朝早く友だちから電話があった。「あんな、法律違反をブログに書いちゃっていいの?」と心配してくれたのだ。昨日のブログに、トイレのスイッチを取り替えたと書いたからだ。読み直してみても、私が工事をしたのでないと、意味が無いと思った。
カミさんは私が何か行うと、「余分なことばっかりする」とか、「ここにあった物を片付けたのはあなたでしょう。片付ける時は相談して」とか、常に叱咤激励してくれる。役に立つことがしたい、見直してもらいたいと、行った工事である。
でも、大義があっても法律に違反したとなれば、「本当に無駄なことばっかり」と叱られてしまう。心配になって電気工事士法を眺めて見た。家庭内の軽い電気工事なら許されそうだ。もし、「違反行為です」と言われたら、素直に謝るしかない。
それとも、電気工事士の資格を取って、マンションや近所の家の簡単な工事を引き受けるのもいいかと夢想していると、「ぼんやりしているなら、燃えるゴミを出して来て」と声がかかる。「はーい」と何故か、いい返事をしてしまう。
トランプ大統領と自分を重ねることは大違いだが、ひょっとするとトランプ大統領は「世界から戦争を無くした偉人」と、評価されることだけが生き甲斐なのかも知れない。商人らしい駆け引きで、その栄誉を買い取りたい一心なのでは無いだろうか。
午前中に手押しポンプのメーカーに行って来た。ジブリパークにあるメーカーの手押しポンプがテレビで放映されたけれど、注文にまでは至っていないと言う。水道が止まるような災害でも起きないと、人は関心を持たないようだ。
こんな時代だからこそ、校区に1ケ所くらいの井戸があれば、いざと言う時に助かるのにと思うのに、誰かが何とかするんじゃーないのと他人事だ。水を使って掘る方法は画期的だと思うけれど、今では後継者がいない。
創意工夫でやってみる、そんな気風はだんだん見当たらなくなった。みんな努力もせず、責任も取らず、法の下に守られて生活する豊かさに慣れてしまっている。だからと言って、高齢者に今更、何が出来るのだろう。