今日は久しぶりに井戸掘りに出かけたので、少々疲れた。尾張平野のように、掘れば水が出てくるような地質と違って、名古屋の東側から知多半島へ延びる尾張東部の丘陵地帯は難敵である。こぶし大の石が粘土に混じってかなりの厚さでつながっていて、なかなか掘り進めない。両腕が痛いほどだ。6メートルほど掘って、続きは3日に行うことにした。依頼主は定年退職をされたかあるいは直前くらいの人で、80坪ほどの土地を農地にしようと頑張っている。何しろ土は大小の石が混じっているので、土を篩にかけて石を取り除き、砂やバーク堆肥を混ぜて、土作りをしている。水は雨水をいくつもの水槽に貯めるように工夫している。井戸が欲しいというのも無理はないと思った。
昔から人は、水田を手に入れた人は水稲を植えて米作りをしたのだろうが、この人のように荒れた土地しか手に入らなかった人は、こんな風に開墾して畑地を造っていったのだろう。初めの頃に植えたと思われるブドウの木が何本かあった。この辺りにブドウ畑が多いのも、土地が痩せているからだろう。ヨーロッパやアメリカで見たブドウ畑には棚はなかった。初め見た時はビックリしたけれど、日本のブドウ作りの方が変わっているのかも知れない。この土地の持ち主もブドウの枝を這わせて棚を作っていた。見上げると天空にはカスミ網が張ってある。鳥たちから野菜や果物を守るためだ。
我が家のルーフバルコニーでもチューリップがほとんど花を終えた。次は引き抜き、しばらく乾燥させて、来年も花を咲かせそうな大きめの球根を取っておかなくてはならない。そして、土に残っている根を取り除き、肥料を混ぜてまた新たな土作りをする。チューリップの後はサルビアと決めているが、もう少し広い庭があったなら、まるでジャングルのようにいろいろな草花が咲き乱れ、あるいは様々な樹木が生い茂る、そしてそこにアサガオが何輪か花を咲かせている、そんな庭がいい。しかし、マンションでは無理である。ルーフバルコニーに出られるのは夏場の間だけで、それも日陰となる午前中だけが至宝の時である。コーヒーを飲みながら新聞か本でも読めれば最高の幸せだ。
昔、アラン・ドロンがデビューした『太陽がいっぱい』は、燦燦と降り注ぐ太陽の下で、愛する女性を手に入れた男が、幸福の絶頂からまぶしそうに言うセリフを題名にしたものだ。そこまでの幸せ感はなくても、夏場の朝のひと時は満足な時間と言える。さて、そのためには自らがその演出のために汗を流さなくてはならない。自分が汗を流すからこそ、人にその幸福なひと時を味わってもらいたいと思ってしまうのだ。どこまでもおせっかいな性格が付いて回る。今日の井戸掘りの依頼主も、長椅子に身を投げ出して、自分が精魂込めて作り上げた畑を眺めることに、この上ない悦びを感じているのだろう。人の幸せは意外に小さい。それでいいのだと思う。
昔から人は、水田を手に入れた人は水稲を植えて米作りをしたのだろうが、この人のように荒れた土地しか手に入らなかった人は、こんな風に開墾して畑地を造っていったのだろう。初めの頃に植えたと思われるブドウの木が何本かあった。この辺りにブドウ畑が多いのも、土地が痩せているからだろう。ヨーロッパやアメリカで見たブドウ畑には棚はなかった。初め見た時はビックリしたけれど、日本のブドウ作りの方が変わっているのかも知れない。この土地の持ち主もブドウの枝を這わせて棚を作っていた。見上げると天空にはカスミ網が張ってある。鳥たちから野菜や果物を守るためだ。
我が家のルーフバルコニーでもチューリップがほとんど花を終えた。次は引き抜き、しばらく乾燥させて、来年も花を咲かせそうな大きめの球根を取っておかなくてはならない。そして、土に残っている根を取り除き、肥料を混ぜてまた新たな土作りをする。チューリップの後はサルビアと決めているが、もう少し広い庭があったなら、まるでジャングルのようにいろいろな草花が咲き乱れ、あるいは様々な樹木が生い茂る、そしてそこにアサガオが何輪か花を咲かせている、そんな庭がいい。しかし、マンションでは無理である。ルーフバルコニーに出られるのは夏場の間だけで、それも日陰となる午前中だけが至宝の時である。コーヒーを飲みながら新聞か本でも読めれば最高の幸せだ。
昔、アラン・ドロンがデビューした『太陽がいっぱい』は、燦燦と降り注ぐ太陽の下で、愛する女性を手に入れた男が、幸福の絶頂からまぶしそうに言うセリフを題名にしたものだ。そこまでの幸せ感はなくても、夏場の朝のひと時は満足な時間と言える。さて、そのためには自らがその演出のために汗を流さなくてはならない。自分が汗を流すからこそ、人にその幸福なひと時を味わってもらいたいと思ってしまうのだ。どこまでもおせっかいな性格が付いて回る。今日の井戸掘りの依頼主も、長椅子に身を投げ出して、自分が精魂込めて作り上げた畑を眺めることに、この上ない悦びを感じているのだろう。人の幸せは意外に小さい。それでいいのだと思う。