友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

何気なくホッとする時間が欲しかった

2022年08月31日 18時21分56秒 | Weblog

 カミさんが珍しく、「時間があるからメナード美術館へ行かない?」と誘う。私はこの美術館の企画にいつも、面白いことを考えると感心する。9月25日まで開催されているのは『美術の森に生きるどうぶつたち』がテーマで、動物が描かれた絵画を集めた企画展である。

 動物を描いたというより、絵画の中に動物がいるというものが多い。この作品はどこに描かれているのかとクイズに答えるように見入ってしまう。夏休みの最後の日とあって、親子連れも多かった。

 私が「ここにも猫がいる」と感心して見ていると、親子連れのお母さんに「入口のところにもいましたよ。見ましたか?」と声をかけられた。入口のドアの外かと思ったら、中庭に面したガラスにへばりついていた。

 真鍮針金で作られた猫で、それぞれの会場の、あるいは廊下の、どこかに針金の猫がいて、それを探すのも面白かった。水谷一子さんという作家の作品で、針金だけなのにいかにも猫らしい。水谷さんの作品は9月1日から10月1日まで、地下鉄千種駅の南東にあるメニコンANEEXのギャラリーMenioでも開催される。

 7月は急な入院で、以後はさらに静かに閉じ籠り生活が続いたので、付き合っていたカミさんもちょっと息抜きがしたかったのだろう。ゴルフ仲間と行く喫茶店のチケットがあるからと、そこでランチを食べた。朝の8時半から夕方5時まで、ズーとモーニングが食べられる珍しい喫茶店だ。

 先回入った時もそうだったが、多くのジジババあるいはババが友だちと来ている。食べ終わる頃、私の選挙でとてもお世話になった同じマンションのご夫婦が来店された。病院の帰りと言う。私を含めて、何気なくホッとする時間が欲しかったのだろう。カミさんは帰宅してしばらくすると、白内障の手術を受けた眼科へと出かけて行った。

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これからどうなっていくのだろう

2022年08月30日 17時38分58秒 | Weblog

 河野消費者担当大臣の肝入れで、「霊感商法対策検討会」が発足した。統一教会の霊感商法による被害者救済が目的という。安部前首相が凶弾によって死亡したことで、統一教会がクローズアップされ、統一教会と政治家の関係までが毎日のように放映されている。

 統一教会による霊感商法が問題視されたのは、1980年代だったような気がするがその前、大学紛争が収まりつつあった70年代に、各大学で「原理研究会」というサークルが誕生した。学生たちの不安や探求心に食い入った統一教会の学生組織である。

 真理とは何かと真面目に考えた学生がいただろうし、身の回りの出来事に不安を感じていた主婦らもいただろう。壺や印鑑に先祖を清める力があるなどと言われても、普通なら信じられないことなのに、深刻に受け止めてしまう人もいただろう。

 どんなデタラメなことでも、「イワシの頭も信心から」と言うように、信仰心は何よりも強固だ。信仰から持てるすべてを捧げたとしても、それで家庭が崩壊しても、法律で裁くことには無理がある。被害を作り出したのは家族本人で、宗教団体に責任を求めても救済にはならないだろう。

 それにしても安部前首相の殺害から問題は広がり、信仰の自由さえも認められないあるいは制限される気配さえある。80年代だったが、国鉄職員が職制と揉めれば「異常な糾弾」とマスコミが取り上げた。世論の国鉄批判が一気に盛り上がり、国鉄は民営化へと突き進んだ。

 統一教会の異常性が問題視され、ここから次に何が行われてくるのだろう。日本の大学生にかつてのようなエネルギーは存在しないし、賃金が上がらないと不満を持ちながらも人々はそれなりに生活を楽しんでいる。政治家の自己保身を容認している訳ではないが、そんなものだと受け止めている。これからどうなっていくのだろう。

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幼い思春期の思い出

2022年08月29日 18時40分15秒 | Weblog

 市の夏祭りは7月下旬だったので3年ぶりに開催され、大勢の人で賑わったようだ。夏祭りには毎年、鮎の塩焼きや焼きそばで人気の店として協力してきたが、今年は再開するものの「飲食の販売は出店できない」とあったので止めた。

 この夏祭りは前の町長が、町民が主体の祭りにしたいと、プロの露天商ではなく町民の有志がグループで出店し、売り上げはグループの活動資金にすればよいと提案された。私も言い出しっぺのひとりとして、仲間と一緒に参加してきた。

 市の夏祭りは再開されたが、地域の盆踊りは8月下旬に予定されていたので中止になった。コロナ感染が再び広がってきたからだ。夏には祭りが似合う。春は五穀豊穣を祈り、秋は収穫に感謝し、祭りを行うのは世界共通だ。

 夏は雨乞いや邪気退治が目的のようだが、かなり自由奔放な祭りだったようだ。全国各地で行われる、盆踊りはいつごろから始まったのだろう。私が育った市には「万灯祭り」という青森のねぶた祭りに似た、竹ひごで形を作りろうそくで灯りをつけたものをひとりで担いで踊りまわる威勢のよい夏祭りがあった。

 その万灯を制作しているところを学校帰りに見て回った。6年生の時は万灯を担ぐあんちゃんに誘われて、夜通しついて回った。校区外から通っていたのに校区内の子供会に入れてもらったけど、万灯を担げる町内では無いことを自覚していた。

 万灯祭りとは別に、誰もが参加して町中で踊る盆踊りがあり、私が憧れていた女の子が友だちと参加すると聞いてひとりで出かけた。その子の浴衣姿が見たかったが、いくら探しても見つけることは出来なくて諦めて帰った。幼い思春期の思い出だった。

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人の心に潜む何かに大胆に迫るものがある

2022年08月28日 17時48分52秒 | Weblog

 晴れているが、風が強く吹いている。カミさんは友だちとランチ、私はNHKテレビ『のど自慢』を観ながらの食事。司会者の一言や出演者の言葉にウルっときて、ティッシュペーパーで涙を拭きとりながら。

 ひとりだからゆっくりと本が読める。昨日から、町田そのこさんの『星を掬う』を読んでいるが、327ページのうちの171ページまで読めた。若い人の文章は難しい漢字がないし、古めかしい表現もないのでスラスラ読める。

 新聞の紹介で見ていたもので、書店に並んでいたので買ってしまった。母と娘の凄まじい物語で、胸が詰まるのに先が知りたくて読み進んでしまう。人は愛を求めているのに、愛することは苦手というか下手なようだ。

 私もまた、求めるばかりでいるから、そのうちしっぺ返しを受けるだろう。この世界は欲しがる人ばかりで、哀れみも慈しみも先延ばしのようだ。ロシアがウクライナに侵攻してもう半年になるが、停戦の動きは全く見られない。

 専門家?が「ロシア国内の動きがポイント」と言っていた。けれど、ロシアの若者たちに今のところ反戦の動きは無い」と言う。日本の若者も政権支持の傾向が強い。安部前首相の国葬反対する人の割合も高齢者ほど高く、若者は国葬に賛成している。

 若者たちが世界の動きや政治に関心を持たなくなったのはどうしてだろう。70年代の学生運動がセクトの対立を生み、殺し合いにまでなったことから、反政府運動に対する失望が無関心を生み出したのだろうか。

 『星を掬う』は母親に捨てられたことが不幸の源と思い込み、生きる希望も持たなくなった娘の、吐き気がするような残虐な葛藤が描かれている。母親の思いはこの先の展開なのだろうが、人の気持ちのズレにゾッとする。

 今年の上半期の芥川賞と直木賞は、ともに女性作家だった。最近は若い女性作家の方が筆力があるように思う。人の心に潜む何かに大胆に迫るものがある。早く読み終えたら、次はリシアン・ベルリンの『すべての月、すべての年』を読もうと思っている。

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私はいろいろ知りたがるが‥

2022年08月27日 17時52分24秒 | Weblog

 もうすぐ9月だというのに、ルーフバルコニーは春が来たようだ。ディゴは赤い花をつけた後、葉が黄色くなって落ちてしまったのに、まるで春先のように若葉が茂ってきた(写真①)。ディゴは樹木だからもっと大きくなりたいのだろう。我が家の鉢では根が詰まってしまったのか、鉢に水が溜まってしまう。鉢で育てるのは限界なのかも知れない。
 バルコニーの大半を占めるペチュニアは初夏のように、大中小の51鉢で咲き誇っている。昨年、園芸店で買って植えたものや知人から預かったものが、春に花を咲かせ種を落とし、今年越して芽を出してきたので、1本1本新しい鉢に移し替えておいたら、ペチュニア畑のようになってしまった。
 藍色や赤紫色それに赤色やピンク色、背丈が伸びる白色などだったが、見ると藍色の花に白い十字ができていたり、ピンクに白が霞がかかっていたり、変種がいっぱいできていた。初めは単色だったのに、私が育ってきた株を新しい鉢に植え替える作業を続けてきたから、いつの間にか隣の花粉をもらって変種が生まれてしまったようだ(写真②③④⑤⑥)。
 今朝、「エホバの証人」の人から電話があった。以前、我が家によく来ていた女性から「あなたのことを聞いたので、お話がしたくて」と言う。「聖書はいつ読まれたのですか」と聞くので、「中学から高校まで教会に通っていました」と答える。「私はキリストの言葉に共感したけど、キリスト以前のエホバこそ真の神とは思っていません」と話す。
 「今、問題になっている統一教会の創始者も神から選ばれた者と言っていますよ。キリストが中東で生まれたように朝鮮半島に神が送られたのが自分だと宣言しています」。けれど、彼は統一教会のことは知らないようだった。「エホバの証人の考えも、統一教会の主張も、私の知るキリスト教とは異なるものです」と話す。
 私はいろいろ知りたがり屋だが、信仰心を持たない世俗で邪悪な人でしかない。

 ① ②③④⑤⑥ 

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夏はどこか妖艶なところがある

2022年08月26日 18時07分17秒 | Weblog

 ペースメーカーのチェックのため、日赤病院へ出かけた。午後3時の診察はとてもありがたい。これまでのように午前中の診察だと待合室で1時間くらい待たなくてはならないが、今日はとてもスムーズで待っている時間が気にならないほどだった。

 循環器科の受付で来院したことを告げ、検査センターで心電図検査を受け、診察室の前で待っているとすぐに名前を呼ばれた。ペースメーカーの機能を測定し終わると、医師は私に向かって、「順調ですね。まだ、10年は大丈夫です」と言う。

 「10年も生きたくないです」とは言えず、「ありがとうございました」と答え、「血圧を抑える薬を飲んでいるのですが、飲まなくても安定しているので止めてもいいですか?」と聞いてみた。医師は「血圧だけでなく、いろいろ診ておられるので、一度先生にご相談ください」と言われる。

 かかりつけの医師は、十二指腸潰瘍で緊急搬送の処置をしてくださった。今度行った時、お礼と今後の相談をしてみようと思う。緊急入院したことで、気楽に話せるかかりつけの医師がいることの大切さがよく分かった。それにいつも優しい看護師さんや美人の受付嬢にも会いたい。

 久しぶりに電車と地下鉄を利用したが、昼間のせいか混み合うことは無かった。夏だからみんな薄着で、背中の半分が露出している女性もいる。素足に赤と肌色の縞模様のハイヒールを履いた女性も魅力的だった。

 地下鉄の名古屋駅で降りようとしたら、ホームに変わったファッションの人たちが列を成していた。名古屋にコスプレ衣装の人たちが集まっているとニュースで見たが、こんなに漫画のような格好なのかと見とれてしまった。

 今日から栄で、3年ぶりに「ど真ん中祭り」が3日間開かれる。この人たちも祭りに参加するのだろうか。まだまだ蒸し暑くて息が詰まりそうだから、思いっきり踊って発散したい気持ちだろう。ジイジはひとり、中学生の頃の盆踊りを思い出していた。夏はどこか妖艶なところがある。

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みんなが発言することの大切さ

2022年08月25日 17時07分39秒 | Weblog

 どんよりと雲が被っていて、部屋の中に居ても息をするのが億劫なくほど蒸し暑い。やっぱりエアコンを入れないと居られない。また、自民党の元幹事長の二階さんが本音を吐露している。

 「電報を打ってくれって言われりゃ打つんですよ。『応援してやろう』と言ってくれたら『よろしくお願いします』って言うのは、もうこれは合言葉ですよ。モノ買いに来てくれたら『毎度ありがとうございます』って商売人が言うのと同じ」と。

 安部元首相の国葬にかなりの反対の声があることについて、「反対があったからといって国葬をやめるわけではない。国葬は当たり前だ。やらなかったらばかだ」と言い切る。半数近い国民の意思を「ばか」と切り捨てる政治家を、地元の有権者はどういう気持ちで国会に送り出しているのだろう。

 60年安保闘争の時、たくさんの人々が国会前に押し寄せ「安保反対」を叫んだ。ベトナム戦争の時も、ベ平連のような市民団体の呼びかけに多くの市民が集まりデモをした。それでも国会議員の選挙では自民党候補が当選し続けた。

 選挙は人手と金が要る。応援してくれる人がいなくては当選できない。二階さんが言うように、「応援してくれる人たちを、この人は良い、この人は悪いと、瞬時にわかるわけがない」のも確かだ。候補者が何を考え何を主張しているか鮮明にしなければ、応援の見返りを求める人たちがやってくる。

 公明党の山口代表が「社会的な問題やトラブルを抱える宗教団体との関係は慎重に対処すべき」と言っていたが、創価学会が信者を伸ばしていた頃、「仏壇を壊せ」と家族で揉めていた。何を信仰するかは、個人の自由である。宗教団体の中での議論が重要なのだ。

 『WiLL』に寄稿している有本香氏は「いまの日本に必要なことを標語にするなら、『富国強兵・殖産興業』。きれいごとでは誰一人救うことは出来ません」と言う。戦前の日本に憧れる人がいることに愕然とする。戦争の無い「きれいごと」に向かって、みんなが発言することの大切さがわかっていない。

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計画通りに出来ない性格

2022年08月24日 17時57分43秒 | Weblog

 夏休みがもうすぐ終わるこの時期はいつも焦っていた。そして、どうしてもっと計画的に出来なかったのかと悔やみ反省した。小学校1年の時、夏休みの最後の日なのに宿題の作品が出来ていなかった。すると父親と姉が手分けして宿題をやってくれた。

 「来年からはちゃんとやるんだよ」と言われ、「ウン」と答えていたのに、なぜか夏休みが終わる頃になって毎年必死だった。中3の夏休み明け、担任に、「宿題はやりませんでした」と正直に言い、何も提出しなかった。えっという顔をされたが叱られなかった。

 今日は市の後期高齢者健診を受診した。市立病院は無いので、市で一番大きな病院が担当している。私はかかりつけの医院で検査も受けているので、毎年受診する必要は無いが、カミさんは「必要」と言い張るので付き合っている。

 看護師さんが「アユちゃんのおじいちゃんですよね」と声をかけてきた。聞けば孫娘と「プールで一緒だった」と言う。「アユちゃん、おじいちゃん子だったから」と笑う。知り合いが居ることで気楽な気持ちになった。

 診断の医師が「ピロリ菌の検査はしましたか」と聞かれ、「明日から駆除の薬を飲みます」と答えると、「潰瘍の原因はピロリ菌ですから、駆除しておくことです」と指示された。明日から1週間、毎朝晩薬を飲み続けなくてはならない。

 終わったら10時前だった。朝食が食べられなかったからと喫茶店に行くが、最初の店は女性客で満員だった。次に私の友だちが好きなコーヒー専門店へ行った。まだ客はいなくてゆっくりとコーヒーが飲めた。

 今晩だけはワインを少し飲んでみよう。せっかく退院したらお酒が飲めると楽しみにしていたのだから、医師の言葉に従いほどほどに飲むことにしよう。夏休みの宿題のように、計画通りに出来ない性格は治っていないようだ。

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一人一役全員主役

2022年08月23日 19時01分49秒 | Weblog

 中学3年生の女の子が、面識のない親子を包丁で刺して重傷を負わせた。刺された親子は50代の母親と10代の女性で、「人が殺せるか、練習のために刺した」と中3の女子は言っている。自分が嫌いな母親に似てきて、「母親を殺したい、母親を殺されるのを見る弟はかわいそうだから、弟も殺す」と供述しているようだ。

 弟思いの優しい女の子なのに、なぜ面識のない親子に危害を加えたのだろう。親子が雨の中、1つの傘で歩いていたので、仲良し親子と思って妬ましかったのだろうか。何も関係のない他人を殺害する事件が多いのはどうしてなのだろう。スマホで見るバーチャルな世界と自分のいる世界との区別がつかないのだろうか。

 子どもの頃、お寺の襖に地獄の様子が描かれていて怖いと思った。悪いことをしたら、地獄でこんな目に遭うのかと想像した。小学生の時、図書館で読んだ『アンクル・トムの小屋』に心奪われた。どんなにひどい目に遭っても、キリストを信じて強く生きていく姿に魅かれ、キリスト教を知りたくて教会に通った。

 高校生になり、何のために勉強しているのかと、学校教育に矛盾を感じた。たくさんの人が国会を囲み、「安保反対」と叫んでいるのをテレビで見た。学校教育の矛盾は社会そのものの矛盾だった。高1の時に出会った友だちが、「俺が委員長になったら君が書記長、俺が総理大臣なら、君は官房長官」と、将来を誓い合った。

 彼は私をよく知ると思う。私は彼の後を受けて後期生徒会長になったが、トップの座よりも事務方が合っていたと思う。彼とは違う生徒会長を目指したが、もし政治家になっていたら、どうなっていたのだろう。私は議員よりも首長を望んだが、彼は議員に徹していた。

 高校野球を観ていた時、素敵なスローガンがあった。八戸光星高校の「一人一役全員主役」である。人にはそれぞれの役割があり、それぞれが主役なのだと実感する。殺傷事件を起こした中3の女の子も、被害者の親子も、世の中のすべての人は幸せになる権利を持って生まれてきている。それを保障するのが政治だと思う。みんなが生き生きと暮らせるように、一人ひとりが求めるなら実現できるはずだ。

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それが人間の歴史なのだろう

2022年08月22日 18時16分59秒 | Weblog

 高校野球全国大会の決勝戦、初めは両チームの投手の球が打てなくて、これは接戦になるなと思った。ところが結果は、仙台育英が満塁ホームランを含めて8点をあげ、1点しか取れなかった下関国際に勝利した。東北勢の悲願だった深紅の優勝旗は、これで「白河の関」を超えることになった。

 「白河の関」は東北の蛮族の襲来を抑えるために設けられたものらしいが、義経が奥州の藤原氏を頼りにしたように、平安末期には名前はあっても関としての役割は無くなっていたようだ。それくらい奥州への行き来は盛んになっていたのだろう。人が行き交うのは、経済活動が活発な証拠である。

 鎌倉時代は領地を守る地頭が力を得てきた。貴族や寺社から荘園を奪ったり、開墾して農地を増やしたりした。農産物が増えれば取引きに従事する者も現れる。市場のような場所が出来れば物が作られ、人が集まり様々な物が取引きされるようになる。鎌倉時代の末期には楽市楽座が生まれている街もある。

 江戸時代のように、武士が頂点に立っていたのに、士農工商の最下位であった商人が武士よりも金持ちになっていた。物を取引するとなぜ利潤が生まれるのか、私には分からないが、結果としてはそうなっている。物の取引を無くすことは出来ないだろうと思うけれど、全く違う形になってしまうことはあるかも知れない。

 不変なものはこの世に存在しないのではないか。イギリスが40度の高温になったり、南欧州が熱波で山火事が続いたり、世界中で異常気象が起きている。何かが少しずつ変わってきているのに、人はスパーンが長すぎると気付かない。中には気付いている人がいるかも知れないが、論理的に証明できずに黙っているのかも知れない。

 仙台育英の優勝で、東北の人々は大喜びだろう。東北も北海道も沖縄もどこも、人の暮らしに大差は無い。地域の違いは無くなっていく。それが人間の歴史なのだろう。

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