友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

嫌なことは忘れてしまうが‥

2015年12月29日 17時42分45秒 | Weblog

 今年最後のブログだから、何かそれらしいことを思ったのに、何も浮かんでこない。1年を振り返ってみようとしたが、思い出すような楽しいことがないのか、大変だったことはすぐに忘れる回路が出来上がっているみたいだ。これは私だけでなく、多くの人が嫌なことは記憶から消し去る能力を備えているらしい。でなければ人はみなウツになってしまう。

 嫌なことを忘れてしまう点で、日本人は優れていると思う。「水に流す」という言葉が象徴している。これは穢れたものを流して生まれ変わることを意味している。確か、日本の神話に出てくる。だから政治家は、身を清める「禊」を行うことで、罪を清算したと言う。過去にこだわらないことは前向きな姿勢に見えるが、罪を恥じないし真剣さに欠ける態度でもある。

 戦争をしたのに、その責任を問わないのであれば、戦争は犯罪ではないと認めることになる。たくさんの犠牲者が出たのに、「捕虜になるのは恥」と教えたのに、教えた側が罪を償わないことを私は納得できなかった。「慰安婦」問題で、日韓の政府は妥協点を見つけたようだ。両国の国民が納得できるか不安はあるが、外交は痛み分けでなければ前には進まない。

 「強制連行したわけではない」と日本は主張するけれど、どういう状態であったかを考えるべきだ。日本もまた米軍に占領されてたくさんの「パンパン」が生まれたが、たとえ本人は進んで参加したとしても、戦争が作り出した犠牲者である。そもそも根本である戦争をなくす、誓いとして進むべきだろう。

 今朝、NHKBSが岸恵子さんの朗読劇『わりなき恋』を特集していた。「年齢に関係なく恋に落ちることはあるの。それをキレイに描きたかった」と岸恵子さんは語っていた。人間って何だろう、人を愛さずには生きていけないのに、愛すれば苦難を甘受することになる。岸恵子さんは83歳というが、本当に綺麗だった。

 明日から1月5日まで、ブログを休みます。よい年をお迎えください。

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今年もあと3日

2015年12月28日 17時20分49秒 | Weblog

 誕生日会の後、みんなでカラオケに行った。初めは誰もリクエストしないので、私が昭和20年代の歌を勝手に打ち込んでおいた。出てくる曲は古い歌ばかり、とうとう女性軍が怒り出し、「何よ、こんな古い歌ばかり入れて面白くない。もう帰る」と言い出した。男性たちは意外にも古い歌をよく覚えていて、いい気になって歌い続ける。それでも結局、3時間もいたのだから「満足!」であったに違いない。

 いろんな宴席での話題は、出会いとそれをどう受け止めるかであった。人は誰もが違う。同じ人は、たとえ双子でも、ひとりもいない。だからこの世に生まれ出たことは何か意義があるはずだ。人生はその意義を探し求める旅である。そして多くの人と出会う。そう言っても同じ時に生きている人の極めてわずかな人と出会うことにしかならない。それくらい貴重な出会いなのに、出会いに気付かないことさえもある。

 運命的な出会いもあるが、何千何万という人がいるのに、どうしてそれを運命的な出会いと信じ、まだ運命的な出会いが起きるかも知れないのに蓋をしてしまうのだろう。そんなことも話題になったが、やはり宴席は面白い。まるで哲学問答のような会話もあれば、きわどいダジャレの連発もある。先輩が言う。「この会が長く続いているのは、人の悪口を言わないからです」。そうだろうけれど、やっぱりどこか気が合うのだろう。

 さて今年もあと3日しかない。カミさんは友だちと「今年最後のおしゃべり」とか言って出て行った。「30日、31日は大掃除だからね」と念を押され、「やることなければ、先にやっといてくれてもいいわよ」とさえ言う。まあ、自分の部屋の整理の続きをしよう。それにしても、運命的な出会いも無くなってしまい、夢も希望も抱けないとは寂しいな。

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過去を捨てる

2015年12月26日 16時44分41秒 | Weblog

 「よし、要らないものを整理しよう」。そう思って、机の上に雑然と置いてある書類から始める。「これはまだ、要るかも知れないが、これはもう済んだ」と分類していく。机の上に名刺入れのプラスチックの箱がある。「もう名刺は要らない」と思いながら、1枚1枚見てしまった。地域新聞を始めた頃からの名刺が引き出しに、全部で6箱もしまい込んであった。

 万が一、何かで役に立つことがあるかも知れない、そんな気持ちがあって捨てることが出来なかったものだ。名刺の隅に日付が書き込んであったり、誰の紹介とかどこで会ったとか、意外に細かなことを書き込んでいる。もう決して会うこともない人もいるし、名刺だけでは思い出せない人もいる。それらの不要の名刺を全て捨てた。

 まだ古い書類や日記や手帳が整理できていない。いつかしなければならないが今日はもう時間がないことを理由に先延ばしにしてしまう。年賀状をはじめとするハガキや手紙も年毎に菓子箱に入れてあるが、これも残しておく必要はないからいつか処分しなくてはと思う。こんな風に過去を捨てることが整理ということなのだろう。

 大和塾の市民講座の講師として姜尚中さんに来てもらうことになったが、講師料のこともあり、市制10周年事業補助金を申請した。その審査が1月24日に行われるが、審査に先立ち、なぜ大和塾が姜尚中さんを講師に呼ぶのかをプレゼンテーションしなくてはならないから、その原稿を年内に仕上げておきたい。大和塾が行ってきた役割と、姜尚中さんが講演してくれることの意義をどう説明するか、よく考えたい。

 この後すぐ、誕生日会の人たちとの忘年会になる。明日は、カミさんの実家の集まりがあるから、ブログを書く時間がないので休みます。

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「はたらく人にありがとう」を読んで

2015年12月25日 17時48分43秒 | Weblog

 年賀状を投函してきた。25日までに投函すれば元旦に届くとは聞いていたが、なかなか実行できなかった。とうとうやったぞとひとり悦に入っている。孫たちにクリスマスのプレゼントは贈ったし、後はお正月を迎える準備だけだ。明日は誕生日会の人たちと忘年会。明後日は、カミさんの実家でやはり忘年会だ。親戚が集まる機会をなくさないという義弟の言葉に甘え、世話をかけている。

 今日はクリスマス。中学・高校と教会に通っていた頃は、厳かな気持ちでこの日を祝った。懐かしい気持ちがこみ上げてくる。父が初めて買って来てくれたクリスマスケーキを覚えている。比較的大きめのそのケーキを口にして、余りの油臭さにビックリした。バターではなくマーガリンで作られたもので、クリームの部分を除いて食べた。

 今日の中日新聞に「東海ろうきん」の広告があった。『はたらく人にありがとうメッセージ募集』の作品から、小・中・一般の3人の文章が載っていた。400字詰め原稿用紙1枚に書かれた作品を読んで涙が流れた。小3の男の子は、「ぼくのお父さんは、リフトマンです」といい、相棒が働く車だから全然しゃべらない、汗を流して黙々と仕事をしているが、家に帰ると冗談ばかり言って家族を笑わせる。そんなお父さんが突然真面目に「仕事があるからごはんも食べられるしお前たちと遊びにいける。だから仕事って楽しいだぞ」と言うのだが、それを聞いたその子は「お父さんはすごいと思います」と書いている。

 中学生の作品は、母親は働いているため学校行事に参加できず、そのためその子は「母が働いていることに対して恥ずかしいと思うようになった」。けれど、母の働いている姿を見て、「その日以来母は、私の憧れの人物になった」と結ぶ。一般の部では、工務店の店主から「お父さんが手掛けた仕事でクレームをつけられた事は一度もない」と聞き、職人の父親を「これが父なんだ」と気付き、「お父さん、あなたは私の誇りであり目標です」と綴っている。

 私はどんな父親だろう。私の父のように、良かれと思ったことが裏目に出たりして‥。まあ、普通の点数はもらえるかな‥。欲張りですかね。

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孫娘と酒を飲む

2015年12月24日 17時47分39秒 | Weblog

 昨日、21歳の孫娘と待ち合わせて、クリスマスプレゼントの買い物をした。ジジババがプレゼントするというのに、「ジーンパンが欲しい」と言う。小さい時からこの子は欲がない。遠慮しなければという気持ちがいつも働いている。買い物をした店に白いセーターが展示してあった。「これ、似合うと思うよ」と言うと、「白は太ってみえるから」とまた遠慮する。「じゃー、濃い色のものと白と持って行って試着してみたら。それでそのジーパンとの組み合わせがよければプレゼントする」と言って、試着室へ追いやった。

 カミさんは「やっぱり、白の方が似合ってた」と言う。次は6歳のなる下の孫娘のプレゼントだ。聞くと「時計とブレスレットと髪飾り」と言う。長女たちの子どもの頃は、寝静まってから枕元にプレゼントを置いたから、サンタがやって来たとかなりの歳まで信じていた。今どきの子どもは、自分が欲しいものがハッキリしている。ブレスレットや時計がいくらするものか知らなかったが、子ども用のプレゼントに可愛いものがたくさんあった。そして姉も妹のために、サンタ風のドレスを買った。

 カミさんが「明日の朝送ってあげるから、今晩は泊まっていきなさい」と孫娘に哀願する。迷っていたが泊まることになり、オードブル用の食べ物を買い揃え、家に戻って3人で乾杯した。孫娘とお酒が飲めるようになるのは感慨深い。子どもたちがお酒が飲めるようになった時とは違う感激だ。孫娘は「看護師にはならない」と子どもの頃に言っていたが、今は母親の背中を追っている。孫娘が熱く語る看護実習の話に胸が熱くなる。「明日は命がないかも知れない患者さんにどういう看護ができるか、真剣に考えた。思いっきり笑顔に力を入れ、元気に話しかけた」。

 実習に続いて、友だちの男性観についても孫娘は熱く語る。私はうれしくなって、孫娘と一緒になって話す。お酒も飲み、こんな風にいろんな話をしていると、大人同士という気持ちがいっそう強くなる。あんなに幼い子どもだったのに、もうすっかり大人の女に成長している。キミは自分が思っているより大人だ。それに確実にキレイになってきているよ。

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愛が憎しみに勝つ時

2015年12月22日 18時04分35秒 | Weblog

 経済産業省の職員が性同一性障害で訴訟を起こした。この人は、身体は男だけれど心は女で、テレビで見る限りでは肌のきれいな女性である。戸籍は男性だが、職場には女性の服装で通勤し、ロッカーも女性に当てがわれているものを使用しているし、女子会にも呼ばれている。しかし、女子用トイレは使えず障害者用のトイレを使えと言われ、手術を受けて女性になり戸籍も変えろとも言われことで、訴訟に踏み切った。

 国家公務員の上司にもこんなに程度の悪い人がいるのかと驚いた。世の中にはきっぱり分類できないことがある。ましてや自分の部下に悩みを抱えた者がいるのだから、まずは聞くことだろう。前任の上司は理解があったようだから、個人差だろうけれど、個人によって扱いが違ってはならない。その職員もホルモン治療を受け、やっと職場になじみ仕事ができるようになって張り切っていたのに、心無い上司の言葉にひどく傷つけられたようだ。

 先日、性同一性障害のふたりのトークを聞いていて、人は誰でも他人に言えない悩みを抱えているように思った。他人にすれば些細なことなのかも知れないが、本人にとっては死にたいほど苦しいことだってある。「正常」と「異常」はどこからなのか、誰がどのように線引きするのか、本当のことは分からない。杓子定規に決めつけないことだ。地球上には60億人の人が暮らしているが、同じ人はひとりもいない。生まれも育ちも環境もみな違う。白人もいれば黒人もいるし黄色人もいる。金子みすずの詩にあるように、「みんな違って、それでいい」のだ。

 違いは障害ではない。どんどん多様性を認めていけば、やがて戦争もなくなるだろう。人はみんな違う、それでいいのだ、だから愛し合える。愛が憎しみに勝つのはその時だ。

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性同一性なんか気にしない

2015年12月21日 18時37分36秒 | Weblog

 昨日、名古屋で行われた『結城愛×湊明乃・コラボ対談』を聞きに行った。結城さんも湊さんも身体は女性だけれど、心が男性か男性寄りでそのための葛藤に悩んできた。結城さんは来年3月に北名古屋市の男女共同参画フェスタで大和塾が行う市民講座の講師にお願いしている。どんな話をされるのか見てみたい、そんなことから市の担当者と出かけた。

 性同一性障害といっても様々なケースがあるとふたりは説明する。結城さんと湊さんは共に身体は女性だが心は、結城さんは男性と言い、湊さんは男性に近いと言う。結城さんは診断を受け、男性モルモン治療を開始しているが、湊さんは治療は行っていない。性といえば男と女でしかなく、確かに女っぽい男はいたし、男っぽい女もいたが、それは過渡期的なもので大きな悩みを抱えるとは知らなかった。

 性同一性障害の人は13人に1人くらい、左利きの人と同じくらいの割合でいると言う。おそらく昔からいたのだろうが、それを「普通ではないから」と隠していたのだろう。最近では身体と心の性が一致しないことを公表し、そうすることで悩まずに生きていこうとする人が出てきた。学校でも対応するところもあるが、まだまだ一般化していない。ふたりがカミングアウトできたのは、悩みを聞いてくれた友だちがいたからだと言う。

 「死んだ方がいいのではないか」とさえ考えたそんな時に、支えてくれた友だちがいる、一緒に泣いてくれた友だちがいる、「みんなと違っていてもいいじゃん」と言ってくれる友だちがいる。「本当に分かってくれる人が、ひとりいればいい」とふたりは言う。それで勇気を出して親に告げた。「親が味方してくれたことが一番うれしかった」。「生きているだけで価値があるのだと思えるようになった」。

 自分のことが嫌いだったふたりだが、絶望に落ち込んだ時もあったふたりが、今は「自分らしく生きる」決意に燃えている。「多様性が認められる社会」を目指し、「発信続けていく」と力強く語る。私たちもちょっと興奮し、「今日は忘年会をしよう」と街に繰り出し、ブログを休んでしまった。

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夫婦はいろいろ

2015年12月19日 18時15分07秒 | Weblog

 喫茶店で打ち合わせをしていたら、話がとんでもない方へいってしまった。最近、亡くなる人が多い。市民病院では緩和ケア病室ができ、最後の1週間は家族との思いでつくりをするという。身体にいくつものチューブを差し込み生きながらえさせるのではなく、人らしく送ってあげようということらしい。本人がそれを希望し、亡くなった後の葬儀の仕方まで決めていたという。

 それだけ準備しながら、遺言書はなかったので、遺産相続でもめているとオチまでついた。なまじ遺産がある人の死は、仲良しの家族に波風を立てることになる。テレビでも向井理さんが主演した『遺産争族』は、お金のために人はこんなにも変わるのかと見せつけるドラマで面白かった。営業の経験が豊富な先輩が、「現金と小切手では同じ金額でも威力が違う」と、現金を目の前にした人間の表情を話してくれたことを思い出す。

 血液型がA型のダンナとB型のカミさん夫婦がいる。ふたりは高校の同級生で、定年退職してから結婚した。カミさんは初婚だが、ダンナは再婚でカミさんの姓に変えて家を継いでいる。カミさんは英語が話せるしピアノは弾ける、要するに才能が豊かだ。ダンナは堅物で趣味が少ない。最近、カミさんと一緒に絵を習いだしたが、カミさんの絵は大胆で評価が高いのに、ダンナの絵は几帳面だが幼い。

 家にいるダンナは、カミさんが掃除をした後から掃除をするし、お風呂やトイレの掃除が出来ていないと言う。外ではすごくレディーファーストなのに、家ではとても口うるさい。そんな老いた夫婦の愚痴が話題になった。「文句があるなら自分でやったらと言ってやりなさい」と元気なオバサンは言う。「それを言ってはおしまいよ。ハイハイと言ってりゃーいいのよ」と隣のオバサンは言う。男たちは、「まあ、どこの家もそんなものだよ。それだけオレたちも年取ってきたのさ」と慰める。

 「自分が死んだ時の準備、しとかんといかんかな?」と言うので、「財産のある人はそうだと思うよ」と大笑いになった。

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品位ある市民を目指す

2015年12月18日 18時49分45秒 | Weblog

 昨夜から寒くなった。空気が冷たくて、肌が切れるように感じるが、これで平年並みだという。日差しがあったから、残っているバラの鉢の土を入れ替える予定でいたが、風が出てきて寒すぎた。こんな日は講演に来てくれる姜尚中さんの本でも読もうとした時、新聞の見出しに「産経前支局長に無罪判決」を見つけて読んでしまった。

 友人が「韓国には司法の独立はない」と言っていたが、全く政治的な判決である。要するに日本との関係を損なわないためのものだ。海外からの「言論の自由」が判決を引き出したとも言われている。無罪判決は当然だと思うけれど、前支局長がネット上に掲載した文はウワサをネタにしたもので、男女のことを推測で記事に載せるのは品位がない。

 橋下さんが今日、大阪市長の任期を終えて退任した。16日の中日新聞に「橋下劇場 功罪の8年」の見出しで、堺屋太一さんと大谷昭宏さんが寄稿していた。堺屋さんは「大衆と共にいた」と評価し、「いつか総理大臣になってほしい」とさえ述べていた。大谷さんは「既得権益と戦ったが、苦戦するや内部に向かった。強い者には弱い」と評価し、「政治家としての幅の広さがない。政界に復帰しない方がいい」と述べていた。

 ふたりの文章に、共通する言葉があった。堺屋さんは「ふわっとした民意を信じて選挙で勝ってきた」と、大谷さんは「「ふわっとした民意や風も、いずれやむ。乗ってはいけない」と書いている。なるほど、庶民は「何かやってくれるんちゃうか」と期待するが、それは誠に薄っぺらで移ろいやすい。政治家がこれを利用すると、強い力で政治が動き出す。演説が巧みでカリスマ性のある人物にどうも民意は弱い。

 賢くならなければ、そんな思いから市民講座を開催してきた。いろんな角度からものが見られる市民に成長するためには、知らないことを知る機会が要る。それも官製ではなく、市民が企画し運営する勉強会である。そういう「市民講座」をと目指してきた。いよいよ来年で10周年になる。

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夫婦同姓と夫婦別姓

2015年12月17日 17時30分51秒 | Weblog

 「夫婦別姓はダメ」と最高裁判所は憲法判断を示した。やっぱりとは思ったが、15人の裁判官のうち10人も現在の規定を合憲としたことには驚いた。9対6か、8対7の僅差だろうと想像していたからだ。「いずれの姓を名乗るかは(自由で)夫婦の協議に委ねられており、規定には男女の形式的な不平等はなく、憲法違反とはいえない」と判決は述べている。また、「姓の変更で不利益を受けるのは女性」と認めながら、旧姓の通称使用が一般的になっているから、「個人の尊厳と男女の平等に照らして合理性を欠く制度とは認められない」とした。

 テレビ局の調査では、「夫婦別姓でも構わない」とする人が過半数を超えていた。それだけ、同姓にしなくてもいいという考えが増えているのだが、法的に認められたら別姓にするかと問われると「別姓にしない」と答えている人が圧倒的に多いから面白い。同姓・別姓にこだわらないし、こだわる必要もないと考えているのだ。私もそう思う。「姓」にとてもこだわる人もいるけれど、記号のようなものとしか思えない。先祖代々、続いてきた格式ある姓であっても、それは職業や身分を表すものや地域を表すものであった。

 結婚する時、「(カミさんの姓に)変えてもいいと言ったのに、しなかったじゃーない」とカミさんは冷やかすが、変えなかったのはカミさんの弟が家にいたからだ。我が家の姓など全国どこにでもある。捨てることに何も未練はなかった。彼が他の家の跡継ぎになっていくなら、両親のために養子になっても構わなかったが、仲良く暮らしているのに騒ぎになるようなことはできなかった。私の両親は亡くなっていたが、カミさんの両親は健在でしかもお父さんが買った土地があり建てた家がある。跡継ぎがいるのに、私がカミさんの姓を名乗れば下心がなくても騒動になってしまうだろう。

 知り合いに離婚のため家庭裁判所まで行った人がいる。彼女は夫の姓が好きなので、夫に別の姓になって欲しいと言う。どうしてそんなに姓にこだわるのか理解できないが、そのために離婚ということも不可解だ。結局、離婚にはならなかったが、そういう姓へのこだわりもあることを知った。姓の問題は家族のあり方にもつながる。家庭もまた変わっていく。

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