友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏の花の準備

2007年04月30日 22時46分35秒 | Weblog
 昨日、今日と快晴が続き、いよいよ初夏の感がします。
 チューリップはまだ遅咲きのものが満開です。それなのに、もう夏の花の準備をしなくてはなりません。昔、連休が終わって、しばらくしてから苗を買い求めに花屋さんに出かけたところ、もう苗がなくなっていた時ありました。花屋さんは「連休までに買っていただかないと、よい苗はありませんよ」と言います。そうだったのかと思って、それから注意して見ていますが、確かにそのとおりのようです。それでも最近ではガーデニングブームを反映してか、かなり遅くまで苗が並んでいます。しかし苗をよく見ると、出始めの頃とは違って元気のないものが多いように思います。

 昨日、今日と花屋を何軒か見て回りました。どの店もすごく混んでいて、花に癒しを求める人の多さを納得してしまいました。花の苗の値段、土や肥料の値段、鉢やグッズの値段はそれぞれ微妙に違っています。3袋で798円の値段の店と4袋で1050円の店ではどちらが値打ち何か、迷ってしまいます。量や中身も微妙に違っていて、それぞれのお店の工夫が面白いなと思いました。

 昨日、今日と私は夏の花の準備で大忙しです。咲き終えたチューリップを抜き、鉢の土を全部出して古い根を拾いあげ、古土に腐葉土やバーク堆肥を混ぜて次の鉢の土作りをします。これは大変な作業で、50鉢余の鉢を4鉢ずつ繰り返しながら行います。初めの頃の鉢は丁寧に行っていますが、だんだんと時間が経つに連れて、もうこれでいいかと大雑把になっていきます。幸いに我が家のルーフガーデンは西向きですので、午前中はどうにか作業ができます。午後は陽が当たるので作業は中止です。1鉢ひと鉢、ひっくり返しては土の入れ替えを行うので、時間はどれだけあっても足りません。

 今年は、昨年咲いたサルビアの種をとっておいたので、この種から育てようと思っています。サルビアは葉の緑と花の赤とのコントラストが好きで、長い間夏の花の代表として植えてきました。自然に落ちた種から芽を出すものがあります。それなら花が咲いたものを採っておいて、その種を蒔けば芽が出てくるのではないかと考え、昨年はサルビアの最後の花をビニール袋に入れておきました。サルビアの種は意外にも小さくて、種を一つひとつより分けるのは大変な作業ですので、とりあえず花も一緒に植えてみようと考えています。一応、苗床は用意しました。明日が曇り空なら種の植え付けをやってみようかと思っています。

 サルビアが好きなのは、あの赤と緑の対比の美しさに惹かれたのと、カール・マルクスが「好きな色が赤」と言っていたことにあると思います。私自身は淡い色よりも激しい色の方が好きです。赤はより強い赤が、緑はより緑色の方が好きです。自分自身はかなりあいまいなところがありますが、だからこそ強い色を欲しがるのかも知れません。それでも自分が色を使うような時は、どちらか言えば淡い色使いのほうが多いのも不思議です。きっと心のどこかで安定を求めているのか、さもなければハッキリした色を好む自分をカモフラージュしているのかも知れません。多分、どちらの自分も私自身なのだろうと思います。
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栗原小巻さんの朗読を聞いて

2007年04月29日 23時59分48秒 | Weblog
 親しい演劇グループが10周年を向かえ、女優の栗原小巻さんを迎えての朗読の会がありました。小巻さんに直接お会いする前、40年位前のことです。私が大学4年の時に、光村図書出版という国語と美術の教科書を作っている会社で、私はアルバイトとして働いていました。その時、背が高くとてもハムサムな人が会社にやってきました。「あれが栗原先生だ」とみんなが言うのですが、田舎者の私にはどうして騒いでいるのかわかりませんでした。栗原小巻さんがテレビなどで活躍するようになって、ああこの人のお父さんだったのかと知りました。

 今日、栗原小巻さんが朗読した作品はとても悲しいお話で、ズーッと涙が流れ、止めることができませんでした。幸せになれない人はどこまでも幸せになれないのか、いいえそんなことは決してあってはならないことです。いつかきっと幸せが訪れるはず、そうでない人生があることは人として許せることではありません。女郎の女性を愛した男も立派ですし、愛された女性の生き様も立派でした。朗読してくださった小巻さんはとても澄んだ声でした。歌も歌ってくださいましたが、どうしてこんなに伸びのある声が出せるものかと思いました。

 昨日は、孫娘と一緒にテレビで『中学生日記』を見ました。好きになった男の子が、30分おきにメールすることを命じたり、自分以外の男の子と口を利くことを許さなかったりします。小巻さんが描いてくれた時代のものからは百年くらい経ているのでしょうか、すっかり愛も様変わりです。昨日の講演で、八谷先生は「化け物みたいな子どもが生まれてきている」と話されましたが、化け物みたいな子どもを育ててしまったのは私たちです。もう少し厳密に言うなら、現在の40代の両親ですから、私たちの上の世代、現在の70代の人々です。そしてこれか10年先の時代には、さらに深刻な時代なのかもしれません。
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見守り待つ

2007年04月28日 22時12分34秒 | Weblog
 今日は大和塾の第3回市民講座である。
 今回の講師を務めてくださったのは、愛知学院大学短期大学部の八谷芳樹先生。八谷さんとの付き合いもずいぶん長くなる。昭和18年生まれだから先輩だと思っていたが、先生も私も昭和42年に高校の教員となっていることを後で知った。八谷さんを知ったのは、私が地域新聞を作っていた時で、お酒を飲むようになったのはまだ何年か前のことだ。たまたま、私の従兄弟が県の教育委員会の事務局にいて、しかも八谷さんとは高校の先輩にあたることから、3人で飲んだのがきっかけだった。

 八谷さんは実直な人柄で、私や従兄弟はちょっとやんちゃくれなところがあり、八谷さんはイヤだったかも知れないが私は一緒に飲んでいても楽しかった。大和塾を始める時、八谷さんには教育問題でぜひ話してもらおうと決めていた。校長にもなった人というのは、世間の人はさぞ立派な人と思われるかも知れないが、話は型どおりで個性のない人が多い。人としての面白みに欠けるような気がする。その点でも八谷さんはちょっと違うと感じていた。

 私はこの日のために、市教育委員会の後援許可もいただいた。直接、校長にお会いしてお願いする時間的な余裕がなかったので、もちろんそれは私の落ち度ではあるが、各学校のPTA役員が決まる前にと思って、全ての学校を回って講演会のことを知らせてくださるようにお願いした。多分、今日の参加者の中には校長から「こんなことがありますよ」と知らされて、参加してくださった方はいないのではないかと思う。次回はやはり、各学校の校長に直接会い、お話させていただかないといけないなと思った。

 さて、講演の内容については、参加してくださったお母さんたちは「よくわかったし、身につまされる」と話していたので、成果は大きかったと思う。八谷さんの指摘にもあったが、高校生の77.5%が進学する時代である。大学生の30%が大学院へ進む時代である。私はどこの学校へ進むかよりも、これから何を自分は目指していくのかが大事だと思っている。日本の人口が少なくなっていくことも心配していない。地球全体を見れば人口は過剰になっている。みんなが「自分だけの幸せを求めることはできない」。みんなでどうやって幸せになっていくのかを考えなくては、人間そのものが存在できない時代を迎えようとしている。

 八谷さんは何度も「アホな母親」と口にしていたが、何も母親だけに責任があるわけではない。そのことを充分に承知した上で、八谷さんは「見守り待つ」ことを強調したのだと思う。それは母親だけでなく、私たちのような年寄りにも求められる。つまり、社会全体で「見守り待つ」体制が必要なのだと私は思った。
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幸せのかたち

2007年04月27日 23時34分35秒 | Weblog
 蕨をいただいた。
 持ってきてくださったのは、田舎暮らしにあこがれて、揖斐川の上流に素晴らしい邸宅を借りたこともある、我が家の上のその上にお住まいの方だ。一度近所の皆さん20人ほどで、その借家があった集落のスキー場に出かけたことがある。スキー場の一角にはバーベキュー施設があり、肉や魚を買い込んで出かけた。子どもたちは斜面を走り回り、大人は若草をベッドに昼寝をしたり、散策を楽しんだりした。帰りには近くの温泉にも案内していただき、露天風呂から新緑の眺めを満喫させてもらった。

 夏は、我が家のルーフガーデンでのビアパーティーも恒例だ。我が家の上の方とその上の方の3家族で始まったパーティーだが、今では子どもたちも大きくなり、それぞれがダンナや子どもさんも連れて参加してくださる。近所付き合いが希薄になっていると世間では問題になっているが、我が家は気持ちの良いご近所に恵まれ、今日のように珍しいお土産をいただくことも多々ある。

 人が幸せを感じるのは、美しい景色を見た時でもなければ宝くじが当たった時でもない。人は人との関係の中でしか幸せを感じることはできない。人は自分が理解されていること、少なくとも自分が相手に受け入れられていると思える時に、悦びを覚えるのではないだろうか。私の中学・高校からの友人にとても饒舌な人がいるが、彼は相手に自分を受け入れて欲しいと思うからより多く話すことになる。とても気をつかい、一生懸命で相手に話し込む。私は「そんなに彼女に気があるなら、率直に好きなら好きと言ってしまえばいいのに」と何度か思ったが、彼は好き以前に自分を受け入れて欲しかったのだと最近になってわかった。

 同じ地域の人たちと、1年に何度か一緒に飲む。カミさんから言わせれば「ただ一緒に飲みたいだけなんでしょう」ということなんだが、春には近くの桜並木で「夜桜の宴」を、秋には紅葉を楽しもうと出かけ、大晦日には我が家で年の瀬を送る。昨年からは市の夏祭りに参加し、天然アユの塩焼きを目玉に屋台も行っている。要するに遊ぶことが好きなのだ。無くなってしまったが、矢田川花火もみんな揃って真下で見た。韓国からのホームステイの子どもたちも連れて行った。みんな大喜びだった。

 いつも集まれば同じ話になってしまう。それでもいいじゃーないかと思う。気の合った仲間でワイワイと酒を飲み交わすことくらい幸せなことはない。馬鹿馬鹿しいとおっしゃる方はぜひ一度、そんな機会を作ってみてはどうだろう。人間の幸せなんて実に他愛ないものだと気付くはずだ。それでもまだ、「そんな馬鹿げたことを」とお思いの方は高貴な方なのだろうが、本当に幸せにはなれない方のなのだと私は思っている。

 今晩もカミさんと私は二人で酒を飲み、この後私はこうしてブログに向かい、カミさんは大きな音量のテレビの前で居眠りをしている。まあこれも幸せの変形だろうと受け止めている昨今である。
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人は自由でよい

2007年04月26日 22時38分40秒 | Weblog
 全国学力テストのことを昨日は書いた。
 書いているうちに、いつの間にか学力テストから外れてしまった。外れてしまったばかりか、人が発言してきたことについて始末をしないことに非難しているような書き方になってしまった。確かに私には固執クセがある。でも、そういう自分は完全なのかと問われれば、とても胸を張ることはできない。だから私に非難する権利など無いし、批判する力も無いと充分にわかっている。

 16歳の頃だったか、正確な表題は忘れてしまったが、『この人を見よ』(?)というような題の本を図書室で見つけた。内容は太平洋戦争を進めた人々が、その後どのようにしているかといったものだった。戦争で亡くなった人々がいる。大黒柱を失い惨めな生活を強いられた人々がいる。その反面で、戦争を進めた人たちの中には再び国家の中枢へ戻った人たちもいる。戻ったことが悪いのではなく、この人たちが何一つ自分を語らないことが、私には理解できなかったし許せなかった。

 戦争直後はジッとしていた人が、世の中から非難されないとわかると大手を振って、過去のことに何をこだわるのかと開き直る。世間も過ぎたことは忘れようとする。いつもいつも、こんなことで本当にいいのか、というのが私の思いだ。

 またまた、学力テストの問題から外れてしまった。学力テストをやっても、どのよう生きることが人間の道なのかはわからない。どうして皆さんがそんなに学力にこだわるのか、私には理解できない。学力が並ではなぜダメなのか、学力を高めることになぜそんなにこだわるのか、なぜ世界で1番にならないといけないのか、どうしてもわからない。1番がいるなら30番もいるし、いちばん最後だってあるはずだ。どこだっていいじゃないかと考えるのはおかしいのだろうか。学力テストを行い、弱点を克服するのだという。

 極端な言い方だが、分数の割り算ができない大学生がいるそうで、それは驚きだが、分数の割り算ができないことがそんなになぜ問題なのか。大学生ができないことが問題なのか、それとも分数の割り算ができないことが問題なのか、どちらなのだろう。分数の割り算ができなくても生きていけるし、そのことでこれからの人生に希望が持てないわけではない。

 人はなぜ勉強するのか、そして勉強で何を身に付けようとするのか。確かに宇宙論的な数学を探求している人もいるし、その人の功績を受け継ぐ人もいるだろう。天才はいるが凡人もいるし愚直な人もいる。それでいいのではないか。何もすべての人が天才になる必要はないし、天才になる教育を受ける必要は無い。人は皆それぞれ違う。違っていていいのだとまず教育すべきだと私は思っている。足の早い人もいれば、遅い人もいる。歌のうまい人もいればへたな人もいる。それは皆、個性なのだからそれでよいのだよと、まず教えることが大事だと私は思っている。

 だから私は、学力テストなど全く必要性を感じない。私が一番嫌いなのはみんなが同じでなくてはならないという考え方だ。統一した規律が一番イヤだ。個々人が自由に動きながらも個々人自らが一致していく過程こそが私が望むところで、強制して統一すべきではないというのが私の一番の希望だ。
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全国学力テスト

2007年04月25日 20時42分12秒 | Weblog
 昨日、全国学力テストが行われた。
 そのために全国で唯一参加しなかった犬山市が、テレビで何度も取り上げられていた。その度に、教育長の瀬見井さんが映し出され、自論の「教育に競争原理はなじまない」を展開していた。孤立無援の中でよく頑張っている。さすがに骨のある人だと感心した。そういえば何年か前だが、議会で教育問題が取り上げられていた時、当時の教育長がやはり「教育に競争原理はなじまない」と発言していたことを思い出した。そう言っていた教育長の自治体も今回の全国テストに参加している。

 私の先輩で、学生運動のリーダーだった人も今では教育長を務めている。彼は当時、文部省の教育行政を痛烈に批判していた。「教育は即戦力の労働者を作るためだ」とか「君が代・日の丸こそは国家権力の象徴だ」とか、論理的で頭のキレが良くて彼に敵う者はいなかった。また彼は「自分が教えた子どもと結婚する教師はサギ師だ」と私に言った。きっとそういう教師に出会ったのだろう。私は彼の言葉をそのまま受け止めてきた。大学を卒業してから、どこで何をしていたのか全く知らなかった。

 新聞で、彼が教育長に任命された記事を見てビックリした。さぞユニークな教育行政を展開しているものと期待したが、全くの期待はずれだった。何よりも驚いたのは、彼の奥さんは彼の教え子だということだった。もちろん、人が誰を好きになろうと誰と結婚しようと自由だ。「教え子と結婚するような教師はサギ師だ」と言っていたことは言わなかったでもいい。もっと大事なことは国家の教育行政と彼の思想とがどのように整理されたのかということだ。昔、言っていたことと違ってもかまわないと思うけれど、少なくとも自分の中では整理が必要であるし、影響力を持った人間であるならなおさら自分の思いを語るべきであろう。

 東京都知事選挙で浅野氏を担いだ人々、特に社会的に大きな影響力を持っている人は自分の思いを語って欲しい。上野千鶴子さんなどはどのように考えているのだろう。日本人は過去のことをいつもあいまいにしてきた。「水に流す」ことで問題を掘り下げずにきた。戦争が終わって「一億総懺悔」ということで、責任の所在を明らかにせずにきた。同じじゃないかと思うのは私だけなのだろうか。
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シュールリアリスム展

2007年04月24日 22時04分39秒 | Weblog
 岡崎市美術博物館の『シュールリアリスム展』を観て来た。
 友人がブログで、岡崎市美術博物館で開催中の『シュールリアリスム展』を見て、素晴らしい企画だと書いていた。私は卒論でシュールリアリスムについて書いている。これは絶対に見逃せないと思い、出かけた。岡崎市美術博物館は東名高速・岡崎インターの北にある丘陵地にある。グランドや散策コースもある大きな岡崎中央総合公園の中でもひときわ目立つ建物だ。

 友人が書いていたように、美術博物館の中にはちょっとしゃれたレストランもある。少し遅い昼食をこのレストランでいただき、階下の展示場に向かった。市立美術館の企画展である。そこそこのものはあっても国立や県立の美術館の展示には及ばないだろうと思っていた。それでもよいから観たいと思ってやってきたのだが、作品の数も多く、展示の仕方も充分に工夫されていた。どうやら、この岡崎美術博物館にはシュールリアリスムを代表する作家の一人、サルバドール・ダリが好きで研究している学芸員がいるようだ。

 私がダリの絵を最初に見たのは小学校の高学年の時だ。兄が購読していたアメリカの週刊雑誌『LIFE』に載っていたもので、「内乱の予感」だったと思う。よくこんな絵が描けるものだと感心した。自分が美術を専攻することになって、シュールリアリスムは自分の求める方向となった。シュールリアリスムは「革命」を意図していた。それは丁度、ロシア革命、フロイトの心理学、科学や医学の発達、産業の急展開、そしてアフリカやアジアの未開発文明の紹介といったヨーロッパ社会を背景にしていた。

 フロイトの影響を受けたシュールリアリスムの指導者、アンドレ・ブルトンは「理性からの解放」を謳っている。そうなのだ。シュールリアリスムはダダが既成観念からの解放を目指したのを受けて、理性からの解放を目指した。人間社会における人間の解放をめざしたのだ。しかし、人間は残念ながら自分が存在するために作り出した理性から解放されることはなかった。人間が理性をなくせば、人間そのものでなくなってしまう。私の学生の時、「理性は偽善だ」と主張したけれど、人間の本質は理性にあると今は思っている。

 何はともあれ、岡崎美術博物館の環境はいい。今度来る時はもっと早く家を出て、一日をここで過ごす、そんな計画で来たいと思う。
 さて、そこでもう一度ケイタイで送った写真を掲載してみよう。
 
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交代の時期

2007年04月23日 19時50分53秒 | Weblog
 今朝、私が22歳で赴任した高校の卒業生が訪ねて来ました。
 私は直接彼を教えたことはありません。私が赴任した時はすでに彼は卒業していました。ところが不思議なもので、たまたま吹奏楽部の顧問を引き受けたことで彼と出会うことになりました。吹奏楽部は先輩が後輩を指導する形で活動していました。夏休みに一週間ほど合宿が行われ、その場所や交渉は全て生徒自身が行っていて、私はただ付き添って行くだけの顧問でした。合宿の時は先輩たちがやってきては指導をして、技術を磨いてくれていました。彼はそんな先輩の中で、真面目に後輩の面倒をみる男でした。どうして付き合いが始まったのか覚えていませんが、それからちょくちょく話すようになったと思います。

 団塊の世代の彼は、団塊の世代の特徴を持っていました。社会正義に強い関心を持っていましたし、積極的に社会とかかわりを持とうともしていました。彼の子どもさんは「理屈っぽい」と父親を批判するようです。そういえば、やはり同じ高校の卒業生で今回の選挙で市議に当選した男も、子どもからそんな批判を受けるそうです。彼らは社会人となった時、自分たちが社会を動かしていくことができると思ったのです。社会正義を実現するために、労働組合の活動にもかかわり、一生懸命に真面目に取り組んできたのです。しかし、いつの間にか、同じ世代の仲間も歯が抜けるように一人二人と管理職へと移っていきました。

 人と人とが落とし合う様な社会ではなく、お互いがお互いを認め、富を得た者はこれを分け、社会的な弱者をみんなで支え合う様な社会が大事だと言えば、息子や娘から「そんな理想論は通用しないよ」と否定されてしまいます。子どもたちの方がはるかに「保守的」で、団塊世代の方が「革新的」という現象が生まれているのです。保守だ革新だということが大事ではなく、お互いが自分の意見をキチンと言い合えることができる社会であればそれで良いと私は思っています。

 昨日の選挙の結果を見ると、私たち無党派市民派の世代交代が進んでいます。3期議員を務めたベテランたちが退き、代わって若い人たちが出てきています。我が家のチューリップも今盛りなものもあれば、すでに散っていくものもあります。せっかく、冒頭で述べた卒業生が2枚以上の写真の掲載の仕方を教えてくれたのに、ここで使わなかったら見放されてしまいます。そこで、強い風に耐える我が家のチューリップを掲載してみます。


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春の院展を観た

2007年04月22日 22時25分14秒 | Weblog
 『春の院展』を観て行きた。
 今日が最後だからどうしても観てこようというので出かけた。ところが、車を運転中に急に左こめかみの奥がズキンとなった。血管が破れたのかと思った。一瞬だったが余りの痛さに目を閉じた。「痛い」と思わず声を上げてしまったくらいだ。しかし声は上げたが、その一瞬だけだったので、そのまま運転してしまった。目が見えなくなったり、意識がなくなったりしたならば、大変なことになっていたかもしれない。

 やはり年齢はごまかしようがない。最近、胸が痛い。ドーンという思い痛みが続いている。医者はレントゲン検査の結果から「まあ、様子を見ましょう」と言う。医学的にはたいしたことではないということなのだろうと判断している。肉体は衰えてきたとはいえ、まだまだ年齢以上に若いと思っていたが、鏡に映る裸の自分は確かに年老いている。

 この4月に中学生になったばかりの孫娘が、「ああ疲れた。このままだと早く死ぬかもしれない」と言う。時々わかったことを言う子だ。「どれくらいで死ぬの」と聞いてみた。「10年かな」と言うので、「じゃー、22歳だから大学を卒業して死ぬんだ」と言ってみた。「それじゃーかわいそうだから、もっと前がいい」「19歳とか20歳とか?」「それもイヤ」「わかった。高校3年生の春というのはどう」と茶化してみた。すると「それがいいね」と言う。「そうか、あと5年か、じゃー一緒に死ぬっていうのはどう?」「それもいいね」と答える。話はわかったのかわからないのか、よくわからなくなった。どうして孫娘は「死ぬ」などと言ったのか、未だにわからないが、本人もよくわからないみたいだ。

 私は自分の「あと5年」を考えた。5年のうちに何ができるだろう。私はおよそ10年周期で変ってきた。11歳の時、おとなしく積極性にかける自分から決別しようとし、22歳で大学を卒業して教員となり、32歳の時、主夫となり悶々の日々を送り、41歳の時、一念発起して地域新聞を作った。52歳で首長選挙に立候補し、62歳で再挑戦して再び「空」となった。『春の院展』からどうしてこんな話になってしまったのだろう。

 そう、平山郁夫や田渕俊夫などそうそうたる作家の作品とともに、まだ若い作家の作品があったのだ。日本画だから作品に大きな違いはない。今日は展覧会の最終日でしかも遅い時間だったから、作家たちが会場に詰め掛けていた。ピッタとした細身のスーツ姿の若者が何人もいた。初めは彼らが作家とは思わなかった。観客の一人が係りの女性を捕まえて、「この作品の説明がして欲しい」と言ったところ、そばにいたスーツ姿の若者が呼ばれた。リボンをつけた若者たちが作家だと知った。まだまだ自分は「域」に達していないとばかり思っていたけれど、年齢は隠せない。時代ははっきりしている。次の時代の若者たちがもうどんどん出てきている。年寄りはそれを認めたくないだけなんだと思った。
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理想に向かって

2007年04月21日 18時04分20秒 | Weblog
 私がキリスト教に関心を持ったのは小学校の5年か6年の時だ。
 日曜日の夜、ラジオ放送で『ルーテルアワー』という番組あり、よく聞いていた。福沢諭吉の『学問のススメ』の冒頭にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で始まった。差別がないことになぜか心惹かれた。

 それからストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』を読んで、聖書を読んでみたいと思った。実際に聖書を読んだのは中学生になってからだ。学校へ行く途中に教会があり、水曜日に聖書研究会が開かれていたので参加した。やがて友だちを集めて中学生だけの聖書研究絵会ができるようになり、そのまま高校生聖書研究会へと膨らんでいった。

 キリストの言葉は、私にはとても衝撃的だった。キリストは「もし、誰かがあなたの右の頬を殴るなら、左の頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。(略)敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(略)父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛するだけなら、税金取りでも同じことをしているではないか」と言う。

 人間は皆、自分のためにしか生きていないと思っていた私にはとても新鮮な響きだった。これらの言葉は、旧約聖書のレビ記にある言葉を覆すものだ。当時のユダヤの人々はローマの支配下にあり、独立のための救世主を待ち望んでいた。各地で反乱も起きていたようだ。だからモーゼが示した神との約束を守り続けることで、いつか神が自分たちを救ってくれると考えていたのだろう。こうした人々に対し、キリストは説いているのだ。私は東洋にはない、何という積極性かと思った。

 孔子は「自分がいやなことを人にしてはいけない」と説いた。それは最低のルールだと思っていたが、やはり消極的だ。孔子の『論語』は読んでみるとなかなかおもしろい人生訓だ。東洋人である私にはすっーと入ってくる。孔子の時代も戦乱が続いていた。大きくは望まず、静かに生きていくことの中に幸せを見出しているようにも見える。人の上に立つ人はこうでなければならないと説いているが、人の上に立てる人は限られていると悟ってもいる。

 キリストは全ての人々が平等な「神の国」を創ろうと説く。それがどういう形のものなのかは定かではない。キリスト教国が一度として、人々が平等な国とはならなかったことを考えれば、理想国家の建設は人間にはできないことなのかもしれない。けれども、理想に向かっていくことはできるだろう。フランスの大統領選挙は人々がこれから何をしていかなくてはならないかを示してくれるものになるかもしれないし、まだまだ千年も2千年も先のことになるかもしれない。それでもキリストが言うように「求めよ!」なのだろう。

 地方議会議員選挙に立候補している無党派市民派の皆さんの健闘を祈る。
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