とうとう11ヶ月が過ぎてしまった。仕方ないことなのに、年を取ることに少しばかり焦りを感じる。誰もが平等に老いていくのだから、何も特別なことではないのに、焦るのはどうしてなのだろう。井戸掘りをしていても、これでは水が出ないのではないかと思ってしまう。春日井市で掘った時のように、こうすれば絶対に水を確保できるという自信が湧いてこない。
5.5メートルまで掘った。依頼主の家の地質調査書を見ると、あと1メートル掘れば希望が出てきそうだけれど、その1メートルが掘れないでいる。深海探査器具を作った東京の下町工場の社長が「やる気がすべて」と言ったとかで、先輩は俄然やる気になっているが、じゃあー、どういう方法でやりますかと聞き返しても、「根性でやる」と言う。
精神主義も大事かも知れないが、やはり「こうしてやればこうなる」という絵が必要だ。「私はひとりになってもやる」と言う意気込みには敬服するが、実際ひとりでは何も出来ない。みんなを束ねて、方向を見せなければ誰もついていかない。私のあと1メートル掘ればいいというのも、勘に過ぎないし、どうやって掘るとよいかという方法があるわけではない。
今日はすぐ眠くなる。明日の井戸掘りのために、道具を点検し不足している物を買いに走った。ところが運転しているとやたらと眠くなる。睡眠不足ではないのに、こんな風に眠くなるのも老いの表われと感じる。「まじめに生きていれば、神様はちゃんと見ていてくれるさ」と先輩は言う。「日頃の行いがいいから、明日は絶対水が出る。必ず出させる」。若い時は知らないが、最近の先輩は確かに品行がよいから、信じることなのかも知れない。
私の風邪がなかなか治らないのは、私にまだ邪悪な心が残っているためだろう。「100%善人もいなければ、100%悪人もいない」とは、誰の言葉だったか。おそらく人間はそんなものだろう。悪いことをしてやろうと考えて実行できる人は数少ないし、逆にいいことをしようと努力している人でもちょっと魔が差す時もある。