私が「34歳の結婚詐欺師なのか分らない女と、もうひとり35歳の元ホステスの女は、ともに小太りのブス女と週刊誌の見出しに書いてある。それでも男たちはお金を出してもいいと思ったのだから、やっぱり何か男を惹きつける魅力があるんだよね」と、カミさんに言うと、「ヘンなことに興味があるのね。私は、(イギリス人女性を殺したとされる)この若い男の方に興味がある。どうして何も食べないのか、どうして何も話さないのか、不思議?」という答えが返ってきた。
千葉県のこの事件は、いったい何なのかということよりも、確かに彼はなぜ何も話さないのか、どうして食べようとしないのか、そのことの方が引っかかる。それはこの若い男が何を考えているかに尽きる。ところで、30代の小太りで美人でもない女性が男どもを手玉にとった手練などはどうでもいいが、女に貢いだ男たちには興味がある。週刊誌の見出しでは、女は料理上手だという。私が子どもの頃は、女が料理上手なら家庭は円満と言われていた。うまい料理を食べたいために亭主はいそいそと家に帰るというのである。
いくら外食産業が盛んでも、やはり男は女の手料理に釣られたのだろうか。お金を貢いだ男たちは40代より上だったから、意外にも世話焼きタイプの女性には弱かったのかもしれない。「あなたのために作ったの」とか言われて甘えられると、男たちは女をこの上もなくいとおしく思ってしまったのかもしれない。何でもしてあげたい。お金であろうと衣服や宝石であろうと、相手が喜ぶ顔が見たかったのだろう。男が求める女はどういう女なのだろう。
今日は『太宰治生誕百年』の生涯学習講座の第2回目だった。『斜陽』は『ヴィヨンの妻』と『おさん』の間に発表された作品という。ヴィヨンはフランスの詩人であり犯罪者でありペテン師である。おさんは近松門左衛門の『心中天網島』に出てくる紙屋のしっかり者の女房の名前だ。太宰のおさんもしっかり者で、夫が革命だ破壊だ愛だと言って涙を流すのを、「かなしくて美しいもののため」と理解し、「夫のつらさは、よくかわるけれど、しかし、私だって夫に恋をしている」と言う。おさんと夫の会話は実に軽妙で、それでいて奥が深い。
ところが、「夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。」とあり、夫の手紙を受け取って「男の人って、死ぬる際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘をついていなければならないのかしら」と冷静だ。ヴィヨンの妻のさっちゃん(これは心中した山崎富枝のあだ名だ)は、もう少し下町っぽい女性だが同じようにしっかり者である。夫は貴族の出身でもだらしなく浮気ばかりしている作家である。さっちゃんは雨宿りさせてあげた青年に「けがされました」が、「うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店に出かけました。」そして、最後に「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言う。
講師の先生は「女は怖いですね」と言うけれど、女の方が優しくて現実的だ。男はどうも「革命だ破壊だ愛だ」と言うだけで、現実が見えない。だからこそ男と女は釣り合いがとれて、うまくやれるのかもしれないが‥。
千葉県のこの事件は、いったい何なのかということよりも、確かに彼はなぜ何も話さないのか、どうして食べようとしないのか、そのことの方が引っかかる。それはこの若い男が何を考えているかに尽きる。ところで、30代の小太りで美人でもない女性が男どもを手玉にとった手練などはどうでもいいが、女に貢いだ男たちには興味がある。週刊誌の見出しでは、女は料理上手だという。私が子どもの頃は、女が料理上手なら家庭は円満と言われていた。うまい料理を食べたいために亭主はいそいそと家に帰るというのである。
いくら外食産業が盛んでも、やはり男は女の手料理に釣られたのだろうか。お金を貢いだ男たちは40代より上だったから、意外にも世話焼きタイプの女性には弱かったのかもしれない。「あなたのために作ったの」とか言われて甘えられると、男たちは女をこの上もなくいとおしく思ってしまったのかもしれない。何でもしてあげたい。お金であろうと衣服や宝石であろうと、相手が喜ぶ顔が見たかったのだろう。男が求める女はどういう女なのだろう。
今日は『太宰治生誕百年』の生涯学習講座の第2回目だった。『斜陽』は『ヴィヨンの妻』と『おさん』の間に発表された作品という。ヴィヨンはフランスの詩人であり犯罪者でありペテン師である。おさんは近松門左衛門の『心中天網島』に出てくる紙屋のしっかり者の女房の名前だ。太宰のおさんもしっかり者で、夫が革命だ破壊だ愛だと言って涙を流すのを、「かなしくて美しいもののため」と理解し、「夫のつらさは、よくかわるけれど、しかし、私だって夫に恋をしている」と言う。おさんと夫の会話は実に軽妙で、それでいて奥が深い。
ところが、「夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。」とあり、夫の手紙を受け取って「男の人って、死ぬる際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘をついていなければならないのかしら」と冷静だ。ヴィヨンの妻のさっちゃん(これは心中した山崎富枝のあだ名だ)は、もう少し下町っぽい女性だが同じようにしっかり者である。夫は貴族の出身でもだらしなく浮気ばかりしている作家である。さっちゃんは雨宿りさせてあげた青年に「けがされました」が、「うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店に出かけました。」そして、最後に「人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言う。
講師の先生は「女は怖いですね」と言うけれど、女の方が優しくて現実的だ。男はどうも「革命だ破壊だ愛だ」と言うだけで、現実が見えない。だからこそ男と女は釣り合いがとれて、うまくやれるのかもしれないが‥。