう」と言う割には「話にもならへん」と言ってしまう。議会の方もどうしてあんなにもかたくななのかと思うほど、議論を積み重ねようとしない。昨日の刈谷市での集会では、議会が議会として発信力を高めるべきだという意見もあったけれど、やはり議会の発信力は弱い。それだけ議員は議論しないし、議論できるだけの知識や力を蓄えていない。有力な議員を引き摺り下ろすことばかりに汲々している。

 ひとりの超有能な人間よりも大勢の有能な人間の方がよりよいと講師は強調していたけれど、それは本当だと思う。民主主義は時間がかかる。それに、今日のような閉塞状況が続くと、強力なリーダーシップを望んでしまう。議会はこれまで、とことん議論することをしてこなかったのだから、これからはとことん議論してゆっくり決めていけばいい。
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地方議会のあり方

2010年11月27日 22時42分23秒 | Weblog
 今日は刈谷市産業振興センターで、『市民と議員の条例づくり交流会』が開かれ、150人ほどの議員と市民の参加があった。主催したのは実行委員会だが、その中心となったのは「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」のメンバーだった。このまだ当選1回目の若い女性議員のパワーには感服した。「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」では年に1回から2回、公開講座を開催してきたけれど、これほど多くの議員や市民を集めることはなかった。彼女のねばり強さが実った集会だったと思う。

 それに彼女がなぜこのような集会を開催したかについて語ったが、気取りも驕りもなく淡々としていて誠実さが滲んでいた。集会ではまず、山梨学院大学の江藤俊昭教授が「市町村議会の必要性」をテーマに話した。議会には大きな権限があるけれど、議員には何の権限もない。それを多くの議員や市民が勘違いしていると指摘する。議会には議決権があり、議決されなければ実行できない。それを議員に権限があると誤解しているのだ。議論して結論を出していくことが大事ので、首長が主導する民主主義はダメだと名古屋市の河村市長を批判する。

 首長から議会改革が出されるのは、そういう大変な時期にあるのだと江藤さんは言う。地方自治体は首長と議会議員を選挙で選ぶ2元代表制の下にある。したがって与党も野党もなく、国政ではない住民参加できる仕組みになっている。住民自治の根幹をなす議会は討論をする広場である。だから議決には責任が伴う。議会報告会をやれば、議会は変わると江藤さんは言う。けれど、議会はどこもセレモニーの場になっているし、年功序列の世界になっている。これを打ち破るには住民を背景にガンバル以外にないとも話す。

 続いて、法政大学の広瀬克哉教授が「議会とは何か」について講演した。広瀬さんは多様な民意が反映されてこそ議会だと言う。いろんな議員がいて、つまり違う考えがあるからこそ議論ができる。だから公開で議論を行い、争点を発見し、公開することで納得のいく決議に到達できると言う。議論が見えるようにすることが一番大事と話す。多数の本気で議論する議員がいれば客観性が高まるとも説明する。江藤さんも広瀬さんも地方議会の現状に無知ではないだろうけれど、実体を本当に把握されているのだろうかと私は疑問に思った。

 確かに両教授が目指しておられる地方議会にしていかなくてはならないだろう。けれども地方議会では地域代表が圧倒的に多数であろう。これを変えていかなければ、議会は議論の広場にはならない。それでも今日の集会に参加して、若い議員の活躍に私はとても嬉しくなった。私たちのように議会で孤立してしまっていた時点からは数歩も進んでいる。彼らのような若い議員がどんどん出てくれば議会は大きく変わるだろう。議会が変われば、自治体のあり方も当然変わってくる。今はそんな時代へのさきがけなのかも知れないなと思った。
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暮らしはいつも変化していく

2010年11月26日 18時31分25秒 | Weblog
 何日か前から、夕方になると眠くなる。今日も本を読んでいたら猛烈な睡魔に襲われ、フトンに入るとすぐに眠ってしまった。カミさんはゴルフの練習に出かけている。どうしてあんなに好きなことは時間を気にしないのだろう。好きなことなら誰でも、時間を忘れて没頭することができる。私もバルコニーで土いじりをしているとつい時間のことを忘れてしまう。人は熱中できるものがあることは幸せなことだ。仮に、ゴルフや土いじりではなく、異性だったとしたらもっと幸せなことなのかもしれない。

 今日は語呂合わせで「いいふろ」の日だそうだ。先日は「いいふうふ」の日で、どういう夫婦がよいかをテレビが取り上げていた。1)はよく話し合う。2)を忘れたが、3)は適当な距離を置く。というものだった。30代や40代は働き盛りだからどうしても夫婦の会話が少なくなる。どうせ夫婦で話すようなことは他愛のないことばかりだけれど、会話がなければ相手の気持ちも悩みも分からない。絶対に共有しなければならないとは思わないけれど、なんでもないことから話題にすればいいと思う。

 相手のことを知ろうとして、ケイタイを見ることは破局の前触れになるようだ。だからこそ、適当な距離があった方が円満にいくのだろう。何もかも知り尽くしていないと気がすまないというタイプの人もいるけれど、知らん顔をしていることも必要だ。そのバランスが夫婦というものの絶妙なところなのだろう。無関心であってはならないが、必要以上に入り込まれても困る。誠に勝手なものだが、長く夫婦を続けるためには大切なことなのだ。家族の形が夫婦とその子どもとなってまだ日が浅い。働く場所が工場とか会社とかになり、個人を必要とされたので、こういう夫婦と子どもの形が家庭となった。

 農業も漁業も牧畜も、集団でしかできない。親、兄弟、親族が家族を作っていたし、その集落が共同生活の場であった。だから、必ずしもひとりの夫にひとりの妻ではなかったようだ。一夫一婦制を厳しく求めたのはキリスト教だけれど、キリスト教で異端とされた集団には愛することに自由なものもあった。日本は性に関しては真に開放的であったが、明治以後、西洋文化つまりキリスト教の影響でそのスタイルは一新した。それでも、祭りの時は「無礼講」と称して、不道徳を許していた。

 これからどういう社会になっていくのかわからないけれど、絶対的なものはないことは確かであろう。夫婦の形や家族の形、したがって社会の形も必ず変わっていくだろう。日本は税金が高い、賃金が高い、だから企業は安い地域へ行ってしまうと言われている。地球が狭くなったのだから当然のことだ。けれどまた収まるところに収まるだろう。農業に適したところは農業を、工業に適したところは工業を。いびつなようでも結局は一番よい形に収まるだろう。そしてまた、矛盾が生まれ次へと移る。

 人の暮らしはそんな風にいつも変化していく。
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名古屋市のリコール署名

2010年11月25日 19時44分17秒 | Weblog
 今日も風はなく暖かな一日だった。ルーフバルコニーへ出て、鉢植えのランタナの手入れをする。何年か前、友人が育てられないからとランタナを1鉢持ってきた。カミさんも「安かったから」とランタナを買ってきた。ランタナにそれほど興味がなかった。アメリカの西海岸を旅行した時、庭に植えられたランタナを見て、我が家のランタナもあんなふうに育ててみようと思った。毎年、鉢を大きくしてやるとランタナはどんどん成長した。それに繁殖力が強いのでいくらでも増えた。鉢が大きくなると種が土に落ちて、そこからまた新しいランタナが育つのだ。

 そうこうしているうちに20鉢30鉢と増えてしまった。サルビアもチューリップもそうだけれど、増やすことができると人にあげたくなる。美味しいものが手に入ると、誰かに差し上げたくなるのと同じだ。自分だけが独占するのはもったいない気がしてしまう。この秋に手入れして冬を越せば、来年の春には新しい芽が出て花を咲かせるだろう。花がないといくら無料だからといっても貰ってくださる人は少ないだろう。鉢も大き目の新しいものに取り替えたいけれど、鉢を新調するほどの余裕がないのが残念だ。

 残念と言えば、名古屋市長の河村さんだろう。いや、彼のことだからそこまで計算していたかも知れないので、本当に残念なのは議会解散を期待して署名した本人だろう。名古屋市の選挙管理委員会は集められた46万人の署名のうち35万3791人を有効とした。これでは規定に1万2千人足りず、リコール署名は不成立となってしまう。名古屋市のような人口の多いところでリコール署名を集めるのは難しいと言われてきた。確かに出だしはよくなかった。やはり無理かと思われたけれど、街頭署名でかなり盛り返したと聞いた。けれど、そのために多くの無効署名を出すことになったのだろう。

 名古屋市選管は「法に基づき公平に行なった」と言うけれど、署名集めの段階でキチンとした基準を示していないし、恣意的な厳しい判定と非難されて当然だろう。逆に考えれば、35万人もの市民が議会の解散を求めているわけだから、議員はこれを厳粛に受け取らなくてはならないだろう。すでに公明党や自民党は河村市長の提案を受け入れようとする動きを示している。選挙に向けた準備はできたと見ていい。最後まで河村市長との対立を強調している民主党はどうやら一番貧乏クジを引くことになりそうだ。

 それにしても一人ひとりの市民の意見を反映できる政治の仕組みは出来ないのだろうか。行政単位を10万人くらいにして、徹底した情報公開と積極的な住民参加の仕組みが出来上がっていけば、もう少し政治が市民の中に存在できるようになると思うのだが。そんなふうに地域自治が出来上がれば、国家の解体もできるのではないかと思う。
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クリスマスまであと1ヶ月

2010年11月24日 21時10分25秒 | Weblog
 花屋さんの前を通ったら、見事なポインセチアの鉢が並べてあった。今日は24日、クリスマスまであと1ヶ月。今年は誕生日会の友だちと一緒に、ホテルのディナーバイキングに出かけることになっている。昨年あるいは一昨年は、どんなクリスマスだったのかと思い出そうとするけれど、何も思い出せない。子どもの頃はどうしていたのだろう?父親がケーキを買って帰ってきたのは何時ごろからだったのか、いつしか我が家もクリスマス・イヴにはケーキを食べる習慣が出来上がっていた。

 中・高校はキリスト教会に通っていたので、教会でのクリスマス礼拝が終わると、教会の人たちと一緒に讃美歌を歌って夜の街を歩いた。空気は冷たくて、それがかえって聖夜にふさわしく、讃美歌が街中に響き渡っているような気になった。結婚して子どもたちが生まれ、ケーキを食べた夜にはプレゼントが用意される、そんなことが何年も続いた。子どもたちは、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれたと長い間信じてくれていた。

 キリストがこの世に誕生したのは、私たち人間を救うためだという。確かに私たち人間は罪深い。どこまでも自分勝手でどこまでも欲張りだ。どうしてこんな人間を神様は創ったのかと思うほどだった。神様が人間を創らなければ人間はこんなに苦しまなくてもすむのにと恨んだ。そして、人間は自分が身勝手で欲張りでどうしようもない生き物だと知っているから神様を創り出したと思った。私の中では、信仰ではなく教義としてのキリストとなった。

 今、紅葉は真っ盛りだ。山々を見上げれば錦織りであり、街路樹も赤く黄色く輝いている。しかしそのうち葉は落ちてしまうだろう。それでも次には冬の景色が見られる。雪でも降れば一面の銀世界だ。春には緑が芽を出し、夏はギラギラと太陽が容赦なく降り注ぐ。山にも海にも四季の装いがある。常夏の地域でも、砂漠の地域でも、氷に閉ざされた地域でも、それぞれに美しさがある。こんなに素晴らしい地球に生きていることに感謝である。

 私は誰とでも話してしまう。駐車場係りのおじさんが一人でお客を待っている。たまにしかお客が来ないのでは寂しいじゃーないかとおせっかいな気持ちが働いてしまう。「寒いのにご苦労様です。この近くでお昼をいただけるところはありますか?」と聞いてみる。「土日の入りはどうですか。ここで食べられる天然アユはこの川で取れたものなのですか」。話しかければおじさんは何でも教えてくれる。

 身なりのキチンとした紳士で教養もあるのに人を見下したような態度の人にも挨拶はするし、場合によっては世間話もする。しかし、危険を感じるような隣人に出会ったことはない。人間はみんないい人に思えてしまう。私が意識していなくても、私のことを大嫌いだという人はいる。目を合わせないからきっとそうだろう。みんなと友だちでいたいけれど、嫌われているなら仕方ない。でも、ケンカまでしたいとは思わない。「オマエの態度が気に入らない」というのであれば謝りたい。とげとげしいのはイヤだ。やはり、「甘ちゃん」と言われそうだけれど、それでいいじゃーないかと思う。
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断固とした強い国家は嫌い

2010年11月23日 21時53分25秒 | Weblog
 最近、誰それが入院したとか、診断を受けて3ヶ月で亡くなったとか、あまりいい話を聞かない。私の年齢なら当然なのだが、自分ではまだ若いつもりでいるのだから誠に勝手である。親しい人であっても何も知らずにいることもある。後になって、亡くなられたと聞かされてもどうしようもない。不義理な奴だと言われても仕方ないが、いい気持ちはしない。ある人が病院へ行ったところ、「すぐ入院してください」と言われ、次から次へと検査が続き、その間は食事も食べられずごっそり痩せてしまったそうだ。そこで友人は「3つの病院で診察を受けて、3つの診断が同じだったら、それから入院先を決めた方がいい」と言う。

 これは極端な気がするけれど、病気が気になるようならそれくらいな慎重さがあってもいい。私の友だちは70歳前後が多いけれど、「ここまで生きてくればどこか1つや2つ、悪いところがあっても当然だ」と言う。「だからと言って、酒をやめるとか、あれを止めるとか、そんなにまでして長生きするつもりはない」とまで言う。「本人が好きなように生きるのは勝手だけれど、そこでコロリと逝ってくれればいいが、もし何年も意識のないままで寝かされていたらどうするの」と野次が入る。「意識がなければ、そんなの知らん!」と開き直って大笑いとなった。

 笑っていられるうちならいいが、そのうちこれが現実になるだろう。生産に何もタッチしていない私たちのような年金生活者はできるだけ速やかにこの世からおさらばしなくてはならない。本当はそれが残された子どもや孫にとって一番の贈り物だ。そんなことを書いていたら、韓国の西海岸で北朝鮮と韓国軍との間で砲撃戦が起こっているとテレビが報じている。北朝鮮は核開発を見せびらかしたり、軍事挑発を行なったり、「断固とした強い意志を持った国家」であることを示そうとしている。

 私のブログに度々コメントを寄せてくれる40代の若い人々には申し訳ないけれど、私はこの「断固とした強い国家」が嫌いだ。国家が存在すること事態が気に入らない。どうして人間は自分たちを縛り付ける国家を作り出してしまったのだろう。いや何時か、人間は全ての人々が自由に暮らせる国家のない社会を作るだろう、そう思ってきたけれど、それにはまだ時間がかかりそうだ。それでも、人間が行き着く先は互いの食べ物を分け与える社会だと私は信じている。

 40代の若い皆さんは「軍事力が拮抗することで国家の安全が保たれる」と考えている。しかしそうなら軍備は拡大するしかない。攻められないためには他国よりも強い軍事力を維持しなければならない。武力を行使しなくても相手が手を出さないためには絶対的な軍事力を持つことになる。絶対的な軍事力を持っているからアメリカは世界の警察を自認している。アメリカを軍事力で攻めようとする国家はない。けれど力がなければゲリラやテロで自分の命も捧げて戦う。

 どうして戦争が起きるのだろう。戦争が起きないためにはどうすればいいのだろう。今、社会を支えている皆さんだからこそこの問題に取り組んで欲しい。年金生活者のたわごとなんかどうでもいいと思わずに、人生の先輩からの願いと思って欲しい。
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軍隊と警察は国家の暴力装置

2010年11月22日 22時26分23秒 | Weblog
 柳田稔法務大臣が辞職した。当然だと思う。本人は自分の後援会でのスピーチという安心感からか、あるいは法務大臣になったという喜びからか、参加者への過剰なサービス精神を発揮して言ってしまったのだろう。だから大臣という職責への自覚が足りないと非難されても仕方ない。東大に入学したけれど途中で「寿司職人になる」と中退してしまったことも柳田さんの性格を現しているような気がする。しかし成績のよい人だから再び東大へ戻って卒業したそうだ。政治家への道は、民社党から。民主党内の家庭事情で全く畑違いの法務大臣になってしまったようだ。

 国会議員であるだけならそんなにテレビで問題にされないが、閣僚となると鵜の目鷹の目であら捜しを受ける。そういうものだという覚悟とその備えがない人には勤まらない。仙谷由人官房長官が国会答弁で「自衛隊は暴力装置であり」と発言した場面を私は丁度見ていた。仙谷さんは自分でも「しまった」という顔を一瞬見せた。野党席は騒然とし、「不適切な発言だ。撤回し謝罪しろ」と迫った。すると「開き直りの仙谷」と揶揄されているように、「実力装置」と言い直し謝罪もした。でも、私は仙谷さんが言うように、自衛隊は「暴力装置」じゃーないのかと思った。

 警察や軍隊は国家にとって不可欠な暴力装置である。この言葉を使ったのは社会学者のマックス・ウェーバーだったと思う。私たちの時代では常識として使われていたような気がするが、野党の皆さんは仙谷さんが全共闘で活動していたという先入観から、「左翼の発想だ」と非難している。現在、自民党の論客で政調会長を務める石破茂さんも、「警察と軍隊を暴力装置」と発言しているそうだ。公に武器を所持し訓練された組織は誰が見ても「暴力装置」だろうし、歴史的にもその役割を果してきた。

 武器を持たない人々を強制的に支配し服従させることができる組織である軍隊や警察は、だから権力を持った人々は手中に収めて絶対の忠誠を誓わせてきた。仙谷さんが言葉足らずであったのは、「暴力装置」だからこそ政府が統制する必要があるということだったのだろう。「暴力装置」なんてものは要らない。「新しい国」は「暴力装置」がない社会と希望したのは私のような極楽トンボだけだった。でもなあー、イエスが言われた「神の国」とはあらゆる抑圧から解放されたところではなかったのかと思う。

 国会対策のためにその支障となった大臣を罷免するなら、まず小沢一郎さんの国会喚問かあるいは民主党からの離党を行なうべきであっただろう。そうしないから国民の目線には、民主党も自民党と変わらないなあーと見える。その違いを示さなければ民主党は落ち零れて行くだろう。いみじくも小沢一郎さんが「民主党がダメになっても国民は自民党に政権を渡そうとは思っていない。民主党と自民党も過半数が取れなくてぐちゃぐちゃになり、極右や極左が出てくる」と推測しているが、私も同感だ。

 しばらくはそんな不安定な政治が続くだろう。次へのステップのためだから仕方がないことだ。我慢ではなく議論の時だと思う。
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香嵐渓に行って来ました

2010年11月21日 22時15分01秒 | Weblog
 友だち20人ばかりで香嵐渓に行ってきました。自家用車ではとても行けないと聞いていたので、今回は観光バスのツアーで行きました。小原の四季桜を見学し、香嵐渓へと行きましたが、どこも渋滞で大変でした。今日は風もなく、最高の行楽日和でした。誰かが言っていましたが、「四季桜は近くで見てはいけない。遠くから眺めるからきれいなのだ」と。行ってみてよくその意味がわかりました。近づいてみれば、花は小さくしかも花が終わって枯れているものもあります。

 「遠くから見るからきれいなのに近づいたらダメ」と言うのも無理のないことでした。香嵐渓は凄い人出でいっぱいでした。観光バスで行ったからよかったけれど、自家用車で出かけていたら、3時間は当たり前で4から5時間待ちだったかもしれません。こんなにもたくさんの人が押し寄せるとは思ってもみませんでした。そんなわけで、今日のブログはこれでおしまいです。ぜひ、また香嵐渓に行ってみてください。
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