激しい梅雨が続くと、太宰治が山崎富江と入水自殺を図ったのも、こんな日だったのかと思ってしまう。玉川上水は現在とは違い、当時は水量の多い急流で自殺の名所だったようだ。太宰が入水する前年(1946年)の自殺者は33人もあった。いくら終戦直後とはいえ、何だか物悲しくなる。
太宰と富江の関係は、男と女として当時から取り上げられ、映画にもなった。太宰には教師だった妻と3人の子どもがいたから、富江は悪女のような印象である。中には太宰を独り占めにしようとして、富江が太宰の首を絞めて入水したという説まであった。太宰はこれまで5回も自殺未遂を繰り返しているのに。
『文豪たちが書いた酒の名作短編集』(彩図社)を読んでいたら、太宰の短編が2作載っていた。酒に苦労した太宰の様子が窺えて面白かったが、晩年、親しかった豊島与志雄さんの「太宰治との一日」を読んで、富江に抱いていた印象が180度変わった。富江は「さっちゃん」と呼ばれている。
ふたりで豊島の家にやって来たが、さっちゃんは太宰の小間使いのように働く。「もう鞠躬如(身体をかがめ、恐れ慎むさま)として太宰に仕えている。太宰がどんなに我儘なことを言おうと、どんな用事を言いつけようと、片言の抗弁もしない。すべて言われるままに立ち働く。ばかりでなく、積極的にこまかく気を配って、面倒をみてやる。」
「それは全く絶対奉仕だ。家庭外で仕事をする習慣のある太宰にとって、さっちゃんは最も完全な侍女であり看護婦であった。」「太宰とさっちゃんとの間に、愛欲的なものの影を吾々は少しも感じなかった。二人の間にはなにか清潔なものさえ吾々は感じた。誤っているとは私は思わない。だから私は平気で二人を一室に宿泊させるのだった。」
太宰は女に惚れっぽい人ではあるが、富江は太宰には無くてはならない人のようだ。太宰は富江に「死ぬ気で恋愛してみないか」と迫っている。こんなセリフが言えたなら、私の人生も変わっていたかも知れない。凡人でよかった。