台風が過ぎ去ったのに、爽やかな青空にはならなかった。湿度の高い熱風が押し寄せ、会う人毎に「暑いですね。もう耐えられません」と言う。今日で7月も終わりだが、このままでは8月も暑さが続きそうだ。「熱中症にならないためにエアコンを使用してください」と気象庁が呼び掛けているから、全国的にエアコンの使用はピークだろうに、「電気が足りない」と言われていないのはどうしてなのだろう。
戦後の経済を支えてきた先輩は、「プラステックの実用化をはじめて僅か40年だ。あんなに苦労して創り出した『夢の製品』が、今では公害と言われている。いったい私たちがやって来たことはなんだったんだ」と愚痴をこぼしていた。どんなものにでも形を変えられ、しかも安価なプラステックは画期的な製品だったと言う。「人間の生活そのものを根本から見直す時が来ている」と自分が携わってきた高度経済成長期を振り返る。
私の高校時代の友だちが「江戸時代のような生活に戻ればいいんだ」と言っていたことを思い出す。人間は決して昔に戻ることは出来ないが、これからの生活のあり様を考えることは出来る。何千年も前のユダヤ人は、畑の麦を全部刈り取ることを禁じていた。ブドウ畑のブドウの実もある割合で残しておく決まりだった。それは、貧しい人々のためで、そうした人々が残りの麦やブドウをとってもいい習わしであった。麦畑の落穂もそうした人々のためのものだった。
豊かになると、助け合うことを忘れてしまう。貧しいのは「自己責任」と非難される。誰にでもシンデレラになれるのだから、頑張ってセレブになれと言う。確かに誰にでもチャンスはあるように見えるが、本当にそうなのだろうか。秀吉と同時代に生きながら、秀吉のようになれなかった男はいったいなぜだったのだろう。人はどこで別々の道を歩むのか、いや、そもそもが、同じ道の人などいない。自分にしか自分の道は分からないのだ。