友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

看護師になった孫娘とデートする

2017年11月30日 17時25分30秒 | Weblog

 看護師になった孫娘が今日は時間が取れるというので、我が家まで来てもらって一緒に豊田市美術館へ出かけた。豊田市美術館では彫刻家のジャコメッティ展が開催されている。格別に彼女が好きな作家だとは思わないが、何か口実が無ければ一緒に出掛ける機会は無い。ジャコメッティがどういう人物かについて講釈し、芸術の歴史を話す。

 展示場に入ろうとすると、係の女性が「まず、ごあいさつのパネルをご覧ください」と言う。なぜ、そんなことを言うのだろうと不思議に思ったので、「どうして豊田市美術館で開催することになったのか、書いてないけど?」と皮肉を込めて尋ねると、はぁ~という顔で見返された。展示会場の職員なら、この展覧会の趣旨を説明する知識くらい持っていて欲しかった。

 私は初めてジャコメッティの作品を見た時、多分それは印刷物だったと思うが、ある意味で衝撃的だった。彫刻と言えば、多少のデフォルメはあったとしても、対象が判別できる像が多い。ジャコメッティのように何もかもそぎ落とした線のような人物は初めて見た。彼が活躍した時代を知ると、合点がいった。

 第1次世界大戦後、科学の急速な進歩とともに、人間とは何かを考える風潮が生まれ、既成の価値観を破壊するような運動が始まった。ソビエトの誕生で社会主義運動は広がり、芸術面ではシュールリアリズムがブームになっていった。人々は常に新しい作品を求めていた。ジャコメッティの作品を見たサルトルは「実存主義的」と言ったという。そう言われて観ると、そう見えるから不思議だ。

 展覧会を鑑賞した後は、素敵な庭を眺めながら食事をする。孫娘が「運転していくよ」と言ってくれたので、ワインを飲ませてもらった。広い庭には小鳥がさえずり、クリスマスに向けて新しい花が植えられていた。あと何年、こんな風に孫娘とデートできるのだろうか。

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横綱日馬富士が引退した

2017年11月29日 17時38分01秒 | Weblog

 横綱の日馬富士が引退届を出し、相撲協会は受理した。当然の結果だろう。後輩に礼儀を教えるつもりだったとしても、暴力行為が許されることではない。相撲協会は暴力追放を掲げている。果たして、本当に実現できるのかと思う。朝稽古はかなり早くから行うし、親方をはじめとする兄弟子たちの指導は極めて厳しい。竹刀や木の棒でお尻を叩くこともある。

 無理やりさせる稽古は暴力的だが、そうしなければ強くなれないと先輩たちは思っている。日頃の生活にしても上下関係はハッキリしていて、下の者が上の者の命令に背くことは出来ない。こうした「シゴキ」の世界は、伝統と言われてきた文化だ。これからは親方衆が「言葉」だけで弟子たちを教えきれるのだろうか、疑問も残る。

 それでも、「暴力的」であることを無くしていかないと、弟子入りしてくる若者は少なくなっていくだろう。「イジメ」に近いような「シゴキ」が、スポーツの上達には付きものだが、本当にそうなのかと、学校の運動場から聞こえてくる、体育の授業や部活での指導者と子どもたちの様子からそう思えてくる。

 甘えていて、上達できるものはない。営業だって、料理だって、書道だって、文章を書くことだって、良い結果を出そうとすれば人は努力する。指導者はそのポイントを的確に指摘し、育て上げていく人でなくてはならない。親方も教師も上司も両親も、みな同じだ。相撲界だけでなく、スポーツの世界が課せられている課題だろう。

 それにしても貴乃花親方はどうしたいのだろう。相撲界から暴力を一掃したい気持ちだろうが、まるでこの機会に、白鵬をはじめとするモンゴル力士を日本から追い出したいのかと見えてしまう。狭い円の中で、裸でぶつかり合うスポーツは他にない。神事でありながら勝負を競う伝統に、新しい息吹が吹き込まれる時なのだろうか。

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ヘンリー王子の婚約

2017年11月28日 18時12分35秒 | Weblog

 イギリス王室のヘンリー王子がアメリカ女優のメーガンさんと婚約した。これをテレビで見たいた夫婦の会話が面白かった。ダンナが「とうとう王子も結婚か」と言えば、カミさんは「かなりのプレイボーイというウワサだから、ちょうどいい潮時だったよ」と言う。「オレもそういう時があったなあー」。「何を言ってるの。ぜんぜんモテないくせに。仕方ないから結婚してあげたのよ。忘れたの」。

 「メーガンさんは離婚歴があるっていうじゃーないか。王室もよく認めたね」。「結婚は2度目の方がうまくいくのよ。苦難を乗り越えられるってことね」。「へえー、そうなのか。オレもそうしたかったなあー」。「私は何度も苦節を乗り越えてきたわ」。「えっ、そうか。そうなのか」。「だから、うまくいってるのよ。知らぬは亭主ばかりなりね」。

 ヘンリー王子はメーガンさんに遇った瞬間に恋に落ちたようだ。メーガンさんの目を見ると、確かに引き込まれそうな気がする。恋というものは、そういう魔力を持っている。メガンさんは大学を出て、どこかのアメリカ大使館に勤めたことがあるというから、成績のよい人なのだろう。美人で頭もよくてと思ったら、カリグラフィーをしていたとあった。

 馴染みがないかも知れないが、文字のデザインと言っていいだろう。日本ならレタリングというところだ。日本でも西洋でも、印刷機が生まれる前は手書きで写していた。そうするうちに、文字をデザインするようになった。じゃ―、ずいぶん器用な人なんだと合点した。カリグラフィーもレタリングも根気がいるし、美的なセンスが無ければ出来ない。

 そういえば、私の初恋の人は書道を嗜んでいた。家庭を持ってからは、ガーデニングに精を出し、草花を育てていると聞いた。また、草木染も始めていて、「展覧会がある」と同級生が教えてくれたことがある。何もしないお嬢さんと思っていたら、そんな趣味があったのかと驚いた。やりたいことがある人はいい。きっとあの子も何度も苦節を乗り越えてきたのだろう。

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忖度は大事なこと、でも相手に求めることではない

2017年11月27日 17時54分44秒 | Weblog

  「森友学園」の土地取得の問題で、会計検査院の報告が出たが、「値引きの根拠は不透明だが、文書が残っていないので判断できない」というものだった。安倍首相はきっと、「公務員のくせに忖度の分からないヤツだ」と思っていることだろう。

 大相撲の千秋楽で、優勝した白鵬のインタビューが物議をかもしている。前半の「ウミを出し切って、日馬富士と貴ノ岩を再び土俵に上げたい」は、同じモンゴル人として仲間の復帰を願う気持ちから出た言葉だろうが、聞いた日本人にはかなり違和感がある。日馬富士自身が認めているように、暴力を振るったことは事実で、ケガの程度に関係なく引退は当然だろう。

 どんな理由で暴力を振るったのかとか、どのような経過だったのかとか、相撲協会と貴乃花親方の関係とか、そんなことばかりが話題になっているが、事実は確かめることは出来ても真実は当人だって解らないだろう。

 相手のことを思って叩いたとか、正当防衛で殴ったとか、それは理由であって暴力を振るった事実に変わりはない。防衛のための戦争であろうと、テロリストだからであろうと、大量殺人であることに変わりはない。暴力を振るったり、人を殺したりすれば、罰を受けるのは当然である。

 私は覚えがないが、長女から「パパは『死ね』と言った」と弾劾された。そんなことを言うはずはないのに、「そう言った」と譲らない。長女が父親である私に怒ったことは事実で、どうしてそうなったのか分からなくても、私はこの事実を受け止める他ない。

 白鵬が最後に、「来年も大相撲をよろしくお願いします」と述べ、会場の人たちと万歳三唱をしたことを苦々しく思った人も多い。私は会場内の人たちと心が一つになった感じでよかったと思った。日本人は万歳が好きで、年の最後の場所を締めくくるつもりの、白鵬なりのサービス精神だったのだろう。

 忖度は大事なことだが、相手に求めることではない。

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音楽の溢れる街

2017年11月26日 17時37分00秒 | Weblog

 「夢ばかり追って。そんなのは理想論だ」とよく言われる。この街に文化会館ができた時、首長が「何か目玉になるものがあるといいのだが」と言うので、「住民よるオーケストラを作りましょう」と提案すると、「それはいい」と承諾してくれた。この街には音楽学部のある芸術大学がある。芸術の溢れる街にする。それが私の夢で、オーケストラはその第1歩である。

 学長に相談するとよい指導者を紹介してくれた。「音楽が好きだけれど、楽器の演奏は初めてという人も楽団に入れて欲しいのですが」とその先生に言うと、あっさり「いいですよ」と答えてもらった。それからオーケストラの楽団員集めに奔走する。「素人レベルだが」と言う人から、「これから習うので、ぜひ参加させて」と言う人まで様々だった。

 その市民オーケストラも結成してもう24年になる。楽団員同士の結婚もあり、よい指導者に恵まれ順調に育った。そして、少年少女合唱団、吹奏楽団、男女混声合唱団、オヤジバンドなどいくつもの音楽グループが誕生し、いよいよ音楽の街へと成長してきた。今日は、在住のプロの音楽家たちが結成した「音楽芸術協会」の第1回定期演奏会が開かれた。

 会場の大ホールをほぼ満席にするくらいだったから、第1回としては大成功だろう。プログラムの作り方が巧みで、個性的な演奏家たちの長所を生かし、バラエティに富みながらバランス良くできていた。プロ意識がぶつかり合って、分裂などにならぬように末永く運営していって欲しいと思う。市民によい音楽を提供することだけに専念してもらいたい。

 音楽家たちが自分たちの技量を惜しむことなく子どもたちに伝えたり、病院や介護施設にいる人たちにも聴かせてあげて欲しい。もちろん、こうした定期演奏会はきちんと入場料を取り、活動の一部に役立てて欲しいと思う。音楽にはなぜか癒しの要素がある。人類が音を、言葉よりも先に受け入れていたのではないかと私は思っている。

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初恋は幼稚園の時だった

2017年11月25日 17時25分42秒 | Weblog

  私の初恋は幼稚園の時で、その子の家まで後をつけたから、小さい時から相当のストーカーだった。同じクラスだったが、当時は男の子と女の子が接する雰囲気はなく、内気だったからか一度も話したことが無かった。ただ、可愛いなと眺めていただけだった。

 中学校は3つの小学校が集まった学校だった。私が通った小学校は明治の初めに開設された古い学校で、在学中に創立100年を迎えたと記憶している。他の2校は戦後にできた学校だったが、中学校では私の卒業した小学校よりも成績の良い子が多かった。

 1年の時、私は級長を命じられたから、クラス全体を眺める機会が多く、他の小学校から来たちょっと変わった女の子が気になった。明るくて、よくはしゃぎ、落ち着がなく、トンチンカンだった。体育の時間に整列して行進しているのに、なぜか突然笑い出し、先生が怒って「何がおかしい」と叱っているのに、「だって、おかしいもん」とヘラヘラ笑う変わった子だった。

 1年が終わる時、お別れ会を企画し、先生と7・8人で電車に乗って出かけた。私は母から「男はジェントルマンであれ」と教えられてきたので、彼女の荷物を持ち、座席を確保して女の子を優先して座らせた。彼女も充分楽しかったようだったので、帰り際に「電話していい?」と聞いた。えっ、という顔をしたがすぐ、「いいよ」と言うので、電話を掛けた。胸がドキドキして多分顔は真っ赤だったと思う。

 「友だちになって」と言ったと思う。それで私は充分だった。時々、靴箱に彼女からの小さな紙切れが入っていた。2年、3年とクラスが違ったので、話す機会はなかった。3年の時、無理やり放送部に入れ、彼女のために放送劇のシナリオも書いたが実現できなかった。色白で、目がパチっとしていて、小さくて可愛かった。あの子はボクの初恋の人。それで充分だった。

 高校3年の冬、初めて友だちの家から一緒に帰った。ふたりだけで街を歩くことも話すこともなかったから、私は有頂天だった。その時、彼女が「あなたは私ではなく、あなたが描いた私が好きなのよ」と別れを告げられた。えっ、どうして?何が?なぜ?私は一瞬何も見えなくなってしまった。

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男が助平でなくなる日

2017年11月24日 18時22分31秒 | Weblog

 若い人たちに人気の漫画『るろうに剣心』の作者が、女児の裸が写った動画や画像を所持していたとして書類送検された。『るろうに剣心』という漫画を知らなかったが、「週刊少年ジャンプ」に連載された人気漫画で、シリーズ累計発行部数は6000万部を超えるという。発行元の集英社は月刊誌の「ジャンプスクエア」で連載している続編シリーズを当面休載すると発表した。

 『るろうに剣心』をネットで見ると、女性漫画と見間違えるようなきれい筆使いの絵だった。剣術使いが主人公なので、凄まじい切り合いの場面が多いのだろう。映画化されているし、宝塚歌劇でも上演されているというから、やっぱり物語として面白いのだと思う。作者本人は「心から反省している」と報じられているが、そもそも女児の裸の画像を持つことがなぜ犯罪になるのだろう。

 コンビニで成人誌の販売を中止するという。私はコンビニをあまり利用しないが、たまにコピーするために行くと、書棚コーナーにはびっくりするような本が並んでいるが、見ている人はあまりいない。女性や子どもが嫌がるというより、販売面積のわりに売り上げが無いのだろう。書店にもポルノ雑誌コーナーがあるが、11つ見るような人はいない気がする。

 私が子どもの頃は、「平凡」や「明星」を見ただけでもドキドキした。中学の時、友だちのお父さんが仲間で作っているというガリ版刷りのエロ小説を見せてもらったこともある。「裸やSEX画は子どもに悪い影響を与えるから無くせ」と主張する大人がいるが、本当はその人に見たい気持ちがあるからではないかと思ってしまう。

 確かに街中に「成人誌」が溢れている光景は、美しいとか素晴らしいとか思えないけど、何でも禁止してしまう社会は鬱陶しい。人間には欲望がある。「男は助平」と女性たちが非難し、助平でない男性ばかりになったら、人工授精でしか子どもが生まれなくなる。無菌で無欲で無表情な社会なんて、私は嫌だ。空気を読み取り、感情を持ち、秩序に従うロボットが開発されているというから、助平で薄汚い人間は存在できなくなるのだろう。

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国際交流なのにすべてを受け入れないのはナゼなの

2017年11月23日 17時13分25秒 | Weblog

  健康・福祉・環境・ボランティアに関係する団体が集まって行う『ふれあいフェスタ』が開かれ、今年も国際交流協会のカンバッチを担当することになった。私が国際交流に携わっていた10年以上前は、全くの民間団体で、この街に住む外国人のために活動することが多かった。外国人に日本語を教えたり、外国の習慣や料理を日本人が学ぶイベントなど主に行ったが、やっぱり外国へ旅行がしたい人もいて、親善ツアーなども企画したこともあった。

 市が誕生し、行政の指導の下に国際交流協会が設立されたので、民間団体は解散したが、残るメンバーほとんどいなくて、全く新しい組織となり、活動の内容も大きく変わった。行政と密接になったが故に予算も潤沢になり、海外との交流も盛んになった。合併以前から行政が進めてきた韓国の都市やグアムへの訪問が主となり、華やかな活動が目を引く。ところが日韓の関係がギクシャクし、今ではグアムの比重が増えている。

 韓国との交流は、韓国の側から「慰安婦問題をどうとらえているか」と質問が寄せられる一方、日本の右翼からも「反日の韓国となぜ交流するのか」と嫌がらせを受け、縮小へ向かっている。私の市でも中学生の韓国訪問は無くなりそうだ。国の政治に関係なく、民間は堂々と交流すればいいと思うが、行政はそうできないのが現実だ。今日も、そんな話題がボランティア・スタッフの間で取り交わされていた。

 一人一人が友だちになれば理解も生まれるのに、国が絡むとどうして仲違いするような「排除」へと向かってしまうのだろう。日馬富士の暴行問題も、昨日の白鵬の取り組み後の態度も、なぜか「日本の伝統相撲に泥を塗る」という批判が多い。「日本へ稼ぎに来ているくせに」という外国人への差別意識に近いものもある。個人なら仲良くできるのに、集団となると途端に「排除」し合うのはどうしてなのだろう。

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子連れ議会でなぜ悪い?

2017年11月22日 18時33分59秒 | Weblog

  熊本市議会で、生後7か月の赤ちゃんと一緒に議席についた女性議員に対して、事前に知らせていないとモメて、結局、女性議員が折れて40分遅れての開会となった。事前に通告していないと規則の問題にしているが、おそらく通告しても議長は許可しないだろう。一般的に、「議場は神聖な場所」という観念があり、例えば、今ではクールビズと称してノーネクタイになったが、それまではスーツにネクタイの正装が議員の服装だった。

 「横綱の品格」が問題になっている。議員も市民を代表する立場なので、正装して議会に臨むように強要されている。それは議場が神聖で、議員は品格のある人との前提があるからだろう。地方議会を傍聴してみれば一目瞭然だが、多くの議員が目を瞑っているし、こっくりと船をこいでいる議員だっている。国会でよく見かけるのは、凄まじいヤジで、中には「品格のかけら」もない言葉を発する議員もいる。

 先日の国会で、代表質問に立った立憲民主党の枝野代表は安倍政権の改憲への動きに、「今ある憲法を守ってから言え。それがまっとうな順序だ」と言った。政党の代表者の発言としてはあまりにも品位に欠ける。「言え」ではなく「言うべきです」となぜ表現できないのかと唖然とした。「戦いの場なんだから、はっきりと言うべきだ」との考えなら、議会は論戦が出来ればいいわけだから、服装など関係ないし、子連れだって構わないはずだ。

 議場の神聖化よりも、実質の審議・論戦がどれほど行われたのかこそが本スジであり、マスコミもそこを報道すべきだろう。「議員の品格」は有権者が判断することで、議員が自ら「神聖」などと吹聴することではない。「教師や裁判官が子連れで職場に来たらどうする」とか、「議会の何たるかが分かっていない」と批判するが、子連れでも良い職場環境を整えることが「働き方改革」ではないか。赤ちゃんも交えて、ワイワイと議論しても別に差し支えないと私は思う。

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「優勝した」と元気いっぱい

2017年11月21日 17時52分25秒 | Weblog

  朝、起きると晴れていた。カミさんはすでにゴルフに出かけている。テレビを見ながら朝食をすませ、少し厚着をしてルーフバルコニーへ出る。風がないので寒さは感じない。早速仕事にかかるが、昨夜の雨で鉢の土が重い。簡単に進むはずだったのに、午前に1鉢、午後も1鉢と効率が悪い。土ばかり見ているせいなのか、焦点が合わずぼんやりとしか見えない。

 このところ3晩とも、夜中に胃がチクチクと痛み目が覚める。もう、胃が痛くなるようなストレスは無いのに、何を胃は感じているのだろう。晩酌は欠かしたことがない。焼酎であったり、日本酒であったり、ワインであったりと違いはあるが、みんなで飲む時のような滅茶飲みではない。ふたりでワインなら1本を空けてしまうが、毎晩その程度だ。

 首長選挙の後、何物にも束縛されることが無くなったからと、毎晩この程度は飲むようになったが、胃が痛くなることはむしろ稀で、自分では気が付いていなくても、何かイライラすることがあるのかも知れない。今日のように作業がはかどらないこともプレッシャーなのだろうか。それとも座り込んで前かがみの姿勢で胃を圧迫し続けていることが原因なのだろうか。

 10月くらいからか、立っている時は普通に鼻呼吸をしているのに、横になると口呼吸になっている。寝ていると口がカサカサに乾いているのに気が付いて、慌てて鼻で呼吸をしようとするがうまくいかない。下を向いて寝るといびきをかかないと言われていることを思い出し、下向きになって寝るがやっぱり口呼吸になってしまう。

 歳を取るといろいろとガタがくると人はよく言う。あまり気にしてこなかったが、間違いなく老化は進んでいるようだ。老化防止の最善策は「恋をする」ことだが、そんな望みもだんだん遠くなっていく。おや、カミさんがゴルフから帰って来て、開口一番「優勝したわよ」とうれしさを隠し切れないとばかりに言う。おめでとう。

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