朝のうちはまだ雨が残っていたけれど、10時ごろにはすっかり青空になった。私は小学校5年の担任だった早苗先生に会いに出かけた。娘さんのご主人とばかり思っていた男性は先生のご主人だった。それを聞いて、先日のふたりのやり取りが納得できた。娘さんのご主人にしては少し横柄ではないかと感じていたからだが、妻を気遣っていたのだということもよくわかった。先生のご自宅は住宅街にあり、家は道路から2メートルほど高くなっていた。ご主人が言われたように生垣があって、すぐに分かった。
お邪魔すると、先生がわざわざ玄関まで迎えに出てくれた。懐かしい顔だ。目は当時からすると細くなっているが、顔は艶々としている。頭の毛は薄くなってしまったが、それはお互い様だ。「遠いところをよう来てくれたね」と言う。私は「先生には謝らなくてはなりません。本当に申し訳ないことをしました。当時は、全く何も考えていなかったと思います。決して、先生を困らせてやろうとか、先生をいじめようとか、そんなことではなく、本当にごく自然に学校から外へ行くことになってしまったのです」と話す。
先生は「そんなことがあったんかね。何にも知らん先生だったでね。何年生だった?」と言う。「5年生です。先生はまだ独身で、新学期が始まったばかりですから、5月か6月頃だったと思います」。すると先生は「私の弟が丁度おんなじくらいでね。よく遊びに行っちゃったもんで、またどこかへ遊びにいったくらいにしか思っとらんかったね。新米の先生で、何にもわかっとらんかったでね」と言われる。私は自説である、先生が若くてきれいだったから関心を引こうとしたのだと思いますという話をした。「恥ずかしいね」と先生は目を細められた。
先生に謝るとともに、様子が分かればそれでいいと思っていたけれど、何だかすぐに席を立つことが出来なくて、アレコレと昔話や子どものことや家庭のことなど話すことになってしまった。先生に会ってすぐに、「私が分かりますか?」と尋ねた時、「分かりますよ。家は材木屋だったよね。おとなしい子だったね」と言われる。「ええ、いつも通知表に、もう少し積極性が欲しいと書かれていました」と答えた。先生が本当かどうかは分からないけれど、少なくとも言葉では「そんなことがあったかね。気がつかない先生だったでね」と言われたので、少しは気が楽になった。
先生の教員としての人生に大きなダメージになっていないかと心配していたけれど、娘さんに聞いても定年まで勤められたようなので、ホッとした。先生にとっては「弟がどこかへ遊びに行ってしまった」くらいの出来事だったのか、そんな風に思い込むようにしてきたのか、定かではないとしても今日の先生の笑顔からはもう遠い昔の出来事に過ぎないようだ。先生の生年を聞いて驚いた。昭和元年と言えば、カミさんの母親と同じで、私の姉よりも年上だった。娘さんがいみじくも「母にもそんなことがあったんだと思いました」と言っていたけれど、何気なく何の変哲もなく人は生きているようだけれど、皆それぞれにドラマがあるのだと改めて思った。
お邪魔すると、先生がわざわざ玄関まで迎えに出てくれた。懐かしい顔だ。目は当時からすると細くなっているが、顔は艶々としている。頭の毛は薄くなってしまったが、それはお互い様だ。「遠いところをよう来てくれたね」と言う。私は「先生には謝らなくてはなりません。本当に申し訳ないことをしました。当時は、全く何も考えていなかったと思います。決して、先生を困らせてやろうとか、先生をいじめようとか、そんなことではなく、本当にごく自然に学校から外へ行くことになってしまったのです」と話す。
先生は「そんなことがあったんかね。何にも知らん先生だったでね。何年生だった?」と言う。「5年生です。先生はまだ独身で、新学期が始まったばかりですから、5月か6月頃だったと思います」。すると先生は「私の弟が丁度おんなじくらいでね。よく遊びに行っちゃったもんで、またどこかへ遊びにいったくらいにしか思っとらんかったね。新米の先生で、何にもわかっとらんかったでね」と言われる。私は自説である、先生が若くてきれいだったから関心を引こうとしたのだと思いますという話をした。「恥ずかしいね」と先生は目を細められた。
先生に謝るとともに、様子が分かればそれでいいと思っていたけれど、何だかすぐに席を立つことが出来なくて、アレコレと昔話や子どものことや家庭のことなど話すことになってしまった。先生に会ってすぐに、「私が分かりますか?」と尋ねた時、「分かりますよ。家は材木屋だったよね。おとなしい子だったね」と言われる。「ええ、いつも通知表に、もう少し積極性が欲しいと書かれていました」と答えた。先生が本当かどうかは分からないけれど、少なくとも言葉では「そんなことがあったかね。気がつかない先生だったでね」と言われたので、少しは気が楽になった。
先生の教員としての人生に大きなダメージになっていないかと心配していたけれど、娘さんに聞いても定年まで勤められたようなので、ホッとした。先生にとっては「弟がどこかへ遊びに行ってしまった」くらいの出来事だったのか、そんな風に思い込むようにしてきたのか、定かではないとしても今日の先生の笑顔からはもう遠い昔の出来事に過ぎないようだ。先生の生年を聞いて驚いた。昭和元年と言えば、カミさんの母親と同じで、私の姉よりも年上だった。娘さんがいみじくも「母にもそんなことがあったんだと思いました」と言っていたけれど、何気なく何の変哲もなく人は生きているようだけれど、皆それぞれにドラマがあるのだと改めて思った。