友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

冬季オリンピックが終わったら

2018年02月28日 17時59分52秒 | Weblog

  冬季オリンピックが閉会し、何やらお祭り騒ぎも一段落した感があった。歯科医院に行くと、「市の未来を考える会」の演説会のチラシが貼ってあった。「安心・安全なまちづくりを提案し、次世代まで輝く未来につながる 市を実現できるのは現職の市長」とあった。会の役員に現職の区長や国際交流協会の会長が名を連ねている。医師会や歯科医師会も押さえたようだ。当選すれば任期中に80歳を迎えるのに元気がいい。

 4月8日に市長と市議の選挙の告示となるので、あと5週間しかない。友だちが「地元から市議を出そう」という文書を作り、友人・知人を回るつもりで、市の選挙管理委員会に文書を持って相談に行った。選管に「違法行為になる」と言われ、びっくりして止めてしまった。特定の候補者を推薦している訳でもなく、地元の候補者が欲しいとだけの内容なのに、いったいこの文書がなぜ違反になると言うのだろう。

 日本の憲法は、何人の政治活動も認めている。選挙前でも候補者を決め、応援する決意を組織は行っている。もちろん、特定の候補者への投票の依頼は公選法に違反するが、特定の候補者の政治団体である後援会への入会をお願いするのは政治活動と見做されているので、選挙違反にはならない。自治会や町内会などの組織が特定の候補者を応援することは裁判になっていたと思う。

 地盤や看板がない候補者が選挙を戦うには並みの努力では勝てない。自分がどういう人間であるのか、何を訴えているのか、地域を回って辻々で演説を繰り返す、あるいは政策や主張を説明するチラシを作って配布する、それしかない。「そんなことしかないの?」と言う。手っ取り早く楽な方法など無い。もっといい方法があればそうすればいいが、私の経験ではそれ以外に無い。

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最後は可燃ゴミで出そう

2018年02月27日 18時26分59秒 | Weblog

  随分と暖かくなった。2月も明日で終わる。明後日からは3月、春日井で畑に掘った井戸の不具合の原因を調べ、何としてでも水を出さないと農作業に支障が出てしまう。どうやって原因を調べようかと話し合った。午後は、先日の三河湾リゾートホテルで行った同年の親睦会の写真を見ながら、どの写真を何枚プリントするかを検討した。「毎日、忙しいね」と人は言ってくれるが、ほとんど何もしていないに等しい。

 どの鉢のチューリップも緑の芽が大きく目立ってきた。今年でチューリップを育てるのは最後にしようと思っている。晩秋にサルビアを抜いて、鉢の土を全部出し、残った根を取り除き、肥料を加えて土づくりをする。毎年、一人で黙々と作業を続けてきたけれど、チューリップの開花はおよそ1週間しかない。誰も見に来なければただの自己満足だ。お金と時間と労力をつぎ込んで、それでも花を眺めることが出来れば満足だったのに、だんだん限界だなと感じるようになってきた。

 今日も友だちと話していたら、「いらない物を捨てるための準備にかかっている」と言う。私は古い物がなかなか捨てられなくて、そろそろ整理にかかろうとは思うのに、何から手を付けたらよいのか、そこからもう迷いがある。残しておいても何の役にも立たない物ばかりだから、思いっ切りが大事なのだろう。思い出の品などは本人以外には何の意味もないことは、父親が残していった物を整理していて気付いたのに。

 どうして思い出にこだわるのだろう。そのくせ、大事にしていたことなのに意外に何も残っていないこともある。思い出などは自分だけ大事に胸の内に仕舞っておけばよいのだろう。一番始末が悪いのは日記だ。全く私のことを知らない小説家に送り届けて、どうにでもしてもらいたいと思っているのに、まだ送り先が見つからない。まあ、最後は可燃ゴミで出そう、それ以外にない。

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あまりにも早い旅立ち

2018年02月26日 20時49分37秒 | Weblog

  「先生、月曜日にお邪魔してもいいですか?」と、卒業生の女の子から電話があった。何十年も前になるが、仲人を頼まれた。会場に行くと、同級生たちが集まっていて、二人を中心にして記念写真を撮った。それで終わりの写真だけの結婚式だった。毎年、賀状は送ってくれたので結婚生活は続いていた。それがわざわざ埼玉から「話に来る」のだから、離婚の相談かと思ってしまった。

 二人は高校の同級で、男の子は背が高く、あまりしゃべらないがみんなの信頼は篤かった。自分を主張する方ではなかったから、可愛い彼女を射止めたことは意外だった。デパートの飾り付けや店舗の設計などの仕事をしていたので、「帰宅は夜遅いことが多く、ほとんど家に居ない人だった」と彼女は話す。「何を聞いてもアアとかウンとか、まともに会話しないから、何考え、何してるのか分からなかった」と言う。

 やっぱり離婚の話だと思い、「結婚生活も長く続くと、そんなに話さなくなるよ。どこも一緒、今更、離婚することはないよ。あまり干渉せずに、仲良く暮らすことだね」と話すと、「もう話すこと出来ないんです」と彼の写真の入った額を取り出す。「平成30年1月13日永眠」とある。離婚とばかり思い込んでいたが、全くのお門違いだった。「いったい、どうしたの?」と聞くと、「今もどこかで飲んでいて、ひょっこり帰ってくる気がしてしまう」と言いながら、経過を話してくれた。

 水戸のデパートの仕事で出かけていて、夜中になっても帰って来なかった。どうせまた、どこかで飲んでいるのだろうと思っていると、午前3時に警察から電話が入り、「署まで来て欲しい」と言う。「街の飲み屋で倒れ、病院に運ばれたけど、帰らぬ人となってしまった」と。葬儀は埼玉で行い、高齢の親戚のために昨日、「こちらで四十九日の法要を行いました。先生にはお知らせしなくては思ったので」と言う。まだ62歳、あまりにも早い旅立ちである。

 今晩も同じマンションで、私の選挙の時にウグイスを務めてくれた女性のダンナの通夜に参列したが、71歳だった。私よりも若い人の逝去に胸が詰まる。「こんな時にしか会えないねえ」と同じマンションの人から声をかけられた。そういう歳になった。年齢順ではないと言うが、それにしても教え子の旅立ちは早すぎる。

 

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卒業作品はどこへ行ってしまったのか

2018年02月25日 17時02分30秒 | Weblog

  三河湾リゾートホテルで行った同年者の集いには37人が参加してくれた。風邪で休む人がいなければ41人にもなっていた。送迎のバスに乗り込み、23号線で西尾市へと向かう。予定通り午前11時に到着したので、宴会が始まるまで温泉に入る人、喫茶する人に分かれて時を過ごす。私はせっかく来たんだからと7人の男性と温泉に入る。

 正午からは宴会で、みんなよく話し、よく笑った。恒例のテーブル毎に出し物をしたり、カラオケや手品や口上など、アッと言う間に2時45分がやってきた。参加者の多くは満足してくれたようで、「また、来年も来ます」と言ってくれた。料理は少なめだったが、もうそんなに食べる方ではないから、楽しい時間が過ごせれたらそれでよい。

 今日は、金曜日にゆっくり見られなかった芸術大学の卒業制作展を観てきた。県立美術館が工事のために校舎での作品展となったが、それが幸いして市民が大学の中を見て回ることが出来た。先日も触れたが、50年前の私の卒業展の時とは大違いで、何よりも発想の面白さが目立つし、作品を見せる技術が高い。

 昨夜もその前の夜も、夢の途中で目が覚めた。私はB全判のパネルを4枚だったか6枚だったか、会場の県立美術館で展示した。採用された高校のデザイン科の先生が「あなたの作品を見て決めた」と、教員になってから言われたことを覚えている。なのに、作品の撤去に出かけた覚えがない。3月は、教えていた絵画教室の後始末や卒業後の住い探しで忙しく、卒業式も出席しなかった。そのため指導教官に叱られたが、私の作品がどうなったのかは分からない。

 学生時代の唯一の作品だったのに、いったいどこへ行ってしまったのか。卒業展の写真もないし、誰も教えてくれなかった。油絵コースの友だちが、「お前は凄い奴だとよくわかった」と言ってくれたのに。行方不明の作品は、夢に現れたが消えてしまった。悔しいやら、情けないやらで半世紀も経ってしまった。

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芸術大学のある「まちづくり」

2018年02月23日 18時45分38秒 | Weblog

 努力は報われる。そう思うけれど、絶対とは言い切れない。オリンピックのフィギアスケートの宮原知子選手の演技は完璧だったが、ロシアのふたりの少女はさらに美しく上出来だった。運・不運は人生にはつきものだ。努力は報われるが、その結果は自分の判断でしかない。不運と思ってさらに上を目指すのも、諦めるのも、自分でしかない。

 アメリカ・フロリダの高校での銃乱射事件で、高校生がトランプ大統領に銃規制を訴えた。トランプ大統領は「銃購入の身元調査をしっかり行う」と言い、「教師に銃を携帯させれば、学校へ侵入する者もいなくなる」と言う。「銃には銃を」の社会が悲劇を生み出しているのに、なんとまあー発想が貧困なのかと驚いた。

 今日は、市内にある芸術大学で市役所と大学のコラボによる「卒業作品展ツアー」が開かれた。市民で参加したのは市民講座を企画してきた私たち3人だけで、あとは全て市職員だった。市職員に芸術大学が存在する意義と価値を認識させ、まちづくりに活かしたいということだろうが、もう少し、市民の参加があってもよかったと思った。

 私が教育大の美術科を卒業したのは半世紀も前だから、あまりにも時代は変わり過ぎている。私たちの頃は、美術作品は何をどう描くかであり、技術をいかに見せるかにあった。しかし今はどのような発想かが重要で、面白さが追求されていた。私の時代と同様にテクニックを見せる作品もあったが、コンピュータを駆使した「凄い」作品が目についた。

 明日はこの市の、昭和19年4月から20年3月までの同学年が集まって親睦会を三河湾のリゾートホテルで開く。食べて飲んでカラオケして、「また、来年も元気で会いましょう」というだけの会だが、今はそれでよいと思っている。人生の運・不運を乗り越えてきた、それを実感するだけで充分だ。そんな訳で、明日のブログは休みます。

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金子兜太さんの句とさだまさしさんの『エンタ目』

2018年02月22日 18時14分20秒 | Weblog

  中日新聞に3年間ほど連載されていた『平和の俳句』の選者、金子兜太さんが亡くなった。98歳だった。ちょうど瀬戸内寂聴さんの『いのち』を読み終えた直後だったので、98歳なら天寿を全うされたと思っていたら、ご本人は「オレは150歳まで生きる」と言ってみえたとを知った。本気でそう思っていた訳ではないだろうが、やっぱり人の死は様々だ。

 今朝の新聞に、俳優の大杉漣さんが急死と載っていた。昔は日活ロマンポルノにも出ていたし、ヤクザ映画では凄みのある俳優だった。最近では警視総監の役だったり、人情味のある中年役が多かった気がする。66歳とある。自分より若い人が逝去したと聞くと、何故か焦りのようなものを感じる。昨日の義弟の言葉、「年齢順にくるわけではない」が胸に刺さる。

 大杉さんとほぼ同じ歳のシンガーソングライター、さだまさしさんが同じ中日新聞の『エンタ目』に、平昌冬季五輪について、「熱くなれない」心情を吐露していた。「何しろテレビもやたらメダルメダルと騒ぎすぎる。ニッポンがニッポンが、と『国威発揚』よろしく、わが国有力となれば大はしゃぎするが、わが国が無関係となれば見向きもしない」と憂鬱の原因を述べ、「メダルに届くのはほんの僅か。彼らの『五輪以前の努力』をメダルの色や数だけで測るのは悲しすぎる」と。

 そして、「とかなんとか言いながら、日本選手が涙のメダルを獲得すると一緒になくんだけどね」と結んでいた。全く私と同じだ。私は「自分が偏屈」と思っていたが、意外に平均的な日本人かも知れない。さださんは、「平和五輪で南北が融和して終戦、武装解除まで進めばこれほどうれしく、めでたいことはないが茶番」と見抜いているが、1日も早くそうなって欲しいし、南北だけでなく、日本やアメリカもその努力をしてもらいたい。金子兜太さんの句「東西南北若々しき平和あれよかし 白寿兜太」のためにも。

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瀬戸内寂聴、河野多恵子、大庭みな子さん

2018年02月21日 17時56分21秒 | Weblog

  姉の見舞いに行って来た。大部屋に入るとすぐに私たちを見つけて、ニコリと微笑む。個室に連れて戻って話が、今日は頭が冴えていて機嫌がいい。「私ね、もうすぐ死ぬの」と言うので、義弟が「そればっかりは順番ではないですから。私の方が先かも知れませんよ」と茶化す。私が「みんなが死んだら、姉さんが見送ってくださいね」と付け込むと、「私が一番上だから、任せなさい」と言う。

 先ごろ読んだ瀬戸内寂聴さんの『いのち』を思い出した。この作品は、小説とあるがまるで日記のようで、スラスラと読めてしまう。大半が河野多恵子さんと大庭みな子さんの話で、時系列が一定でないからちょっと戸惑うが、3人の関係が実に面白い。年齢で見ると、瀬戸内さんが1922年(大正11年)、河野さんが1926年(大正15)、大庭さんが1930年(昭和5)の生まれだから、瀬戸内さんが一番年上である。

 ところが、大庭さんは2007年に76歳で、河野さんは2015年に88歳でこの世を去っている。河野さんは瀬戸内さんに「弔辞はまかせておきなさい。天下の名文読み上げてあげるから」と告げている。「そんな話(葬儀のこと)になるといつでも河野多恵子は、はり切ってくる。自分が私よりも生き残ると信じきっているからだ」(172頁)。ふたりは若い時からの親友なのに、瀬戸内さんは「何度も裏切られた」と書いているばかりか、脳の手術で包帯のお化けとなった大庭さんに「河野多恵子さんは悪人です。気をおつけ、あそばせ!」と言わせている(198頁)。

 小説だからどこまでが虚構でどこは事実なのか分からないが、小説家の3人の生き様はそれぞれで面白い。ただ、河野さんは37歳で、大庭さんは38歳で芥川賞を受賞していて、河野さんは88歳を迎える前年には文化勲章を授与されている。「のらくろの勲章」とふたりは揶揄して笑い転げていたのに、瀬戸内さんは受賞がないことが心のどこかで引っ掛かっているようだった。

 私は河野さんも大庭さんも、名前は知っていても作品を読んだことがない。瀬戸内さんの作品もこの『いのち』が初めてだ。3人の作品がいずれも「性」に深くかかわっていると『いのち』から推察できるが、果たしてどんな小説なのか、姉と同世代の女性だから機会があれば読んでみようという気になった。

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正常と異常が混沌としている

2018年02月20日 17時27分26秒 | Weblog

  私のところへ同年の女性からまた電話があった。以下は彼女の話である。1.そばに空き家があって、その車庫が空いたので家主に断って、貰った家具を置いていたら車庫がゴミの山になり、家主から苦情の電話が来た。2.葬式の回覧をしないでくれと言われたので止めておいたが、ご近所の人はみんな参列されていて、私が悪者になっている。3.店長の許可をもらってスパ―のカートで荷物を運んで家まで来たら、パトカーが来て窃盗だと言われた。4.夜中の2時ごろ、トイレに起きると電話がかかってきて、「トイレに入っただろう」と言われる。

 「4点が立て続けに起きたが、誰かが自分を陥れようとしているのではないか」という相談である。「私のことを頭がおかしいと言うが、私は霊感が鋭いだけでヘンではないですよね」と聞くから、「ヘンです」とは言えず、「人のことは気にしない方がいい」と答える。上の4点の話は、彼女が神経内科の病院に入院する以前にも聞いた。また、病状が悪化してきているのだろうか。人に危害を加える訳ではないから、いくらヘンでも強制入院は出来ないだろう。

 アメリカのフロリダの高校で、17人が殺害される銃の乱射事件があった。犯人は白人至上主義団体の訓練に参加していたとも言われているが、銃が簡単に手に入る社会は異常だ。けれどもアメリカは「自分のことは自分で守れ」の社会である。トランプ大統領は銃規制には一切触れずに、「おかしな人間を取り締まらなかった」とFBIに問題を転嫁している。トランプ大統領は全米ライフル協会から3000万ドル(32億円)の献金を受けているから、銃規制はできないのだろうが、こんな社会を精神異常と誰も思わないのだろう。

 「ヘンなこと」を口にすれば、精神異常と見做されるけれど、よく考えればこの世はヘンなことばかりだ。だから、ヘンが当たり前の社会では、それに気付く人がヘンと見られてしまう。こんなことを問題にする私が最もヘンなのかも知れない。

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小平選手と李選手のRESPECT

2018年02月19日 18時04分12秒 | Weblog

  平昌オリンピック、昨夜のスピードスケート女子500メートルは感動そのものだった。W杯で15連勝の小平奈緒選手と、バンクーバー、ソチとオリンピックを連覇している韓国の李相花選手の、どちらが勝つかと話題になっていた。小平選手は昨季から国内外で無敗、W杯通算優勝回数も19と伸ばしている。李選手は500メートルの世界記録36.36秒を持ち、韓国では「氷速女帝」と呼ばれているという。

 先に滑った小平選手の記録は36.94秒のオリンピック新記録。李選手がこの記録を上回るかとハラハラしながら見ていたが、小平選手の記録に及ばなかった。すべての選手が滑り終わると、小平選手は両手を大きく上に突き出した。スタンドから大声援を受けていた李選手は、期待に応えられなかったからなのか、泣き崩れていた。そこへ小平選手が駆け寄り、李選手を抱きかかえて何か言葉をかけていた。

 ふたりはそれぞれの国旗を手に、小平選手が李選手を抱きかかえたまま、観客席に向かって滑り出し、一緒に手を振っていた。これがスポーツ、これがオリンピック、まさにそんな光景だった。テレビを観ている私はもらい泣きしていた。小平選手は李選手にどんな言葉をかけたのだろうと思っていたが、韓国語で「チャレッソ(よくやった)」と後から知った。小平選手は31歳、李選手は28歳で、10年以上の付き合いがあるという。

 「李選手とは韓国語、日本語、英語を交えて話す」と小平選手はインタビューに答えていた。政府と政府になると仲良しとは言えない非難の応酬だが、個人のレベルでは互いが「RESPECT(尊敬)」し合っている。国の垣根を超えて、個人の付き合いが広がれば、もっと互いを理解し合えるだろう。それがオリンピックの目的であったはずだ。

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フィギュアスケートとシャガール展

2018年02月18日 18時26分35秒 | Weblog

  フィギュアスケートの採点は審判の個人的な好みもある気がしてならない。カミさんは「そんなことはない。スポーツは厳正な基準で評価される」と言う。私にはフィギュアスケートは、ショ―の優劣を競っているように見える。単純に、スピードや高さや距離を競う種目は見ていれば誰が勝者か分かるが、演技が伴うものの判定は難しい気がする。

 ドーピング問題でロシアは国としては参加できていないが、いろんな種目に個人で参加している。個人参加と言うが、団体競技にも出ている。こんなふうに国単位でなく、個人で参加できるなら、もう国対抗は止めたらいいのにと思う。国旗や国歌を無くし、選手の希望の曲を流したら、これほどまでにメダルの数に執着しなくてすむだろう。

 今朝から風が強くとても寒いので、ルーフバルコニーでの作業は諦め、名古屋市美術館で今日が最後の『シャガール 三次元の世界』を観てきた。日曜日のせいか、駐車場は満車だった。館内も親子連れで込み合っていた。シャガールの蒐集では小牧市のメナード美術館と思っていたが、展示された作品は個人蔵のものが目立った。それだけシャガール好きの人が多いのだろう。

 シャガールの作品は写実とは違って詩情的だから、子どもたちも「首曲がってる」と正直に発し、傍らの母親が「シッ!」とたしなめていた。「ホント、ヘンだよね」と私は思わず口を挟みたくなった。大理石の彫刻や粘土の器や人形も展示されていたが、こんなものがお金になるのかと、作家になれなかった僻みで見てしまった。「いいね!」と言ってくれる人がいれば作品になる。評価するかしないかは個人の好き嫌いでしかない。

 芸術は個人的な好き嫌いが基準だが、スポーツは客観的な判定で勝敗が決まる。どんなに努力しても負けは負けでしかない。芸術は発信者の思いとは別に、好きなら評価されるし嫌いなら見向きもされない。スポーツ選手のような血の出るような努力を重ねた作品も、不意に思いついてできた作品も、過程は一切関係ない。結果で勝負という点ではスポーツと同じだ。

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