友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

年齢順ではない

2007年10月31日 23時55分07秒 | Weblog
 私の友人が亡くなった。私よりも3つも年下だ。人の良い、よく動く人だった。酒に弱くて、酒では苦労が絶えなかった。日本の歴史はよく知っていて、司馬遼太郎が好きだった。
 お通夜の後、みんなで彼のことを思って居酒屋で飲んだ。「いい人から先にいくねー」などと言いながら、冥福を心から祈った。よく飲み、よく議論し、そしてよく人生を楽しめたと思う。
 バイバイ、安らかに。
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「美味しい!」

2007年10月30日 21時42分34秒 | Weblog
 カミさんは友だち4人と紅葉を楽しむ一泊旅行に出かけてしまった。下の娘は昨夜、友だちの家に泊まりに行き、今晩も誰かさんと食事だから遅くなると言う。上の娘は仕事で遅くなるので、夕食までにはとても帰ることができないと言う。ということは、今晩は私が食事の準備をして、孫娘と二人で食べるということである。年に何回かはこういうことがあり、それはそれで、私と孫娘にとっては楽しみなひと時でもある。

 今晩は海鮮どんぶりでも作ろうか、それとも孫娘の好きな煮物でもやろうか、と思案している。昨日の孫娘は学校から帰るなり、「ダメだ。死んじゃう!」などと言う。ぽつりぽつりと話す内容をつなぎ合わせると、小学校の時からライバルだった女の子が、またもや学内の合唱コンクールでクラスを代表してピアノを弾くのだ。小学校の時からピアノ演奏では負けてきた「永遠のライバル」なのだそうだ。孫娘はちょっと間違えてしまったのに、彼女は完璧にできたというので、落ち込んでしまったのだ。なんだ、そんなことくらいたいしたことではない。当日にうまくできれば、それでいいのでしょう。そう言うと、どうやらそれだけではないようだ。

 中学の合唱コンクールというのは、表面的には「すごいネ!」と見えるけれど、実はなかなか大変なのだと孫娘は言う。歌わない子がいる。いることは仕方ないとしても、その子に気兼ねして歌えない子がいる。歌えば何らかのしっぺ返しがあることを恐れるからだ。先生がどんなに指導しても、うまくいかない。そこで先生はクラスの指導的な立場の子どもに協力を要請してくるのだが、言われた子どもたちも、それなりに努力はするけれども、そこはまだ子どもだからうまくはいかない。そんなジレンマの中にあるようだ。

 そればかりか、孫娘は朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』の「B子と同じだー」と言う。B子はいつもライバルのA子に負けてばかりいる。これではいかんと奮起するが、なかなかうまくいかない。今週はB子が好きになった男がA子の方を好きになってしまう話だから、孫娘も「永遠のライバル」に男を巡っても負けてしまう何かがあったのかもしれない。そんなことでもいろいろ話してくれているうちはまだいいのではないか。そのうちには「ジジババには何話してもムダ!」などと言われる日がやってくるだろう。

 孫娘は、「(私たち夫婦の)第3番目の娘だから今度は失敗しないように育てるんだよね」と言う。いつだったか、まだ小さい頃に、私だったかカミさんだったかが、そんなことを口にしたのを覚えているのだ。私たちとしてはそのつもりで、孫娘に接している。特に私は娘たちが小さい頃は、とにかく自分の意見・考えを押し付けた。孫娘には、もう少し友だちのように同じ目線で接しようと努力している。私の父親は、私の姉や兄を育てた時とは全く違って(と、よく姉が言う。)自由に育ててもらった。叩かれたことに注意を受けたこともなかった。私が高校生になった時は、まるで友だちのように接してくれた。

 それなのに、私は自分の子どもに対して、私の父親のような懐の深さで接してこなかったのではないか、そう反省している。娘たちは大人になり、人からも信頼されるまでになっている。今では私よりも人としての幅と深みがあるのかも知れない。老いては子に従えというが、まさにそのとおりになってきたと思う。子どもたちの助けになるように、孫の面倒をみようというわけである。まだ、孫が一人しかいないために孫娘に集中してしまいそうだが、まあそれも良かろうと思う。

 さてさて、ご飯の準備に取り掛かろう。ブログへの掲載はやはり夜になるがやむを得ない。結局、孫娘には海鮮どんぶりを作った。「美味しい!」と言う孫娘に、私は満足である。
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いる場所がない

2007年10月29日 16時56分00秒 | Weblog
 バンコクから先に一人で帰って来た下の娘がポツリと言う。「やっぱり自分の家とは違うのね」。娘が使っていた部屋は、2室をぶち抜いて1室にし、応接間と私の仕事部屋にしてしまった。そこで、彼女たち夫婦が来た時はこの部屋を明け渡している。いうなれば我が家では一番よい部屋なのだ。「友だちも、『実家に帰ってもいる場所がない』と言っていたけど、本当にそう思う」とも言う。おいおい、それでどうしろと言うのだろう。

 家を出た子どもがいつ帰ってきても昔のまま生活できるほどに日本の家には余裕は無いのではないか。もちろん、昔の田舎の家屋ならばそんなことも考えられないわけではないが、そう思って母親の在所のことや、父親の実家の材木屋のことを思い出してみても、そんな家のつくりにはなっていない。昔の家には家具や電化製品というものがないから、畳と押入れのある6畳や8畳の部屋がないわけでもないが、そうした部屋であっても何かで使われているはずだ。

 下の娘が不満があって言うのではないのだが、親としてみると、もう少しなにかやってやれないか、と思ってしまう。家を出るというのは、新しく家を構えるということだ。そこが自分の居場所であり、陣地であり、安らぎの場である。自分の家ならば何も気兼ねすることなく、裸でいようといつまでも寝ていようと、それは勝手なことだ。しかし、たとえ実家であってもそうはできない。嫁に行くということはそういうものだ。

 まだ嫁は自分の実家だからよいが、婿さんはどんなに気さくな家族だといっても気を遣う。私は、高校生の時に両親を亡くしたから、カミさんの実家に行くのは楽しかった。頑固で偏った考え方の人だとは思ったが、カミさんの父親と話したりお酒を飲んだりすることは楽しかった。むしろ、父親の方が私に気を遣っていると充分に感じていた。カミさんの母親とはカミさん以上によく話し、何でも相談されたので、力になってあげなくちゃーという気持ちが強かった。

 娘たちと話していると、本当に自分によく似てきたと思う。特に長女は独断的で、遠慮会釈なく言い切るところはまるで自分を見るようでイヤだ。次女は、細やかに気を遣うわりに、親しすぎる人には甘えが生まれるところはまるで自分を見せられているようだ。カミさんが「あなたは気遣いの人だと他人は言うけど、全く気遣いができていない」と私を非難するが、彼女の言い分は的を射ている。私は家族に対してはワンマンな独裁者で、自分の考えを押し付けるし、受け入れられないとなると口もきかない。

 下の娘は、今晩は友だちの家に泊まるという。「3日の結婚式には着物で行くから用意しておいて。できなければ洋服で行く」と吐き捨てるように言う。あのね、もう少し可愛く言えば、母親も気持ちよく準備ができるのに、そういうところが配慮に欠けるよ。どんな風に言ってもやってもらえるというのは甘えなんだよ。そういってやりたかったけれど、母親は「ハイハイ、準備しておきますよ」などと言う。私に言う時と娘に言う時では随分差がある。母親というものはそういうものなのだなと思う。だから安心して甘えられるのだろう。

 下の娘のダンナが来るのは11月1日だそうだ。おーい、早く来てくれ、そうじゃーないとまたあなたのヨメさんと口論になりそうだよ。
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休日らしい一日

2007年10月28日 23時31分45秒 | Weblog
 昨夜は友人が「ハマチがあるから取りに来ないか」と言うので、出かけた。「まあ、上がったら」と言うので、そのまま上がりこんで日本シリーズを観戦しながら、お酒をいただいた。ビールをいただき、ワインをいただき、焼酎もいただき、気分よく酔っ払ってしまったようだ。自分では、酔っ払ったとは思っていなかったが、日本ハムが緒戦に勝ち、「やはりダルビッシュ投手はただ者ではなかったね」などと話しながら、試合も終わったのだからここでおいとましようと、帰ってきた。帰ってきて、ブログを更新し、お風呂も入って寝た。

 それなのに、朝起きたら、昨夜のことを何も覚えていない。友人がハマチを持たせてくれたことも覚えていない。「ハマチは冷蔵庫にあるわよ」と家族から言われ、じゃーどうやって帰ってきたのだろうと考えたが、全く思い出せない。朝の食事をして、帰国した下の娘が「温泉に行きたい」と言うので、みんなで昼神温泉へ行くことにした。下の娘に運転させようとしたら、「えっ!免許書を持ってこなかったわよ」と言うので、やはり自分が運転しなくてはいけないのかと思って、運転席に乗り込むと、「パパお酒臭いわよ」と言う。

 昨夜、眠るのが遅かったからか、今朝は眠いとは思ったが、寝起きは悪くなかった。だから二日酔いなんていうことは全くないと思っていたのに、「酒臭い」と言われて、ショックだった。

 昼神温泉で、孫娘はプールで1時間半も泳いでいた。「日曜日でも泳げていいなあー」と喜んでいた。2時間ばかりプールや温泉で遊んで、食事となった。「お風呂上りにはやはりビールがいいね」ということで、お酒の飲めない長女に「運転はお願いね」とまたビールを飲んだ。

 午後3時ごろには帰ってきたので、孫娘の希望をかなえて、みんなでカラオケに出かけた。晩ご飯は昨夜、私が意識のないままに持って帰ったハマチをさばいてお刺身にし、取り寄せてあった鴨なべと一緒に食べた。やはり、ここでも「ビールがいいか」と飲んでしまう。その後は、またもや孫娘の希望を受け入れ、トランプで遊ぶことになった。遊んで、飲んで、休日らしい一日となった。
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下の娘が帰ってきた

2007年10月27日 22時10分06秒 | Weblog
 下の娘が友だちの結婚式のためにバンコクから帰ってきた。もう、とても騒がしい娘で、彼女が帰ってくるだけで賑やかな日々になることは間違いないと覚悟している。私の子どもは娘が二人しかいない。長女は私にそっくりでそのためにどうしてもいがみ合ってしまう。私は自分にそっくりな人間がこの世にいることが許せない。それは自分にそっくりな男がこの世に出現することを一番恐れたからだ。

 下の娘は確かに私に似ているが、それは顔立ちであって、気性という点では長女は私にそっくりである。今日も長女は、妹や私たち夫婦を前にして、自分の非は決して認めず、自分の功績だけを強調して述べる。聞いていて、本当に自分のそっくりなヤツだと思うけれど、今の自分には何も言えない。それだけ彼女を非難できるだけの根拠も、力も、無いことを思い知っている。

 娘たちと孫娘とカミさんが揃うと、4人の女性が揃ったことと同じである。孫娘はまだまだ子どもだと思っていたけれど、こうして女性が4人揃えば、全く同じ女性に見える。4人がたとえば、カミさんが直面していた後輩の、しかも難しい女の子たちをどう指導したらよいのか、という課題に対して、長女もその娘も、そして次女もそれぞれに、自分の経験から自分の意見を持っている。

 ここまで書いていたら、突然、バンコクから帰ってきて、友達のところに行っているはずの次女が帰ってきた。私は、友だちから「ハマチがあるから来ませんか」と言われて、その家に出かけていた。いつも気持ちよくお酒が飲める友だちである。これ幸いと出かけていって、歩くこともおぼつかないほどに酔っ払って、家にたどり着き、さてさて今日のブログを書き上げないといけないぞと思っていた時だけに、なにをしてよいのかわかわなくなり、パソコンに向かっているのに、何をしてよいのかも考え付かない。そういうわけで、今日はこれでおしまい。
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「ドン・キホーテ」を観る

2007年10月26日 23時16分19秒 | Weblog
 名演の係りの人から「感想文を書いて欲しい」と言われた。この前の『最後の恋』の時は、書きたいことがいっぱいあった。初老を迎えた男が「人生の1ページに、燃えるような熱い恋の思い出を残したい」と浮気をする物語で、より身近なものとして関心が高かった。そして、男と女の間では、どこからが清廉でどこからが不純なのか、垣根を越えた関係は成立しないものなのか、と考えさせられた。

 ところが、同じようにユーモアを基調とする作品なのに、『ドン・キホーテ』は余り笑えなかったし、涙も流さなかった。演劇として、余りにうまく作られてしまっているためなのだろうかとも思った。舞台のつくりは素晴らしかったし、俳優たちの声はよく響き、演技も演出も見事だった。それなのに、理由はよくわからなかったけれど、感動が湧き上がってこなかった。

 私は『ドン・キホーテ』を見て、原作者のミゲル・デ・セルバンテスがないが言いたかったのか、わかったような気がした。ただ荒唐無稽の面白おかしい物語を書いたわけではなかった。ミゲルは人間の理想の社会は何かを描きたかったのではないか、そんな気がした。キホーテの仲代達也さんは彼もまたキホーテだったのだろうか。死を迎えた時のキホーテの言葉はとても印象的だったのに、今となっては思い出せない。誠に悲しい限りである。
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民主主義の第2段階へ

2007年10月25日 22時34分30秒 | Weblog
 赤福やミートホープの事件は、消費者がお腹をこわすわけではないから、売って売って儲けようというものだ。そこには悪いことをしているという意識がない。血液製剤を投与したためにC型肝炎を発症した人がいるのに、製薬会社も国もだんまりを決めている。防衛省の守屋武昌前事務次官は、事務方の最高責任者の地位にありながら取引先の会社の接待に応じている。守屋氏の場合は、報道で知る限りでは、取引先と一体化してしまっている。遣われた予算はいったいいくらになるのか。赤福やミートホープの比ではあるまい。

 お金が無いと言いながら、国家公務員でも事務次官クラスの人は1億円近い退職金が払われるという。愛知県議会議員は年に1400万円ほど(月97万円)の報酬を受け取る。この議員報酬とは別に月50万円の政務調査費が使える。さらに、登庁すれば1日1万5000円の費用弁償が支給される。国家公務員が物価の安い地域で勤めているのと高い地域で勤めているのが同じではかわいそうだというので、地域手当を設けたら、各自治体も物価に差がないのに、これに倣って地域手当を設けた。本給の8%である。

 公務員の給与が低い時の方が清廉で、高い給与を得ている今の方が横着というのも皮肉なことだ。税金は国民からいやおうなしに取り立てるお金だ。公務員の責任ある立場にある人は、この税金をいかに使うかで頭を働かせている。自分が汗水流して働いて得たお金ではなく、近頃は少なくなってきているとしても、定期的に入ってくるお金である。本来なら、1円たりともおろそかにしてはならないお金だが、稼ぐ苦労がないから、結果としては湯水のように使ってしまう。

 国がこのままの社会保障や医療保障を続けていくとこの先どうなるというシミュレーションを発表していた。私はまるでナチスだなと思った。ナチスがどんな戦略だったのか詳しくは知らないが、少なくとも国民の多くに支持されるために、積極的な広報活動を展開した。マスコミはこぞってナチスの宣伝を買って出た。それは日本も同じだった。政府の政策に異議を唱えなかった。私のような者でも、このシミュレーションは土台がおかしいと感じるのだから、マスコミの人たちはもっとよくその内容を知っているはずだ。

 行政がシミュレーッションする時はいつも、現時点を肯定して始めている。そこがおかしいと私は思う。先にあげた公務員の給与にしても議員の待遇にしても、全てがこのままであるならばとしてしまっている。もちろん歳出削減を同時に行っていくシミュレーションも発表しているが、なにをどのように削減するのか定かではない。そんなに削減が必要なら、自衛隊を廃止すればよい。現在ある飛行機や船や全ての武器を売却すればよい。

 結局このシミュレーションの果たす役割は、いつかは税金を上げなくてはならないと国民に覚悟を促すためだ。本当に政府は必要なのか。自衛隊は必要なのか。いらないものはないのか。削れないのであっても減らせられないのか。検討し始めたならいくらでもその対象はある。そうして本当に必要な仕組みだけが残る。その作業が必要ではないのかと思う。人間は民主主義を作り出す過程で余分なものまで多く作りすぎた。今は本当の民主主義を作り出す第2段階なのだ。
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女の関心、男の関心

2007年10月24日 22時38分02秒 | Weblog
 中学1年の孫娘は、中間試験の結果をもらってきて、少々ガッカリしている。目標の順位に1つ足りなかったからだ。「1つくらいなら達成したのも同じことだから、約束どおり小田和正のCDを買ってあげるよ」と言うが、「いい。約束どおり出来なかったから、今度の時でいい」と答える。律儀というか、次には実現できる自信があるのか、なかなかなことを言う。中学に入って4回の試験を受け、期末以外は全て同じような順位を得たことが彼女には自信となったのだろう。

 その孫娘が突然、しごくだったか、さするだったか、今思い出せないが、要するに男の自慰を意味する言葉を知っているかと聞いてきた。「え!なに?」と聞き返した時、「男が‥」と言うので、「ああ、自慰のことか」とわかった。最近の彼女は、SだとかMだとか、SEXとか、KISSとか、いうことに関心が高い。「私の周りの子はみんな男がいるのに私にはいない」とぼやくから、「いいじゃないか、ここにいい男がいるんだから」とチャカすと、「別に男なんかどうでもいいんだけださ」とすねる。

 私も中学1年の頃は、性について関心を持っていた。いや、男どもは一様に興味津々だった。エロ本を手に入れてきてはそれを廻して見た。友人の父親にガリ版刷りのエロ本を持っている人がいた。友人らは絵もなければ写真もないただの小説だったので、余り関心がなかったが、その描写はすごかった。大人になって、野坂昭如の『四畳半襖の下張』を読んだ時、それを思い出した。あの頃、女の子はそんなことには全く関心がない素振りをしていたけれど、孫娘を見ていると、女も男も同じなのだと思えるようになった。

 孫娘たちの間ではケイタイ小説と言うものが流行っているそうだ。以前、孫娘と一緒に書店に行った時、そのケイタイ小説というものを教えてもらったが、内容はどれも彼女たちが喜びそうな、KISSやSEXの話ばかりだ。当たり前と言えば当たり前のことである。ケイタイで書いた小説というだけあって、文章が極めて短い。だから、あっという間に読めてしまう。それがいいというので子どもたちに受けているのだ。ちょっと読ませてもらったが、誰でも書けそうな出会いと別れである。

 やはり世の中は、重厚なものを避ける風潮があるようだ。そういえば孫娘もすぐ「めんどくさい」と言う。それでも彼女は小さい時から水泳をしてきたおかげで、「努力しなければ結果は出ない」と知っている。だから彼女は結果を求めて努力をする。今は律儀で正直だ。時々母親に問い詰められると、黙ってしまうがウソはつかない。あの「赤福」の社長のように、「誠に申し訳ありません。認識が間違っていました」などと、何度も何度も平気で繰り返してしまうような人にはならないだろう。

 人は大きくなるにつれて、知識とともにズルさも身につける。生きていくための防衛本能なのかもしれないが、本当に素晴らしいなと思える人は、身につけてしまったズルさを見せることはない気がする。人は真っ正直には生きられないかもしれないが、正直に生きようとすることはできる。孫娘の真っ正直さに比べるとさすがに私は年の功だけのことはある。
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日本語の難しさ

2007年10月23日 20時30分51秒 | Weblog
 秋も深まってきた。稲の刈り入れも終わりつつある。これでアレルギーから少しは解放されるのかと期待している。このところ、左目は慢性化したのか、目は赤いがかゆみは少なくなったのに、右目の方がやたらとかゆい。それにしても、年寄りになれば反応が弱くなるからアレルギーは起こらないという話だったが、なかなか収まらないのはまだ私は若いということなのだと勝手に思うことにした。

 今日は一日中家にいて、大和塾の第6回市民講座への案内文を作り印刷をする。これまでの5回に参加してくださった方々のところにこの案内文を送るために、封筒に住所書きをした。案内文を作っていて、「ご承知の方も多いと思います」がよいのか、「ご存知の方が多いと思います」がよいのか、わからなくなってしまった。承知というのは、命令などを承ることだから「ご」をつけてもなんとなく違和感がある。存知というのも、在るを知るということなのだから、これもピンとこない。迷って、元高校の国語教師に教えを求めた。先生の話を聞くうちに、「知っている方々も多いと思います」という普通の言い方にした。

 外国人に日本語を教えていると、日本語というのは難しいなと思うことが度々ある。外国人に教える日本ということではないが、やはり大和塾のチラシを作っていた時にも悩んだことがある。若いデザイナーは「金美齢女史という言い方はしないので、“氏”に直しておきました」と、言ってくれた。確かに新聞などでは「女史」という表現をしなくなっている。それでも「氏」というのはどうにもピンとこない。「せっかくの好意だが、やはり女史にしておいて」と話した。アメリカでは、MrやMrsという区別をなくそうという運動もある。言葉が持つ差別をなくそうというのである。

 私の親友夫婦も「奥さん」「主人」とは言わずに「つれあい」と呼んでいる。それはそれでよいだろう。奥にしまっておくようなものではないし、夫婦は主従の関係でもない。だが、漢字は文字に意味があるから、英語のようにはいかない。婦人の婦は箒を持った女であるし、男は田に力の組み合わせである。昔の人はそういうイメージで文字を作り上げたわけだけれど、極端に現代にはふさわしくないのであればそれはなくせばよいが、文字に目くじらを立てて突っかかることはないような気がする。

 「女史」は、社会的地位や名声のある女の人。また、その氏名に添える敬称である。「氏」よりもはるかに尊敬の意味合いが深いと私は思っている。「いや、問題は女性にだけそのような名称をつけることが差別なんですよ」と言うかもしれない。まず言葉から、差別をなくしていこうということ自体に私は反対ではない。人は知らず知らずのうちに、差別していることはある。それをきちんと検証することは大切だ。けれども日本語が持っている意味合いや深みまでもなくすことには戸惑いがある。

 私は好んで「貴女」と手紙で書くが、こういう日本語の情緒は好きだ。ジェンダーが問題提起しているのは、「性による不利益である」であると私は思っている。同一労働同一賃金が実行されていなかったり、昇進が違ったり、受けられる権利が阻害されたり、まだまだ残る性による不利益はなくしていかなくてはならない。その障害となっている社会の価値観を変えていく必要はある。そのことと、人間に男と女があり、違いが存在することを認めこととは対立軸にはならないと思っている。

 男と女が惹かれあう不思議な関係であるからこそ、いつまでも芸術の対象であり続ける。男と女と限定したけれど、男と男であっても女と女であっても、いやその境界のあいまいなものであっても、人は惹かれ、愛し合い、憎しみ合い、求め合ってきた。性異は実在する。やはり、私は女性に手紙を書くなら「貴女」がいい。
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昨日のこと

2007年10月22日 19時59分12秒 | Weblog
 昨日は77歳の姉のお供をして、大阪の帝国ホテルで開かれた「秋川雅史バースデイパーテイ」に出かけた。出かけたといっても、入場チケットは姉のものしかないので、私はパーテイが終わるまで待った。辺りをブラブラ歩き、結局喫茶店に入って2時間つぶした。そのおかげで、途中までしか読めていなかった海堂尊著『チーム・バチスタの栄光』を読み終えることができた。

 この本は、私にアゴタ・クリストフを「おもしろいわよ」と言って紹介してくれた人に、「今はどんな本を読んでいるんですか」と尋ねたところ、「これもおもしろいわよ」と言って貸してもらったものだ。アゴタ・クリストフの作品は展開が速く、一気に読めたが、この本も同じようにどんどんと引き込まれてしまった。アゴタの作品がハンガリー動乱を背景にしたものに対し、この作品は現代の最先端医療を扱っている。

 海堂尊という人を私は全く知らないが、著者名を見ると1961年生まれで、現在勤務医となっている。医師でなければ書けない内容だったので、なるほどと納得できた。これも私は知らなかったが、宝島社などが行っている大賞賞金1200万円の公募小説「このミステリーがすごい!」で、2005年度の大賞に輝いた作品だった。最先端医療の中に潜む、事故なのか殺人なのかそれとも何かと、めまぐるしく頭を切り替えないと付いていけない小説だった。

 読み終わって店を出てくると、すっかり街は暗くなっていた。大阪は難波の方には何度か着たことがあったけれど、天満は初めてだった。ビルは立ち並んでいるが日曜日のためなのか、静かだった。車の往来はあっても歩いているような人は私くらいだ。ホテルで待っていると何人かの人々が降りてきた。どうやらパーテイは終わったようだ。見ているとほとんどが女性だった。後で姉から聞くと、男性は3人ほどしかいなかったそうだ。その男性も夫婦で参加している様子だった。いかに多くの女性フアンが秋川雅史さんを支えているかがわかる。

 しかも、女性たちの年齢は50代から上が圧倒的だ。中には、杖を付き、今にも倒れそうな高齢の方もいたし、体重が百キロはあるのではないかと思われる婦人もいた。皆一様に秋川さんを「かわいい!」と言うそうだから、そう聞いた私は背筋が寒くなるような気がした。フアンというものはありがたいもので、このパーテイには600人もが参加したそうだ。しかもその人たちの多くが、東京に行ったり、北海道に行ったり、秋川さんの行くところへはどこへでも追いかけていくようだ。姉は「インターネットで調べて、行ってるみたいだよ」と言い、私に調べて連れて行って欲しそうな口ぶりだった。

 豪華な帝国ホテルを出て、私と姉は新大阪の駅の地下街で、一杯680円のニシンそばを食べ、1本のビールを二人で分け合って飲んだ。姉と二人だけで旅をするのは今回が初めてだ。姉はもう少し私に話したいことがあったかもしれなかったのに、私は帰りの新幹線ではまた本を取り出して、一人で読みふけっていた。

 家に帰り、姉がお土産にと買ってくれたシュウマイを肴にして、もう一度ビールを飲む。NHK衛星第一で、差別をなくすための授業を放送していた。1968年、アメリカで人種差別をなくすために取り組んだ小学校教師の実践を取り上げていた。小学校3年生か4年生くらいのクラスで、子どもを「青い目と茶色い目」に分け、差別する教育実践だ。差別を受けることの理不尽と苦しみ悲しみを実際に体験することで、差別をなくすという試みだ。

 女性教師は言う。「どこでもうまくいくとは限らないが、なくすためにどうするかを真剣に考えれば誰でもできる」。差別は小さな時から周囲が叩き込んだものだ。差別は実に他愛もないものから生まれるが、差別はさらに差別を生み出していく。差別をあってはならないものと頭で考えてもなかなかなくならない。差別される側になって初めて差別の痛みがわかる。そんなことを彼女は伝えたかったのだと思った。テレビを見ているうちに、ブログに書き込む時間がないことに気付いた。
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