友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

創意工夫でやってみる気風は見当たらない

2025年03月11日 18時05分41秒 | Weblog

 朝早く友だちから電話があった。「あんな、法律違反をブログに書いちゃっていいの?」と心配してくれたのだ。昨日のブログに、トイレのスイッチを取り替えたと書いたからだ。読み直してみても、私が工事をしたのでないと、意味が無いと思った。

 カミさんは私が何か行うと、「余分なことばっかりする」とか、「ここにあった物を片付けたのはあなたでしょう。片付ける時は相談して」とか、常に叱咤激励してくれる。役に立つことがしたい、見直してもらいたいと、行った工事である。

 でも、大義があっても法律に違反したとなれば、「本当に無駄なことばっかり」と叱られてしまう。心配になって電気工事士法を眺めて見た。家庭内の軽い電気工事なら許されそうだ。もし、「違反行為です」と言われたら、素直に謝るしかない。

 それとも、電気工事士の資格を取って、マンションや近所の家の簡単な工事を引き受けるのもいいかと夢想していると、「ぼんやりしているなら、燃えるゴミを出して来て」と声がかかる。「はーい」と何故か、いい返事をしてしまう。

 トランプ大統領と自分を重ねることは大違いだが、ひょっとするとトランプ大統領は「世界から戦争を無くした偉人」と、評価されることだけが生き甲斐なのかも知れない。商人らしい駆け引きで、その栄誉を買い取りたい一心なのでは無いだろうか。

 午前中に手押しポンプのメーカーに行って来た。ジブリパークにあるメーカーの手押しポンプがテレビで放映されたけれど、注文にまでは至っていないと言う。水道が止まるような災害でも起きないと、人は関心を持たないようだ。

 こんな時代だからこそ、校区に1ケ所くらいの井戸があれば、いざと言う時に助かるのにと思うのに、誰かが何とかするんじゃーないのと他人事だ。水を使って掘る方法は画期的だと思うけれど、今では後継者がいない。

 創意工夫でやってみる、そんな気風はだんだん見当たらなくなった。みんな努力もせず、責任も取らず、法の下に守られて生活する豊かさに慣れてしまっている。だからと言って、高齢者に今更、何が出来るのだろう。

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最近、道の覚えが悪い

2025年03月10日 17時48分14秒 | Weblog

 今朝、以前に手押しポンプを据え付けた家の人から、「ポンプが不調」と電話が入った。「明日ポンプを見させていただいて、部品の交換で済むようならすぐに手配したい」と伝えた。その時、なぜか我が家のトイレのスイッチのことが頭に浮かんだ。

 電気工事士の資格が無ければ取り付けが出来ないと書いてあったので、以前に改修工事で世話になった業者に連絡した。「別に急ぎませんから、手の空いた時でいいですよ」と言ったからか、なかなか来てくれない。

 先日、たまたま別の用事で来てくれた業者にスイッチを見せて、取り付けられないかと訊いてみた。すると彼は「簡単にやれますよ」と言うので頼むことにした。私が懐中電灯を持ち、作業を手伝った。確かに簡単に取り付けたが、力づくで雑な作業だった。

 その時はスイッチは機能したのに、しばらくしたら動かなくなった。頼んだ人が悪かったと諦めていたが、今日、念のために隣りのスパーマーケットの家電売り場へ行ってみた。専門店にしか置いていないと思っていたスイッチが売られている。

 私が買って来た品と同じメーカーだが、随分古いものだ。しかも値段を見ると半値である。買って来てすぐに工事にかかる。家の電源を切り、懐中電灯を三脚に固定し、慎重に作業をする。完了して電源を入れる。スイッチは古いがちゃんと機能している。

 カミさんがやって来て、「出来たの?」と言うから、「どう」と答える。「やれば出来るじゃん」と感心してくれたが、この程度の工事ならきっと、男は誰でも出来るだろう。子どもの頃、ラジオを組み立てて聞いていたことを思い出した。

 「思い込みが激しいのだから」と、カミさんに非難されてしょげていたが、これで見直してもらえるだろうか。それにしても心配なことがもう一つある。明日、手押しポンプの部品を買いに行くとなると、東邦工業へどこを通って行くのか思い出せないのだ。

 最近、道の覚えが悪い。以前行ったところなのに、どこをどう通ったのか思い出せない。いよいよ痴呆症が始まったかと思ったが、「そらまた、勝手に思い込んでいる」とカミさんに叱れそうだ。

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好きなように、好きなことをやればいい

2025年03月09日 17時45分52秒 | Weblog

 日曜日の中日新聞を楽しみにしている。それは私が住むこの街の歌人(?)、月城龍二さんの作品が掲載されていないかと探すためだ。今日は選者のふたりから別々の歌が掲載されていた。2首も選ばれた作品を、私は初めて見た。

 「午後十時息を切らして席に着く 単館映画最終上映」(島田選者)、「早春の夕暮の街走るバス 明日の予定を話す少女ら」(小島選者)。月城さんは映画好きで、名作ものを上映している小さな映画館を知っているのだ。

 昔は新聞に、上映中の映画が一覧で載っていた。それが今では無くなってしまったので、話題の映画がどこで上映されているのか分からない。午後10時からの最終上映を観ると言うのだから、かなりの映画好きに違いない。

 もう1首はバスの中の光景だ。少女らが明日の予定を話しているのだから、きっと午後に違いない。月城さんの以前の歌に、駅から家へ帰る時を読んだ作品があった。どうやら会社務めの人と、私は想像している。

 私は地域新聞を作って来たから、多くの街の人を知っているつもりだが、月城という姓の人に出逢ったことが無い。短歌のグループの中にもそうした名前の人はいなかった。短歌だけでなく、俳句も投稿されているようで、新聞に作品が掲載されることがある。

 今日の冒頭の短歌には思わず笑ってしまった。「『お年齢ですから』そう言われれば二の句なく その通りだと医師にお辞儀す」。きっと80代の高齢者に違いない。心配で受診したのに、原因は高齢ですと診断されては言葉を失うのも仕方ないだろう。

 心配性のカミさんは、予定に入っていたゴルフの大会を全てキャンセルした。ゴルフで身体を酷使したからとか、ジムでの水泳がよくなかったとか、いろいろ原因を考えている。でも家に閉じ籠っていると精神的に良くないからと、友だちとのおしゃべりには出かけて行く。

 自分の考えに従うことが一番の治療だろう。他人か指図されれば、余計に滅入ってしまう。高齢になると、素直に他人の意見には従わなくなる。誰だって自分を否定されるのが一番嫌だ。好きなように、好きなことをやればいい。

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心配することが無いことが心配になる

2025年03月08日 18時24分40秒 | Weblog

 マンションのエレベーターに、南海トラフが起きる要因のイラストが貼ってある。地震が各地で起きているし、火山活動も活発になっているようだから、南海トラフのような大地震が起きてもおかしくはない。

 心配性のカミさんの指示で、寝室にあるタンスが倒れないように、ボール式の固定器具を取り付けた。家具を固定することで、死傷者を減らすことが出来るとマンションの自治会も勧めている。

 いざ、地震が起きた場合、何よりも自らの命を救う手立てをしなくてはならない。建物が潰れたらどうしようとか、電気やガスが止まったらとか、心配なことはいろいろあるが、とりあえずは家族の命を守ることだろう。

 今、各自治体では来年度の予算案が審議されている。どのような自治体にしていくのか、その将来像よりも、とりあえず目の前のことに追われてしまっている。中には庁舎の新築やいろんな施設の建築に、予算の大半をつぎ込む自治体もある。

 首長になると自分の実績を、形のあるもので残したい欲望に陥るようだ。何のための行政かと言えば、住民に代わって住民の求めに応えていくことなのに、情けないことがよく起きる。住民の代表である議会が、その役割を果たしていないからだ。

 確実に起きると言われている南海トラフだが、いつ起きるかは分からない。避難場所の整備や備蓄品など、行政も余り予算を使わずに進めるしかない。後から、あの時にああしておけばよかったと思うことは必ず出て来る。

 今、ああだこうだと考えすぎるのは、マイナスを生むだけだ。前もって出来なかったとしても、教訓として後世に伝える資料作りは必要である。歴史に学べというものの、なかなか学べないのが現実の人間のようだ。

 心配性のカミさんの次の心配は何なのだろう。心配性の人は、心配することが無いことが一番の心配なのかも知れない。

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入学祝いは桜を見る頃かな

2025年03月07日 18時04分43秒 | Weblog

 中3の孫娘の卒業式、校長から卒業証書を受け取る動画を送ってくれた。歳月の流れは速く、まだまだ子供だと思っていたのに、4月からは高校生になる。高校入試もいろいろで、私たちの頃とは全く違ってきた。

 私が通った中学校は、1クラスの生徒は50人ほどで、8クラスもあった。卒業生一人ひとりが名前を呼ばれて、壇上で卒業証書を受け取ることは無く、総代の生徒が受け取る形だったが、誰だったのか覚えていない。

 卒業式の後、担任が玄関前で写真を撮ってくれた。卒業する私たちよりも担任の方がはしゃいでいたような気がする。3年の担任は変わった人で、5月に「給与が1万円になったから」と結婚し、新婚旅行の写真を教室に貼って注文も受け付けた。

 私は副級長の女性とふたり、街の雑貨屋さんで、オルゴール付のベニスのゴンドラを買い、クラスを代表してプレゼントした。卒業してもすぐにクラス会を開いたり、あるいは友だちと担任の家に遊びに行ったりした。

 仲間意識の強いクラスだったのも担任のおかげかも知れない。卒業した後で、担任が「クラス誌」を作ろうと言い出し、その表紙の絵を副級長の女性が描いた。彼女は優秀で津田塾へ入学した。帰郷した時、ふたりで星空の下、話し込んだことがあった。

 「クラス誌」は担任がガリ版印刷した、私たちとの思い出の作品だったので復刻版を制作し、彼女に「出来たよ」と持って行ったが、「終活しているから要らない」と言われてしまい、「いったい私たちの青春は何だったのか」と悲しくなった。

 中3の孫娘はこれからどんな青春を送るのだろう。私は中1の時に出会った女の子に恋し、高校3年で振られるまで思い続けていた。孫娘は好きな男子がいるようだが、高校が違えば、縁遠くなってしまう。また、それはそれで、新しい恋愛が生まれるチャンスかも知れない。

 人は人との出会いで、変わるもの。しがみつくよりも、前を向いて進む勇気を持つ方が健全かも知れない。今日は冷たい風が吹いている。中3の孫娘の入学祝いが出来るのは、4月の桜を見る頃かな。

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表現者は自分の信念を貫くしかない

2025年03月06日 18時39分17秒 | Weblog

 朝、名古屋第1赤十字病院で診断を受ける、カミさんを乗せて走った。病院に着くとカミさんは受付へ、私は駐車場へと向かった。病院の中は人で溢れている。どの人も皆痛々しい。どんなに待たされても不満も言わず、名前の呼ばれるのを待っている。

 圧倒的に高齢者が多いが、妊婦や子連れの人もいる。定期的に通っている人もいるが、カミさんのように初めて診察を受ける人もいる。高齢者の男女は夫婦で来ていて、病状の酷い片方をもう片方が支え役になっている。

 そんな光景を見ていると絶望的になる。高齢者の患者はもっと増えていくだろう。手厚い看護はいつまで続けることが出来るのだろう。呼び出しても聞こえない人もいるし、何度も説明しているのに、さっぱり通じない人もいる。

 看護師さんは忍耐強くないと務まらない仕事だ。カミさんの咳の原因はCTでもハッキリしないようで、来月にもう一度CTを撮り、それで検討することになった。病院の近くのガストでランチにする。席に着くことは出来たが、注文の仕方が分からない。

 でも、親切なウエイトレスさんでパッチパネルの扱いを教えてくれた。店内にどれだけの客席があるのか分からないが、ウエイトレスはふたりしかいない。注文した品はロボットが配達して来るが、後片付けは彼女たちの仕事で、幼児が床に零したものもペイパーで綺麗にふき取っていた。

 せっかく名古屋へ出て来たのだからとランチの後、県美術館で「パウル・クレー展』を観た。平日なのに随分混んでいる。そんなに人気のある画家だとは思っていなかったが、日本人にはよく知られた存在のようだ。

 私は美術史の一角を占める画家としては見ているが、作品に感動したことは無い。展示作品も多く、説明文も長いので、見て回ていたらかなりの時間が過ぎた。カミさんがこうした現代アートに関心を持っていることがよく分かった。

 美術史をちょっと講釈し、人々の絵に対する価値観が大きく変わった時と話す。画家も新しい時代を模索し、これまでにない絵画を制作をした。表現されたものは、受け取る側で評価が異なる。表現者は自分の信念を貫くしかない。

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「小さな国」は富国強兵の道を進んだ

2025年03月05日 18時38分13秒 | Weblog

 月曜日の午後8時から、BS日テレの番組『こころの歌』を欠かさず観ている。「フォレスタ」という合唱グループが歌い、昔懐かしい歌が多い。先日もリクエストに応える形で、「戦友」を歌った。聴いていて、NHKBS出放送されている「坂の上の雲」を思い出した。

 「ここはお国の何百里 離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて 戦友は野末の石の下 思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し 敵を散々こらしたる 勇士はここに眠れるかああ戦の最中に 隣に居りしこの戦友の にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて 軍律厳しきなかなれど これを見捨てておかりょか」「折から起きる突貫に 戦友は漸々顔あげて お国のためだかまわずに 遅れてくれるなと目に涙」

 日露戦争で満州の奉天を日本陸軍が陥落するために戦う。けれど、「小さな国」日本は兵士も武器弾薬も足りない。指揮官の大山や乃木は、死ぬ気で戦えばロシアは日本人の怖さを知ることになると命令する。

 長い引用になってしまったが、負傷した戦友を残して戦線に戻ることの辛さが滲み出ている。ドラマ「坂の上の雲」はこうした戦闘場面が多い。原作者の司馬遼太郎氏は戦争映画になることを心配していたというが、ドラマは大いに戦争を鼓舞している。

 外国人エキストラも多数参加し、随分とお金を使ったドラマだとわかるが、NHKがこのドラマを制作した意図は何だろう。「お国のために命を捧げること」を美徳と描きたかったのだろうか。そうであるなら、誠に怖いドラマである。

 ロシアに侵攻されたウクライナでは、反戦を口にすることは難しい。兵士になる前に、国外に脱出した男性たちがいたようだが、今では自ら志願する女性もいると言う。戦争になれば「お国のため」となり、いや、「家族のため」になっていく。

 私が徴兵されたら、拒否できるだろうか。兵士の中に、反戦意識の者を探して、謀反を企むだろうか。戦争はどうして、一人ひとりの大事な命を、小石のような軽いものにしてしまうのだろう。

 明治38年はまだ、ある意味では反戦歌のようなこの「戦友」を歌うことが出来た。けれど、「小さな国」は大きな国になろうとして、ますます富国強兵の道を進んでいった。これから世界はどうなっていくのだろう。

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思い出に浸ることなら出来る

2025年03月04日 17時49分09秒 | Weblog

 明日のパンが無いことに気付いて、ゴミ出しのついでにコンビニへ出かけた。パン1つでは恥ずかしい気がしてウロウロしていると、後ろの女性から声をかけられた。「一緒にこれも払ってくださいます?」。ビックリして振り返ると、マンションのエレベーターで一緒になる若い女性だった。

 ニコニコと笑顔が零れる。ジイジをからかった冗談だ。後から、私も冗談でハグして、「いいですよ。これからもお付き合いしてください」と、返せばよかったかなと考えたり、いやいやそんな事したらセクハラで警察沙汰だと思ったりした。始めて若い女性から声をかけられ、有頂天になってしまったようだ。

 雨が降っているのに傘もささず、歩いて来る高齢の女性がいた。思わず傘を差し出そうとして、躊躇した。女性は杖をついていたから、傘をさすことが出来ないのだ。もう数歩で入口に辿り着くのに、わざわざ惨めな思いをさせてもいけない。そんな思いが巡っていると、反対側から高齢の女性がやって来た。

 すれ違って、「アレッ?」と声をかけてきた。我が家で一緒に飲んだこともある知り合いの女性だった。余りの変貌に驚いていると、「余命4ケ月と宣告されているけど、まだ生きているの」と言う。確か自慢の息子がいたはずだ。「息子に看取ってもらわないといかんよ」と話すと、「名古屋転勤にしてもらって、見守りしてくれている」と言う。

 「家に居ると、足腰が弱るので、ちょっと買い物に行くの」と話す。マンションの住民も高齢化で、彼女のような人が増えている。若い女性に声をかけられた時は、ドキマキしたのに、ヨボヨボになってしまった女性を見ると悲しくなってしまう。自分も傍から見たら、彼女と変わらないヨボヨボのジイジなのに。

 秋篠宮家の長男、悠仁さまの記者会見をテレビで見て、18歳とは思えない受け答えに「さすが」と思った。私は18歳の時、何を思い何を考えていたのだろう。もう青春に戻ることは無いが、思い出に浸ることなら出来る。そんな時は、もうすぐ81歳になるジイジであることを忘れてしまうだろう。

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白ワインで雛祭りを祝う

2025年03月03日 18時02分30秒 | Weblog

 「母は享年102歳の天寿を全うし永眠いたしました」と、ハガキを受け取り愕然とした。施設に入居する時に電話をいただいたが、「また、お見舞いに行くから」と言ったままで、実現出来ていなかった。

 出逢いは地域新聞を始める時だった。街で活躍する女性を紹介する「奥さんこんにちは」のコーナーに登場してもらった。色白でふくよか、話好きで豪快な「奥さん」だったから第1号にピッタリだった。趣味を尋ねたら、「ドライブに写経」という答えに驚いた。

 私が選挙に出た時は、店は息子夫婦に任せて、熱心に応援してくれた。「選挙は好き」と言うだけあって、選挙慣れしていた。訳を訊くと、「主人が中電に勤めていた時から応援に駆り出されていたの」と言う。

 何事にも熱中するタイプで、ご主人が神道にはまり込み紀州へ行くと、自分も神職の資格を取った。頼って来る人を拒まず、力になろうとする生き方は高齢となっても変わらなかった。私の両親は54歳で旅立ったから、およそ倍近い寿命である。

 「生きているだけで儲けもん」と言う人もいるが、出来ることなら生きていることが、誰かの役になっていて欲しいと思うのは欲張りだろうか。本人がどう思っているか分からなくても、支えと感じている人がいることもある。

 「電気温水器が寿命になっているから取り換えを」と、案内が来た。パーツの取り換えで寿命が延びる物はいいが、取り換えの出来ない人間はどうすればいいのだろう。「みのもんた」といい、「小倉智昭」といい、テレビで活躍していた人が亡くなっていく。

 そんな人の特集を見せられると、時代の推移を実感せざるを得ない。102歳の天寿を全うした肝っ玉母さんから、「時代は変わるもの。そんなことでクヨクヨしない」と叱られそうだ。

 今日は雛祭り。「白ワインで、娘たちの健やかな成長を祈りましょう」とカミさんは言う。診断の結果を気にしていたが、ワインを飲もうという気になってくれたようだ。ありがたい。ありがたい。

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曇り空を飛ぶブルーインパルス

2025年03月02日 18時01分52秒 | Weblog

 昨日、今日と、飛行機の爆音が続いている。小牧の自衛隊基地から飛び立つブルーインパルスが、頭上を通過する時の爆音は凄まじい。しかし、今日は曇り空だから、編隊飛行を撮影したい人にとっては残念なことだろう。

 戦闘機を見ると、戦争が見えるようで嫌だと思う人もいる。あの戦闘機が日本を守っていると思う人もいる。実際に戦争になれば、歓喜の目で編隊飛行を見ることは出来無いだろう。置かれている立場で、人の受け取りも全く違う。

 金原ひとみさんの『ミーツ・ザ・ワールド』を読み終えた。読み始めた時は、何が何だかさっぱり分からなかった。でも、なぜか気になって、どうなっていくのだろうと読まずにはいられなくなってしまった。

 私にはmeatとmeetの発音の違いが分からないが、ひっかけてあるような気がしてならない。主人公の女性は肉が大好きで、その部位の説明も誠に細かい。しかも彼女は漫画の主人公の追っかけである。

 私には分からないことばかりだったが、表紙の裏の金原ひとみさんの生年を見て納得した。1983年生まれは、私の長女よりも13年も年下である。中3の孫娘は、寝転んでスマホばかり見ている。アニメなのか動画なのか分からないが、嵌まっていることは確かだ。

 人はそれぞれの価値観や感性を持っている。何とか理解したいと思っているが、確かにそれは、自分の理解であって、相手の考えや喜びや悲しみとは必ずしも一致しない。それでは永遠に、人は人を理解し合えないことになる。

 この泥沼の現実を、超非現実な登場人物で物語が展開されていくから、凡人の私の頭は混乱してしまう。アニメ好きの若い人たちなら、スッキリと理解出来るのだろうか。曇り空を飛ぶ、ブルーインパルス。戦争にならないようにと願う。

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