友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ちょっとズボラな人

2020年02月29日 18時01分35秒 | Weblog

 「ちょっと打ち合わせをしておきたいので、いつもの喫茶店でいいかな?」と友だちに訊くと、「人が集まるのは禁止だけど、いいのかね」と言う。まさかテレビ討論でもしなければダメだと思っているのだろうかと驚いた。電車やバスに乗ると感染するのではと不安がる人もいる。

 昨日、電車に乗った時に花束を抱えた高校生がいたが、あれが最後の出校日だったのかと夜のニュースで知った。人の多いところへは近づかないと指導されているのか、街には人影が少ない。なのに、スーパーで子どもたちがたむろしていたらしい。

 みんなが神経をとがらせている。そんな話をしていたら、無神経な人の話を聞いて笑ってしまった。歳を重ねると身構えなくなるとはよく聞くが、ここまでの人は滅多にいないと思う。ダンナが風呂から出てきてパジャマに着替え、次に入るカミさんのためにパジャマを用意してやろうと見渡したが上しか見つからない。

 「お前のパジャマの下が見つからないよ」とカミさんに声をかけると、「当たり前よ、ズーと履いているもの」とカミさんに言われ、「えっ!一日中履いていたの?」とビックリして訊くと、「だって、暖かいのよ」と言われたと話す。

 彼のカミさんは実用的なのだ。こういう人は「コロナウイルスにも動じないだろう」と言うと、「それが凄く心配症で、「絶対に外へは出ない。そのためにパジャマのままでいるの」と言ったそうだ。世の中いろんな人がいるから楽しいけれど、彼のカミさんは少しズボラではあるまいか。

 マンションの井戸に手押しポンプを設置し、水も汲み出してみて完成した。総日数で10日間もかかった。「インターネットに上げておいて」と言われていたのに、写真撮るヒマがなかった。残念。もう少しズボラな性格だったらよかったのに。

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友だちの写真展へ行く

2020年02月28日 18時07分10秒 | Weblog

 1時間ちょっと電車に揺られて、友だちの写真展を観に行って来た。電車の中はマスクをしている人がほとんどだが、していない人も1割くらいはいる。咳き込む人はいなかった。どこだったか忘れたが、マスクをしていない人が咳き込んでいるからと、電車の非常時ボタンを押して急停車させた事件もあった。

 何だか戦々恐々とした空気がある。小学校も休校となり、毎週月曜日に出かけている放課後子ども教室も閉鎖になったと連絡がきた。小4の孫娘はどうするのだろう。ジジババでよければ面倒見ることに何も問題はないつもりだが、まだ連絡がない。学校を休校にしても、子どもの預け先に困る親は多いだろう。

 写真展には結構な人が来ていた。私より先に来ていた友だちと一緒に、彼女のグループの作品を解説してもらいながら観て回る。縦2メートル横1メートル以上ありそうな立派な作品もある。彼女の作品のテーマは「詫びと寂び」で、観ているとそこから物語が始まってくるようだ。枯れた雑木林は寂しいけれど、周りの木々に囲まれて嬉しそうでもある。

 3人で近くの喫茶店に行き、1時間近くも話した。「私は絵心がないけど、どう思う」と聞かれ、「絵も写真も頭の中の美意識が作るから、絵がうまいとかヘタとかは関係ないよ。充分、人の心に届く作品だよ」と答える。ちょっとした工夫、光や奥行きや明暗、自分がこれだと思うものが作品になる。経験を積み重ねていく以外ない。彼女はそれを持っている。

 彼女は中学の時はソフトボール部で、男の子に人気があった。「仲間がいるから続けられる」と言うが、いい写真仲間が出来たのも、彼女のスカッとした性格によるところが大きいだろう。中学のクラス会の幹事でもあるので、このコロナウイルス騒ぎが収まったら、クラス会の開催も働きかけてくれるだろう。

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新型コロナウイルスについて勉強する人しない人

2020年02月27日 17時18分23秒 | Weblog

 今日もまた冷たい風が、強く吹き付けている。マンションの玄関は鉄の扉で、そのわずかな隙間を風が通り抜ける時、ブォーと大きな音が響き渡る。北からの冬の風の音だ。建物は南向きだが、北側に廊下があり、玄関の前の階段を吹き抜けて来るのだろう。

 テレビを見ていたカミさんが、「新型コロナウイルスは、プールやサウナでは感染しないんだって」と言う。健康オタクのカミさんはジムに通っているから、「今日はジムに出かける」と言うためなのかと思ったら、「でも、寒いし、着替えも面倒だから今日は止めておく」と宣言する。

 「せっかくの機会だから、新型コロナウイルスについてしっかり勉強するわ」とテレビにかじりつく。出かけなければ感染しないのだから、そんなに神経質になることはないだろう。一般人の私たちは外出せず、仮に外出してもマスクを着用し、手洗いとうがいで防ぐしかない。

 病原菌はどこにでもいる。罹ったなら病院へ行くしかないが、病院で罹患するリスクの方が大きいだろう。そんなに心配せずに、罹った時は残念と思う他ない。地球だって永遠ではないし、何時しか人類も最後の時を迎える。それまでは尽くせるだけの手は尽くすだろう。

 外の冷たい風も止めることは出来ないが、避けることは出来る。人々は格差の広がりで震えている。ぬくぬくと温かい部屋の無い人もいる。山本太郎さんの言うように、「困っている人に手を差し伸べるのが、国であり行政でしょう」。

 カミさんに「勉強できた?」と尋ねると、「余計、怖くなった」と言う。明日は中学校の同級生の写真展を観に行く。もちろんマスクをして行く。

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朝ドラ『スカーレット』に違和感

2020年02月26日 17時28分48秒 | Weblog

 明るい陽射しがいっぱいなのに、冷たい風が強く吹き付けるので、バラの植え替えを始めるつもりでいたのに、ルーフバルコニーに出るのを諦めた。花屋へ出かけて行って、肥料や苗を買う気持ちにもなれず、ボ―と無気力に過ごしてしまった。

 友だちが「名演のチケットがあるんだけど、代わりに行ってくれない」と電話をかけてきた。ロシアの演出家による『マクベス』と聞いて、「行きます」と答えた。カミさんに話すと、「旅行の前に、そんな人混みに行くなんてダメよ」と答える。「あなたが行かないなら、誰か誘ってみる」と言うと、「イジワルね」と膨れる。

 NHKの朝ドラ『スカーレット』は、まるでお笑いドラマになった。ストーリーの展開が行き詰ったのか、回顧場面ばかりが続く。カミさんは朝7時15分から45分まで、NHKBSで『おしん』に続いて『スカーレット』を観ているが、私はフトンから出ていく気になれない。『おしん』も初めは面白かったが、孫のいるババになって、自分がされた嫁いびりをしていることに気付かない。

 『スカーレット』の主人公・喜美子は働き者で、何事にも夢中になって努力する。夫の八郎は夢に向かう喜美子を支え続ける優し過ぎる男だ。喜美子は夫の話を聞く余裕がなく、夫の気持ちとずれていくのに気が付かない。これでは八郎はたまらないだろうと思っていたら、「いつの間にか」離婚していた。

 最近のNHKのドラマは、笑いを取ることが至上命令になってきた。『麒麟が来る』も同様だ。NHKにお金を払っている私としては大変不満だ。公共放送が建前ならば、ドラマも音楽番組も要らない。民放で出来ることは民放に任せればいい。民放なら、好きな番組を自分で選ぶことが出来る。無気力だったのに、イラっとしたら少し元気が出た。

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いじめは無くならないのか

2020年02月25日 18時21分57秒 | Weblog

 脳学者は、「いじめは無くならない」と言っていたが、そうかも知れないと思うような事件が多い。先生が先生をいじめた神戸の小学校では、被害者の「痛み」が全く分かっていない。いじめた側の先生は「ちょっとふざけ過ぎた」とか「ストレスが発散できた」と言っている。

 まるで教室の子どもと同じだ。子どもたちを観ていると、じゃれ合っている子たちがいる。AがBに、BがCに、CがAにちょっかいをかけているようなら、「ふざけ合い」かも知れない。それでも、苦痛が伴っていないか、よく観察しなければならない。子どもの遊びは意外に巧妙な「いじめ」だったりするからだ。

 私は小4の時に、クラスのボスから授業後のレスリングを命じられ、不登校になった。ボスに勝ってはならないので、ボスだけが楽しいレスリングだった。私は学級委員だったから、「止める」と言ってもよかったのに、それがみんなのためだったのに、仕返しが怖くて言えなかった。

 中年になって、クラス会の2次会で立ち寄ったスナックで偶然ボスに出会った。友だちが「あの頃はよくいじめられたよな」とボスに言うが、「そんなこと、あったか」と忘れてしまっている。威厳も何もない、しょぼくれたオヤジだった。いじめた方は忘れてしまっても、いじめられた方は決して忘れることはない。

 どうして小4の時、彼はボスだったのだろう。身体が大きかったし、何故か手下のように振舞う子が何人かいた。神戸の小学校の先生も1対1ではなく、ボスのような女性の先生がいて、ふざけるのが好きな男性の先生が何人かが、ボスに気に入られるように振舞っている。

 女性の先生をこの小学校に連れて来た校長は、「死ね」「潰すぞ」「オレを怒らせたらどうなるか」と口にしていたようだから、新任や転任の先生には地獄の職場だったのだろう。小さな人間が権力を持つと、弱い者をいじめたがるから始末が悪い。これは人間の本性なのだろうか。

 

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小さな権力者の暴走

2020年02月24日 17時36分26秒 | Weblog

 風も無く温かで穏やかな日だった。井戸の仕事は「人の集まりが悪いので中止する」と先輩から連絡があった。焦ることはない、ゆっくりやればいい、何しろ80代と70代の高齢者ばかりだから、みんなが揃う時の方がスムーズに安全に仕事が出来る。

 私はルーフバルコニーに出て、気になっていたバラの鉢を観て回る。2鉢のバラが新芽を出していない。昨年から元気がないので気になっていたが、よく観ると枯れてしまっている。枝を切ってみても水を通す緑色の部分がない。

 何年我が家で咲き続けてくれたのだろう。鉢から出して根を観ると、根詰まりになっている。鉢の土を入れ替えてきたつもりだったが、まだまだ手入れ不足だった。花は手をかけてやらなければ咲かない。学校の運動場では少年野球チームが、コーチの厳しい指導を受けて練習している。

 千葉県で小4の女の子が、父親から虐待されて亡くなった。父親は「しつけの範囲を超え、深く後悔している」と述べているが、「あくまで教育のため」だったと言う。要するに、自分の思いどおりにならなかったということである。自分だって親の思い通りに成長してこなかっただろうに。

 強い者は弱い者に対して、いっそう強い態度になる。いじめの構造はエスカレートする。追い詰めて追い詰めて、死に至って初めて「深く後悔している」と言葉を口にするが、被害者に本当に申し訳ないことをしたと思っているのだろうか。

 父親のような小さな権力者は、自分よりも弱い妻や子どもに暴力を振ってしまう。それで満足なのではなく、ますますイライラが募るので、さらにエスカレートしてしまう。子どもたちのいじめは止めることが出来るが、大人のいじめは本人では分からないので、周りの大人が気が付かないと止められない。

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社会の息苦しさを超えて

2020年02月23日 18時09分28秒 | Weblog

 マンションの中庭に井戸を掘り、今日は手押しポンプを設置して水を汲み上げてみた。さすがに内側にステンレスの板を貼った手押しポンプは手応えが違う。まだ砂交じりだが、水は大量に汲み上げることが出来た。「ヨシ、これなら大丈夫だ」と先輩の顔がほころぶ。

 水を汲み上げたことを確認し、手押しポンプを撤去する。防災委員会から、「手押しポンプをつけておくと、子どもが水を出して周りがベタベタになる」と言われているからだ。手押しポンプを知らない子どもたちのためには、実物があった方がいいのにと思うが仕方ない。

 昨夜、この市の同年者の集いを開催した。欠席者も3人いたけれど、全体としては大いに盛り上がり、楽しいひと時を過ごしていただけたと思う。75歳、誰もがそれぞれに長い人生を積み重ねてきた。悔しいことも情けないことも楽しかったことも、人にはそれぞれ数えきれない思い出があるだろう。

 そんな昔のことは忘れて、今を楽しむ。気楽にバカ話して、笑って食べて飲んで。でも、よく見ると飲む量は減った。食べ残しもある。みんなが笑顔ならそれでいい。私は何時まで幹事を務めることになるのだろう。誰か替わってくれないか。

 私たちはどうしてなのか、みんなが同じことをするように教えられてきた。人と違うことをするな、列を乱すな、人に迷惑をかけるな、そんな規律の中で育ってきた気がする。でも実際は一人ひとり皆違う。誰も同じ人はいない。金子みすずの詩「みんなちがって みんないい」のだ。

 権力は画一を好むけれど、私たちは誰もが一人ひとり違うので、自己を抑えて生きてきた。けれど75歳になり、自由気ままでいいじゃないか、そんな解放された自己があった。

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大縣神社とメナード美術館

2020年02月21日 18時51分14秒 | Weblog

  

 まだ2月だと言うのに、風もなく陽気のよい日だったので、犬山市の大縣神社にしだれ梅を見に行ってきた。300本余りの梅はまだ8分咲き程度だが、急な斜面を鮮やかに彩っている。たくさんの見物人が来ているが、ほとんどは私くらいの年代の人だ。

 大縣神社はかなり古くからある神社で、社内には姫石という女性性器に似た石が飾ってある。男たちは面白がってこの石を撫でまわしていく。大縣神社の南10キロのところには、男性性器を祀った田縣神社がある。子つくりは五穀豊穣につながるから、2つの神社は1対となって地元の人々に守られてきたのだろう。

 2020年2月20日、小4の孫娘は初潮があったという。身体の大きい子だから、早いのではないかとカミさんは話していたが、子どもから大人に変わっていく時なのだろう。「姫神社に来たのだから、記念にお守りを買ってあげたら」と言うと、「そうね」と言いながら、随分迷って買い求めていた。

 せっかくここまで来たのだからと、メナード美術館に寄り所蔵企画展『額縁の向こうの音楽』を観て来た。所蔵作品を展示したものなので観たことのある作品が多いのに、いつも感心するのは題名の付け方であり、テーマごとの作品の解説が実に見事だ。作品の目録よりも、解説の文書の冊子がないかと思ってしまう。

 最後の締めは、石造りの食事処での昼食。夜は居酒屋なのだが、ここまで来ることはないので、ランチで我慢する。メニューを見ると、やはり夜に来たくなるような献立が並ぶ。まてまて、明日は「この街の同年者の集い」を開く。その店も和食のはずだ。飲む話が多過ぎるから、このブログを見ている人から、「お酒がお好きなんですね」と言われてしまう訳だ。

 そんな訳で、明日はブログを休みます。

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目標が見えなければやる気になれない

2020年02月20日 17時54分07秒 | Weblog

 何か仕事をする時、これはこのためにこうするというような、完成のイメージがないとやり辛い。社長なら、「わが社はこういうものを目指す」と、プランを社員に示すだろう。上司が自分の思いを語らずに、「それは違う。どうして分からないんだ」と言われても、部下は困惑するだけだ。

 マンション内に2カ所、井戸掘りを頼まれた。地震に備えての防災用の井戸だ。井戸は掘ったが、井戸の周りをどうするかまで指示がない。それが先日、周りにブロックを置き、コンクリートのたたきにすると防災委員会が言う。溝を掘り、バラスを敷いてコンクリートを流し、ブロックを積み上げる作業の手伝いをした。

 ところが今日、「ブロックを並べてみるとレベルが合わないので、業者に依頼する」と言う。コンクリートのレベル合わせは、防災委員会の人がやった仕事だ。私たちは、マンションの住民が手作りで防災井戸を作ることに意味があると思ったから手伝ったのに、いったいあの労働は何だったのかと腹が立った。井戸の周りをどうするのか、「プランを示せない上司は失格だ」と言いたかった。

 「手押しポンプを設置するところまでやってくれれば、後は業者がやる」と言うので、今日はブロックを積み上げるところまでやった。「ポンプを据え付けてしまうと子どもたちが水を出して、周りがベチャベチャになる」と防災委員会は言う。何だかやる気が薄れていく。それほど心配するなら、言われるとおりにしておこう。

 人のやる気は、目標がはっきり見えた時だ。親でも上司でも先生でも、人を動かせるのは相手を納得させるからだと思う。「やれ、やれ」とどんなに言われても、イメージが掴めなければ空振りになってしまう。次の作業は、土・日曜日にやることになった。

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床屋談義

2020年02月19日 18時25分15秒 | Weblog

 久しぶりに床屋へ行って来た。先客がいて、主人とスマホのラインの話で盛り上がっていた。「おはよう」とか「寒いね」とか、ラインしてくるから「困っている」と客が言えば、主人は「どうしてそんなにヒマなんだ。何も無いのにラインなんかするなって思っちゃう」と怒る。客は「一斉メールが一番迷惑だ」と笑いながら言う。

 床屋談義という言葉があるが、床屋は物知りでないと務まらないのか、それとも客と話していて物知りになっていくのか、久しぶりに客と主人のやり取りを聞いた。先代から手伝っている主人の母親が、「新型コロナウイルスはどうなるの?うちなんかお客さんとの距離が近いから困ってしまう」と心配する。

 「あなたが感染者なら、客の私たちがみんな感染することになるよ」と私が茶々を入れると、主人は「早く収まってくれないと、こんな小さな店でも客が来なくなる」と嘆く。ハワイに旅行に行った夫婦が感染者になったことも不思議だが、その夫婦の妻の友だちの「男性が感染者になったのはどうしてなのかねえ。濃厚感染だったのかね」と話が飛躍する。

 「岡崎の開院前の病院が、クルーズ船の症状の出ていない人を引き受けたけど、地元では心配だと言ってる人もいたけど、なんで快く迎えてあげれんのかねえ」と母親が言えば、「自分だって病気になれば病院へ行くのに、あんまりマスコミが煽るから勝手に心配しているのさ」と若い主人は切り捨てる。

 テレビで不倫報道の妻が「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と話していた。迷惑を受けたのは本人で、「お騒がわせした」のはマスコミなのに、「おかしいよ」と主人。「だいたい不倫がイカン」と母親が言えば、「当事者でもないのに、面白がってるマスコミが一番悪い」と主人。聞き耳を立てている私は「これをネタにしよう」と思った。

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