日曜日だというのに、朝から孫娘と二人っきりだ。孫娘は4月5日のピアノ発表会に向けて、練習に余念がない。本当はやめたいけれど、ピアノとプールはセットなので、ピアノをやめることは大好きなプールもやめることになる。だからやめられない。やめずに頑張っている。今のところ母親の巧妙な作戦勝ちだ。
我が家は二人の娘にバイオリンを習わせていた。けれども、私もカミさんも音楽が好きだというだけで、楽器の演奏は何もできない。親ができないのに、子どもに強要するのは難しい。それでも長女は高校生になるまで、バイオリンを弾いていた。下の娘の方は姉がやめるのを待って、一緒にやめた。私は、何もバイオリニストになって欲しいと思ってはいなかったけれど、楽器が弾けることはきっと将来楽しくなるはずだと確信していた。私たちはダメでも、あなたたちが家庭を持ち、子どもが産まれ、その子どもが楽器を演奏できれば、家族で合奏ができる。そんなことを夢見ていた。
しかし、所詮カエルの子はカエルである。親ができないことを子どもが乗り越えてまでやるのは稀なことだ。長女は自分もイヤだったはずの楽器の練習を上手に子どもに押し付けている。果たしてあと何年続けるだろうかと興味深い。
続けていたといえば、楽しみにしていた朝日新聞の土曜日の特集『愛の旅人』が昨日で終わってしまうようだ。人の愛の形はいろいろで、他人が口を挟むことではないと中学高校からの友だちが言うが、そのとおりだ。だからこそ多くの物語が書かれ、愛読された。「現実は小説よりも奇なり」というように、小説では書き表せないたくさんの愛が生まれているに違いない。
私は自分が老いたこともあって、最近では老いた人の「愛」が気にかかる。斉藤茂吉が自分の子どもと同じ歳くらいの若い女性に恋をしたことは、漠然と知っていたけれど、先日の『愛の旅人』を読んで、その苦悩とは逆に積極的であったことも知った。若く美しいふさ子は茂吉との恋をあきらめようと故郷の松山へ帰る。茂吉は広島での結婚式に出席するとその足で松山へわたり、ふさ子に会いに行く。「光放つ神に守られもろともに あはれひとつの息を息づく」は二人の合作と書いてあった。
「年老いてかなしき恋にしづみたる 西方のひとの歌遺りけり」「こひしさのはげしき夜半は天雲を い飛びわたりて口吸はましを」の2首は茂吉の歌だが、恋しい気持ちがにじみ出ている。人は還暦も過ぎれば恋することはなくなるのかと思っていたけれど、人は死ぬまで煩悩から逃れられないようだ。イヤイヤそれは修行が足りないからで、恋だの愛だのと低俗なことから脱却せよと言う人もいる。
私はまだまだ修行が足りない。今更、物書きになりたいとは思わないけれど、せめて自分の生き様は見極めたいと思う。
我が家は二人の娘にバイオリンを習わせていた。けれども、私もカミさんも音楽が好きだというだけで、楽器の演奏は何もできない。親ができないのに、子どもに強要するのは難しい。それでも長女は高校生になるまで、バイオリンを弾いていた。下の娘の方は姉がやめるのを待って、一緒にやめた。私は、何もバイオリニストになって欲しいと思ってはいなかったけれど、楽器が弾けることはきっと将来楽しくなるはずだと確信していた。私たちはダメでも、あなたたちが家庭を持ち、子どもが産まれ、その子どもが楽器を演奏できれば、家族で合奏ができる。そんなことを夢見ていた。
しかし、所詮カエルの子はカエルである。親ができないことを子どもが乗り越えてまでやるのは稀なことだ。長女は自分もイヤだったはずの楽器の練習を上手に子どもに押し付けている。果たしてあと何年続けるだろうかと興味深い。
続けていたといえば、楽しみにしていた朝日新聞の土曜日の特集『愛の旅人』が昨日で終わってしまうようだ。人の愛の形はいろいろで、他人が口を挟むことではないと中学高校からの友だちが言うが、そのとおりだ。だからこそ多くの物語が書かれ、愛読された。「現実は小説よりも奇なり」というように、小説では書き表せないたくさんの愛が生まれているに違いない。
私は自分が老いたこともあって、最近では老いた人の「愛」が気にかかる。斉藤茂吉が自分の子どもと同じ歳くらいの若い女性に恋をしたことは、漠然と知っていたけれど、先日の『愛の旅人』を読んで、その苦悩とは逆に積極的であったことも知った。若く美しいふさ子は茂吉との恋をあきらめようと故郷の松山へ帰る。茂吉は広島での結婚式に出席するとその足で松山へわたり、ふさ子に会いに行く。「光放つ神に守られもろともに あはれひとつの息を息づく」は二人の合作と書いてあった。
「年老いてかなしき恋にしづみたる 西方のひとの歌遺りけり」「こひしさのはげしき夜半は天雲を い飛びわたりて口吸はましを」の2首は茂吉の歌だが、恋しい気持ちがにじみ出ている。人は還暦も過ぎれば恋することはなくなるのかと思っていたけれど、人は死ぬまで煩悩から逃れられないようだ。イヤイヤそれは修行が足りないからで、恋だの愛だのと低俗なことから脱却せよと言う人もいる。
私はまだまだ修行が足りない。今更、物書きになりたいとは思わないけれど、せめて自分の生き様は見極めたいと思う。