沖縄知事選挙の結果を見て、ああやっぱりなと思った。人の選択は常に現実的だ。「沖縄から基地を無くすことは出来ないかもしれないが、世界一危険な普天間基地はせめて県外に移転させるべきだ」。「沖縄から一切の基地を無くすことは無理だ」。「日米安保条約を破棄せることは出来ない」。「普天間基地の県外移設も実際は無理かもしれない」。「けれど、これが最低の沖縄県民の意思だと示しておきたい」。そんな気持ちが結果として仲井さんの再選につながったのかもしれない。
こうした結果を見ると、私という人間はいつも多数の側に位置できないのだなと思う。どうやらこれは私の生れ落ちた時からの宿命のようなものだ。現実の前に理想論など風前の灯なのだ。けれど逆に考えれば、沖縄ではまだ30万人の人が安保条約の破棄をも含めて沖縄からの基地撤去を求めているということでもある。いつしか「現実も見なくてはいけないけれど、じゃあもっといい道に進むためにはどうしたらよいのだろうか」、そう考えるようになるのかもしれない。
日本の人口はこのままならば50年後には4千万人ほど減少すると推定されている。世界の人口は69億人といわれる。このうち13億人が中国で、12億人がインドであるそうだ。2つの国が世界の人口の35%を占めている。アメリカも日本もヨーロッパも、中国とインドの市場に期待している。だからこそ中国とインドもどのようにして富を得るかに躍起になっている。人口が減少する日本は各国から移民を受け入れなければ働き手がなくなると言う人もいるし、企業が中国やインドへ出ていくだろうと言う人もいる。
先進国の市場が狭くなった分、中国やインドへの期待が高まるのは必然だろう。日本のある企業家が「安い労働力を求めて、あるいは安い税金の海外でしか生産できないような企業は出て行けばいい。私は日本でなければ出来ない製品で勝負する」と言っていたけれど、きっとそうなるだろうと私も思う。農業生産品についても関税を無くせば日本の農業は壊滅すると言うけれど、それが当然の社会なら受け入れるしかないし、生き残るための努力をしなくてはならない。
こうして世界中の人々が生き残るための努力をすれば、世界の人口が多少増えてもまだ地球上の人間は生き残っていけるだろう。しかし、こんな話を読んだことがある。ある池に水草があった。その水草は1年で2倍ずつ増えていった。池の100分の1の時は気が付きもしなかった。50分の1の時も誰も気が付かなかった。25分の1になって、「このごろこの水草が目に付くね」と言った。50分の1になって、「水草が池の半分を占めている」と言った。けれど、翌年に池は水草でいっぱいになっていた。
外国人の移民などは許せないと言う人もいる。そうなると排斥運動が起こるだろう。けれども外国人が多く日本に来れば日本の生産も上がると説得する人もいる。そしていずれ、世界中でいろんな人々が混ざり合って暮らすようになるだろう。そういう運命に人は置かれていると私は思っている。
こうした結果を見ると、私という人間はいつも多数の側に位置できないのだなと思う。どうやらこれは私の生れ落ちた時からの宿命のようなものだ。現実の前に理想論など風前の灯なのだ。けれど逆に考えれば、沖縄ではまだ30万人の人が安保条約の破棄をも含めて沖縄からの基地撤去を求めているということでもある。いつしか「現実も見なくてはいけないけれど、じゃあもっといい道に進むためにはどうしたらよいのだろうか」、そう考えるようになるのかもしれない。
日本の人口はこのままならば50年後には4千万人ほど減少すると推定されている。世界の人口は69億人といわれる。このうち13億人が中国で、12億人がインドであるそうだ。2つの国が世界の人口の35%を占めている。アメリカも日本もヨーロッパも、中国とインドの市場に期待している。だからこそ中国とインドもどのようにして富を得るかに躍起になっている。人口が減少する日本は各国から移民を受け入れなければ働き手がなくなると言う人もいるし、企業が中国やインドへ出ていくだろうと言う人もいる。
先進国の市場が狭くなった分、中国やインドへの期待が高まるのは必然だろう。日本のある企業家が「安い労働力を求めて、あるいは安い税金の海外でしか生産できないような企業は出て行けばいい。私は日本でなければ出来ない製品で勝負する」と言っていたけれど、きっとそうなるだろうと私も思う。農業生産品についても関税を無くせば日本の農業は壊滅すると言うけれど、それが当然の社会なら受け入れるしかないし、生き残るための努力をしなくてはならない。
こうして世界中の人々が生き残るための努力をすれば、世界の人口が多少増えてもまだ地球上の人間は生き残っていけるだろう。しかし、こんな話を読んだことがある。ある池に水草があった。その水草は1年で2倍ずつ増えていった。池の100分の1の時は気が付きもしなかった。50分の1の時も誰も気が付かなかった。25分の1になって、「このごろこの水草が目に付くね」と言った。50分の1になって、「水草が池の半分を占めている」と言った。けれど、翌年に池は水草でいっぱいになっていた。
外国人の移民などは許せないと言う人もいる。そうなると排斥運動が起こるだろう。けれども外国人が多く日本に来れば日本の生産も上がると説得する人もいる。そしていずれ、世界中でいろんな人々が混ざり合って暮らすようになるだろう。そういう運命に人は置かれていると私は思っている。