友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏祭りって何なのか

2017年07月31日 19時49分06秒 | Weblog

 とても眠い。疲れると何かを考え、判断したくない。どうでもいいやという気持ちになっている。眠らせない拷問があると聞くが、眠らせてくれるなら「言われるままでいい」と思うのは当然な気がする。それでも口を割らない人もいたようだから、信念か根性の差なのかも知れない。

 さすがに2日間も、朝から夜遅くまで立ちっぱなしでいると疲れる。以前なら、意外にやり切れたのに、耐えられなくなったのはやはり歳を取ったのだ。夜9時に祭りが終わり、片付けをして10時から反省会に入るが、空きっ腹のビールはうまい。売り上げを上げるための提案が若い人たちから出されるのも嬉しい。

 祭りの打ち上げ会が1泊旅行になるか日帰り旅行になるかは売上次第だから、頑張ろうということになる。小6の女の子から「1泊がいい」と要望が飛び出し、みんなで大笑いになったが、ますますやる気スイッチが入った。屋台をやる限り、売り上げを伸ばしたいのは当然なことだが、長くやっていると売り上げを伸ばすことが目的化してきている。

 市民が主体になって、祭りを盛り上げ、市民の一体感に寄与出来ればと思って参加してきたが、もう限界だと思う。マンションの管理事務所から電話があり、「今回は目をつむるけど、生活ゴミではない発泡スチロールとか段ボールを出さないでください」と叱られた。市からは「祭りで出たゴミは持ち帰ってください」と言われているのに、いったいどうすればよいのだろう。

 祭りの最後に委員長がマイクで、「私たち実行委員会は事故がないことだけを願ってやってきた」とあいさつしたが、何だか情けなくなった。実行委員長に誘われて祭りに参加してきたのに、彼女にとって祭りとはそんなものだったのか。なぜ、「皆さん、祭りを楽しんでいただけましたか。市民が企画し運営するこの祭りを、もっともっと楽しめる祭りにするために実行委員会は全力を尽くします」と言えなかったのだろう。

 みんなはどう思っているのか分からないが、私はもう手を引きたい。制約が増える一方の祭りに何も魅力を感じない。みんなの努力が報われないばかりか「勝手なことをしている」と非難されている。今度の打ち上げ会で、私は撤退を表明するつもりだ。

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人のつながりで生きているけど‥

2017年07月28日 12時09分32秒 | Weblog

 明日からの夏祭りに向けて準備が忙しい。昨日も知り合いの菓子屋さんの冷凍庫で氷を作らせてもらうために出かけた。飲み物を冷やすための氷だ。以前は製氷屋から買っていたが、支払いが1万円を超していたから本当に助かる。考えてみると、いつもどんな時も人に恵まれて来た。何かをするのに、自分ひとりではどうにもならないが、誰かが手を差し出してくれる。

 祭りは人のつながりがなければ出来ないし、つながった人が受け入れてくれなければ出来ない。つながりと言えば、今日、こんなメールが届いた。「まゆみです。シルバーセンターから紹介うけました。ありがとう。本当に月々300万円のお支払いで私とメールしてくれるの?うれしいです」。「まゆみ」って?

 発信元を見ると、以前、「2900万円を受け取ってください」と送信してきた人、送金代行センターの担当者と言う人、「本日送金」とメールしてきた人、いずれも@i.softbankが共通している。こんな怪しいメールでも引っかかってしまう人もいるのだろう。お金が手に入るとか、女性を紹介するとか、いろいろと手口は違うが「欲」ではつながっている。

 私たちの出店は、夏祭りの仲間が孫世代にまで広がったから続けられているが、現役の人たちは土・日曜日は動けても平日に動員はかけられない。準備と後片付けは私たち高齢者の出番になるが、以前に比べて動きが悪いのは残念ながら自覚しなくてはならない。言わば、老々介護のようなもので、無理せず互いを労わりながらやる他ない。

 年寄りでも若いガールフレンドが出来ると人は生き生きとしてくる。これまで何度も失敗の話ばかり聞かされ続けてきたが、「今回は違う」と男は言う。希望が生まれるのはいいことだ。周りまで明るくなる。これからは、「交際」がバレて失態とならないように、細心の注意を払って続けて欲しい。彼の一生懸命さがようやく実り、友人として祝福したい。

 夏祭りのため、明日と明後日はブログを休みます。

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明日は大須の七ツ寺共同スタジオで演劇を観る

2017年07月27日 17時57分58秒 | Weblog

 最も資金と労力を注ぎ込む夏祭りの第2弾が、この土・日曜日に行われる。天気予報では晴れなのに、今日は一日中曇っていたから本当に晴れてくれるのか、ちょっと心配だ。明日の午後から準備にかかるが、夜は大須の七ツ寺協働スタジオで行われる『幸せの標本』を観に行く。どんな演出の演劇なのか分からないが、楽しみにしている。

 先日、高校の新聞部のOB会を行った時、子どもの話になった途端、この時を待っていたかのようにパンフレットをみんなに配り始めた友だちがいる。1年の時に同じクラスになったことが縁で、「新聞部に入ってくれ」と私が頼み込み、以来長く付き合ってきた男だ。彼は「オレが首相になった時はキミが官房長官だ」と私に言った。

 頭はいいが大雑把なヤツで、将来は「弁護士になって政治家を目指す」と豪語していた。弁護士にはならなかったが政治家にはなった。市民運動に熱心に取り組み、市議から県議へと進んだ。私たちは「市長を目指せ」と発破をかけたが動かなかった。彼の息子は早稲田大学に進学し、どういう訳か演劇を志し、「食えないのに今も演劇を続けている」と言う。

 彼は生徒会の会長を務め、そのおかげで私も彼の後を受けて会長を務めることになったが、行動力のあるブレない男だった。しかし、彼に芸能の才があったとは思えない。2年の文化祭だったと思うが、何人かの男たちと共に演劇部の友人の指導で、顔を真っ白に塗り、幕が開いて降りるまで彫刻のように動かない演技をしたが、あれが源泉だったのだろうか。

 彼は私学の総長の息子だったのに、こちらの大学の先生に引き取られて育った。彼の家に遊びに行ったことがあるが、お母さんは優しい品のある人だった。私たちの時代は「もらわれ子」はいくらでもいたから、血のつながりがなくても「家族は家族」と思った。血がつながっているためにいがみ合う家族より幸せな気がした。

 明日、彼は来るのだろうか?息子の名が私と同じなのも気になるが、「特に考えたことはない」と平気で言いそうだから聞くのが怖い。

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永遠に続くのだろう

2017年07月26日 17時26分36秒 | Weblog

 空が晴れて広がるとギラギラした暑さになった。この間は長雨が続き、雲に覆われていたが蒸し暑く、時には集中的な豪雨に見舞われた。元気がなかったサルビアもこの雨のおかげで葉も茂り、大きく育った。ふと思った。子どもの頃の夏の花はカンナとヒマワリくらいしか思い出せないが、他にどんな花が咲いていたのだろう。

 夏休みに入った直後と終わる頃は子ども会のラジオ体操があったが、その他にやるべきことは特になかったから、暑さの中で何をしていたのだろう。セミ採りも、セミが地中から出てきて樹によじ登り、脱皮する姿を見てからしなくなった。あんなに一生懸命にこの世に出てもたった1週間の命しかないと知り、捕まえたらアカンと思うようになった。

 セミのように必死で脱皮し、必死で鳴き、必死で生きて子孫を残していくのに、私は73年間も生き、何かを成し遂げたのだろうか。 加計問題や自衛隊の日報問題をテレビで見て虚しくなった。子どもの頃、祖父がテレビの国会中継を見ていたが、あんなものの何が面白いのか分からなかった。祖父よりも歳を取った今、国会のやり取りを見て、やはり面白いとは思えない。

 祖父は明治20年生まれだから、欧米に負けない富国強兵を柱とする近代国家つくりの中で育ったはずだ。新しい時代の中で、手に職を持ち財を築こうと奮起したのだろう。腕の良い大工となり、材木屋まで起こしたのだから才能もあったのだろう。明治42年生まれの父は大正デモクラシーの中、文学に触発され、親の業を受け継がず教師の道を選んだ。

 私は戦後教育を受け、民主主義をどのようにして人類は獲得したのかを知った。けれどもまだ、民主主義は道半ばで、これからも人々の関心によって作り出されていくもので、これで完成ではなかった。全てが将来に向けてある。私と孫とは同じ時代に生きている。そうか、孫たちが私くらいの歳になった時もやはり未完成で、永遠に「どうすべきか」「何が正しいのか」と追い求めているのだろう。

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ロカビリー3人男とドラマ『やすらぎの郷』

2017年07月25日 17時38分34秒 | Weblog

 最初の夏祭りの反省会をしていた時、高校生の子がスマホを見ながら、「平尾昌晃が死んだよ」と教えてくれた。その子が「僕の可愛いミヨチャンは」と歌い出したので、つられて私も一緒に歌った。歌謡教室に通っているその子は古い歌をよく知っている。この歌が流行ったのは私が中学生の頃だと思う。

 母が裁縫教室を開いていて、その教室には今なら「昭和の懐かしい電化製品」となるような高さ1メートルほどのラジオとレコードが聴ける電蓄が置かれていた。『ミヨチャン』や『星は何でも知っている』は若い生徒さんたちに人気だった。その頃の平尾昌晃さんは、山下敬二郎さんやミッキー・カーチスさんと「ロカビリー3人男」と呼ばれていた。

 田舎町だったからか、ロカビリーの真似をする友だちはいなかったし、高校生になる頃にはもうブームは去っていた。平尾昌晃さんが亡くなり、テレビで特集が組まれていたが、ずいぶんと幅広く作曲していたことを知った。布施明の『霧の摩周湖』、小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』『私の城下町』、五木ひろしの『よこはま たそがれ』等々、数え切れないほどのヒット曲がある。

 先日、カミさんが観ている倉本聡さん脚本のテレビドラマ『やすらぎの郷』を見て、ミッキー・カーチスさんが出演しているのを知った。このドラマは往年のスターが総出演している。石坂浩二さんが扮する脚本家を中心に、石坂さんの元妻の浅丘ルリ子さんや加賀まりこさんなど、ほぼ実年齢で出演している。80代のミッキー・カーチスさんは41歳年下の施設の女性職員と「恋愛中」である。

 石坂さんも昔、恋していた女優の孫から「会いたい」と告げられて密かに駅まで迎えに行くが、どんな展開になるのかと興味深い。『やすらぎの郷』は高齢者施設だからいろんな人生の終末を描いている訳だけに、見ていて面白いものがある。石坂さんはいよいよデートの日が近づき、「胸がドキドキする」と告白する。いくら歳を取ってもやはり青春の気持ちは変わらない。

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祭りであったちょっといい話

2017年07月24日 17時46分35秒 | Weblog

 夏祭りが始まり、私は鮎の塩焼きの傍でぼんやりしていた。この会場は子どもが多い。するとひとりの男の子が現れ、「割り箸ください」と言う。「ああ、ちょっと待ってね」と言って割り箸を探して差し出し、「何するの?」と聞いた。「お金を溝に落としちゃったんで」と答える。「そうか、じゃー割り箸よりも鮎の竹串の方がいいのじゃーないか」と言うと、ちょっと目が輝いた。

 男の子は頭を下げると急いで会場を出て行った。私は大丈夫か探せるのかと心配が先に立ち、その子の後を追った。男の子に追い付き、「どこで落としたの?」と聞くと、「ここです」と現場を指さす。側溝にはコンクリートの蓋があり、その割れ目から中を覗き込む。「見える?」と聞くと、「あった」と言い、竹串で取ろうとするが無理だ。私は鉄製の格子状の蓋を引き上げ、コンクリートの蓋を上げようと試みたがビクともしない。

 「ここから見えるか?」と男の子に覗くように指示する。男の子は「見えるけど、届かない」と言う。「何があればいい?」と聞くと、「長い棒かタモがあれば取れる」と答えるので、近所に人がいないかと探しに行くと、5・6人の子どもが集まっていた。「お金を落とした子がいて、長い棒かタモを探しているんだけど」と言うと、ひとりの子が「大島のところにあるんじゃないか」と呼び鈴を押してくれる。

 出てきた男の子に事情を話すと、タモを貸してくれた。O君と呼び出したM君も来てくれて、お金を落とした子に代わって腹ばいになって探してくれるが、どうしても取り出せない。M君が作業を続けていると、姿が見えなかったO君が戻って来て、男の子に100円玉を渡し、「これやる。その代わり、ここの100円はオレがもらう」と言う。お金を渡すことに是非はあるかも知れないが、なんという粋なことを言う少年かと思った。

 最近の子どもたちは他人にかかわろうとしない。ましてや自分の時間を他人のために使うことはない。そう思っていた。ふたりとも身体の大きな子だったので、「高校生?」と聞くと、「いえ、中学生です」と言う。「3年生?」と訊ねると、「1年生です」と答える。ますます、この子たちが好きになった。この話、中学校の校長さんに聞かせてあげたいと思った。

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怒鳴り散らして五分五分にするケンカ手法

2017年07月23日 18時01分06秒 | Weblog

 今日だったらアウトだったのに、天候に恵まれた。昨日の夏祭りは運のいいはずなのに、出発はすっきりといかなかった。待ち合わせた駐車場から何やら怒鳴り声が聞こえる。聞けば、私たちを運ぶ車に、駐車場から出ようとした車がぶつかったと言う。ところが、ぶつけた車の運転手がぶつけられた車の持ち主に怒鳴っている。ぶつけられた車の持ち主は車から離れ、みんなの来るのを待っていたのに。

 運転席に人がいない車にバックでぶつかったのだから、ぶつけた方に100%過失がある。それなのに、「バカヤロウ!オレがバックしているのに、こんなところに置くな」と訳の分からないことを大声で怒鳴る。普通の人なら「ごめんなさい。車に気が付きませんでした。大丈夫ですか?」と言うのに、「お前がそんなところに置くからだろうが」と怒鳴るのはどう考えても尋常ではない。

 「新品の車にしろと言うならしてやる。金ならいくらでもある。その代わり、こっちの車も新品にしてもらう」。ぶつけられた方は「たいして傷がついた訳ではないから、もういいにしましょう」と言っているのに、「その態度はナンだ。俺は運転のプロだ。馬鹿にするな」とますますエスカレートしていく。私たちは祭りの会場の準備に午前8時までに行かなくてはならないから、運転手が車に乗ろうとすると、激高して「テメエ、逃げるのか」と怒鳴る。

 私たちの別の車が来たので、とにかくみんなにその車に乗ってもらい、会場の準備に行くことにする。残念だが、ぶつけられた運転手と見ていた人(「見ていたのに車を止めなかった」と悪者にされた)、仲裁に入ってもらった人を残して出かけた。警察に来てもらったが、パトカーが来た時はさすがにおとなしかったそうだ。警察官が帰ると再び怒鳴り出し、管理事務所の仲裁で、双方文句なしということで収まったと聞く。

 普通に駐車していたのに、ぶつけられて「双方文句なし」ではおかしいが、当事者が納得したなら仕方ない。ぶつけた男はぶつけられた車の持ち主が「自分の車だけ見て、オレの車を見に来なかった」から腹が立ったと仲裁に入った友だちに言ったそうだ。全く世の中には常識では考えられない人がいる。でも、よく考えれば、怒鳴り散らして五分五分にするケンカ手法だったと思う。ケンカするバカにならなかった友だちを褒めるべきかも知れない。

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いよいよ明日から夏祭りが始まる

2017年07月21日 19時30分16秒 | Weblog

 いよいよ夏祭りが始まる。明日は私たちが住んでいる地域とは違う地区の「夏祭り」に協力し、鮎の塩焼き、焼きそば、焼き鳥、ラムネなどを販売する。地区の自治会長さんから「缶ビールも売ってくれないか」と要請されたので、自分たちの飲む分を減らして売ることにする。以前から生ビールを売る団体がいたので、競合を避ける意味で止めていたが、会長さんから頼まれた以上は協力しようということになった。

 市の夏祭りに参加するようになってもう10年以上、この地区に協力するようになって4年になる。朝早くから準備にかかり、夜遅くまで働いて、何が楽しみなのかと思うが、結局みんなでワイワイやるのが楽しいようだ。明日も暑さは厳しいようだから絶対に無理をしないように心掛けよう。私たちの孫世代が次第に主力になってきてくれたことが本当にうれしい。

 今日は日本赤十字病院での定期検診日。午後3時の予約だったのに、昼過ぎに眠くなって横になったために15分も遅れてしまった。予約の時間前に行っても40分も50分も待たされるから、たまには逆でも文句はないだろうと、勝手なことを考えながら出かけた。やっぱり遅れて行っても待たされた。私の場合は心電図の検査を先に受け、それからペースメーカーのチェックを受ける。所要時間は心電図が10秒、ペースメーカーが2分くらいだ。

 医者はほとんど何も言わないから私も何も言わない。待合室にいると、私ごときが時間を取っては申し訳ないと思う。それくらい大変な症状の人が大勢いる。医者にいろいろと訊ねたい人たちがたくさんいる。医者もそういう人たちを大切にして欲しいと思う。私の前に診察室に入った人は20代の男性だった。事務の女性が検査の項目や日程を説明していたが、20代で循環器に異常があるのは辛いものがある。

 私の後ろの高齢の女性は寝たきりで、家族が3人付き添っていた。願わくば安らかに送ってあげたいが、本人は意識もないから余計なことなのかも知れない。生まれた時もひとりなら死ぬ時もひとり。この期間は、誰もが幸せを願いながらあっという間に過ぎてしまう。さて、明日はよい天気になりますように。明日のブログは休みます。

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碧南市藤井美術館へ

2017年07月20日 18時40分27秒 | Weblog

 友だちが「きっと好きになるよ」と言っていた碧南市の藤井達吉現代美術館で開催中の『デンマーク芸術村』展、偶然にも長女のダンナのお母さんが招待券送ってくれた。何でも「ついでに」が習慣になっているカミさんは、「叔母さんの見舞いにも行きたい」と言うので、病院経由で出かけることにした。叔母は私の姉よりもひとつ年下だが、ガンとの闘病で食事も出来ず点滴を受けて寝たままの状態だったが、「元気になったので、来ていただいてもいい」と息子が言うので出かけた。

 確かに全く動けなかったことがウソのように元気になっていた。まだ車イス生活だが、食事も自分で食べられるし、病院食の他に息子が用意してきた寿司も食べられるほど回復していた。「これからどこへ行くのか」と言うので、カミさんが「碧南市の美術館」と答えると、「いいねえー」とポツリと呟く。息子が「美術館なんか好きだったか?」と言うから黙ってしまったが、「元気になったら行きましょう」とカミさんが言うと優しい顔になった。

 碧南市の藤井美術館では6年前、『画家たちの二十歳の原点』展が行われた時、どうしても見たくて出かけた。『デンマークの芸術村』展は私には全く未知の作品だった。デンマークの北部の漁村に魅了された2組の画家夫婦の作品を中心に、素朴だが力強い、荒々しい海や穏やかで美しい海原、漁夫の雄姿が写実的に描かれていた。

 紹介してもらった美術館の傍にある「変わった喫茶店」にも足を運んだ。なかなか面白い店だと店内を眺めていると、男が2人入って来た。大きなカメラを提げているからすぐ、雑誌のカメラマンだと分かった。ランチメニューの撮影に来たようで、出された商品を並べ、アングルを思案していた。私が様子を見ていると、相方が「お騒がせしてすいません」と言うので、「大丈夫。私も昔の同業者ですから」と答えると、「なかなか面倒で、イヤになります」と言うので、「それはダメですよ。仕事なんですから」と偉そうに言い、笑い合った。

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隠蔽体質

2017年07月19日 18時23分06秒 | Weblog

 埼玉県所沢市の小学校で、4年生の40代の男性担任が男子児童に「窓から飛び降りろ」「明日からは学校へ来るな」と暴言を浴びせたというので、市の教育委員会が謝罪していた。同じくどこの県だったか忘れたが、いじめはなかったと説明していたが、よく調べてみたらいじめがあったと県教育委員会が謝罪していた。

 いじめがなかなか無くならないのは悲しいことだが、学校という小さな社会の、あるいは教育界の、構造的な問題のような気がする。所沢市の「窓から飛び降りろ」と児童に言い放った教師は、自分の指導について説明すべきなのに、どうしていつも校長や教育委員会が説明せずに謝罪するのかと思う。

 もちろん、校長や教育委員会に責任がないとは言えないが、少なくとも当事者である教師は自分の口で説明する必要がある。学校の中で、こうした教師の指導やいじめへの対処などが、教師全体で話し合われているのだろうか。他人を批判しないことは大事なことだが、批判ではなく問題を共有することまで「触れないでおく」から、いつまでも解決できないのではないのか。

 今朝の中日新聞に南スーダンでの自衛隊の「日報」のことが取り上げられていた。「『日報』は存在しない」と言ってしまった手前、「今更あったとは言えない」という「恥」の姿勢が、「『日報』は隊員個人のもので公文書には当たらないので公表する必要はない」と言う結論になり、稲田防衛大臣も「了承」してしまったとあった。

 誰でも自分に都合の悪いものは隠そうとする。けれど、私的な世界では許されても公的な世界では「罪」という認識が日本人には欠けている。身内を守ることが使命となったり、事を荒立てないことが思慮となったり、責任の所在を不透明にしてみんなで抱え込んだり、結局「正義」が強く発揮されることはない。それでもきっと、少しずつだがこの体質も変わっていくだろうし、そうあって欲しいと願う。

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