友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思い出せないことが多くなった

2021年02月28日 17時53分29秒 | Weblog

 Facebookを見ていたら、友だちが「卒業制作展を見に行かないかと誘ったのに、未だに返事が無い」と書き込んでいた。あれっ?ひょっとするとと思って、慌ててケイタイを探したが見つからない。昨日の行動を思い出し、「しまった」、カバンに入れたままだと気が付いた。

 ケイタイを開くと、案の定、彼からのメールが届いていた。早速、謝りの返信を送る。昨日は守山区で息子たちと井戸掘りをしている人が、道具を貸して欲しいと取りに来た。万が一に備えて、カバンにケイタイを入れて置いたことをすっかり忘れてしまっていた。

 先日も友だちと思わぬところで出会い、「また、あの喫茶店に行きましょう」と言い合ったのに、互いに店の名前が出てこない。「えーと、あのあの」と思い出そうとするのだが、ダメだ。ふたりとも分かっているから、「まあーいいか」と納得して別れた。

 昔のことは比較的覚えていても、最近のことになるとなかなか出てこない。特に人の名前とか、屋号とか、商品名とか、そういった類いのものが思い出せない。でも、昔のことをどのくらい覚えているかというと、それもあまり確かではない。

 テレビを見ていたカミさんが、「ここへ行ったよね」と言うが記憶に無い。「あの店で、あれ食べたけど美味しかったよね」と言われても、食べた覚えはない。「私との思い出はみんな忘れてしまっているのね」と叱られたので、「抹殺している」と冗談を言って、さらに怒られた。

 関心のあるものや無いものによって、覚えていることが違うのだと思う。それとも私は、昔のことを本当に忘れようとしているのかも知れない。今日で2月も終わる。何もしていないと時の経つのが早く感じる。 

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自分につくウソって?

2021年02月27日 17時33分45秒 | Weblog

 テレビドラマで聞いた、「ウソには、他人につくウソと、自分につくウソがある」というセリフが、ズーと気になっている。他人につくウソは、いくらでも目にする。総務審議官時代に受けた接待について、山田内閣広報官が国会で答弁したが、私にはウソとしか思えなかった。

 7万円もする会食の席で、何が話されたのか、誰が出席されたのか、問われても「一般的な懇談だった」としか答えていない。質問する野党も、「一般的な懇談とはどういうものか」とさらに畳みかけていない。なぜ、自分が出席したのかを考えずに参加するなどあり得ない。

 他人につくウソは、自己保身だったり、騙すためだったり、あるいは自分をよく見せたいためだったりする。遅刻したりすると、急に用事があってとか、電車が遅れたとか、もっともらしいウソをつく。「綺麗だね」と言われて、まんざらでもないと思っていても、「全然、美人じゃーないわよ」と遜る。

 26日の読売新聞に、小学校1年の男子の『おとうさんにもらったやさしいうそ』と題した作文が載っていた。

 「おとうさんはちょっととおいところでしごとをすることになったから、おかあさんとげんきにすごしてね」と父親は言い、入院して1週間後に亡くなった。「おとうさんは、あえないあいだにぼくがかなしまないように、わざとうそをつきました。うそはふつうよくないけど、これは、おとうさんがぼくのためについてくれたやさしいうそだとおもいます」。

 泣けてしまって、声に出して読めなかった。この子はきっと大きくなっても他人にウソをつくことは無いだろう。さて、私の課題である、「自分につくウソ」の具体例がどうしても浮かんでこない。そう思って考え込み、これがウソなのかと思ってみたりした。

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大変でした

2021年02月26日 17時17分17秒 | Weblog

 道端でバッタリ会った人から、「大変でしたね」と声をかけられた。この人も被害者だったようで、「『ランチに行きたいから、車持っている人を誘って』と言われた」と話す。「本当に行きたいのなら、タクシーを頼めばいいのに、お金は出したくないのよ」と言う。

 私には「8億円も財産がある」と言っていたが、生活は質素だったようだ。「東海銀行に知り合いがいるから、1千万円預ければ高利息で財産を増やすことが出来る」と誘ったようだ。確かに私もその話を聞いた。「資金が無い」と断ると、「財産の増やし方を私は知っている」と豪語していた。

 1日に10回も電話してきたことがある。夜中であろうと、早朝であろうと構いなしだったので、「役所と一緒で、午前9時から午後5時までしか電話は出ない」と話したが、全く一方的だった。「あなたがそうやって聞くからよ」とカミさんは叱るが、私はヒマしているし、誰も聞いてくれる人がいないから電話してくるのだから、聞くのはボランティアだと思ってきた。

 誇大妄想と被害妄想が同居しているから話はいつも堂々巡りだ。それに彼女の話を聞いてくれない人の悪口が続く。「市役所も警察も町内会長も民生委員も、全然話を聞いてくれないし、電話にも出ない」と怒るが、当然なことが理解できない。

 私が言ったとおり、病院を受診しそのまま入院した。「大変でした」と言うのは「入院してくれたので、よかったですね」という意味だ。心の病の人を強制的に入院させることは難しい。入院してもしばらくすれば、普通に生活できると判断されて退院して来る。これが現実の人の生活なのだから、受け入れる他ない。

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政治が悪過ぎる

2021年02月25日 17時46分26秒 | Weblog

 あんなに暑くて汗をかいたのに、パソコンの前に座ってしばらくすると、しみ込んだ汗がとっても冷たい。これでは風邪を引いてしまいそうなので、急いで下着を取り換えた。朝のうちは気持ちのいいくらいの気温で、残る2鉢の土の入れ替えに夢中になった。

 昼からは少し気温が上がってきたので、1枚脱いで下着と冬のシャツに薄いジャンパーで作業をしたが、しばらくすると汗が滲んできた。アイスクリームが気持ちの良いおやつだった。考えていたバラの鉢の土替えは全て終わった。一番大きなバラの鉢が2つ残っているが、入れ替えずに土を少し足してやろう。

 小学校の運動場から子どもたちの元気な声が聞こえてくる。私たちの子どもの頃もあんな風だったのかと、70年近い前のことを思い出していた。もちろん、元気に遊びまわることには変わりないはずだが、みんな同じ服装では無かった。運動靴を履いていない子もいたし、下着姿になると白い下着ではない子もいた。

 みんな貧しかったが、それが苦にならないくらい大差無かった。今、日本の子どもは7人にひとりが貧困だという。毎日同じ服で学校に来る。学校での給食が唯一のまともな食事という子もいる。風呂に入ることもなく、下着も替えたこともない、そんな考えられない状態の子どもがいるという。

 官僚は接待で、1食7万円もの食事をしているのに、日本の子どもの中には食べることも出来ない。この矛盾を解決するために政治はあるのに、政治にかかわる人たちは私服を肥やすことにしか関心が無い。70年も前でも、みんなで助け合っていたのだろうが、今は孤立してしまっているようだ。政治が悪過ぎる。

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殺伐とした時代へ突き進むことにならないか

2021年02月24日 17時37分01秒 | Weblog

 しようと思っていたことが出来なくなってしまった。ならば、別のことをすればいいのに、何もしたくなくなった。グデグデと本を読み、お茶を飲み、ボーとして一日を過ごす。コロナに感染した訳でもないのに、どうしてこんなに無気力なのだろう。

 札幌の海鮮市場から電話がかかってきた。北海道へ行った時、買ったものを送ってもらったことがあった。その伝票を見て電話している様で、「お値打ちな海鮮ものを揃えましたので、ぜひ召し上がってください」と若い男の子が言う。最近、美味しい魚を食べていない気がしてきて、OKしてしまった。

 北海道は大荒れの天候が続いているようだけど、大丈夫なのだろうか。私の購買など微々たるものだろうけど、何かの役に立つならとも思う。一生懸命に働く人、働きたくても働く場所の無い人、世の中は様々だ。

 小学校で、「あだ名禁止」が広がっているらしい。「あだ名」で呼ばれて傷ついた子がいる。「あだ名禁止」がいじめの撲滅にはならないかも知れないが、全ての児童が「さん付け」で呼ばれるのはいいと思う。まず、先生が男も女も区別なく、「さん付け」で呼んで欲しい。先生の中には神戸の事件のように、「ボケ」とか「カス」とか呼ぶことが親しさの表現だと誤解している人がいる。

 コロナ禍のせいなのか、学校ではパソコンの普及が進められている。教育の方法としてはあるかも知れないが、対面が基本だと思う。先生とあるいは子どもたち同士の触れ合いの中で育まれていくのに、端末機を眺めているだけでは子どもは中身を忘れてしまうだろう。さらに殺伐とした時代へ突き進むことにならないだろうか。

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情ない話

2021年02月23日 17時26分15秒 | Weblog

 晴れていたのに風が強く、作業は出来なかった。植え替えたバラが大丈夫かと気になる。新聞にミャンマーのゼネストの記事があった。クーデターで権力を握った国軍に対する抗議活動が続いている。店舗や銀行が連帯して休業し、操業を止めた工場もあるという。

 「WE WANT DEMOCRACY」とヤンゴンの大通りに、道一杯に書かれた写真が目に留まった。英語で書かれているのだから、諸外国へのメッセージなのだろう。デモ隊は危険を感じたらすぐ逃げることに徹しているが、それでも死者が出ている。

 国軍の最高司令官は、「暴徒化したため治安部隊は発砲せざるを得なかった。これだけ大規模なデモなのに死者は少ない」と、アメリカや香港を意識した発言をしている。どうしてこんなに自己を正当化するのかと思ったら、日本でも同じだった。

 総務省の幹部ら13人が、菅首相の長男が勤める放送関連の会社から接待を受けたのに、「行政をゆがめるような不適切な働きかけは無かった」と、国会で総務大臣が答弁している。公務員は利害の絡む相手から接待を受けてはならないのに、「何も無かった」とは酷いイイ訳である。

 愛知県でも、大村知事を辞めさせる「愛知100万人リコールの会」(代表:高須克弥)が集めた署名の不正が問題になっている。「渡された名簿を書き写した」との証言もある。名簿の中には、2010年に名古屋市の河村市長が行った、名古屋市議会リコールで集めたものもあるようだ。

 けれど、河村市長は会議にも参加していないから、「一切関係ない」と言う。代表の高須氏は、「河村市長に頼まれてやっただけ。署名の書き写しは全く分からない」と怒っていた。「リコールの会」が収支を公表すれば分かることだが、捏造されるのがこの世界の常だ。情ない話だ。

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解決できない問題なのかも知れない

2021年02月22日 18時01分40秒 | Weblog

 春というより初夏のような一日だった。昨日に続いて朝から夕方まで、もちろん途中で昼食は摂ったが、ずぅーとルーフバルコニーで鉢の土の入れ替え作業を行った。手も腰も痛い。4時過ぎにジムから帰ってきたカミさんが「おやつにしない!」と言ってくれたので、今日の作業を終了した。

 いつもこんな風に、春先と秋口にルーフバルコニーで作業をして、いつもこんな面倒なことをしなくても花は咲くのにと思う。しかも近頃では、私が死ねば誰もこんな作業は出来ないから、生きているうちに鉢を無くしていくべきだと繰り返し思う。思っているのに、時期が来ると何となく作業に取り掛かってしまう。

 私の最初の教え子たちも60代になり、親の介護を迎えている。実の親のために実家まで通う子もいれば、ダンナの親の面倒を見ている子もいる。私の住むマンションでも、連れ合いに先立たれてひとり暮らしの人もいるし、夫婦で暮らしているが片方が寝たっきりというケースもある。

 昔は大家族だったから老後の問題が無かったのかと振り返ってみるが、祖父も祖母も長く寝込むことが無かったように思う。母は胃癌で寝込んでいたが、名古屋の赤十字病院へ入院し、それから2か月か3ヶ月で亡くなった。父は急に咳き込んで、入院することもなく1日か2日で旅立ってしまった。

 今は長生きする人が多いのに、核家族化で面倒を見る家族が少ない。施設に入所出来たとしても家族が見舞わなくてよい訳ではない。私は家族の介護の経験は無いが、世の中には介護で大変な毎日を送っている人が大勢いる。これは解決できない問題なのかも知れない。

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男女平等の社会を巡って

2021年02月21日 17時59分08秒 | Weblog

 春のような陽気だったので、朝からルーフバルコニーで一日中、鉢の土を出して古い根を取り出し、赤玉土やバーク堆肥などを入れ、土作りに精を出した。おかげで手が痛い。寝ている時も鉄パイプで打ち砕かれた左手首が痛いのに、今晩は両手の痛みで眠れないかも知れない。

 小5の孫娘が姉の家にひとりで出かけたという。私が小学生の時とは時代が違うから、便利になったのに怖い目に遇ったどうしようと不安も大きい。社会が進んだのに、どうして何の心配もない、素晴らしい社会になっていかないのだろう。

 森喜朗さんの発言で、男女平等社会の問題が再び浮上してきた。国会議員や会社などの管理職に、女性が占める割合が日本は低い。40%にしろとか、いや50%が当然とか、議論がある。枠をはめるのも1つの方法だろうが、それだけでは森さんのような発言は後を絶たないだろう。

 長女が小学生の時、担任の先生が、「お父さんは外で働き、お母さんは料理を作る」と役割分担を説明した。すると長女は、「ウチはお父さんが料理を作ります」と発言して、困った先生は「進んでいるネ」と笑ったようだ。私は教師を辞した時、家庭の主夫に徹しようと思っていた。

 けれど、家事労働は社会的に評価されないし、報酬も生まれない。それが嫌で私は再び社会に出ることにした。女性たちも、社会で自分が評価されることを「平等」と思っていても、それを支える社会の仕組みが充分ではない。まず、誰もが社会で働ける基盤整備が大事だ。

 男女平等の社会は、個々人が認められる社会であって、数字や仕組みが目標ではないが、これを目安として、これからも試行錯誤しながら創り上げていくものなのだろう。

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三岸節子記念美術館へ行って来た

2021年02月20日 17時17分06秒 | Weblog

 カミさんは胸の中央が「時々痛いのよ」と、友だち仲間や娘や孫に相談していた。「11月の健康診断の結果が気になる」とも言う。かかりつけの医者にそのことを相談したが、テキパキとした指示がないので、仲間や娘や孫に愚痴をこぼしていたのだ。

 カミさんはずぼらな性格だが、心配事を自分から作るタイプでもある。「病は気から、ストレスが痛みを生んでいるんだよ」、そう私が言うと、「ストレスなんか無い」と反論する。晩酌はするし、歯が丈夫だから私よりも食べるのは早く、汁ものと一緒に流し込んでしまう。

 友だちからの情報や診断書からの情報を調べ直し、「予約や紹介状がなくても診察してくれる病院があるから連れて行って」と言うので、今朝、一緒に行って来た。土曜日でも結構人は来ているが、スタッフ同士の話では「今日は少ない」ようだ。

 診察から診断まで2時間近くかかるというので、私はひとりで三岸節子記念美術館へ行って来た。画家たちの「肖像画」展は見ておきたかった。画家が自画像をどのように描くか、それは彼が絵画をどのように見ているかであり、自分自身をどう見ているかでもある。

 もう1部屋では、起工業高校デザイン科の生徒たちの自画像が展示してあった。2年と3年の生徒の作品と1年の作品が微妙に違うので、係りの人に聞いてみた。作品はみな1年の時に描いたものだが、「先生が替わった」と教えてもらった。先生によってこんな風に違うのかと改めて思った。

 絵のうまい子もいればそうでもない子もいるはずだが、掲示された作品を見ると皆技量が高い。彼らはこれで大いに自信を持つはずだ。感慨にふけった後、病院へ迎えに行く。診断を終えて出てきたカミさんは結構晴れ晴れとしている。「やっぱり、病は気から」ではないだろうか。

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チャンスはいつも目の前にある

2021年02月19日 17時07分07秒 | Weblog

 「娘たちから、通知表もテストも見せてもらったことが無い」とカミさんが言う。それはどうだったのか分からないが、私が「勉強しなくてもいい」と言ったことで、夫婦ゲンカになったことは何度かある。無理やり勉強させても身に付かない。勉強したいと思えば、人はやるものだという私の主張にカミさんは真っ向から反対だ。

 「そんな考えでは、子どもは勉強しない」と言うカミさんの指摘は正しかった。無理やりでも勉強させれば学力が身に付き、勉強が楽しくなって、さらに勉強するようになるらしい。私は父親に与えられた学習辞典が好きで、分厚い辞典を飽きずに眺めていた。数学は出来なかったが、歴史や地理や理科は雑学で覚えていた。

 小学校1年の時、先生が「読める人?」と問うと、「はい」と言ってスラスラ読む子がいた。私は彼を尊敬した。それでも前もって勉強しておく気になれなかった。小学校5年の時のストライキがきっかけで、通知表にいつも書かれていた「積極性に欠ける」「おとなし過ぎる」性格を変えることが出来た。

 それまで授業中に手を挙げることは無かったのに、手を挙げるようになった。児童会や生徒会の役員も務めた。それなのに、勉強には力が入らなかった。高校は進学校でバンカラな校風と聞いていたので、人生や友情あるいは社会や政治など、先生も交えて激論する場と思い込んでいた。今なら分かるが、進学校は大学へ入るための学校で、私は勉強する意欲を失っていた。

 私が勉強するようになったのは、教師になって生徒に教える立場になったためだ。必要になれば人は自ら進んで勉強するようになる。確かにもっと前から勉強していれば、進む道も違ったかも知れない。そんなことは仮説であって、その時その時で人は選択してきた。今が納得できなければ、挑戦すればいい。チャンスはいつも目の前にある。

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