友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

幸福度の高いコスタリカを見倣いたい

2022年11月30日 18時18分56秒 | Weblog

 サッカーW杯の第2戦で日本は、コスタリカに1対0で負けてしまった。スペインに7対0の大差で敗れたコスタリカに、負けるはずがないという気持ちが心の隅にあったのだろう。コスタリカは中米にある小さな国だから。

 私は「コスタリカ」と聞いて、軍隊を持たない国家だと思い出した。憲法で常備軍を廃止したのは1949年だから、第2次世界大戦直後のことだ。軍隊を持たない国家があることを学校で教えてもらったのだろうか。

 コスタリカの歴史を調べたら、憲法に記したものの空文のような期間があり、1953年の選挙で勝利した政権が「兵士の数だけ教師を」の合言葉のもとに、軍事予算を教育予算に回したとあった。

 国本(教科書のことか?)に「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている」とある。

 日本は今、防衛費の大幅増額が検討されている。「総合的な防衛体制の強化」の名のもとにGDP比2%を目指すという。「敵基地攻撃能力」についても、「必要最小限度の範囲」と明記するようだ。

 具体的な内容がさっぱり分からない表現が、「懇切丁寧な」説明という訳である。コスタリカは1983年、「永久的、積極的、非武装中立」宣言を行っている。世界で最初の被爆国である日本こそ「常備軍の廃止」と「永久的、積極的、非武装中立」を宣言すべきだった。

 コスタリカは大統領制だが任期は国会議員と同じ4年と定めている。しかも再選は認めないか、あるいは2回までと厳しい。長く職にあることから生まれる弊害を阻止するためである。幸福度の高いコスタリカを見倣いたい。

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曾孫はこの時60歳代、どんな生活をしているだろう

2022年11月29日 17時26分52秒 | Weblog

 寒ければ暖房器具に点火し、暑ければ冷房に切り替える。寒い地域も暑い地域も変わりなく暮らしている。暗くなれば電灯をつけるが、今では夜でも昼間のように明るいし、夜には電飾も見られる。スーパーマーケットに行けば、野菜も魚も肉もあらゆる物が揃っている。

 情報は新聞や雑誌・ラジオ・テレビの時代からスマホに代わってきた。現金を持たなくてもスマホで決済できるという。私が学生の頃は、東京へ行くのに半日かかったのに、新幹線に乗れば東京まで1時間半ほどで着く。自動車で出かけても4時間くらいで行ける。私は78歳のジジイだが、子どもの頃は80歳を超す高齢者は稀だった。

 こんなに豊かで贅沢な世の中になったのは、つい最近になってからだ。それでも満足に食事が出来ない子どもがいるし、ホームレスのような生活をしている人もいる。世界を見れば、戦争や紛争に巻き込まれ残酷な生活を強いられている人々もいる。

 サッカーW杯で世界中がひとつになっている。平和で安心して暮らせる世界になって欲しい。昨日のコラム『中日春秋』に、紀元前8世紀頃の世界人口は500万人と推定されるとあった。日本もヨーロッパも石器時代だが、農業が始まると人口も増えていった。

 産業革命以後は、急速な人口増加に転じた。世界中から物や食料を集め、製品を売りつけさらに富を増やし、欲しいものを創り出した。人の欲望はますます大きく膨らみ、時には武力をもって略奪してきた。戦争は新しい武器を開発し、新しい製品を誕生させた。私たちが「これは便利だ」と思う物は、戦争から生まれた。

 世界の人口は10億人だったのが1800年頃で、1930年代には20億人に、2011年には70億人となり、今年の11月に80億人に達した。10年で10億人増えている。国連は2080年代の104億人がピークで、以後は横ばいと予測している。

 世界中の人々が豊かな生活を享受でき、安心して暮らせるならこんなに素晴らしいことはない。2020年生まれの曾孫はこの時60歳代、どんな生活をしていることだろう。

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スポーツは論理どうりにならない

2022年11月28日 17時30分12秒 | Weblog

 昨夜のサッカーW杯の第2戦、日本の相手はコスタリカ。日本は第1戦で強豪ドイツに2対1で勝ったが、コスタリカはスペインに0対7の大差で負けている。私ばかりか多くの人が、日本の勝利を確信していたと思う。

 結果は1対0でコスタリカが勝った。テレビを見ていても迫力が無かったというか、攻めも守りもチグハグだった。先取点を上げて欲しいと願いながら、いつの間にか、まあ、引き分けでもいいかと思いながら見ていた。

 日本陣営の前、キャプテン吉田選手がクリアしたボールは遠くに飛ばず、それをキャッチしようとした選手の足元で転がり、結局はコスタリカに先取点を取られた。まだまだ、引き分けることが出来ると信じていたが、ゴールは遠かった。

 サッカーを観戦している人々は、もちろん自国のチームを応援するが、関係の無い国の人々は勝っている方を応援するようだ。サッカー熱がこんなに世界中で盛んになったのは、いつごろからなのだろう。

 戦争の代わりにサッカーで決着をつけてくれればいいのにと思う。今回のW杯では強豪だから勝つとは限らないようだ。それだけ、各国のレベルが均一になってきているのだろう。W杯に出場していない中国でも放映されているようで、中国政府は観客席を写さないように指導しているという。

 スマホが世界でどれのくらい普及しているのか私は知らないが、中国でもサウジアラビアでも、いやきっと世界中で、人々はスマホを見ている。写真を撮って、それを流している。誰もが情報の発信者であり受信者である。

 こんなに誰もが平等な時代がやってきたのは、つい最近のことだ。それでも権力者は自分に都合の悪い情報には削除を命じている。でもそのうちに、削除されられない手段が開発されるだろう。

 国民が楽しみにしているスポーツ中継を流しておけば、政権への批判は遠のくと為政者は思うだろうが、逆な現象が起きているから面白い。論理どうりにならないのは、スポーツの試合を見ていれば分かる。

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ダメならまたやり直す、諦めがつくまで繰り返す

2022年11月27日 17時37分37秒 | Weblog

 朝、出かける時は今日の空のように、澄み切った気分だった。昨夜、井戸掘りが成功し、ブロックを積み上げて手押しポンプを設置している夢を見た。いよいよ決着の日が来たのだと思い、一刻も早く現地に到着したい気分だった。

 私たちが家に着くと、既に依頼主は軽装になって作業準備をしていた。鉄管の中の砂を塩ビ管で洗い出し、鉄管に替って吸管を入れて水を汲み上げてみたいと言われる。ところが鉄管の中で、20ミリの塩ビ管が引っかかってしまう。

 「これより細い塩ビ管はありますか?」と言うので、ホームセンターへ一緒に行き、16ミリの塩ビ管を最長の4メートルを買う。これに1メートル繋いで5メートルにして、鉄管を洗ってみるが、結果は同じだった。

 次に4メートルの鉄管を引き抜いて、そこに20ミリの塩ビ管の吸管を入れてみるが、2.5メートルくらいのところから入っていかない。この場所では6メートル掘ることは出来ない。諦めるしかないと思うけど、依頼主は納得できない顔をしている。

 「素人の井戸掘り」動画を見ても、簡単に上手くいく時と、どんなに手を尽くしてもダメな場所もある。同じ場所でほじくり回せば、石が集まってきてしまい却って困難になる。もう、場所を変えて掘るしかない。

 場所を変えたり、掘り方を変えたり、それは依頼主が納得しなければ逆効果だ。作業の中心は依頼主で、私たちは道具を貸している手伝い人でしかない。最も簡単な方法は、3メートル4方の穴を手掘りで掘り進めることだが、それだけの広さと安全を確保する囲いが作れない。

 そうなると振り出しに戻って、別の場所で鉄管か塩ビ管で掘り進めるしかない。どうせまた石があって掘れないのではと言う人もいるが、運が良ければ掘り進められるし、悪ければやり直すことになる。

 まあ、人生と一緒。やる前からダメだと諦めるか、やってから考えるか、私ならやってみる。ダメならまたやり直す。諦めがつくまで繰り返す。さあー、依頼主がどう考えるのか、結論は来週に先延ばしされた。

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銀杏祭りとブルーインパルスの飛行

2022年11月26日 17時37分29秒 | Weblog

 土・日曜日は井戸掘りと思っていたが、何の連絡もない。電話をすると、「今日は休み」とのこと。それならばと思い、祖父江の銀杏祭りに行ってきた。祭りの会場を私は知らないが、昔、町会議員に立候補したいと言う人がいて、その人に会いに祖父江に来たことがある。

 その時、銀杏の並木や木曽川の砂丘を見た覚えがあるが、銀杏祭りの会場は違うところにあるようだ。ナビに任せて行くと、祭りの臨時駐車場の看板が目に付いた。既に何台も並んで空くのを待っている。それでも帰ってくる人もいるので、最後尾につけて順番を待つ。

 意外に早く駐車できたが、祭り会場まで結構歩かされた。会場に近く広いグランドが駐車場になっていて、まだまだ駐車に余裕があるのに、人はどうしても最初に見えた駐車場に入れてしまうようだ。案内の人がいれば、もう少しスムーズなのかも知れない。

 けれど駐車場が遠い分、いろんなものが見えてよかった。見るからに銀杏並木らしき場所があり、親子連れが銀杏を背景に写真を撮っていた(写真その1)。そこから橋を渡ると新しく整備された「ぎんなんパーク広場」があり、いろんな出店が並んでいた。

 広場の周りの銀杏並木を丹念に歩く人は少なくて、祭りに来ている人の多くが出店を回って買い求めている。私たちも広場の出店を見て回り、その後、人数の少ない小道へと進んだ。そこに銀杏の実が鈴なりになった樹があった(写真その2)。樹木の下には銀杏の実がたくさん落ちていた。

 銀杏並木に満足して帰宅する。カミさんが「うどんが食べたい」と言うので、お目当ての店に行くが、既に準備中になっていた。帰宅途中のJR稲沢の陸橋にたくさんの人がいて、皆空を見上げている。今日はブルーインパルスの飛行が見られるので、その瞬間を待っているのだろう。

 すると轟音とともに、5機の編隊飛行が見られた。井戸掘りは出来なかったが、銀杏祭りとブルーインパルスの飛行が見られたのだから、休みがもらえてありがたかった。

 

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スポーツは心の浄化作用なのか

2022年11月25日 17時50分38秒 | Weblog

 テレビは各局ともサッカーW杯の話題を報じている。にわかにサッカーファンになった人もたくさんいる。学校でも体育の時間はサッカーになるのかと思ったが、意外にいつも通りに縄跳びやドッジボールだった。

 私が生まれ育った刈谷は城下町で、小学校は城跡の一角にあった。城らしい雰囲気が残る場所は公園で、たくさんの桜の木が植えられていた。公園の南側に球場があり、小学校の運動会も行われた。

 刈谷が「サッカーの街」と言われたのは、1950年(昭和25)に第5回国民体育大会のサッカー会場としてこの球場が建設されたからだ。小学校も中学校も、体育の時間にサッカーをすることは多かった。

 子供会ではソフトボールが盛んだったが、私はサッカーの方が好きだった。高校はサッカー部が全国大会に出場するほどの強豪校だったから、体育の時間と言えばサッカーだった気がする。ただ、サッカーは格闘技のようなところがあるから、メガネをかけていた私は2度ほど壊してしまい、父親に無駄な出費をさせてしまった。

 大学の最初の体育の授業で、私は高校の時の体操服を着ていたので、先生から「サッカーの名門校だな」と言ってもらえた。走ることは早かったからサッカーには向いていたが、メガネが無いとどこに球があるのかも分からない。

 高校の教師になった時、生徒とラグビーの試合をやることになり、新任の私たち男性教師はメンバーに入れられた。私はスクラムの先頭を命じられたが、ラグビーではメガネを外さなくてはならないから、いったい仲間がどこにいるのか、ボールがどこにあるのか分からないまま走り回っていた。

 カミさんが「スポーツは見ているだけで、なんか何か心を豊かにしてくれるわね」と言う。スポーツ大会に観客が興奮するのも、そんな心の浄化作用なのかも知れない。当分はサッカー熱が続くだろう。

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凄い!にわかサッカーファンの誕生である

2022年11月24日 18時01分51秒 | Weblog

 街はすっかりクリスマスになっていた。お目当てのレストランで、初めにビールを飲み最後に赤ワインを飲んだ。ビールは美味しあったが、ワインはいまいちだった。案内された席の隣りに、男4人女3人のグループがいて、結構飲んでいるのかウルサかった。

 声が大きいだけでなく、話していることがエゲツナかった。「セックスの相性なんて、やってみなくちゃー分からん。見た目で判断はできん。なんなら、セックスの権威であるオレが一度寝てやってもいい」。30代の禿げ頭が、20代の男どもに威張って言う。

 女性たちは20代で笑っていたが、「やっぱり、寝てみないと分からないわよ」と経験者らしく相槌を打つ。「お乳が大きいとか、お尻が大きいとか、外観とセックスの相性とは違うし、セックスが上手いか下手かにもよる」と禿げ頭が説く。「料理が上手い女はセックスも上手いとか、無いんですかねえ」と若い男が言うと、女のひとりが「私、料理上手いわよ」と言い、ドッと笑った。

 そんな話は居酒屋の座敷でやってくれ。開放的なレストランで、大声で話すことでは無い。私は隣の禿げ男に言ってやりたかったが、まもなくグループは席を立っていった。やれやれ、これでゆっくり食事が出来ると思ったら、「今晩のW杯は日本とドイツの試合だから、早く帰って観たい」とカミさんは言い、途中でケーキを買い、「コーヒーを飲みながら観戦する」と宣言する。

 帰宅するとすぐにテレビの前に陣取ったのに、いつの間にか居眠りしている。コーヒーを淹れて開幕を待つ。9時半に起こしたのに、半分寝ぼけている。10時を過ぎてもまだウットリウットリしていたので、「あなたが応援しなかったら負けちゃうよ」と驚かす。せっかく前田選手がゴールしたのにオフサイドだった。やっぱり、ドイツに苦戦している。

 だんだんカミさんは目を覚まし、「何やってるの!そこよ!」と声を上げ出した。後半戦でゴールが決まった時は大興奮で、テーブルをたたいて大喜びする。2対1で勝利が決まった瞬間はもう、自分が監督か選手になっている。私は「非国民なので、もう寝るね」と先に休んだが、カミさんは「午前1時半までテレビを見ていた」と言う。凄い!にわかサッカーファンの誕生である。

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何だかギスギスしている世の中だ

2022年11月22日 18時19分44秒 | Weblog

 小学校の校舎からブラスバンドの音が聞こえる。コロナ禍で長い間、音がしなかったが部活動も再開となったのだろうか。運動場からも子どもたちの声が聞こえるが、いつも練習しているサッカー部ではないようだ。

 コロナ感染の広がりで、部活動は自粛されていたが再開となったのだろうか。しかし、第8波が進行していると警告している。この市の同年者の集いを開催してきたが、このままではまた今年も中止にせざるを得ない。

 「コロナなんて、単なる風邪だ」と言い切る人もいるが、責任者としては流行しているのに開催する訳にはいかない。日本人は右に倣えをしていれば非難されないからと、突飛なことを避ける傾向が強いが、そうした風土で育ってきたからなと思う。

 子どもの自殺が多くなっているのはどうしてなのだろう。登校できない児童・生徒もますます増える傾向にある。教師の子どもたちへの指導が、恫喝や肉体への暴力になってしまい、自殺に追い込んでしまったケースもある。

 両親も教師も、子どもたちには敵わない存在だ。腕力でも知識でも、あらゆる面で絶対的である。「イヤ」などと反抗すれば、どんな目に遭わされるか分からない。教師も親も「子どものため」と思いながら、子どものためにならないことを行ってしまう。

 大阪で支援学級の1年生が教師の給食を食べてしまい、その女教師は子どもの背中に「先生の給食を食べてしまいました」と書いた紙を貼り、学校中を連れて歩いたという。女教師は「この子は人と話せないから」貼り紙をしたと言うが、だったらなおさら、食べてしまった理由を聞いたのだろうかと思う。

 何だかギスギスしている世の中だ。相手を想う余裕はどこへ行ってしまったのだろう。右に倣えだけでなく、そうできない人や子どもがいることに心を配る余裕が欲しい。明日は結婚記念日、「美味しいものを食べに行こう」とカミさんが言ってくれるので、ブログは休みます。

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長女夫婦の写真が新聞記事に載っていた

2022年11月21日 17時17分13秒 | Weblog

 今朝、中日新聞の尾張版を見て驚いた。清州の国登録有形文化財である『柴田家住宅』が一般向けに公開され、その建物の歴史を家主が市民に説明している写真と記事が掲載されていたが、写真に長女夫婦が写っているではないか。

 私はダンナに、「今朝の新聞に載っているよ。一宮支局に電話すれば、写真がもらえるよ」とメールし、新聞記事を写して送った。長女の家は新聞を購読していないから、記事を見ることが無いからだ。

 10月にダンナの企画で、滋賀県の旧中山道の宿場を見せてもらったが、彼はこうした古い街並みに興味があるようだ。住んでいるところもこの柴田家に近いし、西枇杷島の街道復活を願うことも口にしていた。

 メールのやり取りの後、秋の空の青さに魅かれてルーフバルコニーに出た。残っていた大きめの鉢に新しい土を入れ、次に何を植えようかと考えた。いやその前に、残っているデザインのキレイな鉢を処分しよう。

 この5鉢はゴミ捨て場から拾ってきたものだ。鉢の底に網を敷き赤玉土を入れて、すぐに使えるようにしてゴミ置き場の入口に、目に付くようにとキレイに並べた。花いじりが好きな人が、きっと持って行ってくれるだろう。

 世の中はSDGsが大事と、無駄をなくすと運動している。私の行為も何かの役に立つだろう。出来れば今あるツバキやキンモクセイやアジサイそしてバラを、マンションの緑化に役立てて欲しいけれど、手間のかかる物は要らないと言われてしまいそうだ。

 まあ、先のことは考えず、今何すべきかだけを考えよう。守山区の井戸掘りの依頼主さんからメールが来て、「息子ふたりに手伝ってもらって、鉄管を引き抜くことが出来ました」とある。さて、どうするか、こちらも考えなくては。長女のダンナ、井戸掘りに興味はないかなあー。

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彼と彼女がその後どうなったのか、私は知らない

2022年11月20日 18時02分39秒 | Weblog

 中学からの友だちがブログに、よく昔のことを書いている。それを読んでいたら、いろんなことがあったのだと思い出した。私たちの高校には郷土研究クラブがあって、その部長を務めていたのは同じ中学の卒業生だが、中学の時に話した記憶が無い。

 卒業アルバムを見たら、クラブにはずいぶんたくさんの部員が写っている。部室は私がいた新聞部よりも奥にあって、一度くらいは覗いたと思う。何年生だったか覚えていないが、部長だった彼から誘われて、二度も鍾乳洞探検を経験した。

 初めは豊橋の山奥にあった、「蛇穴」と呼ばれていたところだった。私が彼に言われて用意したのは縄で、入口付近に結びつけ、懐中電灯を持った彼の後ろをゆっくり下っていった。縄が無くなると入口に戻って、改めて無くなったところの目立つ石に結びつけて進んだ。

 2度目は滋賀県の醒ヶ井にある「河内風穴」で、こちらも同じようにして探索した。2度とも一緒に行ったのは私だけだったので、部員が少ないのだと勝手に思っていた。それにしても彼はなぜ、そんな鍾乳洞を知っていたのか、なぜ探検に私だったのかと思う。

 彼から3度目の誘いがあったのは、高校3年の卒業間近な時だった。1学年下の放送部の女生徒の家に、「一緒に行ってくれ」と言う。彼がその子が好きだと分かっていたので、ひとりでは行きにくいからと頼まれたら断ることは出来なかった。

 学校の先生の娘さんと聞いていたが、立派な家で通された和室の客間も厳かな雰囲気だった。彼女がたててくれたお茶を飲んだ。何の話をしていたのか全く覚えていない。帰る時になって、彼女が私にそっと近づいて、「今日はありがとうございました。私が卒業するまで待っててください」と言う。

 えっ、どうして?それを言うなら彼にだろう。私は何も言えずに「さようなら」とお辞儀をした。私は初恋の人に振られたばかりだったが、何だか、彼に申し訳ない気がした。彼は嬉しそうに後ろを振り返って手を振っていた。彼と彼女がその後どうなったのか、私は何も知らない。

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