友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

相手のことは考えない人が多い

2019年11月29日 17時32分48秒 | Weblog

 寒い朝だったが、日中は日差しがあり暖かかった。「人肌が恋しい季節」というのは、暖房器具の無い時代のことなのだろうか。コマーシャルで「冬は誰かの暖かさを感じるためにある」というのを聞いた。

 知らなくてもよいのに、あまりにも多くの殺人事件が報道される。「死ぬ様子が見たかった」と女の子を切りつけた中学生がいた。名古屋大学の女子大生も「死に興味がある」と言っていた。走行中の新幹線の車内で、3人を殺傷した青年は公判で、「殺すつもりでやりました」と認め、ケガをさせた2人については「残念にも殺し損ないました」と述べ、止めようとして亡くなった1人に対して「見事に殺し切りました」と言う。

 加害者はいずれも対象となった被害者のことは何も考えていない。立場を逆にして考えてみるクセがあればこんな残虐な事件は起こさないだろう。あくまでも自分は生きていて、相手は痛みや苦しみの絶頂の中で死んでいく。立場が逆なら、加害者は「助けてくれ」と哀願しただろう。

 戦争で「敵と戦う」人は、相手のことなど考えない。「敵」は殺し、自分は生きる、それしか考えることはない。「お国のため」とか「父母を守るため」であれば、戦うこと殺すことが正しい行為になり、躊躇もしないのだろう。

 ナチスドイツで青少年団の子どもたちが、「総統よ 私たちはあなたのもの」と高らかに歌った。日本でも学校で子どもたちが声を揃えて国家を称えた。中国でも紅衛兵が気に入らない人々をやり玉に挙げていった。子どもは相手の立場まで考えない。学校に居ると、ひとりの子が「ソーレ、ソーレ」と騒ぎだすと、たちまち全員が声を揃えて囃し立てるのを見かける。

 相手のことは考えない人が多い。明日は、孫娘が蒲郡ラグーナでの1泊をプレゼントしてくれたので、ブログは休みます。

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来年の年賀状

2019年11月28日 17時15分53秒 | Weblog

 カミさんが、「ちょっと読んでいないとすぐ溜まっちゃう」と言いながらブログに目を通していた。「ねえ、文章が長すぎると文字が小さくなるみたいね」と言う。25日にアップした「急いで出かけたのに」の記事は、文字が小さくて読みにくいという指摘だ。

 それで、フォントのサイズを上げてみたら、大きくなり過ぎてしまった。小さいよりはいいかと放ってあるが、そもそも原因が分からない。以前にも同じことが起きた。インターネット上の文章をコピーして貼り付けると、その部分だけフォントが違うので、全域を指定してフォントのサイズを揃えたのに、いつものブログとは異なった様になってしまった。

 写真も以前は縦横を変えたり、大きさもトリミングもできたのに、パソコンが替わってからうまくいかない。ケチケチせずに、有料のワードやメールソフトを使えばいいのかも知れないが、それもどうすればよいのか分からない。

 1969年から2019年までの暑中見舞いと年賀状をまとめてA5判の冊子を作った。それが完成したと先ほど連絡があった。「最終版をお見せします」と編集を任せた彼女は言っていたが、もう忘れてしまったようだ。私が直して欲しいところは伝えたから、それでよいと判断したのだろう。メールで送っても、私が「見られないのでは」と心配したのかも知れない。

 来年の年賀状は「冊子をもって、終了とします」というハガキにしよう。そうすれば、2021年からは年賀状で悩むこともない。そうだ、私が亡くなった時のために、子どもたちの名前で出すハガキの下書きも作っておこう。

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朝日新聞には面白いコーナーがある

2019年11月27日 16時58分05秒 | Weblog

 朝日新聞には面白いコーナーがある。読者からの投稿に、他の読者が答えるコーナーだ。「人生の『正解』が欲しい」という大学生の投稿に5人が解答していた。高校生は、「自分の世界観を持たない人は議論もできない。自分なりの『正解』をつかみとり、それを絶対だと思わない謙虚さが必要だ。文章や会話で表現し、(揉みくちゃにされ)自らの世界観を壊して更新し続けて欲しい」と。

 同年の大学生は、「正解は存在するものではなく生み出すものだと思います。どこに向かって歩けばいいのか分からない場合は、まず自分がどこにいるのかを自問自答するしかないと思いました」と答える。48歳の小児科医は、「私は自分の人生は『幸せ』だと思えます。幸せは自分ひとりで達成できるものではないと実感します。幸せは自分が力になりたいと思った人から分けてもらうものと思います」。

 離婚歴のある64歳の女性は、「結婚=幸せとは限らない。私はたとえ何歳になっても、その年齢の『ビギナー(初心者)』だと考える。私は『64歳のビギナーの幸せな人生』を求めて生きている」と。歌手の加藤登紀子さんは、「正解なんて気にしなくていい。『自分の選んだ人生に誰にも文句は言わせない』というくらいの気分で、あたな自身を生きてください。世の中には、驚くほどいろんな生き方があります。どんな生き方も『正解』なのよ」と結んでいた。

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欲しがらなければ不満も無いが‥

2019年11月26日 17時15分34秒 | Weblog

 知り合いの女性が、「生まれ変わることが出来たら、今度こそ愛してくれる人と出会いたい」と言う。私が怪訝な顔をしたのか、「もちろん、両親は愛してくれたけど、夫も息子も愛してくれなかった」と断言する。彼女は別居生活をしているが、離婚したのだろうか。

 どうして別居になってしまったのかは知らないが、どんなに長く生活を共にしてきた夫婦でも相手に不満の無い人はいないだろう。気に入らないことがあっても、「お互い様」と目を瞑って暮らしてきたから長く続いていると思う。妥協のない完璧な夫婦がいるのだろうか。

 「あのさ、愛することのできない人は、愛されていることが分からないと言うよ」と、私がどこかの小説の中の言葉を伝えると、「その小説家の人は、本当に愛したことが無いからですよ。私はいつも片思いで、愛してばっかし」と開き直る。

 「だから、うまくいかなかったのではないの」と言いたくなるのをこらえて、「愛してくれる王子様に出会えるといいね」と世辞を言う。不満の多い人はいつも満たされない。欲しがらなければ不満も感じないのに。でも、人は幾つになっても欲しがることから逃れられない。

 もう先が長くないのに、最後の恋を夢見ている人もいる。エレベーターの前で先輩に出会ったが元気がない。「ちょっと歩くだけで、心臓がしんどい。まあ、それでコロリと逝ってくれればいいが」と零す。「みんな一緒ですよ。くよくよせずに前向いていきましょう」と励ますが、五十歩百歩であることに間違いはない。

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急いで出かけたのに

2019年11月25日 17時42分17秒 | Weblog

 友だちから電話があって、「朝、10時に国際交流の事務所に来てくれ」と言う。何のためなのか言わないから、「行けばいいの?」と聞くと、「お願いしたいことがある」と答える。いつものことだ。話すよりも会えば分かるということなのだろう。

 まだ車の運転が出来ないからカミさんに送ってもらう。10分前だったのに、彼はすでに来ていた。「こんな文面を作ったから見て。よかったら事務局から送ってもらう」と言う。12月4日にスリランカの人が来て講演するので、「多くの人に参加してもらえるように手伝って欲しい」とやっと目的を話す。

 協会のイベント案内には、「26年間におよんだ内戦の終結などを経て、今、人々はどんな課題をかかえ、どのよう に乗り越えようとしているのでしょうか? 日本以上に多文化、多宗教のスリランカで、立場が異なる人たち の間で理解と協働を生み出そうと取り組んでいる2人がやってきます。 マスコミやネットからでは伝わってこない人びとの声を聴いてみませんか?」とある。

 カトリックのローマ教皇が、「核兵器のない世界を実現することは可能であり、必要不可欠」、「真の平和は非武装の平和以外ありえない」、「戦争のための原子力利用は犯罪です。武器の製造や維持・改良はとてつもないテロ行為」、「核の脅威を使って他国を威嚇していながら、どうして平和を実現できると言うのか」と述べた、今朝の新聞を思い出す。

 彼に家まで送ってもらい、孫娘たちと待ち合わせているイオンモールへ出かけた。一緒に買い物をし、食事もして、別れて家に戻る。2時半からは放課後子ども教室へ出かけなくてはならない。遅刻だけはしたくない。ギリギリ間に合ったのに、校舎はカギがかかっている。運動場にいた子どもに聞くと、「土曜日の振り替えでお休み」と教えてくれた。カレンダーを見たら、確かにそうなっていた。ガッカリ! 

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市のPR映像を制作する学生たち

2019年11月24日 19時04分09秒 | Weblog

 市の市民講座『大人の国語・算数・理科・社会』の社会の第2弾は、「市の魅力を伝えるメディア作り」。名古屋芸術大学のデザイン科のふたりの先生の指導で、学生たちが取り組んだ市をPRする映像作りを紹介するものだった。同じ仕事をして来た私としては正直物足りなかった。

 大都市近郊の街なら、「古いものと新しいものが共存する」のは当然で、だから何?と聞きたくなる。稲穂の緑が美しい光景が続く。駄菓子屋があり、壊れそうなスーパーで手作りの梅干しが売られている。住民は優しく暖かい。高い建物は多くない。市民は夏祭りを楽しんでいる。

 ええ、それで?ともう一度聞きたくなる。リサーチを繰り返し、何度も構想を練り直したと説明していた。稲穂の美しい映像から何が見えたのだろう。農業で生活している人が何人いるのか、知っているのだろうか。市民の職業構成を調べたのだろうか。

 そもそも、PR映像で誰に何を伝えたいのか、私にはさっぱり分からなかった。PR映像の制作の過程は多少なりと理解できるが、その苦労を知ったとしても、だから何?と聞きたくなる。先生が言う。「知らないことを知ることで、人は豊かになる」と。そうだと思いますが、人は毎日、新聞やテレビで新しい情報に接するが、それで豊かになっているのだろうか。

 伝える仕事は、「誰に、何を、どのように」が大切なことだ。何でもいいから、紙面に載せてしまう、映像にして放映してしまう、確かにそれでも何かは伝わるだろう。伝えたい側の意思も働いているはずだ。でも今、受け取る側にいる私は、そんなゴミのような情報など見たくもない。

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『ドクターX』の魅力は痛快さにある

2019年11月23日 15時35分32秒 | Weblog

 「最近のテレビは面白くない」と年寄りは言う。カミさんは朝早くからBSで『おしん』の再放送を見ている。私もつられて見ているが、昭和10年代に格子のシャツを着た子どもはいないのにと、時代考証が出来ていないことが気になる。朝のドラマ『スカーレット』も昭和30年代だが、みんないいものを着ている。

 リアルに描きたいのならトコトン拘って欲しい。ストーリーの面白さで受ければいいのであれば、私には向かないドラマだ。今朝の朝日新聞に、「医療ドラマ好きですか?」という特集があった。1位は米倉涼子主演の『ドクターX』だった。私も毎週見ているから納得である。「臨場感がある」「最新の医療技術、治療法や処置法が分かる」という。

 手術の場面はかなり工夫しているようだ。医療関係者からアドバイスも受けて再現しているとどこかに書いてあった。しかし、医療の現場の人からは「現実とかけ離れている」「医学的な間違いやリアリティーがない」という指摘もある。主人公の大門未知子の決まり文句「私、失敗しないので」は、水戸黄門ドラマと同じという意見もあった。

 大門未知子は群れを嫌う一匹オオカミで、どんな難解な手術も成功させてしまう。謎の多い事件を見事に解決していく刑事ドラマと一緒だ。しかも、大門未知子は権力に屈せず、お金のための手術ではない。ただ、手術が好きなのだ。しかし、手術の後にマネジャーが2千万円とか3千万円の請求書を医院長のところに持ってくる。

 もの凄い金持ちのはずなのに、いつもピーピーしているところも不思議だ。おそらく、彼女が大金持ちになってしまっていたら、視聴者は「なんだ」と落胆するだろう。さて、今晩は知り合いが出演するバレエを見て、その後食事をする予定。この結婚記念日は贅沢なのか貧相なのか。

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香港の学生デモ

2019年11月22日 17時15分17秒 | Weblog

 どこへも行かず、一日中家に居るとブログのネタが見つからない。今日のような雨降りだと、ルーフバルコニーにも出ないから、外の空気を吸うこともない。やることはテレビを見るか、新聞や本を読むことくらいしかない。テレビは沢尻エリカさんの薬物や「桜を見る会」ばかりで、もういいやという気になってしまう。

 香港の学生デモも連日取り上げられていたが、新しい材料が見つからないようだ。60年安保の時は高校に入学したばかりで、新聞やテレビで知った。凄いことが起きているという感覚だった。名古屋の高校生はデモに参加していたようだが、私が入学した田舎の高校の新聞部は、過激な先輩が多かったが、「デモに行こう」と言う人はいなかった。

 夏休みに東京の大学に行っていた従兄がやって来て、「世の中は変わるよ。東京の大学へおいで」と言い、学生運動を熱く語ってくれた。70年安保闘争は機動隊に石を投げたり、大学をバリケードで封鎖したり、過激な行動になっていたが、社会人となっていた私はテレビニュースで見る側にいた。組合の動員で出かけた時、私の通う高校の生徒がデモに参加していた。

 香港の学生デモを見ていて、どんなに過激な行動で警察と闘っても勝利はないだろうと思った。過激になればなるほど、警察も執拗に弾圧してくる。60年の時も70年の時も、警察の若者は大学生を羨ましく思い、妬みや憎しみを抱いていた。弾圧する側にデモに同調する若者が生まれるなら、革命は成功するだろう。

 社会はいつも弾圧される側が、人の数で権力を倒す。けれども権力を握るとまた弾圧する。ロシア革命でもソ連邦の崩壊でも東欧の民主化でも、武器を持った弾圧側が革命に負けた。香港の学生デモもその先駆けなのだろう。中国本土もいずれ専制ではなくなるはずだ。

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老人は苦悩する‥

2019年11月21日 17時47分22秒 | Weblog

 右目の白内障の手術から10日経った。手術の翌日は遠くのものがキレイに見えた。ところが今は、手術前と同じようになってきている。右目よりもよく見えていた左目が、手術前の右目のようにモヤがかかっている。しかも、全体に黄色っぽい。「メガネは何時買ったらよいですか?」と尋ねると、先生は「もう少し落ち着くまで待ちましょう」と言われた。

 白内障の手術を受けた先輩に聞いても、「慣れるまで10日はかかった」と言う。メガネなしでも車の運転ができそうな気がしていたが、遠くがぼやけていては無理だ。自然に任せるしかない。誰かが言っていたが、情報(知識)のほとんどが目から得ていると実感する。文字好きの私としては、新聞や本が読めるだけでも幸せだろう。

 先輩は「新聞を隅から隅まで読む」と言うが、私は1面のコラムと読者の投稿欄が好きだ。中日新聞の投稿欄にはヤングという若者コーナーがあり、小学生の投稿に感心する時もある。短歌のコーナーも必ず目を通す。「書くまでは思いもしないことまでが書くと出てくる 書くということ」「改憲の日本を元へ戻さむと 亡霊のごと明治憲法」。

 香港でデモを見ていた日本の大学生が逮捕された。「こんな時に、そんな所へ出かけるな」と学生を批判する声。香港の女性活動家が、「何もしていない学生を逮捕した警察をなぜ批判しないのか」と言っていた。どうも私たちは権力を批判する目を無くしている。「桜を見る会」があれほど私物化されているのに、若者たちから批判の声は上がらない。

 「声上げぬことはある意味『加担』なり 分かってはいる老いたる今も」。老人は苦悩する‥。短歌は10月20日に掲載されたもの。

 

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名古屋市美術館の『カラヴァッジョ展』を観る

2019年11月20日 18時20分47秒 | Weblog

 「才能か。罪か」とポスターにあった。中日新聞に連載され、かなり広告されていたから、満員かも知れないと思いながら名古屋市美術館に出かけた。「天才画家の光と闇」の『カラヴァッジョ展』は、平日にも拘わらず会場は来場者で賑わっていた。

 名前だけ聞いても知らない人の方が多いだろうこの画家の展覧会に、これだけ多くの人が集まるのはやはり宣伝の効果だろう。それとともに、よく分からない現代アートと違って、写実的な作品は安心して見ていられる効果かも知れない。

 見て来た人なら気付くが、カラヴァッジョ自身の作品は数少ない。けれど、同時代の作品や彼の影響を受けた作品を見ると、確かに才能の持ち主だと思う。では罪とは何か、メチャクチャに生きてきたことを問うているのだろう。女優の沢尻エリカさんが凄い俳優だとしても、罪を犯したことから免れないように。

 彼の作品は高く評価されたので生活には困らなかった。それなのにか、そのためなのか、飲んで暴れて、挙句に殺傷事件まで犯している。素行の悪さと優れた作品が描けることは反しない。写実性では実に秀でている。花や果物の絵など、実物以上にリアルだ。

 「恥ずべき卑劣な男」と言われながら、彼の作風は以後の画家たちに受け継がれていった。光と闇の画家ラ・トゥールを思い出すし、レンブラントもそのひとりかも知れない。カラヴァッジョはそれまでの宗教画を超えた作品を描きたかったとも思う。展覧会は12月15日まで。

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