友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

7月も今日で終わり

2008年07月31日 22時48分46秒 | Weblog
 7月も今日で最後だ。明日からは8月になってしまう。1年も半年を過ぎてからもう1ヶ月が過ぎた。こんな風に時間はどんどん過ぎて行く。1日が24時間であることは全ての人に平等だ。みんな誰もが同じ条件の下で暮らしている。人が生まれた時も、親しい家族しかその誕生を祝ってはくれなかったはずだ。

 死ぬ時はどうか、現役の人ならば大勢の人がその死を悼んで見送りに来てくれる。現役から遠のいた人は見送りの人も疎らだ。しかしいずれのケースも、本当にその死が悲しくって仕方がないという人が何人いるだろうか。葬儀は確かに悲しいものだけれど、ある意味では正しく儀礼的だ。葬式という儀式は生存者のためのもので、死者には全く不要の儀式だと私は思っている。

 私は子どもたちに、私が死んでも葬式はいらないと言っている。私が死んだら、葬儀屋に頼んで火葬の手続きだけはしなくてはならない。火葬場では遺骨を拾う振りをして決して持ち帰らない。それでおしまいだ。誰も呼ばなくていい。その年の年末に、私のパソコンの年賀状のあて先に対し、「父は○月○日、何々で亡くなりました。大変お世話になりました。心からお礼を申し上げご連絡いたします。ありがとうございました。」と印刷して送ってくれればそれでいい。

 人は生きているうちは意味があるが、死んでしまえば紙くず同然だ。だからこそ、一生懸命で生き、悲しんだり喜んだり、恋したり恨んだり、そういう日々をしっかりと送ることだと思う。死んでしまえば、確かに何日間かは悲しんだり思い出したりしてくれるだろうが、そのうちに忘れ去られていく。私は「忘れ去られていく」ことこそ大事なことだと思っている。いつまでも死んでしまった人のことなんか思い煩うことなんかない。だって、人はいつか死ぬのだから。

 7月が終わり8月が来るように、人の生涯もその繰り返しだ。そしてまた、人類はそうして今日を迎えている。どんなにあがいたところで、1日が24時間は変わりようがない。変わるとしたら、それは自分自身が24時間をどのように使うかだと思う。その積み重ねで、1日が、あるいは1週間が、1ヶ月が、全く違う時間となることは可能だ。しかし、それは不幸なことかもしれないし、非常識なことかもしれない。

 今日が月の終わりだというだけで、いったい自分が何を書こうとしているのか、よくわからなくなった。お酒を飲みすぎたのかもしれない。明日は2日から始まる夏祭りの準備をしなくてはならないから、これで終わりにしよう。こんなことが書けるのだから、やはり冷静ではないだろうか。
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人は誰も不完全

2008年07月30日 23時13分47秒 | Weblog
 夏休みだ。孫娘は全国中学生水泳大会愛知県大会に出場したが、自己ベストにも及ばない成績だった。身長が150センチにも満たないからスポーツ選手としてはかなり不利だと思うけれど、彼女はまだやれると思っていたようだ。それが、コーチからこれ以上やれば肩を壊すと言われたようで、そのショックは大きかった。

 そのせいなのかはわからないが、井上真央出演のテレビドラマ『花より男子』の再放送を録画したものをずっと見入っている。やはり原作がマンガだけに余りにも馬鹿馬鹿しくて、私は部屋を変えて他のテレビを見ていた。台湾の子どもが5人(?)、ガンになった母親のために飲まず食わずの生活をしているものだった。『花より男子』の世界とは全く違う、貧しさの中で必死に生きている現実がそこにあった。

 マンガだからまあいいかとは思うけれど、『花より男子』の道明寺司は最低な男だ。「道明寺司のようなバカな男を好きになったらダメだよ」と孫娘に言うのだが、「私が好きなのは井上真央なの」と孫娘は答える。私には井上真央が演じる娘も、その娘が好きになる道明寺司もそんなに差がないような気がするのだが、孫娘は「断然、真央ちゃんがいい」と言う。彼女の中の美意識というか人の評価基準というものはどうなっているのだろう。

 中学校の教師が卒業生から、「対面恐怖症になったのはお前のせいだ」と刺される事件があった。良かれと思って言った言葉が、相手には心の傷として残ることがある。教師は、生徒に対してはある意味で権力者だ。その一言が子どもたちに大きな影響力を及ぼすことだってあり得る。しかし、教師の側からすれば、毎日自分の放つ言葉の一つひとつにそれほど神経を使うことは現実的に無理だ。それはやはり、教師と子どもたちとの信頼関係に尽きると思う。

 子どもたちが教師に腹が立つのは、教師が完璧的な存在だと思うからだ。完璧ではないがいい奴だとか、努力はしているね、くらいの余裕で教師の存在を認めていれば、アイツも人間だものなと思えるし許せるだろう。私も教師だったから子どもたちの成績に評価をつけてきた。けれども、これは私の今の時点での評価であって絶対のものではないと話した。それをどれだけの子どもたちが理解してくれたかはわからないが、教師であっても絶対者ではないし、まして完璧な人間ではないことは伝わって欲しいと思った。

 人は誰もが不完全だ。不完全だから努力しようとするし、愛も欲しがる。愛を欲しがらない人は愛することもしない人だ。
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人間の歴史と個人のドラマ

2008年07月29日 21時42分07秒 | Weblog
 ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだのは、中学生の時だったろうか。社会にとって益とならない金貸しは悪い奴なので、殺してもかまわないと考えるラスコリニコフに共感するところがあった。人間には歴史を作り出す特別な人と、歴史が作られていくための材料となるためだけで生涯を終わる大多数の普通の人とに区別される、そのように人間を分析するラスコリニコフに共感した。

 歴史に名前を残す人は誠にわずかでしかないことは事実だ。けれどもよく考えてみれば、後の世界の人々がそのように記しているのであって、生きている人間はそれぞれに精一杯に生きていることも事実だ。そしてまた、どんなに歴史上に名が残っているにしても、ラスコリニコフが言うように、多くのその日その日を生きている人々が在ってこそ歴史はつながっていることも事実だ。

 ナポレオンは戦争したが、兵士がいなければ成り立たないし、自動車を考え出した人だけでは車は造られない。また人間の歴史もアリと同じだ。女王アリだけでは歴史はつくられない。もっとすごいなと思うのは、人類史が創られていくための材料となるためだけで生涯を終わる大多数の普通の人間にも、一握りの特別な人間と同じように、一人ひとりにそれぞれのドラマがあるということだ。どんなに華やかなあるいは幸せなあるいは悲しいことばかりしかないという人であっても、みんなそれぞれのドラマを持っている。これほどの素晴らしいものはないだろう。

 私の家は材木屋だった。祖父が創めたが、長男であった父は後を継がず、兄が跡取りとなった。いろんなことがあって、兄はこの材木屋を潰した。私は大学2年だったが、ある晩にいかにもヤクザ風な男が3人やって来て、「兄貴を出せや」と言った。金貸し業の人たちだった。保証人になったことから火の車となってしまったことも後で聞いた。私が兄から学んだことは4つある。決して人を恨まない。いつもロマンを求める。それから保証人の印は押さない。ギャンブルはしない。これを今も守っている。

 だから、保証人は断っている。金額の問題というより誓いである。「お金を貸して欲しい」と言う人には、自分の都合のつく範囲なら、カミさんには内緒で貸してあげた。お金にだらしない人は確かにいるから、そんな風に甘えさせない方が本人のためかもしれない。まだ半分しか戻ってこないが、私が用立てることで彼がつまらない気を起こさずに済むなら、役には立っているのだと思う。

 人の歴史は面白い。先のクラス会で介護士となって働いている女の子が「過去を見てもしょうがない。未来ばかり見てもしょうがない。今を大切に生きようよ」と言っていたけど、ホントにいいこと言うと思った。今を大切に生きるっていうことは、未来につながるということだ。それにしても介護をする人は明るい。明るい人だから介護が出来るのかな。
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何を待つのか

2008年07月28日 19時59分00秒 | Weblog
 人は待っている。暑さを凌ぐ雨を。近況を知らせる手紙を。メールの返信を。人は自分の努力だけでは何も手に入れられない。もちろん、その反対のこともある。孫娘が夢中になっている水泳やテストの結果は、何も努力せずには栄冠を勝ち取ることが出来ない。人の世界の中は、結果を得たければ努力しなくてはならないように出来ている。「待ちぼうけ」のように、ごろりと寝転がっていて、ウサギが手に入ることは現実社会ではない。

 だからみんなそれなりに努力する。孫娘は、小さい時から水泳をしていて、努力すれば必ずよい結果が得られることを体験しているから、努力することを惜しまない。しかし、中学2年生となった今、努力すれば何でもよい結果を得られるとは限らないことも中にはあることを薄々感じるようになってきている。

 暑いからといって、人は努力の仕様がない。相手のことが気になったとしても、じゃー自分が何をしたらよいのか、すぐに答えが見つかるわけではない。メールの返信のようなものでも、受け手がメールに気がつかなければ返信はない。受け手が私のようにケイタイそのものを机の上に置きっぱなしにしているかもしれない。

 人の世界は、みんなが努力すれば必ずよい世界になる。私はずっとそう思ってきたけれど、本当に人はそれだけの力というか資質を持っているのだろうか、そんな疑問を抱く時がある。人の善を私は信じているけれど、果たしてそこまでたどり着けるのだろうかと思ってしまう。

 同時代社発行の『松崎明秘録』を読んだ。元週刊誌記者の宮崎学と元動労委員長の松崎明の対談を本にしたものだ。松崎といえば、私のイメージは革命的労働運動の指導者あるいは革マル派の最高幹部というものだった。この本が必ずしも真実を物語っているわけではないかもしれないが、松崎を神格化していたのは私自身だったのかと知った。松崎は何も知らないと言うが、内ゲバの犠牲者に何も責任を感じない男だったことにはガッカリした。

 それとともに、人はこれからどこへ向かうのか、何が出来るのか、と思った。目標がなければ人は努力することも、手をつなぐことも出来ない。ただ一生懸命に祈るだけでは何ものも実現することはないだろう。

 今日は一日中、雷雨に見舞われた。涼しくなったが、また、明日からは暑くなると予報が出ている。
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猛暑

2008年07月27日 18時51分43秒 | Weblog
 何かが起こりそうな無気味な暑さが続いている。長くシンガポールに住んでいて今年から日本で暮らしている次女の義母の話では、シンガポールよりも日本の夏は暑いそうだ。そうか、日本の夏はそんなに暑いのかと妙に納得してしまった。まだ暑さは続いている。先ほどの雷雨で一瞬だけれど涼しくなったものの、再び熱さがぶり返してきている。

 それでも、秋葉原事件のような突拍子もない事件が起きていないことは幸いだ。これだけ暑いと事件を起こすだけの思考も気力も無くなるのだろうか。それならそれで、灼熱地獄も役に立っているとも言える。おっと、夕方になって少しいい風が吹いてきた。ルーフガーデンでビールを飲みながら食事が出来そうだ。

 先日、住宅街の中にある喫茶店に連れて行ってもらった。店内ではなく、屋外の席に座ったけれど、庭には何本もの樹木が生い茂り、木陰を作っていて、さわやかな風が吹き抜け気持ちよかった。私が庭を作るなら、こんな庭がいい。我が家の庭は、マンションの屋上だから、樹木が植えられない。それでも夏は出来るだけうっそうとした緑の庭にしたいと思っている。

 スペインで古城を見学した時、その城壁に朝顔が絡みついていた。夏はやはり朝顔が似合うと思い、ルーフガーデンの鉄サクに絡みつかせてみたが、葉も花も太陽に向かうので、裏側から見る位置になってしまい、うっそう感からは程遠い。チューリップが植えられていた鉢は、今はサルビアで埋まっている。濃い緑の葉と真っ赤な花の組み合わせが好きだ。

 私の好き嫌いは矛盾している。このサルビアのような赤と緑という激しい色が好きなのに、朝顔やアジサイは昔からどこにでもある淡い青が好きだ。決して強い自己主張がなく周囲に溶け込んでいる可憐な色合いが好きだ。この矛盾は私の性格を反映しているのだろう。私の血液型はO型で、父親と母親の血を受け継いでいるから典型的なA型に近いO型だと思っている。思っていると書いたけれど、血液型による性格分析を全く信じていない。60億もの人間を4種類に分ければ当然どこかに入るのだから、それがどうしたの?というのが私の考えだ。

 このように私は自分の中に2つの異なった傾向が存在することを自覚している。高校生と時はこうした自分の、矛盾したものが同居していることに、恐れと不安を覚え悩んだ。人生の幕が降りようとする今、矛盾した存在が人間なのではないかと思うようになってきた。こんなことを言うと、いつも自分に都合の良いように解釈するとまた指摘されそうだけれど、自分意都合の良いように考えることが出来るのも、時を積み重ねた結果だと思う。

 夕方のニュースを見ていたら、今日暑さは今年一番と報じていた。さらに日本一暑い岐阜県多治見市で駐車中の車に落書きする事件や、場所はわからないが交通事故を起こした人がバレルのを恐れて相手を絞め殺そうとした事件を報じていた。猛暑が生んだ事件はやはりおかしい。
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暑さの中で

2008年07月26日 18時34分37秒 | Weblog
 茹だるような暑さである。地面から熱風が吹き上げてくる。目の前の建物も街路樹も、暑さの中でこのまま燃え出すのではないかと思うくらいだ。ジリジリと地上は火の海と化す。いや、一瞬のうちに地殻が割れてマグマが飛び出してくる。あるいは天上から火の玉が見る見るうちに空一杯に広がり落ちて来る。そんな妄想が現実のものとなりそうなくらい無気味な暑さだ。

 1週間後に始まる夏祭りに向け、打ち合わせを行なった。今年の出し物が決まり、誰が何を担当するか、そして準備を誰と誰がいつから行なうか、綿密に打ち合わせた。祭りは何が起こるか分からないから、これくらいしっかり打ち合わせをしておいても、当日になるとゴチャゴチャになってしまう。リーダーが一番大変だが、リーダー一人に責任を押し付けないところは、やはりこの会は大人の集まりである。

 打ち合わせを終えて、屋外に出るとそこはまるで地獄だった。夕方には、駅前の七夕祭りの視察に出かける。こちらの祭りは的屋さんが主流だから、今後私たちのような市民参加型が学ぶことも多くあるだろうとの判断だ。この熱さだから飲み物や冷たい物がよく売れるはずだが、何をいくらで売っているか見てこようというわけである。

 昨夜は、私が教員になって最初の担任となった時の子どもたちが開いてくれたクラス会だった。私が23歳で、彼らが15歳。クラス会は女子が5人で、男子が14人の参加だった。平日の夜の会だから、女子には出席しにくかったかもしれないが、何よりも働き盛りの男子が仕事を終えて駆けつけてくれたのは嬉しいことだ。私とは8歳違いだが、私よりも落ち着いた年上のような風格のある人もいれば、高校生の時は夢見る乙女だったのに、膠原病を発病し、障害のある子どもを抱え、さらに夫に先立たれ、苦労を全部背負い込んでしまったような人もいる。

 人生も60歳近くなると、本当に人様々だが、もっと私を感動させてくれたのは、一人ひとりが立って近況報告を行なったけれど、実に要領を得ていて誰もがうまかった。司会も高校生の頃は目立たない子だったが、上手に進めていくので感心した。「先生、このクラスで成績が一番よかったのは誰ですか?」と尋ねてきた子がいたが、高校を卒業して37年経ってみると、当時の成績などは何の意味も無いように思った。

 この時のスピーチで、「この先何が起こるかわからない。今日をしっかり生きることが明日につながる」というようなことを話した子がいたが、今日のような異常な暑さの中にいると、ますますそんな気がしてくる。悔いの無いように生きたい。けれど、人はいつも悔いが残るのだろうなと、暑さの中で考える。
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世代論

2008年07月25日 16時39分10秒 | Weblog
 松阪から友人が来た時、秋葉原の事件が話題の一つに上がった。彼は49歳で、犯人の父親と同じ歳だそうだ。このところ、連続殺人事件が頻繁に起こっているが、犯人の親の年齢が50代前後だという。世代論で片付けることはちょっと無理があるかもしれないが、事件を考える一つの視点であるとは言えそうだ。

 60代の親は明治生まれか、大正生まれであろう。時代は貧しかったのに、西洋諸国に追いつき追い越せと頑張ってきた世代だ。50代の親は昭和一桁生まれだろう。子どもの頃は神国日本と教えられ、敗戦後の社会を復興し発展させてきた。どんどん豊かな生活を手に入れられることを実感してきた。子どもの時に教えられ形成された価値観は見事に否定され、かといって自分を納得させる価値観を築くことが出来ない。

 私の父は明治の末の生まれで、しかも教師だったから、戦前の価値観と戦後の価値観のギャップに戸惑ったと思う。正確もあると思うけれど、ほとんど何も自分の価値観を押し付けることがなかった。戦争には行っていないから、軍隊のつらさは知らないから、戦争の話は聞いたことがない。ただアメリカに勝てないと思っていたと話してくれたように思う。それよりも、戦後も戦争へと国民を駆り立てた人々が国の中枢にいることに私の関心を導いたように思う。

 私の母は、父よりも二つ年上で、さらに田舎の百姓の娘だが、母親の父に当たる人は勉強好きだった母に学問することを許したようだ。母の兄弟の中では母だけが進学している。母は父とは正反対で、行動的で積極的で感情的な人だった。母の口癖は「男はジェントルマンでなくてはいけない」と言うものだった。父も母も、勉強せよとか、これをしなさい、これはダメだ、ということはなかった。母は褒め上手で、私が庭弄りが好きでせっせと土を耕していると、「きれいな指をしているね。きっとピアニストになれるよ」などと言った。我が家にはピアノなどないし、そもそも私は鍬で土を耕しているのだから全く関係のない話だ。後から思うと、百姓の家に生まれた母は私を違うものにしたかったのだろう。

 親が子どもにこうしなさいと強制することはできないが、しかし、親が何を大切に思っているか、親の価値観を子どもに伝えることは大切なことだと私は思っている。親と子は、世代が違うわけだから、当然考え方や価値観も違うだろう。一致させることはないけれど、親であれば子どもに期待するものが何か、生き方として伝えておく必要があると思う。そうすることが、秋葉原のような事件の温床をなくすことになるのではないだろうか。

 NHKの朝の連続テレビ小説『瞳』の中で、「照れと意地っ張りがなければ、世間の親子はもっと幸せになるだろう」というセリフがあったが、そのとおりだと思う。
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暑い夜の熱い出来事

2008年07月24日 23時00分18秒 | Weblog
 昨夜、わざわざ松阪から友人が訪ねて来てくれたので、ご近所の友だちも誘ってビアパーティを開いた。夜の気温はまだまだ高かったけれど、それでも屋外で飲むビールは格別なものがある。そのビアパーティに孫娘が遅れてやってきた。自分の予想よりも人が多かったので、「あれ、どうしよう」と言いながらも、買ってきたみたらしダンゴを串からはずし、すばやくお皿に盛ると、「みたらしはいかがですか」と皆さんに振舞った。

 彼女がなぜ、みたらしを買ってきたのか、それにはその前の日の出来事が大きく関係している。彼女が通うプールの前の公園は夏祭りで、みたらしを売る屋台が出ていた。ちょっと派手目の化粧をしたお姉さんが「みたらしを買って!」と呼び込みをしていた。しかし、孫娘はお金を持っていなかった。お姉さんが余りに一生懸命だったので、彼女は真剣な気持ちで「10円しかないんですけど、買えますか」と聞いたそうだ。

 いつもプールのロッカーに使う10円がバックに入れていたのを思い出したのだ。派手目のお姉さんは一瞬エッと思ったようだったが、「いいよ」と言った。それで、孫娘は急いで自転車のところに戻り、10円を握り締めてお姉さんに渡した。お姉さんは自分のポケットから100円玉を取り出すと、「これで買ってきていいよ」と孫娘に渡したそうだ。今度は孫娘の方がビックリしたが、お姉さんの言うように、100円出してみたらしを1本買った。

 孫娘は派手目のお姉さんの好意がうれしかったようで、翌日つまり昨夜のことだが、どうしてもみたらしを買ってあげたいと思った。いつもならば、お小遣いをせびっていくのに、なけなしの自分の小遣いから500円を持って出かけたのだ。生憎、派手目のお姉さんはいなかったけれど、同じ屋台の人だったそうなので、「あの100円を返しに来ました。それから400円みたらしをください」と言って買ってきたというわけだ。

 派手目のお姉さんがどういうつもりで孫娘に100円を渡してくれたのかわからないけれど、たとえどういうつもりがあったとしても、そのことは孫娘の心に何かを残してくれたことは確かだ。そして、彼女がみたらしをこの日の私のお客さんのために買って帰ろうとしてくれたことに、祖父の私はうれしいものを感じた。松阪からやってきた友人は「美味しいですよ」と孫娘が買って来たみたらしを食べてくれた。

 暑い夜の熱い出来事だった。
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政治家の役目

2008年07月23日 23時43分22秒 | Weblog
 健康診断が変わった。医療費が毎年増え続けるから、国はこれを抑えたいのだ。そこで医療費を押し上げている生活習慣病を押さえ込もうというわけである。そして、75歳以上を後期高齢者として老人医療から区別するのも、ここから医療費が多くかかるからだ。けれども医療を医療費だけの問題に限ってはならない。医療は病気を根絶することではなく、どのように病気とやっていくかにあると私は思っている。

 医療費の増大は、国の税金の遣い方の中でも重大な問題になっている。私たち国民が医療とは何か、どうあることが望ましいのか、この辺りのコンセンサスをつくる大事だと思う。医術の進歩は目覚しいものがあるが、いったい何のためのものか、私は考え直すべきだと思っている。遺伝子の研究から白痴を無くすという演劇『アルジャーノンに花束を』ではないが、医術は本当に人を幸せにしてくれるのか、単純には喜べない。

 国は増え続ける赤字に頭を痛めている。赤字、赤字と叫ぶと、赤字を無くすには増税しかないという。何を増税するか、なるべく国民の負担が公平になるようにすべきだ、などとあたかも真剣に国の将来を考えているような議論が丁々発止と行なわれているような昨今の報道だ。全く馬鹿げている。いや、国民は政治家に馬鹿扱いにされている。

 熱が出たから解熱剤を飲めと医者は言う。もちろん当面の手当ては大切だ。でも、なぜ熱が出たのか、その究明がなければまた同じことをしてしまう。病気は様々な原因があり、先にも書いたが、医療は病気を根絶するわけではない。国の諸問題も根本的には根絶できないものがあるかもしれないが、場当たり的な処方箋だけではますます事態は深刻になっていくばかりだ。

 赤字はなぜ、生まれたのか。誰がその責任者なのか。政治の手法が赤字を生み出してきたことは明白だが、その手法とはどんなもの何か、それは根絶可能なのか、政治家ならばまずその解明を課題にしなくてはならない。もし、世界中で同じようにお金が無くて苦しんでいるなら、戦争がなければ軍隊はいらないから、軍事費は他に回せる。それならば、各国でそう決めればよいではないか。「そんな夢のようなことを」と馬鹿にする人がいるが、そうすることが政治ではないのか。

 税金が足りない。じゃー、増税しようというのであれば、政治家は何をやっているのか。国民が納得できないのは、「わからない」からだ。つまり何もかも知らされていれば、議論に参加することも出来るし、出た結論を納得して受け入れるだろう。国民は馬鹿な者だと思っているから、官僚と政治家だけで結論を出そうとする。それは当然、政治家と官僚には都合のよい、現実的な政治というわけである。
こういう政治からおさらばしなくてはダメだと私は思っている。
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中国でバス連続爆破

2008年07月22日 23時07分20秒 | Weblog
 中国でバスの連続爆破事件が起きた。こういう事件が起きたのを見ると、もう中国も先進国並みだなと思った。4年前に中国を旅行して驚いた。目の前の中国は、共産主義社会でも社会主義社会でもない、共産党が政権を握っている資本主義社会であった。それでも、円熟した資本主義国とは違い、建設途上の活気と誇りがあったように思った。

 バス爆破事件が、誰の何のためのものか知る由もないが、爆破事件が起きたことは事実のようだから、やはり先進国並みだと思う。私はもちろん特定であろうと無差別であろうと、人の命を奪うような行為を支持しない。たとえどんな崇高な理由があったとしても、人を殺して実現するような目的に共鳴しない。

 かつて愛知万博が議論されていた時、万博に反対する人々が、万博事務局のメンバーを乗せたバスの前に寝転がり、通行を妨げたことがあった。この事件に対し、地元の新聞は批判的な記事を載せていた。私のよく知る記者だったから、この記事にはガッカリさせられた。確かに行為は野蛮で愚かしい。けれども、権力を持たない者、力のない者に耳を貸そうという気持ちを記者は失っている。記者には新聞という力がある。反対する少数者はどのように自分たちの思いを伝えることが出来るというのだろう。

 あの9・11事件で、アメリカはテロとの戦いに血道を上げている。でもアメリカ合衆国が圧倒的な軍事力を投入してもテロを制圧できない。そればかりか、投入されている軍人はアメリカ国籍を得ようとする外国人だという。アメリカでは収入の少ない州の若者が軍隊に送り込まれている。そして本国にいるアメリカ人は戦争に嫌気を持ち始めている。アメリカのテロとの戦いとはいったい何なのだろう。

 力のない者、権力を持たない者、圧制に苦しむ者、彼らはいつの時代でも必ず権力に逆らい戦いを挑んできた。中国の歴史を学んでも同じことがいえる。そしてまた、権力は必ず腐敗する。賢者の後に愚者が生まれる。愚者の後に賢者が育つ。テロが生まれるのには理由がある。軍事力では解決できないが、テロの生まれる理由を無くすことならできる。

 中国政府は資本主義国の政府よりもはるかに強い姿勢で、「テロ」と戦うのだろう。そしてそのことで自ら崩壊する道を歩くことになると思う。そうではない道が生まれるなら、人類は新しい時代に向かっているといえるのだが、まだまだそんな気配は地球に無いようだ。
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