友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

日曜の午後

2008年03月30日 22時01分23秒 | Weblog
 日曜日だというのに、朝から孫娘と二人っきりだ。孫娘は4月5日のピアノ発表会に向けて、練習に余念がない。本当はやめたいけれど、ピアノとプールはセットなので、ピアノをやめることは大好きなプールもやめることになる。だからやめられない。やめずに頑張っている。今のところ母親の巧妙な作戦勝ちだ。

 我が家は二人の娘にバイオリンを習わせていた。けれども、私もカミさんも音楽が好きだというだけで、楽器の演奏は何もできない。親ができないのに、子どもに強要するのは難しい。それでも長女は高校生になるまで、バイオリンを弾いていた。下の娘の方は姉がやめるのを待って、一緒にやめた。私は、何もバイオリニストになって欲しいと思ってはいなかったけれど、楽器が弾けることはきっと将来楽しくなるはずだと確信していた。私たちはダメでも、あなたたちが家庭を持ち、子どもが産まれ、その子どもが楽器を演奏できれば、家族で合奏ができる。そんなことを夢見ていた。

 しかし、所詮カエルの子はカエルである。親ができないことを子どもが乗り越えてまでやるのは稀なことだ。長女は自分もイヤだったはずの楽器の練習を上手に子どもに押し付けている。果たしてあと何年続けるだろうかと興味深い。

 続けていたといえば、楽しみにしていた朝日新聞の土曜日の特集『愛の旅人』が昨日で終わってしまうようだ。人の愛の形はいろいろで、他人が口を挟むことではないと中学高校からの友だちが言うが、そのとおりだ。だからこそ多くの物語が書かれ、愛読された。「現実は小説よりも奇なり」というように、小説では書き表せないたくさんの愛が生まれているに違いない。

 私は自分が老いたこともあって、最近では老いた人の「愛」が気にかかる。斉藤茂吉が自分の子どもと同じ歳くらいの若い女性に恋をしたことは、漠然と知っていたけれど、先日の『愛の旅人』を読んで、その苦悩とは逆に積極的であったことも知った。若く美しいふさ子は茂吉との恋をあきらめようと故郷の松山へ帰る。茂吉は広島での結婚式に出席するとその足で松山へわたり、ふさ子に会いに行く。「光放つ神に守られもろともに あはれひとつの息を息づく」は二人の合作と書いてあった。

 「年老いてかなしき恋にしづみたる 西方のひとの歌遺りけり」「こひしさのはげしき夜半は天雲を い飛びわたりて口吸はましを」の2首は茂吉の歌だが、恋しい気持ちがにじみ出ている。人は還暦も過ぎれば恋することはなくなるのかと思っていたけれど、人は死ぬまで煩悩から逃れられないようだ。イヤイヤそれは修行が足りないからで、恋だの愛だのと低俗なことから脱却せよと言う人もいる。

 私はまだまだ修行が足りない。今更、物書きになりたいとは思わないけれど、せめて自分の生き様は見極めたいと思う。
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曽野綾子講演会

2008年03月29日 22時51分14秒 | Weblog
 桜がほぼ満開になっている。けれども今日は花冷えで、風も冷たい。例年行っている私たちの夜桜の宴は来週の土曜日に予定しているけれど、この寒さなら持ちそうな気がする。

 電車に乗ると車窓に満開の桜が次々と現れる。やはり日本人は桜が好きだ。1本の大きな桜もそれなりの風情があるが、やはり群生の桜が目につく。昨日出かけた美濃市への道すがら、たくさんの桜を見つけた。「朝見る桜と昼からの桜では咲き方が違うね」と言う人がいたが、そんなオーバーなと思って聞いたが、実際に昼からはより多くの花が咲いていたような気がした。

 いけばなの先生は「私は満開になる前の方が好き」と言う。「いやいや日本人は散っていく桜にものの哀れを感じ、愛でたんですよ」と反論する人もいる。「それでも、散っていくのはとてもやりきれないからイヤですわ」といけばなの先生。花の美について、そんなやり取りが行われているのを桜は知っているだろうか。

 車に乗り込む時、塾生で一番若い女性が「よいしょっと!」と言う。これを聞きつけた男性が「よいしょっとはいただけませんね。百年の恋も冷めてしまいます」と言う。「あら、そんなことを言ってしまったのかしら。気をつけないといけませんね」「そうですよ。憧れをぶち壊すようなことはダメですね」。そこでみんなで大笑いになったからよかった。ここが大人のよいところだ。

 今日、犬山ホテルでロータリー主催の講演会が行われた。講師は曽野綾子さん。演題は『貧困の光景-ほんとうの貧しさを知らない日本人の精神の貧しさを問う-』というものだった。「格差社会というけれど、アフリカなどの貧しさはそんなものではない」と曽野さんは言う。ロータリアンは社会の上層階級の人たちが多いはずだ。また経営者として、安い賃金で外国人労働者を働かせているかもしれない。腕にロレックスの時計をはめ、センチュリーを乗り回しているロータリアンは曽野さんの話をどんな気持ちで聞いていたのだろう。

 「貧しいとは今晩食べるもののないことを言います」と、曽野さんは話す。「どうするか、一つは水を飲んで我慢する。ところが水さえ飲めないところもあるんです。二つは人から恵んでもらう。三つは、盗む。手っ取り早いのは盗むんです」。「自分がどうするかではなく、日本人は両隣を見て、生きている。人のことばかりに気を使っているんです」と話す。キリスト者の曽野さんからすれば、絶対者を持たない日本人のあいまいさに問題点があると指摘する。

 「嫌いな人を好きになることはないのです。嫌いな人でもやらなければならないことはやればいいのです。尽さなければならない人にはたとえ形だけでも尽くすことが大事なんです。それが愛なのです。」なるほどと私は深く感動した。
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うだつの町並み散策

2008年03月28日 20時37分33秒 | Weblog
 心配していた天候にも恵まれ、美濃市の町並み散策は充分に楽しめた。「うだつの町」といつごろから知られるようになったのか、はっきりわからないが、私が地域新聞を作っていた頃に一度見に来たことがあるから、20年は経ているように思う。町並みはかなり整備されていて、今日は平日なのに、散策する多くの人に出会った。通りのあちらこちらで雛人形が飾られていたが、それらの人形は特別古いものではなく、いわば散策する人の目を楽しませてくれるための企画のようだ。

 江戸時代から続く紙問屋は、観光客のために開放されていたが、こうした家がもう何軒かあれば、もう少し目玉になるかもしれない。それでもあちらこちらと見て周り、造り酒屋で地酒も買った。観光客相手の郷土料理の店などは無く、結局は「道の駅」での昼食となったが、いろいろと品数も多く、皆さん「お腹いっぱい」と満足された。私たち塾生の最長老はこの町で青春を過ごした。戦争のために浜松から疎開し、この町の武義高校が母校というので、町にはとても詳しく、おかげでたくさん案内していただけた。

 この人の同級生がこの町の川上で、鵜飼に使う船を造っているというので、見学させてもらった。船の造り方は全く昔のままだという。この辺りの人々も昔は鮎を獲るために船を持っていたが、今ではもう数少ないと言う。鵜飼いも昔のままと言うけれど、伝統は失われつつあると教えてくれた。この船大工さんは一人で船を造っていたが、後継者はもういないようだ。船造りの設計図はない。長年の勘であの美しい曲線が出来上がっていく。板と板とのつなぎも、接着剤は使わずにどうするかも教えてもらったけれど、こういう技を受け継ぐ人がいないことは寂しい気がした。

 郡上八幡は何度か訪れたことがあるのに、美濃市をゆっくり歩いたのは今回が初めてだった。古い町には昔懐かしい趣がある。私は愛知県刈谷市の生まれ。刈谷も城下町で、城跡の隣が小学校だった。小学校の周りには寺横とか肴町とかいう地名もあった。肴町を過ぎると黒い塀に囲まれいつも甘いような不思議な匂いが漂う造り酒屋があった。現在の刈谷市にはもうそんな昔の風情は残っていないが、美濃市を歩いて懐かしい気持ちになったのは、そんな共通項があったのかもしれない。

 最長老が青春の地を懐かしく語る姿を見ていて、そこに人の原点があると感じた。
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携帯電話の電池が切れた

2008年03月27日 22時17分19秒 | Weblog
 携帯電話の電池が切れた。充電器を探すが見つからない。カミさんに「ここにあったケイタイの充電器知らない?」と尋ねた。「充電器、職場に持って行って、忘れてきたの!」「エッ、職場で使ったの?それってマズイんじゃーない!?」「ええ、気がついてすぐに職場に電話したわよ。同僚に『誰か気がついていた?』と聞いたら、『誰も知らなかったみたい』と言うので、『悪いけれど、はずして私の机の中にしまっておいて』とお願いしたところ」と言う。

 ホントにオッチョコチョイな人だね。もう歳なんだから、若い人と同じヘマをしても許してもらえないよ。ところが、いざケイタイが使えないとなると困ってしまった。ケイタイは生活の必需品なのだ。私の友だちも家の電話にかけてくるよりも、ケイタイにかけてくることの方が多い。家の電話にかけて留守電になるより、ケイタイならよほどのことが無い限り、私を捕まえられるからだ。友だちの中には私の家の電話番号を知らない人もいると思う。

 テレビを見ても、映画を見ても、ケイタイが登場しないストーリーはない。ケイタイは人と人とをつなぐ重要な道具になっている。ケイタイで喜び、ケイタイで泣く。愛し合っている二人からケイタイを取り上げてしまったら、どんな方法でお互いの気持ちを伝え合うのだろう。ケイタイの無い社会では恋愛も成り立たないのではと思うくらいだ。

 明日は、大和塾の皆さんで美濃市へ散策に出かける。美濃市はうだつのある町並みが残っている。街道沿いの商家が競ってうだつを設けたのだろう。そんな古い町並みの家屋で「雛人形」が飾られているので、みんなで見に行こうというのである。ところが、明日のお天気が怪しい。出かけるのかどうするのかとみんなが心配して、私のケイタイにかけてくるであろう。けれども、「AUお留守番サービスにおつなぎします。合図がありましたら3分以内にお話ください」ということになってしまうから、さぞあわててしまうことだろう。

 何とか雨降りにならないようにと願うばかりだ。それにしても、私のケイタイは何時から使えるようになるのか、そのことも心配だ。そんな話をしていると、孫娘が「コンビニで充電器売ってるよ」と教えてくれた。なんだ、そうだったのか。孫娘とコンビニへ出かけて買ってきたが、カミさんは「そんな高いものを」と不満げに言う。あれ、誰が充電器をおいてきたんだっけ?!
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人はなぜ人を殺すのか

2008年03月26日 23時32分03秒 | Weblog
 茨城県土浦市の8人殺傷事件、その前にもどこかは忘れてしまったが、商店街で若い男が次々と通りにいた人に切りかかった事件があった。岡山でホームから人を突き飛ばして殺したのも18歳の少年だった。いったい、人はなぜ、こんなにもたやすく人を殺傷してしまうのだろう。私は一度も人を殺したいと思ったことはないけれど、嫌な人に対して、早く死んでくれればよいのにと思ったことは正直に言えばある。

 私は中学1年から、自分からキリスト教会に通う人間だったから、思うことそれ自身が行為と同じことであると教えられた。罪を犯さない人はひとりもいないから、人は救いを求めることを知った。人の心の中には、人を愛する心と憎む心が同時に存在している。憎むだけならばまだよいが、憎しみが次第に高じて人をも殺すようなことになれば、それはやはり尋常ではない。イヤだと思うことや憎いと思うことと、殺してやると思うことは全く違う。

 人が人を殺してしまうのはなぜなのか?山極寿一さんの『暴力はどこからきたのか』(NHKブックス)をタイトルに引かれて読んでみたけれど、人間の暴力性がなぜ生まれてきたのか、よくわからなかった。山極さんは「人類は家族を作った時代に、分かち合う行為を確立した」と分析する。「家族は互酬性の通用しない場だから、親はまったく見返りを期待せずに子に食物を与え続けるし、子は親に感謝の意を示すことはない」。分かち合うものは食べ物であり、分かち合うことで互酬的な関係が生まれたと説明する。さらに、「家族内で性行為を禁じられる娘を作り出して、他の家族との間に娘を交換する互酬性を作り出した」。

 ここまではまあなるほどと思った。ここで言う「家族」は現在の私たちの「家族」の形とは違う。「家族」という名の集団といってもよいと思う。それでは、人間の持つ「暴力性」はいったいどこから生まれてきたのか?「なぜ、大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が人類に起きるようになったのか。それは、言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティの創出によって可能になったと私は考えている」と山極さんは言う。死者につながる新しいアイデンティティとは、言ってみれば共同体と見ていいのではないかと私は思うけれど、この共同体は民族であったり、国家であったり、あるいは同一の信仰であったりするのかもしれない。

 要するに、人類が人類として、他の動物と違った成長を遂げてきた原動力が、人類を破壊するものをも内にも育ててきたということであろう。私たち人間は言語を手に入れ、そのために急速な発展を遂げてきた。けれども発展は同時に、破壊・破滅への道でもあったということだ。「誰でもいいから殺したかった」。そんな動物はこの世では人間だけだ。
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議員と公務員は清貧が当たり前

2008年03月25日 20時52分39秒 | Weblog
 24日の愛知県議会で、「県議の調査研究に充てる政務調査に関する条例改正」が可決され、3万円以上の支出に領収書添付が義務付けられた。ただし、人件費は除かれる。自民・公明はもとより民主もこれに賛成した。「政務調査費は1円から全面公開を」と選挙で主張してきた民主党の佐藤夕子議員(名古屋市東区)は、採決の際に退席した。佐藤議員は「民主党議員団の一人として、選挙時の公約を守るためのぎりぎりの判断」と述べ、今後も議員団で活動する考えを話した。

 これに対して民主党議員団の中には「除名すべきだ」との意見もあると新聞は報じている。議員団の団長を務めるかしわぐま光代議員は「支援者の声と(佐藤議員の)信念に照らして判断した結果だと思う」と言い、今後の対応については「これから議員団で話し合って決める」と述べている。近く規律委員会で佐藤議員から事情を聴き、処分が必要かどうかを検討する方針だそうだ。

 議員が会派を組むと、それはヤクザの組織か、連合赤軍にも似た組織になってしまう。どういうことかというと、ここには全く民主主義も個人の自由も存在しない。人がそれぞれに違うということが許されないのだ。多分、組織を作り上げた人間はそれぞれの個性を認めてしまっては、組織が組織としての体をなさないことを一番恐れたのだ。なぜ、恐れたのか。自分がその頂点にいられなくなるからだろう。

 政党は政策ビジョンを同じくする者の組織だ。けれども、その政策についても党員の間で果たして議論できているのか怪しいものだ。ましてや現実の中に生まれてくる具体的な問題について、どう考えどう判断するか、まともに議論できているのか疑わしい。政党に所属しなかった私が会派を結成した時、他会派の議員から「バラバラで全然統一できていない」と批判された。なぜなら、「会派では賛成か反対かは決めないので、それぞれ自由に判断してください」というのが(私の)会派の基本だったからだ。ところが実際の採決時はどういうわけか全て一致していた。

 佐藤議員が議場を退席したが、これも以外に勇気がいる。私が議員の時、福祉センターの管理規則の中に「政治や宗教活動を禁止する」という項目があったので、「絶対に認められない」と反対した。まだ議員になりたての頃で、反対討論する場を逸してしまい、もうひとりの同調者と公明党議員とで議場を退席した。佐藤議員は民主党が賛成だったので、「党議拘束を解除して欲しい」と申し入れたけれど認められず、退席という方法で賛成しない立場をとったというわけだ。

 政務調査費は議員報酬とは別に議員が受け取る税金である。一応、議員個人にではなく会派に支払われるけれど、議員としての勉強や情報収集などを目的としたお金だ。しかし、これまでの愛知県議会のように領収書の添付を必要としなければ、全く何に使われたのかわからない。そんな不透明な税金の使われ方があってもよいのかというのが世間の意見だろう。なぜ3万円以上と線引きをするのか、人件費をなぜ除くのか。世間を一番味方にしたいはずの民主党が自民・公明と一緒に賛成するのか、さっぱり理解できない。

 議員報酬が高すぎる上に、一人当たり50万円もの政務調査費は、議員をますます特別な存在にしてしまっている。公務員と議員は清貧が当たり前であって欲しい。公務員も議員も、なぜそう思わないのだろう。
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ベトナム人との食事会

2008年03月24日 21時51分31秒 | Weblog
 昨夜は日本語を教えていたベトナムの若者たちとのお別れ会を行った。いよいよ3年間の研修期間が終わり、国に帰るというので、それではお別れ会をしようということになったのだ。ところがいったい何人参加するのか、いっこうにハッキリしない。だんだん頭にきて、直接会社に出向いて確かめてみた。休日でも出勤していることを知っていたからだ。工場で彼らを捕まえて、誰が出席するのかと聞いてみた。すると何人かが出席するといってくれたので、ちょっとホッとした。

 ところが、開始の午後6時になっても一人しか来ない。やはり、6時では少し早すぎたようだ。30分ほど遅れて集まってくれたからいいようなものだが、それならそれで、6時30分からにして欲しいと言ってくれればよいのにと思ってしまった。会場の予約が必要であることや、予約しなければ大勢の人数ではお店が困るから、たいていは前もってお店に参加人数と料理を注文しておくのが日本の習慣だと説明したが、果たして理解できるかどうかは疑問だ。

 先日のバングラディシュの報告会でもそう聞いたし、アメリカでも同様だったが、外国ではパーティーとなると知らない人でも平気で参加することが多いようだ。食事は重要なコミュニケーションだから、誰がやってきても拒まないのだろう。日本でも一昔前は、これに近い慣習があった。お祭りなら無礼講で、みんなで飲んで騒ぐのが当たり前だった。食事会に出席するかしないかは、それほどの大きな違いを感じていないのではないか、そんな気がしていた。

 日本人はとてもあいまいな言い方をする。なるべく角立てないための工夫だが、何が正しくて何が悪いのかまでもウヤムヤにしてきた。それでも、日本人は約束したことはきちんと守る。電車は時間どおりに走っている。ウヤムヤな性格なのにそういう点は律儀なのだ。律儀とはね‥と話す。参加すると言ったらこれを実行する。もし、できなくなったなら早めに連絡する。これは日本での生活の基本的なルールだと諭す。

 すると一人が、「うまく日本語で言えませんが」と前置きして話し始めた。私たちは先生たちにいつもお世話になっている。味噌汁(?)わからない時、次の週には作って持ってきてくれた。果物やお菓子もいただいた。本当は私たちが先生たちにお礼をしなくてはいけない。だから、これ以上お世話になることはいけない。そんな意味のことを言う。「ああ、そうだったんだね。よくわかった。そういうのをね、遠慮!って言うんだよ」と私はまた、日本語の解釈をしてしまう。

 彼らがそんな風に考え、お別れ食事会を辞退したなら、またそれを乗り越えて参加してきてくれた彼らに、親しみと感謝の気持ちを抱いた。この日に来られなかった一人が電話をかけてきて、「先生と二人で会いたい」と言う。私たちがやってきたこと、彼らとの親睦と交流がいつか生かされる日が来ることを願っている。
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アゲハチョウが羽化した

2008年03月23日 22時47分04秒 | Weblog
 このところ暖かい日が続いていた。それでも北側の部屋はまだひんやりする。昨日の夕方、部屋に入ると足元で何かが動いたような気がした。昨年の夏、アゲハチョウがこの部屋で幼虫からサナギに変化した。そのうちの1匹が本棚の一番下のところにいたが、羽化したのだ。わずか2センチそこそこのサナギから3倍ほどの成虫が誕生するのだから、自然の仕組みは本当におもしろい。

 アゲハチョウは羽化したけれど、部屋の温度が低いからじっとして動かない。おなかはすかないだろうか、水は飲むんじゃーなかろうか、水よりも蜂蜜を溶かした方が飲むのでは、などと考えて蜂蜜を水に溶かした小さなお皿をそばに置いた。朝まではまず動かないだろう。そう思って今朝、部屋を見に行くとやはり昨夜のままじっとしている。

 夏のアゲハチョウよりも少し小さいような気がするが、それは多分気のせいだろう。アゲハはじっとしていて、微動だにしない。気温が上がればそのうちに動き始めるだろうと気長に待つことにした。午後になって、この北の部屋も少し暖まってきたのか、それとも生き物の習性なのか、アゲハは光の差す方へと動き始めた。そのうちに窓際においてあった和紙のランプシェードに這い上がった。

 ここまでくれば私が捕らえて外に出すより、このまま光に当っていれば、飛び立っていけるのではないだろうか。そう思って、ランプシェードをそっと持ち上げてみた。アゲハはじっとしている。ガラス戸を開け、そのまま外へ持ち出し、陽に当たるようにしてみた。それでもアゲハは動かない。まだ暖かさが足りないのかなと思いながら、写真を撮ろうとして近づいたその時、アゲハは見事に飛び立った。

 初めはゆっくりと旋回し、我が家の花畑であるパンジーには目もくれず、空に向かって高く飛んでいってしまった。およそ半年間もあの小さなサナギの鎧の中にいて、さぞ狭苦しかったであろう。それがいきなり、見たこともない世界に飛び出てきて、アゲハは何を見たのだろう。何を考えたのだろう。

 昆虫なのだから、別に何かを考えるということではなく、体の中の遺伝子の命ずるままに飛び立ったのかもしれないが、それにしても昨日、サナギから出てきて、寒さのために動くこともできず、ひたすらじっと耐えていて、日の光を浴びて体が動くようになったとしても、これからどこへ何しに行くというのだろう。

 これからどうなっていくのか、不安になり、気持ちまでもブルーになってしまう人間に比べ、アゲハは自由に空を舞い、好きな時に好きなだけ、己の本能のままに生きていける。人間よりも幸せなのかもしれないな。ゆったりと空に向かうアゲハを見ていてそう思った。
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高校野球が始まった

2008年03月22日 20時28分21秒 | Weblog
 高校野球が始まった。入場行進を見ることがなかったが、たまたま今日は選手宣誓を中京大中京高が、また開会式の進行を光が丘高の女子高生が、そしてカミさんの友だちが住んでいる町から成章高が特別枠で出場するというので、テレビをみんなで見ていた。入場行進を見ていたら、ほとんどの選手がゲンコツ握りで行進していた。中には肩の高さほどに上げているチームもある。

 選手宣誓もそうだけれど、これが今の高校生の流行なのかと理解した。知り合いの息子も今度高校生になるというのだから、まだ中学3年生なのだが、学生服のズボンを腰骨の下までにずらして穿いているそうだ。顔はまるで女の子のように可愛いから、どうみてもバランスが悪い。母親が「そんな風に下げて穿くなら、いっそのこと股下を浅くしたら、ちょっとは足が長く見えるんじゃない」と言っても、全く聞く耳を持たないそうだ。

 私たちの高校生の頃はどんな学生服が流行していたのだろう。私の幼な友だちは、学生服を標準よりも丈を長くして、裏地に竜を使っていた。私の娘たちが高校生の頃は、ロングスカートが流行していた。いつの時代でも、子どもたち、特に自分を意識し始める頃には、何らかの形で自分をアピールするもののようだ。私はできるだけオーソドックスに徹することでお洒落を意識していた。学生服の袖口から1センチくらいワイシャツが見えるとか、靴下は黒か紺しか履かないとか、ハンカチは白、学生帽はきちんと被る、それが自分のお洒落だと決めていた。

 高校野球はやはり清々しい。見ているとキリがなくなるので、外に出てチューリップに肥料をあげたり、雑草を抜いたり、バラの鉢植えを移し替えたり、お昼を除いて朝から夕方までずっと外にいた。重い鉢を移動した時、腰を痛めないように気をつけたのに、長い時間前かがみになって作業をしていたために、腰痛になってしまった。筋肉の衰えに勝てなくなってきたことが情けない。

 農作業ほどではないのに、やり始めるとなかなかこれでよしと言うことにならない。やってもやっても次々とやることが生まれてくる。おそらく嫌なことならすぐにでも、これでいいだろうとやめてしまうのに、好きなことというのは時間が苦にならないから不思議だ。好きな本を読んでいる時も、好きなことを書いている時も、時間の経過を忘れていることがある。好きな人にでも会っているなら、もっと時間を忘れてしまうことだろう。

 人は夢中になれることがあるから、幸せなのだろう。さて、明日の朝も作業を続けようか。腰が痛くなければよいのだが、どうかな。
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公園で出会った女の子

2008年03月21日 22時24分06秒 | Weblog
 どうやらこのまま、桜の季節を迎えることになりそうだ。デイサービスの皆さんと穏やかな陽気に中、公園に散歩に出かけた。90歳になるような人でも元気に歩ける人もいれば、若いけれども歩行がもどかしい人もいる。歳を取ると、年齢だけでは判断できない身体能力の差が大きくなる。私は週に1日、お年寄りの人たちと一緒に過ごしているが、お年寄りたちを見ていると確実に明日の自分を見ているように思う。

 明日の自分などと書いたけれど、実は第3者から観れば、少しも変わりないかもしれない。そんな皆さんと公園に着いたら、とても人懐っこい女の子が一輪車でやってきた。「上手ね。お願いがあるんだけれど、聞いてくれる?もう一度、一輪車に乗ってここを通って見せてくれる」と、スタッフの女性が女の子に話しかけた。女の子は、坂道の下から、少しよろよろとやってきた。下りの時は勢いよく乗っていけたが、上りとなるとちょっと力が要るようだ。

 女の子はそのまま、私たちの集団に入り込み、90歳に近いおばあちゃんの手まで握ってくれた。「私のおばあちゃんの家のそばに、100歳になるおばあさんがいるとお母さんが言っていた」と女の子は言う。スタッフの女性が「あなたのお名前はなんていうの?」と聞くが、女の子は名前を教えてはくれなかった。余りに小さいからスタッフが「今度小学生?」と聞いた時には、「3年生になるの。小さいからいつも5歳かって聞かれてしまうの」と平気な顔で言うが、傷つけたかなと思った。

 それにしても今時の小学生は、知らない人には名前を教えてはならないとしつけられているのだと知った。そういえば、子どもたちが学校から帰る時は、名札は胸にはつけないそうだ。知らない人に親しく話をしない、名前を聞かれても決して言わない、名札をつけない、なるほどそういう世の中になってしまったのだと実感した。女の子はとても素直で、いつまでもおばあさんの手を握っていてくれる優しい子だったのに。女の子は充分に世間に心を開いていてくれたのに、名前は言わなかった。

 恐ろしい世の中だと思う。人は人の中でしか幸せになれないのに、人を見たら泥棒か誘拐犯に思えと教えなくてはならない。泥棒とか誘拐犯という言葉ではなくても、決して信用してはならないと子どもに言い聞かせなくてはならない世の中は全く恐ろしい。

 愛した人がどんな人なのか、わからないような世の中は馬鹿げている。地獄の底までついていくと信じていいじゃないかと思うのは私の勝手なのだろうか。
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