友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子は親の姿を見て育つ

2010年10月31日 21時22分21秒 | Weblog
 夕方から雨になったけれど、今日はマンションの運動会で、雨になる前に終了できたそうだ。私は「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」の10月例会があったので、運動会には出られなかったが、昔からの顔なじみとともに新しい人たちも多く参加されていたようだ。地域の仲間意識という点で、こうした行事は続けていく必要があるだろう。子どもたちが巣立っていってしまい、孫娘もここにいないから、私はすっかりご無沙汰になってしまった。久しぶりに参加したカミさんは「こじんまりとしていたけれど、仲良くやっている」と運動会の様子を話すが、何と言っても昔からのなじみの人たちが孫を連れて参加していることが印象的であったようだ。

 こんな話も聞いた。小学校の授業参観日のこと、先生が問題を出して「これ、分かる人?」と質問した。すると、子どもたちは大きな声で「はい、はい」と手を上げた。中でも真っ先に手を上げ、声も大きく元気な男の子がいた。先生はその子を指名した。ところが、その男の子はもじもじするばかりで何も答えられなかった。問題はその後のことだ。授業後に、その男の子の母親が先生のところに凄い剣幕でやってきた。「先生はなぜ、うちの子を指名したのか。うちの子も私も大勢の前で恥をかかされた。こんな屈辱はない。どうしてくれるのか」と先生に詰め寄ったそうだ。

 この事件がどうなったのか知らないが、そんなことで学校へ怒鳴り込んでくる親がいることにビックリした。先生は余りに元気よく手を上げたので、指名したのだろうけれど、もし指名しなければ、「うちの子が一番先に手を上げたのになぜ指名しない」と怒るだろう。母親が自分の子どものことしか見ていないのは困ったものだ。先生が「そうか、ちょっと緊張して答えを忘れてしまったね」とヒントでも出せばよかったかもしれないが、本当は答えが分からなくても母親にいいところを見せようとして、手を上げてしまったのかもしれない。母親だったら、「よくがんばったわね」とわが子を褒めてやればいい。その方が子どもはどれほど救われるか分からない。

 教育はサービスなのだから要求して当然と考える親がいるようだ。保護者との面接で先生が「ちょっと落ち着きが足りません」と子どもを評したら、母親は「そんなことは親だから百も承知です。わざわざ先生に指摘されるのは不愉快です」と怒られてしまった先生もいるそうだ。おそらく多くの先生から「落ち着きがない」と注意されてきたのだろう。先生の方もうっかり口にしたのだろうけれど、「落ち着きがない」と言うだけではどうしようもない。落ち着かせるための具体的な課題を与えるべきだろう。

 先ほどの運動会に話を戻すと、私の友だちは運動会で賞品をもらった。同じものが2つあったので、2歳の男の子は1つを祖母に、もう1つを祖母の友だちに渡した。ご近所付き合いからよくおすそ分けをしている様子を見ていたのだろう。そこへ祖母のもうひとりの友だちがやってきて、男の子に「私も欲しい」と祖母のものを取ろうとした。しかし、男の子はダメだと離さない。そこで祖母が封を切って中身のお菓子を出してやると、男の子は嬉しそうに、みんなに平等に分けたそうだ。子どもは親の姿を見て育つ。それが教育の基本である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説家志望

2010年10月30日 19時47分07秒 | Weblog
 大型の台風14号は、この地方ではほとんど風もなく、通り過ぎていった。我が家から次女が今朝、茨城へと帰っていった。次女が台風を連れて行ってくれたのかと思ったけれど、すると向こうは嵐になっていないかと心配になった。「もう家に着いた頃かな?」とカミさんに聞くと、「ダンナが迎えにきてくれたとメールが来たわよ」と言う。そうかそれならばよかった。次女はホントに些細なことからすぐにとげとげしくなるところがある。優しさが彼女の取り柄なのだからもう少し鷹揚な心を育てて欲しいと私は願っている。

 次女だけでなく、私のブログを読んで、「これは私のことだ」と思った人から、「こんなことは言っていない」と怒られたことがある。誰がどう言ったとは特定できないように気をつけて書いているし、多少知っている人なら分かることなら、決してその人が傷つくようなことのないように書いている。中学からの友だちが、「もう少し、自分が出てもいいのではないか」とアドバイスをもらったので、「私」がどう思っているか、「私」がどう感じているか、という「私」だけははっきり自分のことですと言い切れるようにしている。他の人の言葉は、「私」へたどり着くために登場させているところもある。

 「毎日、よく書けるね。小説でも書いたら」と冗談で褒めてくれる人もいるけれど、どうも高校時代のことがトラウマになっていて、物語は書けない。文芸部の機関誌に短い小説を書いた。父親は「なかなかいいね」と言ってくれたけれど、顧問の先生からは「こんな自分勝手な独りよがりはダメだ」と酷評だった。やはり自分は見たものを書く新聞記事の方が向いているのかと思った。それに文芸部には私が太刀打ちできないと思う奴がいたこともあり、彼が物書きになれないならば私などはとても無理だと思ってきた。いつか、新聞か雑誌に彼の名前が出てくるだろうと期待していたけれど、未だに名前は出てこない。今はどうしているのだろう。

 65歳の男が自分の娘と変わらない歳の女と房事の最中に亡くなった。「情死こそ男の本望」と嘯いていた男にとっては満足な死に方だった。けれど、女は‥‥と私が物語を書きだしたなら、まず次女が「これは本当のことなのか?」と詰問してくるだろう。「小説だから」と答えても、「情死のようなことを望んでいるのか?」「そういう経験があるの?」「女の人はどういう人なの?」などと矢継ぎ早に質問してくるだろう。それに私にはその続きを構想できるだけの執筆力がない。自分のことは書けても、登場人物のいずれの人にもなりきれるだけの知識も素養もない。

 台風が過ぎ去って、明日から農作業や井戸掘り作業ができるだろうかと、そんなことに期待したり失望したり、相変わらずの生活が待っている。それでも実は最近、何か、自分の人生について分かりかけてきたことがある。それが何なのか、まだハッキリしないけれど、死ぬまでに分かればいいかと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋のドラマ

2010年10月29日 22時04分06秒 | Weblog
 先週の土曜日の夜に次女夫婦がやってきて、ダンナの方は先に帰ったのに次女はまだ滞在している。明日は帰るということで、中学時代からの親しい友だちとの食事会に出かけていった。そんな次女のもとに高校の同窓会に案内ハガキが届いていた。女友だちで集まった時に、「同窓会に出かけて行ったら何かいいことがあるのかな?」ということが話題になっていたそうだ。「素敵なおじ様に口説かれるかもしれないわね」とか、「クラス会で再会し、再び恋が燃え上がるって言うわよ」「クラス会ならそういうこともあるかも知れないけど、同窓会じゃー年寄りばっかりじゃないの」と話が盛り上がったそうだ。

 クラス会をきっかけに、昔好きだった人との恋に発展していくという話はよくある。そんなことが新聞に出ていたし、実際にダンナがカミさんに「クラス会へ参加することを許さない」と言うし、逆にクラス会に参加したダンナのケイタイに女友だちからメールが届き、「何も疚しいことはない」とダンナが言うのに、カミさんは焼餅を焼いて夫婦仲が不仲になったと新聞の投書欄にあった。人が恋に落ち入るのに、年齢の差は関係ないようだ。先日もテレビで80歳のダンナを世話する51歳の女の人の話があった。ダンナの認知症が進んで世話することが困難になったばかりか、生活そのものが成り立たないと女の人は嘆いていた。

 一緒にテレビを見ていた潔癖症の次女は、「自業自得よ。そんなのは分かって結婚したんだから、先のことを考えておかなかった自分の責任じゃない」と切り捨てる。「恋だ愛だと浮かれているから、置かれている現実が見えないのよ」と手厳しい。私は、「浮かれていたから恋なのではないの。恋がまるで計算通りであったなら、そんなのは恋とは言えないんじゃないの」と言いたかったけれど、それを口にしたらケンカになってしまうので止めた。でもさ、恋は会ったのにもう会いたくて仕方ない。いつも一緒にいたいし、会うまでの瞬間がドギドギしてしまう、そんな先の見えないものではないの。

 NHKテレビで鈴木京香さんが主演するドラマがある。17歳も年下の男性に恋する不倫劇だが、恋は先の見えない不安定なものだ。結婚している男女が恋をすることは許されない。けれども、心の中で好きにならない保障がどこにあるだろう。人間は長い間、恋をすれば結婚し、結婚したら恋はしないと決めてきたけれど、誰がどうしてそう決めたのだろう。確かに次女が言うように恋などしていたら社会的にも身の破滅だろう。現実の社会は決して、結婚した男女が恋することを許さない。

 それなのになぜ人間は恋のドラマを多く作ってきたのだろう。結婚した人も「ああ、素敵な人だ」と心の中では恋することはあると思う。肉体の交わりはなくても、恋人のように付き合うことができる人もいる。人間は誠に勝手でそして複雑な存在である。恋のドラマが多いのは、自分の心に共通するものがあるからだろう。観ていることでワクワクしている自分を抑えているのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「司法」「立法」「行政」の根本からの見直しの時

2010年10月28日 20時38分52秒 | Weblog
 民主党が企業・団体からの献金を受け入れるという。国民が政治に何を求めていたのか、民主党はわかっていない。政権交代を実現したら、やっぱりお金が必要だった。予算は減らせないから消費税の増税も頭において議論するとか、政権を維持するためにはお金がいる(?)ので、企業・団体からの献金は受け入れる。事業仕分けをするが、なくす金額が重要ではない。何だか言っていることが私の期待とは逆さまだ。

 戦後は右肩上がりの経済に支えられ、行政もどんどん膨らみ、政治家と官僚が甘い汁を吸い続けてきた。また、一部の国民にも甘い汁はばら撒かれ、相互に依存しながら自民党政権が維持されてきたが、政治と金が問題になってきた。そこで小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言って出てきた。それはわずかに自民党政権が生き延びるために時間稼ぎだった。こうして、やっと経験交代が実現されたけれど、いまや民主党はますます自民党化しつつある。

 事業仕分けも大事であるし、予算の見直しも大切だと思う。けれども本当に改革をするならば、政治の仕組みそのものを変えることだろう。民主主義の3本の柱と教わった「司法」「立法」「行政」のあるべき姿について、根本から見直すことが必要だろう。検察が証拠を操作できれば誰でも犯人に仕立てられる。裁判員制度で市民参加の司法もよいが、「司法」の仕組みにもメスを入れる時だろう。

 国会はなぜ2院制なのか、議員の役割や数、議論や決定の仕方、これまで慣習でやってきたけれどああいう国会でよかったのか。「立法」のあり方は根本から見直すべきだ。「行政」は古代から延々と続いてきた。みんながみんな行政に参加できないから誰かに委託せざるを得なかったけれど、つまり国民や市民の代わりに働く人々が生まれたのだけれど、そうなると国民や市民から離れて肥大化してしまう。行政はいつもそんな宿命を背負ってきたけれど、どうあるべきか問い直す時期だろう。

 私の友だちは「65歳を定年とし、議員も社長も首長も首相も一人の例外も認めるべきではない」とか、「高齢者の投票率が100%近くあり、20代の投票率が30%以下は異常な社会だ。全然民主主義になっていない。高齢者の投票を1点とするなら若者には同じ投票で2点を与えるくらいでなければ、若い人たちの政治への関心を高められない」とか、もっと極端な発言は「80歳以上の高齢者からは投票権を無くす方がいい。でなければ、結局現状の利益に甘んじている連中のための政治が続くことになる」と言う。

 この人の論理はいつも極端すぎてなかなか多くの支持が得られないけれど、本質は突いているように思う。選挙でひとり1票が与えられ、すべての人に平等な権利が保障されているように見える。けれど、よく問題になるように1票に格差が生まれている。都会では、120万人で1人の国会議員なのに、田舎では20万票そこそこであるのは不公平だろう。投票率30%で首長があるいは50%で議員が決まるのもおかしいだろう。

 政治なんてものはそんなものだと諦めることはない。理想のかたちを求めて、論議を重ねて言って欲しいものだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

健康に気を遣う人と遣わない人

2010年10月27日 22時22分39秒 | Weblog
 井戸掘りの件から告白しなくてはならない。今日もダメだった。固い粘土層がどうしても突破できない。これだけダメな日が続くと自暴自棄のような気持ちに襲われる。もう掘れないのだから、止めよう、そう依頼主に報告した方がいいのではないか、そんな後向きの気分になる。ところが不思議なもので、6人もいると「いや、まだ、こういうやり方を試していない」とか「それよりもこうやってみたらどうか」という積極的な意見が出てくる。もうダメじゃないか、いくらやってもムダじゃないか、そんな気分になっていた人も、「もう一度挑戦してもいいじゃーないのか」と思うようになる。

 そこで再び道具を整えて、井戸掘りに挑戦することになった。グズグズと長い間、なんとなく気持ちが一致していなかったけれど、ここに来てもう一度やってみようという気持ちにみんながなった。ひとつのことをやり遂げようとすると、自分ひとりならば「ああ、もうやめた」となってしまうようなことでも、仲間がいるとそんなに簡単にギブアップできない。そういう点では、みんなでやることは想像以上の大きな力になる。道筋をもう一度改めて考えることも、みんながいるからできることだろう。

 みんなと言ったがすでに70歳を超えた人が多い。そんなオトナが真面目に、ああすればいいのでは、いやこうした方がいい、そんな堂々巡りの論議ではダメだからもう一度はじめから整理して考えてみよう、などそんなことが出来ることが凄いと思う。最年少の私の役割は、表に立たずに5人の意見をひとつの方向へ持っていけるようにすることだと思っている。だからこそ、みなさんのためにお茶を用意したり、コップを並べたりもする。個別に話もするし、全体の中の雰囲気がヘンな方向へ行きそうな時は、逆らって嫌味も言う。これはヘタをすれば分裂になりかねない危険な賭けでもある。

 さて、私たちの仲間は高齢者が多いから自ずと健康に気配りしている。毎日10キロのジョギングと20回の腕立て伏せや腹筋運動を欠かさずにしている人もいるし、健康教室やエアロビクス教室に通っている人もいる。そうかと思えば、健康診断も受けず毎日必ずアルコールで胃を消毒していると豪語する人もいる。しかし、面白いなと思ったのはこの相反する行為の行き着く先は同じということだ。健康に気を付けている人は、病気になって家族に迷惑をかけたくないと言い、毎日お酒を飲む人は一度きりの人生だから楽しく生きた方が家族にとって幸せだと言う。

 自分の人生の責任の取り方を修道僧のようにストイックに考える人と、ある意味では刹那的だけれど誠に正直にロマンチックに考える人の違いのようだ。「優しさは無償の愛だ」と考える人が、カミさんの買い物には付き合わず、自分はコーヒーを飲みながら待つのは、「優しさ」の表れなのか身勝手なのか、これも人の生き方の違いなのだろう。自分で納得できればそれでいいのかも知れないなと70過ぎの男たちを見ていてそう思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急に寒くなりましたね

2010年10月26日 21時14分25秒 | Weblog
 「今年の秋は短いですよ」と、誰かが言っていたけれど、今日は夜になって一段と寒くなった。南側のベランダで育てていたオクラは、とうとう庇に頭がつかえてしまったので、かわいそうに思って西側のベランダに出した。オクラのためにしたのに、今日の強風で折れてしまっていた。風が強く当たらない場所を選んでおいたつもりだったが、今日のように北風が強く吹き付けると、西側のベランダでは避難する場所がなくなる。オクラばかりでなく、背の高い鉢植えの樹木は鉢ごとひっくり返ってしまっていた。

 暑い日が続いて、井戸掘りをする時は熱中症に気をつけようと、水分補給に機を配っていたことがウソのようだ。緑区で井戸掘りを始めて今日で4日目になる。暑さの中での作業だったのが、今日は冷たい風が吹き付けた。そして今日も硬い粘土層が邪魔をして掘り進めることが出来ない。結局、初めに掘った場所は諦めて、午後から庭の東側で掘ることにした。今日の場所は先回のところとは手ごたえが若干違うように思うが、それでも粘土の硬い地層に当たってそこから掘り進められない。

 次女が「どうだった?」と聞くけれど、いい返事が出来ない。「難しいものなんだね」と慰めてくれるが、返す言葉も見つからない。土曜日の夜に帰ってきた次女夫婦を歓迎して、日曜の夜には長女のダンナ、高1の孫娘と1歳になってますますお茶目になった孫娘の3人も我が家に集まり、みんなで会食となった。長女のダンナは1歳になる娘の世話をしなくてはならないと思ってか、お酒は全く飲まなかった。もともと、お酒が好きな方ではなく、どちらかいえばお菓子を好む方だと聞く。お酒も飲まず、娘の世話をする長女のダンナには気の毒だったけれど、私はみんなを歓迎するために、大いに飲み、そしてしゃべったような気がする。

 気がするというのも、翌日は「あれ、二日酔いか」というような具合だったからだ。みなさんのお世話で気を遣い余り飲んでいないと思っていたカミさんも「ムカムカするし、頭が重い」と言っていたから、完全に二日酔いである。そう言いながらも、昨夜は次女と3人でまた飲みながらの食事となった。次女のダンナは主張の仕事が終わって、自宅の茨城に帰ったというのに、「しばらくいてもいいよ」と優しく言われたことをいいことに、今週末まで我が家に留まるらしい。「あのな、男が妻に優しく『帰ってこなくていいよ』と言う時は、自由な時間が欲しいからだぞ。余りにもベッタリとまつわりつかれると、息苦しくなるんだぞ。だからと言って、自由にしていたらどこまでも飛んでいってしまう。付かず離れずくらいに摑まえていなくちゃーだめだぞ」。

 明日、また緑区で井戸掘りを続ける。何としても井戸を掘らなくてはならないからだ。来月には依頼主のカミさんは働きに出るので、今月中に完成して欲しいという希望である。明日こそは水が出ることを祈りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋桜

2010年10月24日 15時56分02秒 | Weblog
 可児市の「花フェスタ」公園のコスモスの写真を送ってもらった。満開のコスモスがとてもきれいだと言っていた。「花フェスタ」はバラで有名だが、秋に出かけることは滅多になかった。何時だったか、北陸へ出かけた時、コスモス畑がツアーのコースに入っていた。遠くから見た時はきれいだと思ったけれど、畑に立ってみるとそれほどの感激はなかった。どんな風に咲いているか、誰と一緒にどんな気持ちで見ているか、そんないろんな要素が絡まって、受け取る感情も違うのだろう。

 中学3年の時、担任は数学の先生だったけれど、なぜかわからないがコスモスの話を聞いた覚えがある。それも先生が見たコスモスはアフガニスタンの大高原に咲く野生のもので、辺り一面にコスモスが群生していたというものだった。しかし、よく考えてみると、昭和30年代に先生がアフガニスタンに行ったわけはなく、すると写真を見て、そんな話をされたのだろうか。ずぅーと謎のままだけれど、私にはコスモスは群生しているものと刻み込まれている。

 青い空と咲き誇るコスモスと遠くに小さく見える山々。先生の話を確かめるためにも何時か、コスモスの原産国に行ってみたいと思っていた。ところが調べてみると、原産国はメキシコである。アフガニスタンの大高原の咲くコスモスは私が勝手に頭に描いたものだったのだろうか。先生から聞いたというのも、そんな風に自分が作ったものだったのか。それにしても中央アジアの大高原がコスモスの花に埋め尽くされている光景はきっと見事なものに違いない。

 コスモスの写真を眺めていると、山口百恵さんの『秋桜』が聞こえてくる。「うす紅の秋桜が 秋の日に 何気ない陽だまりに 揺れている」。嫁いでいく娘と母親の細やかな心遣いが、小春日和のように心地よく、そしてちょっぴり寂しい。明治の初めにコスモスが持ち込まれ、秋桜と書くようになったという。うまい表現だなと思う。花弁の形は桜に似ているし、群生ならばさらに印象的なところもそっくりだ。コスモスの花言葉は「真心」だそうだ。コスモスはギリシア語で秩序という意味があるそうだが、宇宙のことをコスモスともいうが、花の形とどうつながるのだろう。

 コスモスをテーマに短歌を3首。
   中学の恩師が語るコスモスは 大地を覆う野の原にあり
   コスモスの花言葉知る君は言ふ 私の愛と同じものだと
   コスモスの群生の中でたたずむは わが天使なりわがモナリザなり

 さて、今晩は娘のダンナたちと久しぶりの会食である。私も台所に立たねばなるまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今晩は何時に来るの?」

2010年10月23日 21時49分31秒 | Weblog
 今晩から次女夫婦が我が家へやって来る。以前は我が家の一室を使ってもらっていたけれど、長女たちが別に家を構えたので、隣りの部屋が空き家になっている。その部屋を使えば気兼ねなく過ごせるだろう。次女はまだ持ち主である長女に使ってもいいかとメールし、許可をもらったからというので、今日の午前中はフトンを運び、次女が大好きなフトン干しをして、ふたりが気持ちよく寝られるように準備をした。こちらに来ると決まって、長女のOKをもらったと言う時から、カミさんは少しずつ部屋の掃除を始めていた。今日はその総仕上げである。

 それで、「今晩は何時に来るの?」とたずねると、「遅くなるから直接隣りの部屋に行くので、鍵だけはわかるようにしておいて」と次女は言う。何でもバンコクにいた時の友だちと会うので、帰りは遅くなるということらしい。友だちが多いのはいいことだけれど、そうか今晩は会えないのかとちょっと寂しい気持ちになる。明日は、長女夫婦も我が家に集まることになっているらしいけれど、長女は午後から出勤だという。仕事柄仕方ないことではあるけれど、やはりみんなが揃わないというのもちょっと寂しい。

 それでも久しぶりに、ふたりの娘のダンナが揃うのだから「よし」としよう。次女のダンナはかなり酒が飲めるけれど、仕事の付き合いや友だちとの付き合いで、少し飲み過ぎているらしい。次女も飲める方なのでふたりで結構飲みに行くこともあるようだ。その次女が「少し飲み過ぎみたい」と心配しているから、度を越しているのかもしれない。私もお酒を飲むので、飲まない方がいいとまでは言わないが、やはり自分のためにほどほどにしておいた方がいいだろう。身体を壊してまで飲む必要は全くないと思うからだ。

 私も仕事の付き合いで飲む時は、「お酒を殺して飲む」という飲み方であった。「まあ、一杯」と差し出されて、「飲めません」とは言えなかった。「強くはありませんから」と断ってから飲むようにしていた。飲んでいる時は酔いが回ってきても、酔いつぶれるような恥だけはしないようにと言い聞かせて飲んでいた。だから、家に帰るともう限界で、一気に酔いが回ってきてバタンキューだった。誕生日会の友だちが「それでも、よく飲めるようになってきた」と言ってもらえるように、多少は酒に強くなったのかもしれない。

 私が地方新聞をつくっていた時、この町の町長から「酒は訓練で飲めるようになる」と教えられた。彼は政治家になりたいと思っていたが、酒が飲めない、飲めるようにならなければ政治家になれない、そこで毎日訓練したそうだ。何事にも徹底して取り組みタイプで、あの頃はお酒を飲めばカラオケで歌う時代だったから、カラオケも訓練し、独自の歌い方を確立していた。その町長からある時、「家に来い」と電話があった。町長の家に行くとカラオケセットが玄関に用意されていた。「これを貸してやるから練習しておけ」と言う。気の合う町長だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「世の中、そういうものよ」

2010年10月22日 19時48分17秒 | Weblog
 「世の中、そういうものですよ」とカミさんが言う。プロ野球は、パ・リーグのクライマックスシリーズで、成績では第3位のロッテが第2位の西武を続いて第1位のソフトバンクを破って、日本シリーズへ進出を決めた。セ・リーグも第3位の巨人が第2位の阪神を圧勝した。この勢いで進めば、「今年の日本シリーズは第3位同士の戦いか」といった冗談が飛び交った。しかしここに来て、巨人は第1位の中日に全く歯が立たない。今晩、巨人が勝たなければ望みはなくなる。

 「そうか、第3位のロッテと第1位の中日の戦いか。もし、ロッテが優勝するようなことになるとセ・リーグの力は全くたいしたことないと言われてしまうね」と私が言うと、カミさんは「私はそうなって欲しいと思っているんだけど」と言う。それに続けて、冒頭の「世の中、そういうものよ」と発せられた。「そういうもの」が何を意味しているのだろう。一般的には、必ずしも順調にはいかないと解釈できるが、第1位が第3位に食われることを指しているなら、番狂わせこそが世の中なのよということになる。

 言葉は面白い。今日の中日新聞に「法然共生フォーラム」の特集記事が2ページにわたって組まれていた。その中に法政大学の田中優子教授が「江戸時代はほぼ100%の循環社会でした。髪の毛、爪、お風呂の残り湯、排泄物、かまどの灰まで別のものに生まれ変わってまた戻ってきます」と書いた。その前文は「江戸時代はほとんどの人が連句をやっていました」で始まっていた。つまり言葉遊びだ。最初に誰かが5・7・5を詠むと、次の人が7・7を付け加える。そうして歌の意味がどんどん変わっていってしまう。そこがとても面白く、笑ってしまうのだ。

 昨日の歌舞伎、「身替座禅」は浮気な亭主が下男に身代わりを頼んで好きな女のところへ出かけるのだが、女房に身代わりがバレ、下男の代わりに女房が成りすますという話だ。それとは知らずに亭主が女とのやり取りを手柄話のように話して聞かせるという落語のような作品だが、舞台での動作は面白おかしく、ユーモアが溢れている。欧米人は「日本人は自己主張しない」と言うけれど、こと笑いに関しては実に心得ていると思う。おそらくそれは、言葉のせいではないだろうか。

 初めて日本にやってきたヨーロッパ人は、余りにも日本人が明るくニコニコしているのでビックリしたそうだ。しかも皆、礼儀正しく教養もある。そんなことを伝道師が日記に記していたことを思い出した。「連句」はユーモア精神がなければ面白くないし、教養がなければ思いつかないし、知識の共有がなければ笑えない。そんなことが出来る国民はそんなに多くないだろう。話が飛ぶが、古代ギリシアでは円形劇場で芝居をやっていたが、そのテーマは人の世の不条理だったのではないかと思う。イギリスで劇作家シェイクスピアが活躍したのはエリザベス王朝の時代だ。文化が伸びるのはそれを支える経済力があったからだが、それにしても言葉が活き活きした時代である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎を観てきました

2010年10月21日 23時34分43秒 | Weblog
 歌舞伎の招待券をいただいたので、久しぶりに御園座へ出かけた。歌舞伎を観る機会はこんな場合しかないのは残念だけれど、よほど歌舞伎が好きでなければ観ることが出来ないほど観覧料は高い。特別席で観ようとすれば2万円もかかるし、そこそこの席でよいと思っても6千円である。今日の席は1階の後の席であったから、競り上がっているもののやや観難い。それに、観覧席の作り方のせいなのか聞きづらかった。観客席を眺めると1階はほとんどがお年寄りだ。名演も年寄りが多くなったけれど、御園座はそれを上回っている。添乗員のような人が引率している団体が多く、今日もどこかの商工会の関係の人たちが大勢いた。

 歌舞伎は若い女性たちに人気があるという話も聞くけれど、それは東京のことで、ここ名古屋ではそんな姿は見ない。そう思っていたけれど、閉幕して地下鉄の乗り場に向かう人たちの中には若い女性が何人かいたし、着物姿の若い女性もいた。確か私が子どもの頃は御園座へ出かけるとなると、女の人たちは盛装していたような気がする。今日も前の方の席に座ったご婦人の多くは着物姿であった。羽織のない帯姿の女性たちは色っぽく、昔はこんな風に女性たちがうきうきと芝居小屋に集まって来たのだろう。

 夜の部は午後4時15分から始まり終わったのは9時近かった。およそ5時間も御園座に居ることになる。途中で2度、20分と30分の休憩があり、その間に食事ができるようになっている。確か時代劇の映画を観ると、芝居小屋では客席で食事をしていたのではなかったか。人々は一日中芝居小屋にいて、飲み食いしながら芝居を楽しんでいたのだろう。芝居をする側もそこは心得たもので、本当の見せ場と時間稼ぎの場面などうまく織り込んでいると思う。おそらく歌舞伎は芸術性よりも娯楽を第一と考えていたのではないだろうか。

 本日の夜の部は4本もあり、どれも見応えがあった。「伽羅先代萩」は伊達騒動を題材にしたもので、子どもを殺されながら若君を守る乳母の苦しみ悲しみの物語である。確か先日結婚した市川海老蔵もこの政岡の役をやっていたように思う。今日の顔見世では坂田藤十郎が演じていた。また、「弁天娘女男白浪」では人気者の尾上菊之助が弁天小僧を演じていた。歌舞伎の面白さはこれだけでも充分に味わうことが出来た。歌舞伎は実に大掛かりな芝居で、昔に演じていた人々も観る人たちを楽しませるために様々な工夫を凝らしたことがよくわかる。

 明治末から大正にかけて、狂言をもとにして作られたという「身替座禅」も面白かった。浮気者の亭主と焼餅焼きの女房のやり取りは、ユーモアそのもので尾上菊五郎の演技が光っていたし、やはり歌舞伎の本質が娯楽であることをよく表していた。5時間があっという間に過ぎてしまったのも歌舞伎のうまさなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする