今日はハロウィン。カボチャの中身をくりぬいたジャックラタンで有名になった。元々は古代ヨーロッパ北部に住む人々、ケルト人のお祭りである。ケルト人は10月31日を1年の終わりと考え、この夜は死者の霊が家族を尋ねてくる、そして精霊や魔女もやってくる、そんな風になったようだ。大晦日と盆が一緒になったような日である。私はキリスト教国でもこうした行事があると思っていたけれど、キリスト教とは関係のない古くからあった土俗宗教の行事だった。キリスト教では神以外を崇めてはならない、にもかかわらず土着の宗教行事は残っているのだ。
日本では何でも行事に取り入れる。クリスマスもバレンタインもハロウィンも、恵方を向いて巻き寿司を食べることも随分一般化した。企業の戦略だとか、商業主義に踊らされているとか、批判する人もいるけれど、みんなで楽しめる行事は多い方がいいように思う。ハロウィンに子どもたちが仮装したりして、家々を廻ってお菓子をねだるようだけれど、日本でも昔は「お月見どろぼう」と言って、子どもたちが近所を廻ってお供えの団子やお菓子をもらっていた。子どものいたずらや甘えを大人たちも大目に見ていたのだ。子どもは地域の宝という考え方が合ったのだと思う。
子どもたちの無邪気な遊びや悪戯はいいけれど、国会中継を見ていたら虚しくなってしまった。国の仕組みや社会のあり方を変えるには時間がかかるということだろうけれど、それにしても議会のやり取りというのは、どこでもあんな風に空々しいのだろう。質問者は一生懸命に核心に迫ろうとするけれど、答弁者はどこでも的外れな答弁をいかにも誠意を持っているかのように答えている。不誠実な答弁であったり間違った答弁なら、さらに質問者は核心に迫ることも出来るだろう。けれども、そんな風に追い込んでみて、それが何なのだろう。自己満足に過ぎないような気もするが、それでも少し前進したことも確かなのかも知れない。
明日からもう11月だ。秋はなぜか人恋しくなる。ひとりでぼんやりと変わりゆく季節を眺めるのもいい。山は少しずつ紅葉が進んでいるし、山まで行かなくても街路樹のケヤキはかなり色が変わってきた。まだ貰い手のない我が家のナンキンハゼはもうすっかり赤くなった。空は澄み高くなったし、空気は冷たさを増した。こうなるとやはり、人肌が恋しくなる。明日は木曽の紅葉を尋ねて出かける。先回、講演に来てくれた大学の先生が隠れた紅葉の名所に連れて行ってくれるし、夜は、小学校の時の同級生が会いに来てくれる。
そんなわけで、明日のブログはお休みです。